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   【出産報告】無脳症に ....   
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   【出産報告】38週死 ....   
   【出産報告】 2度の ....   

Name: 深文
Date: 2012/07/09(月) 19:50
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Title: 【出産報告】無脳症による人工死産後の出産    
2010年8月、結婚してすぐに授かった、両家の初孫となる第一子を無脳症による人工死産で空に帰しました。
妊娠4ヶ月を過ぎているということで、人工死産、つまり促進剤を使用して分娩台の上にのって、でも産声のない出産でした。

妊婦さんや赤ちゃんから目を背ける日々が続いた1年後、妊娠が判明しました。
健診のたびに、何かあったらどうしようと心臓が口から飛びでそうなほど心配していました。

妊娠後期の母親学級で、陣痛室や分娩台の見学がありました。
初産であろう方々が興味津々に分娩台を見ている後ろで、「ここで産声のない娘を産んだんだ」と涙をぬぐいました。

出産に向けてこころに決めていたこと、それは「痛いと言わない。叫ばない」こと。
娘はもっとつらい思いをしたはずだから。

そしてこの5月に無事出産を終えました。

投稿や交流はしなかったけれど、ここでとても勇気づけられました。
ありがとうございました。





Name: しゅんママ
Date: 2012/07/05(木) 18:40
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Title: 【出産報告】38週 原因不明の死産後の出産    
昨年7月に38週で、第2子の男の子を原因不明の死産しました。それまで経過は全く問題ありませんでした。

どうしてももう一人子どもが欲しくて、年齢的にゆっくりもしていられず、産後1ヶ月で妊娠の許可が出て、2ヶ月程で妊娠が判明しました。

初めてエコーをしてもらったとき、最初に見てくださった先生に「赤ちゃんらしき姿は見えるけど、まだ微妙だなあ」と言う話をされていたところ、死産した時に担当だった先生が来てくださって、じっくりじっくりエコーをして下さいました。
「ほら、心臓動いてるの解る??よかったね。」と言ってくださってほっとしました。

今回の妊娠中も経過は順調。
でも、精神的に不安定な妊娠生活を送っていました。
妊娠がわかったときには、仕事復帰してまだ1ヶ月。
ただでさえ1年間育児休業するはずだったのが、産後休暇のみでの復帰になって会社に迷惑をかけているのに、また妊娠。
自分で選択したことなのに、なかなか報告できずにいました。

周りの人から「おめでたなの?」と聞かれ、ようやく報告できました。

今回の出産にあたって、37週に入ったら帝王切開、または促進剤で出産するか、自然に陣痛が来るのを待つか、と選択を迫られました。
先生の意見は「心配だろうけど、自然に陣痛が来るのを待つのをお勧めする」とのことで、先生の意見に従うことにしました。

臨月に入ってからは毎週の検診の他に2〜3日毎にNSTを取って赤ちゃんの様子を見てもらっていました。

そして38週の検診日。
子宮口5センチ開大、赤ちゃんも下がってきてるとのことで3日後に誘発分娩の予定となりました。
その日の晩、陣痛か?という痛みで入院。
しかし、一旦、帰宅することになりそうだなあと思っていたら、日付が変わった頃、急にお産が進みました。

主人が病院に到着すると同時に分娩に入れる状態になり、「ご主人が来るのを待ってたかのようだね」と言われながら、あっという間に生まれてきてくれた赤ちゃん。
去年、促進剤をつかった辛いお産だったから、私に辛い思いをさせないように生まれてきてくれたのかな。
親孝行な子です。
きっとお兄ちゃんが見守ってくれていたからだね。

出産に立ち会った主人は、分娩後すぐに抱っこすることができました。去年は小さなお棺を抱かせることになってしまったけど…やっと元気な赤ちゃんを抱いてもらうことができました。

周りの人達の優しさに支えられて、今回の出産を迎える事ができました。

今月末はお兄ちゃんの命日です。元気な妹が生まれたよ。見守ってくれてありがとう。





Name: rio
Date: 2012/07/04(水) 19:25
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Title: 【出産報告】26週子宮内胎児死亡後の出産    
2011年5月、息子を子宮内胎児死亡によりお空に返しました。

つわりも全く無く、妊娠経過も順調そのものだった私は、元気な赤ちゃんを産むことに何の疑いも感じていませんでした。
ゴールデンウィークに入り、何となく胎動が少ない気がしておかしいなと思いましたが、その時点でもまさかと思い1日様子を見ていました。

ところが、翌日になってもやはり変化が無く、慌てて病院に行きましたが、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。
前回までの検診では元気な様子で動いていた赤ちゃんが、何の兆候もなく、突然微動だにしなくなったエコー画像を見て、放心状態になりました。

病院を出てから主人と一緒に泣き崩れました。
なぜ自分だけこんな目に遇わなければならないのか、どこに悲しみをぶつければ良いのか分からず、ただただ泣き続けました。

それから4日後、陣痛促進剤を使用して死産しました。
赤ちゃんは眠ったような顔をしていましたが産声の聞こえない分娩室は地獄のようでした。
赤ちゃんに「高い高い」しながら主人が「すぐに帰ってくるんだよ」と言ってあやしているのを見て「少し赤ちゃんは遠回りをしただけ。すぐに帰ってくる」と、泣きながら、自分に言い聞かせました。

早く妊娠したかったので、悲しいながらも次の妊娠に向けて体調を整えるように努めました。
前向きになれる日もあれば、一日中泣き続ける日もあったりと、不安定な毎日を過ごしていましたが、幸運にもそれから3ヶ月後、妊娠することが出来ました。

今度の妊娠は1日たりとも安心することは出来ず、安定期に入ってもなかなか周囲に妊娠したことを話せませんでしたが、死産から約1年後の2012年4月、無事男の子を出産することが出来ました。

妊娠初期に出血が数日続いたり、熱を出して入院したり、9ヶ月頃に発育遅延の疑いがあったりと、色々ありましたが、元気な産声を聞いた瞬間、本当に嬉しく、やっとホッとすることが出来ました。

妊娠が判った時は、あの子が帰ってきてくれたんだと思っていましたが、今では生まれ変わりなのかどうかは分からなくなりました。
でも、どちらにせよ大切な大切な我が子を抱くことが出来た今、どんなに泣いてぐずっても育児できる喜びで頑張ることが出来ます。

子宮内胎児死亡と診断されて、赤ちゃんの声や幸せそうな妊婦さんの顔が溢れる産婦人科に入院していた時、泣きながらこのサイトを見つけ皆さんの投稿を読んですごく励まされました。
そして私も次に妊娠・出産したらこのサイトに投稿しようと決めていました。

今、つらい現実を突きつけられて大変な思いをされている天使ママさんに少しでも元気になって頂ければ幸いです。





Name: のりのりの
Date: 2012/04/29(日) 03:16
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Title: 【出産報告】11週流産、20週人工死産後の出産    
2007年に長男出産後、
2010年2月、10週で繋留流産と診断されたのち、
手術を受ける前に自宅で完全流産。

その後、また流産したらという不安と恐怖を抱えながらも妊娠。
何とか安定期にさしかかり、胎動らしきものを感じはじめた17週にうっすら出血し受診。

出血自体は問題ないものの、羊水が少なく、詳しい検査をする必要があると、いったん帰され、同日午後に再度受診。
胎児の腎臓、膀胱が確認できない、小さいからエコーで見えないだけなのか、ないのかわからない、とのこと。
詳しく調べる必要があるので、胎児の成長を待って2週間後にMRI検査をす受けることに。

結果は変わらず、腎臓がなく尿が作られないため、羊水が減っている。
そして、羊水を飲むことで肺の機能を発達させていくため、
産まれてきたとしてもおなかの中から出た瞬間息ができずになくなってしまう。
もしくは、胎内で死んでしまうだろう、とのこと。

おなかの中で元気に動いている我が子。
妊娠継続するのか、あきらめるのか、心が引き裂かれる思いがしながらも、妊娠継続の選択肢を選ぶ勇気も時間的余裕もありませんでした。

人工死産をすると決めてからは、早いほうがよいと言われたのですが、おなかの我が子との思い出を作りたくて、少し時間をいただきました。
ディスニーランドに行ったり、動物園に行ったり、イチゴ狩りに行ったり、家族で写真もたくさん撮りました。
病気を早く見つけていただいたおかげで、息子との最後の時間を楽しい思いで作りの時間に費やすことができました。

前回の流産からおよそ1年後の2011年1月25日、
22cm、230gで産まれてきた次男。
産声を上げることはなかったけれど、てのひらに乗るほど小さいのに、爪もちゃんとあって、目も口も鼻もちゃんとあって。
一生懸命生きようとしているのに、命の終わりを私が決めてしまって、本当にごめんね。

次の妊娠が怖いという気持ちは変わらなかったけれど、
どうしても兄弟をつくりたかった。
そのために次男の命を終わらせてしまったんだから、と、
次の妊娠には自分でも意外なほど前向きに取り組めました。
そこで後ろ向きになってしまったら、次男にも申し訳ないという気持ちが強かったのかもしれません。

2011年7月に妊娠がわかり、受診。
出産予定日が確定する予定の受診日に、次男の解剖の結果を受け取りました。
そこに書かれていた内容は、次男の病気が、遺伝が関係するタイプのものである可能性があるというものでした。
また同じ、産声のない出産をしなければいけないのか。
心拍が確認されたばかりの、まだ初期流産の危険性もある時期、
遺伝子検査をしていないので、確定診断ではない、
長男も無事に産まれている、大丈夫、大丈夫、と、必死に自分に言い聞かせ、動揺しないように努めました。

そして、何も知らないままではなく、きちんと知ろう、知って頑張ろう、と胎児診療専門の病院を紹介してもらい、遺伝子カウンセリングと胎児診療を受けました。
同じ病気を発症してしまう可能性は、最大で25パーセント。
この病気自体が5000人に1人とか、2万人に1人といわれている病気だったので、25パーセントという数字はとてつもない高確率に思えましたが、75%は大丈夫なんだ、と思えました。
今思うと、自分でもびっくりするくらい前向きでした。
次男の力とおなかの赤ちゃんの力が支えてくれていたのだと思います。

同じ病気を発症してしまったら、治療のしようがないので、注意深く観察していくしかありません。
出産予定の病院での検診に加え、胎児診療科のある病院で月一のエコー検査に全額自費で通いました。

20週の時、無事に腎臓と膀胱が確認され、一安心。
次男の時と比べると、おなかのふくらみかたが全然違います。
狭いおなかの中で苦しい思いをさせていたんだなぁと、そう思うと涙が止まりませんでした。

同じ症例で、26週で発見されている方もいるため、念のため、
30週まで胎児診療科に通いました。
そちらを卒業後、やっと、出産に対する実感がわいてきました。
予定日より2週間早く、2012年、2月22日に
2695g、46cmの、
私にとってはとっても大きな!女の子を出産することができました。
産まれる直前、「赤ちゃんの心拍が戻らない」という助産師の声が聞こえてきましたが、
スタッフの皆さんの真剣な顔を見ていたら、自然と大丈夫、助けてくれる、と思えました。

悲しくつらい出産が、私に強さを養ってくれたと思っています。
赤ちゃんが泣いてくれることが、こんなにうれしいことなんだと思いながら、毎日過ごしています。

辛くてどうしようもなくなったとき、何度もこちらの皆さんの体験談を読ませていただき、みんな乗り越えてきたんだ、私も乗り越えなきゃ、とがんばることができました。





Name: jun
Date: 2012/04/02(月) 17:20
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 子宮内胎児死亡後の出産    
2010年8月、第一子となる娘を原因不明の子宮内胎児死亡で
なくしてから、再び妊娠することができ、
昨年12月、娘そっくりの息子を出産する事ができました。

今回の妊娠中は不安な毎日を過ごしました。
更に切迫早産になり、前回の事もあった為、週産期センターがある
病院へ救急車で転院して、約3ケ月の入院を経ました。
絶対安静の末の出産でした。

出産までは色々と大変な日々でしたが、無事に産まれてきてくれて
感謝してます。

息子が眠っている顔は亡くなった娘にそっくりで、涙が出るときもあります。
今でも旦那と娘の話をしても涙です。

決して娘の事は忘れることはないですし、きっと
娘も弟の事を見守ってくれていると思います。

こちらの掲示板には本当に助けられました。
私もいつか皆さんに出産報告ができればと思って
いました。
私と同じ経験をした人たちが沢山いて、また
私の経験、悩みを親身になって
聞いて、応えて頂いて感謝しております。

この出産報告で同じ経験をされて、今も悲しんでおられる方や
苦しんでおられる方に少しでも力になれればと
思い投稿しました。

皆さん、ありがとうございました。





Name: さくちゃんママ
Date: 2012/03/31(土) 16:20
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 37週死産後の出産    
2010年10月21日、結婚記念日に男の子を死産しました。
原因は不明で、眠りについてるような安らかな顔でした。
泣きたい時は思いきり泣いて、楽しい時は素直に笑って・・・
それでも心の中には大きな穴がありました。

前向きに頑張ろうと仕事を始めて、すぐに妊娠がわかりました。
死産してから半年が経っていました。
2011年12月31日に無事に女の子を出産しました。
お兄ちゃんソックリです。
娘はよくお空を見てお話しています。
きっとお兄ちゃんとお話してるんだろうなぁと思います。

さくちゃん、パパもママもみんなずっと一緒だからね。
いつかママがお空に行った時はたくさんお空のお話聞かせてね。
大好きだよ。ありがとう。





Name: べべちゃんベビちゃん
Date: 2012/03/12(月) 15:53
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 20週 一卵性双生児子宮内胎児死亡後の出産    
初めての妊娠で双子の男の子を流産した私は、このサイトでこの悲しみは私だけではないということを知りました。
そして、出産することができたらこのサイトに投稿しようと考えていました。
 
双子のぼうやたちを失ってからの私は、毎日ないてばかりいました。
ただひとつ、私の心の支えになった不思議な出来事がありました。

それは、手術の後、病室で寝ていたときのことでした。
「つぎ、女の子の赤ちゃんをつれてくるからね。ありがとう」
その声は頭の中に聞こえてきました。
きっと二人が私に伝えてくれたんだと思いました。

それから半年、妊娠をした私は「ぜったい女の子だよ」と、旦那さんにいっていました。
そして1月にうまれたのはかわいい女の子。
きっと二人がお空から連れてきてくれたんだと思っています。

この子の後に、もう二人、うみたいなと考えてます。
それはもちろん、お空にのぼっていった男の子達をお腹の中でまた育てるため。

そんな夢みたいなことを日々願いつつ、今は産まれたばかりの女の子を一生懸命育てています。





Name: みさ
Date: 2012/02/18(土) 18:24
  返信  引用  編集 
Title: 【妊娠報告】 21週前期破水死産後の妊娠    
平成23年4月、第二子の妊娠が判明。

第一子からなかなか授からず、妊娠を強く意識してから3年、待望の二人目妊娠でした。

あの3.11大震災後の妊娠で、放射能汚染の心配などもあり、嬉しい気持ちと不安が混ざりあっていました。
初期から頭痛が頻繁にあり、頭痛薬を飲まざるを得なくなったり、出血をして切迫流産しかけたり、常に不安な毎日でした。

5ヶ月の終わり頃、なぜかネットを開けば 流産・死産の経験談ばかり覗いていました。
今となっては私にこれから起こる事への準備として教えてくれていたのでは、と思っています。

8月、6ヶ月に入った時に、軽い腹痛といきみたくなる症状があり、トイレでいきなり破水しました。
大量に流れでる羊水に、もうダメかもしれないと感じました。

すぐに病院に行きました。
まだ赤ちゃんは力強く心臓を動かしていました。
ただ、それも時間が経つにつれてどんどん弱くなり、私のお腹の中で静かに心臓が止まっていきました。
パパにとって、我が子の最初で最後の超音波映像でした。
悲しかったです。
23cm、200gパパ似の可愛い女の子でした。
開放性二分脊椎という障害を持っていました。
無事に生まれてきても大変だったこと。
あの子の本心はそれでも生まれてきたかったのか、それとも自ら選んだ運命なのか、今でもわからないのが心苦しいです。

死産後悲しみの毎日でした。
こうして生きていることさえ辛すぎました。
だけどやっぱり人間です。時間が必ず解決してくれます。

あの子の月命日には可愛いお花を飾り、普段の生活の中でもあの子を想いながら過ごしていたらあっという間に半年がすぎ、今回の妊娠に至りました。

正直怖いです。不安です。
でも、あの子が見守ってくれているような気がして不思議な気持ちです。
共に生きる。
この言葉に救われました。
お空の娘は、私たち家族の心の中で生き続けています。





Name: きえ
Date: 2012/01/26(木) 00:40
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】38週死産後の出産    
2010年1月、第二子となる男の子を死産しました。

それまでは全く問題もなく経過は順調でした。
胎動を感じられなくなって不安がよぎり、病院へ行くと既に赤ちゃんの心臓は止まっていました。
原因はへその緒自体がねじれてしまったことでした。

産まれてきた我が子はとても綺麗でただただ眠っているだけのようでした。
肌に触れると本当に涙が止まらなくなりました。

自分には何が出来るのだろう。
息子は何を伝えたかったのだろう。
と毎日問いただしていました。

またお腹に戻ってきてくれないかなと思えるようになってきた頃、妊娠がわかりました。

妊娠中は毎日胎動を確認したりと本当に不安だらけでした。
病院の先生も親身に話を聞いてくれて、計画分娩をすることになりました。

そして2011年5月、38週で無事男の子を出産しました。

本当にみなさんの言葉に励まされました。
だから、私も少しでも力になれればとちょうど2年経ってこの掲示板に書かせて頂いてます。

お空へ行った我が子はいつも近くで見守っていてくれている感じがします。
感謝でいっぱいです。





Name: リブ子
Date: 2011/12/03(土) 18:00
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 2度の初期流産後の出産    
昨年10月に11週で稽留流産。
今年1月には、化学流産で我が子を亡くしました。

悲しみのドン底のなか、こちらのサイトで励まされました。

今年3月に再び妊娠が判り、11月18日に3,178gの元気な女の子を無事に出産しました。

2人の我が子を亡くし、抗コリン脂質異常であることが判りました。
私のせいで、2人を亡くしてしまいましたが、
二人のおかげで、3人目をこの手で抱くことができました。
二人の命と共に生まれてきた我が子が、本当に愛おしいです。

諦めないで良かったです。






 
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