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   出産報告・34週死産後 ....   
   妊娠報告・稽留流産後 ....   
   出産報告・24週死産後 ....   
   妊娠報告・23週死産後 ....   
   出産報告・2度の流産後 ....   
   出産報告・流産後の出 ....   
   出産報告・稽留流産後 ....   
   出産報告・3回の流産を ....   
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   妊娠報告・2度の流産後 ....   

Name: Kou
Date: 2005/10/05(水) 16:10
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Title: 出産報告・34週死産後の出産    
私には今二人の娘がいます。長女が2歳9ヶ月、次女が4ヶ月になります。でも本当は間に長男がいます。

長男は2003年の12月に34週で常位胎盤早期剥離で死産しました。まさか自分が死産するなんて考えてもなくて当時は泣いてばかりいました。臨月まであと少しの大きなお腹がいきなりぺちゃんこになり、でもそこには赤ちゃんは居なくて。あの喪失感は例えようがありませんでした。

普通の人なら次の妊娠には消極的になるのかもしれませんが、私は早く又大きなお腹にならないと。と頭では死産したことを理解してても心では大きなお腹じゃないことに違和感を覚えていました。

そして死産から半年後無事妊娠することができました。しかし妊娠中は又お腹で赤ちゃんが死んでしまうかもと毎日不安な日々を過ごしていました。出産は予定より2週間も早かったものの安産で元気な産声を聞くことが出来ました。

今ここを見て泣いて過ごしている方も多いと思います。でもそんなあなたの所にも可愛い赤ちゃんがやってくることを願っています。
(掲載日:2005/8/11)





Name: ゆぅ
Date: 2005/10/05(水) 16:09
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Title: 妊娠報告・稽留流産後の妊娠    
2月に稽留流産の手術をしたのですが、7月末妊娠6週が発覚しました!!心臓も、びっくりするくらい元気に動いてて…思わず涙があふれました。ママのお腹に帰ってきてくれてありがとう。





Name: こぐま
Date: 2005/10/05(水) 16:08
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Title: 出産報告・24週死産後の出産    
娘を無事に出産したのは息子を死産してから11ヶ月後でした。24週で胎動が感じられなくなり、子宮内胎児死亡と診断され息子を生みました。産声もあげす静かに生まれてきました。それから泣いてばかりの毎日でしたが、やっぱり早く赤ちゃんに戻ってきてほしいと強く思うようになりました。医者からは1年は避妊するように言われましたが、私はそんなに待てなかった。早く元気な我が子を抱きたかったし主人に抱かせてあげたかった。

そして死産してから3ヶ月後に妊娠しました。やっぱり早すぎたかもしれないと不安になりました。でも赤ちゃんの生命力を信じていました。それからは切迫流産、切迫早産といろいろありましたが、なんとか無事に娘を出産することができました。その時の感動は一生忘れません。息子の分まで娘に愛情を注ぐつもりです。
(掲載日:2005/8/11)





Name: さかゆき
Date: 2005/10/05(水) 16:07
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Title: 妊娠報告・23週死産後の妊娠    
2004年11月16日に、23週6日目の初産の女の子を死産しました。もう既に胎動があり、毎日お腹をなでながら話し掛けていました。絶対に女の子だという根拠のない確信があり、名前(灯:あかり)も決めていました。
2
3週3日目の検診の日「母子共に順調」といわれ帰宅し、次の日(土曜日)の朝、胎動を感じたきり動かないような気がしました。次の日(日曜日)一日、様子を見ました。しかし、胎動がありません。月曜になって、朝一で病院へ電話をして受診。一時間ほど待たされて、やっとエコーで見てもらった時には赤ちゃんの心臓は動いていませんでした。「まさか」なんで私が…」「うそでしょ」「きっと夢を見てるんだ」頭の中が真っ白になりました。すぐに入院して、亡くなった赤ちゃんを出さないと母体も危なくなると言われ主人に連絡を取り帰宅してもらい、入院準備の為一人自宅へ戻りました。出産準備のための荷物を既に用意していた為、そのバッグを持って出ればいいだけでした。そして、入院した翌日、亡くなった赤ちゃんを分娩しました。やはり女の子でした。口元が主人に良く似ていました。今まで生きて来た中で一番辛い出来事でした。退院日に火葬し、主人の家の墓に納骨しました。仏壇に子供用の小さな位牌を作ってもらい、毎日手を合わせています。

その頃、小さい時からとっても可愛がってくれた祖母が末期癌で入院していました。以前、お見舞いに行った時「お前の子供見るまでは絶対に死なないから」と言ってくれたのに…。見せてあげられないまま、赤ちゃん死んでしまった。12月11日に祖母も息を引き取りました。92歳でした。しばらくして、祖母が入っていた棺の中に敷いてあった白い折柄の布と同じ白い着物を来た祖母が、赤ちゃんを抱いている夢を見ました。あぁ、一緒に天国にいるんだなぁと思ったら安心しました。

それから、生理が再開。病院での不育症の検査の結果は陰性。問題ないとのこと。ただ、子宮筋腫があり大きくなってきていることと年齢を考えて、一日でも早く妊娠をと言われました。精神的に落ち着いてからと思い、しばらく家でゆっくりしていました。春には、接骨院で看護婦のパートも始めました。6月に大好きな沖縄旅行へ行って来ました。現地の友達にも会いました。帰ってきてから次の子を作るつもりでいました。

3ヶ月前から基礎体温をつけ、排卵日検査薬も用意し、子宝草を育て、葉酸・マカ・高麗人参を飲み、毎日大豆製品を食し、子宝風水を実行し、寝室には木村さんの絵を飾りました。そして、排卵日と思われる日の前後10日間、一日おきに頑張りました。その結果、今回、妊娠することが出来ました。まだ4週4日目に受診した時は、早すぎて心拍確認できませんでした。5日後に再検診です。丁度、6週と3日目なので大丈夫だと思います。
また、同じように急に死産してしまったら…と思うと不安で一杯です。正直、素直に喜べずにいます。産まれるまでは安心なんて出来ません。

昨日から、灯ちゃんの新盆です。主人と一緒にお墓に迎えに行きました。灯篭も盆棚も飾りました。でも、灯ちゃんのお墓参りの帰りに、たまたま深川不動尊でおみくじを引いたら大吉で、それに見合った石が入っているのですが、私の場合はカーネリアンが入っていました。勝運招来・意欲向上・生きる希望を与え行動力を起こさせるという赤い石でした。あぁ、頑張らないといけないって思いました。きっと灯ちゃんも応援してくれてるんだと思いました。

今度こそ必ず元気な赤ちゃんを、無事、出産して見せます。たまたまだとは思いますが、出産予定日が灯ちゃんと一日違いです。また、夢なのですが、小さな女の子が私の足元にしがみ付いていて急にすーっと透明になって私のお腹の中へ入ってしまったのです。夢なんですけどね。なんか、不思議な感じです。生まれ変わりではないでしょうけど、次も女の子だったらびっくりです。多分、男の子のような気がするのですが、元気な子が無事産まれるならどちらでも良いです。大歓迎です。

死産直後、辛くて辛くて仕方ない時に、ここでお世話になりました。本当に救われました。ありがとうございました。ここで子宝草を分けていただき、大切に育てています。子株が沢山付いたのと、妊娠したのとで、私も皆に子宝草をお分けする事にしました。同じような想いをした方へ、少しでも希望を分けてあげられたらと思っています。
(掲載日:2005/8/11)





Name: さな
Date: 2005/10/05(水) 16:06
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Title: 出産報告・2度の流産後の出産    
1歳になる娘がいます。この子を産むまでに2度の流産を経験しました。自分が流産するなんて夢にも思っていませんでした。

1度目は2002年6月9週で稽留流産でした。前の検診ではちゃんと心音確認できたのに・・・・赤ちゃんの姿が確認できませんでした。先生に『赤ちゃん見えませんね、子宮内胎児死亡ですね。子宮口が開き始めてますから早く処置しないと大変なことになりますよ。』と、言われ頭が真っ白になり何が何だか分からなかった。すぐ旦那に電話して病院に来てもらい、先生の説明をうけそのまま入院して次の朝処置しました。その夕方退院しました。子供が大好きで結婚してすぐにできたので凄く嬉しかったのにこんなことになるなんて・・・毎日泣いていました。

そして10月、2度目の妊娠6週で完全流産。赤ちゃんの姿も見えないまま・・・妊娠したかなと思ったときまた流産するんだろうなと感じていました。それが当たってしまうなんて。私は赤ちゃんが産めない体なのか・・・と考えるようになりました。悲しい事はつつ゛くものです。2003年4月私の大好きだった父親が入院して2週間で亡くなってしまったのです。赤ちゃん産まれてくるのを一番楽しみにしてくれてお父さん・・・・お父さんに赤ちゃんを抱かせてあげられなかった・・しばらくの間何も手につきませんでした。今もこうしていると涙がでてきます。辛いです。

その年の8月生理が遅れているなぁと思いつつ、2度流産してから毎月1回産婦人科に通っていたので次までしばらく様子をみていました。そして9月妊娠していました。凄く嬉しかった。でもまた・・・・という思いが入り混じって。先生が安定期に入るまで入院しなさいとと言ったので5カ月まで入院していました。そして約3カ月近く入院していました。そして2004年の1月の終わりから産むまでまた入院していました。長い入院生活でした。

私は炎症反応が少し高く計画分娩で娘を産みました。病院は無痛もやっていましたが、あえてやりませんでした。赤ちゃんも必死で頑張っているので私も頑張ろう!この日をどれだけ夢見たことか・・やっと会える分娩も力いっぱい頑張りました。分娩室に入って1時間で産まれました。産まれた瞬間の事今でも忘れられません涙が止まりませんでした。

そんなわが子も明日で1歳になります。早いものです。2度流産したけれど無駄じゃなかったと今は思えます。命の大切さ儚さを思い知りました。そして、人に優しく。お空にいる2人分も幸せに育てていきたいとおもいます。流産、死産してすごく辛い思いされているみなさんきっと赤ちゃんはやってきてくれます!皆さんが幸せになれること心から祈っています。
(掲載日:2005/8/11)





Name: みのむし
Date: 2005/10/05(水) 16:05
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Title: 出産報告・流産後の出産    
今年の1月31日に大きな女の子を出産する事ができました。

去年の1月は本当に辛い時期だったコトを思い出します。でも、この子が1月に生まれたのは、流産した子からの贈り物と思っています。流産した時は、本当に悲しかったし辛かった・・。でも、上の子がいるし周りは何事もなかったかのように接してきてたから、ムリしてでも笑うしかなかったです。よく初期の流産は母親に責任はない・・・みたいな事をいうけれど、でもお腹の子を守れるのは母親だけだから自分を本当に責めたのをおぼえてます。

流産から3ヶ月後に生理が遅れているのに気づき、3度目の妊娠を確信しました。前回のこともあるから今回の妊娠生活は、本当に慎重に過ごしました。病院に行って心臓が動いてるのを確認できた時は、本当に嬉しかったです。そこからの10ヶ月間、上の子に説明をしながら妊娠できる喜びを改めてかみ締めてました。

そして、予定日から1日遅れで生まれた女の子は3704gもあるビッグベイビーでした。
まだこの世にでてきて1ヶ月半ほどの赤ちゃんと上の子のお世話・相手は大変です。
でも、私たちを選んでくれたことを本当にありがたく思っています。そしていつか2人が大きくなったらもう1人兄弟のことを話してあげたいと思ってます。2人とも女の子なので、話した事によって妊娠・出産・命の大切さをわかってもらえたら・・・と考えています。

絡のない文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。そして、お空に帰っていってしまった赤ちゃんには本当に素敵な贈り物をもらったと感謝の気持ちでいっぱいです・・・ありがとう。
(掲載日:2005/8/11)





Name: さや
Date: 2005/10/05(水) 16:05
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Title: 出産報告・稽留流産後の出産    
このhp立ち上げのころお世話になりました。さやです。久々にこのページに来たのですが、みなさん本当に辛い、辛い体験をされているんですね・・・。私もみなさんの体験見ながら自分の体験と重なってしまって、涙があふれました。

流産体験記を書かせてもらいその中に妊娠報告をする、とう目標を書いていたので私の体験記をかかせていただきます。少しでもみなさんの励みになれば・・・・。

私は2003年10月9日に、稽留流産で天使ちゃんをお空に返しました。長い不妊治療のお休み中にやってきてくれた天使ちゃんでした。流産手術直後は本当にこのまま狂ってしまいそう・・と言うくらい落ち込み、毎日苦しかったです。その中でポコズママさんのhpに出会い、救われました。

そして、体と心を休め、不妊治療を再開しました。またこんなに辛い思いをしたくないと思ったので、今度不妊治療で通い始める病院は、不育にも力を入れている病院を選びました。心拍確認後に流産しているということから、先生から簡単な不育の検査を勧められそれをうけることにしました。その結果、血液が固まりやすいということがわかりました。本当に検査してよかったです。

片道1時間をほぼ毎日通わなければならないし、注射も痛い・・・、はっきり言って大変でした。それに加えて漢方治療(周期療法)もしました。

その結果、2周期目の卵管造影検査後、奇跡的に妊娠できました。とてもうれしかったのですが、それ以上に不安がおそってきました。また流産したらどうしよう・・と。

妊娠が判明してからも私の場合治療でした。まず、妊娠を維持させるための注射(黄体ホルモンだったと思います)、血栓予防のための小児用バファリン服用です。それと、周期療法の流産防止の漢方薬も飲みました。以前流産した10wが壁だと思って、それまでは本当にビクビクして不安で不安で仕方なかったです。

そんな不安の中、9wで出血。朝起きて、どろっという感覚で恐る恐るトイレへ行くと出血してました。またか・・という思いと助けて・・という思いで、泣きながら病院へ行きました。
その結果、無事心拍は確認出来、安心しました。とはいえ、切迫流産の診断で安静でした。そのころはトイレへ行く以外には殆ど寝てました。ところが出血は出ては止まりの繰り返しでした。そのたびに、病院へ行ってました。

やっと出血が落ち着き、4ヶ月になったので不妊専門病院から、分娩予定の大学病院へ転院しました。その大学病院、以前流産手術をした病院なので、いやな気持ちでしたが、経緯も知っているし、安心あのでその病院を選びました。偶然担当医は、以前流産手術をしてくれた先生でした。

私の場合慎重に見ましょう、となり2wに1度の通院でした。4ヶ月に入り出血もなく10wの壁も越え順調だ・・と思い始めた頃、また出血。さすがに、血の気が引き、不安の中病院へ。そして、そのまま入院になりました。点滴と投薬で出血も落ち着き赤ちゃんも育ってくれました。2週間ちょっと入院して退院。

安定期を迎え、水天宮にもお参りに行きました。5,6ヶ月は安定期で夏の暑い中不安はあるものの心は穏やかに過ごせました。

ところが、7ヶ月に入り検診に行くと赤ちゃんの頭がかなり降りてきてしまって、切迫早産という診察を受けました。それに加えて胎児が小さいということでした。1週間は自宅安静でしたが、翌週に診察に行くと入院宣告されてしまい入院になりました。24h副作用の強い点滴をうち続けました。張りがで手はふるえるし、足もふるえ、点滴で手は傷だらけ、副作用で湿疹だらけになりました。入院部屋からも出ることを許されず、ずっとベッド上での生活でした。張りが頻回になるたびに点滴の濃度を上げ、maxまで点滴が強くなりました。辛かったけど、これで無事出産できるなら・・と思い耐えました。

そして、無事正期産を迎え退院。その後陣痛が来て、あっという間の安産で女の子を出産しました。入院生活で安静にしていたので、育ってくれて小さめながら母子ともに退院することができました。トータルで4ヶ月弱の入院でした。私の妊娠生活は、はっきり言って不安ばかりで辛い物でした。

今娘は5ヶ月、もうすぐ6ヶ月になります。隣で眠っているかわいい我が子を見ると、本当にがんばってよかったと思います。元気に生まれてきてくれたこと、成長していく娘の姿をみて本当に幸せで涙が出ます。生まれて来てくれてありがとう、って毎日娘に言ってます。流産、不妊治療を経験して命の重さ、大切さが身にしみました。

私と娘、天使になってしまったあの子が守ってくれたのかな・・って思います。天使になってくれた子の分まで娘をかわいがって慈しんで育てます。そして、天使になったあの子のこといつまでも大事に大事に心の中で想っていたいとおもいます。
(掲載日:2005/8/11)





Name: まゆり
Date: 2005/10/05(水) 16:03
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Title: 出産報告・3回の流産を経験しての出産    
私は4歳と1歳の娘がいます。ですが、長女が生まれる前に二度、そして次女が生まれる前に一度の計三度流産しました。

初めての妊娠は検査薬に薄い反応が出ただけで、すぐ少量の出血。初めてだったので心配で、夜でしたがすぐ病院へ。そこでは生理みたいに終わっちゃうかもしれないけれど一応入院してみる?といわれ入院しました。胎嚢もなにも見えず不安なまま一週間すごし、稽留流産と診断され手術なしで退院。おもえばこの病院はむやみに入院させるところで、この妊娠は精度の高い検査薬だからわかった普通なら気づかれないまま生理として終わる妊娠でした。でも初めて妊娠した私にとってものすごく悲しい出来事でした。

二度目は基礎体温も毎日つけて計画的に妊娠。検査薬もはっきり陽性で大感激!前回と同じ病院で胎嚢を確認してもらうも、週数に比べて小さいといわれ排卵が遅れたかも、といわれました。一週間おきに診察を受けましたが、胎嚢は徐々に大きくなるけれどいつまで待っても胎児は現れません。そのうち胎嚢自体がくずれてきて稽留流産と診断。先生はよくあること、10人に1人。と淡々と話され、ものすごく傷つきました。手術前、ラミナリアを挿入し一晩苦しみねむれませんでした。翌朝トイレに行くと何か白いものがずるっと出てきて、とっさに「この中に赤ちゃんがいるんだ!このままトイレに流しちゃいけない!」と思い看護婦さんを呼びました。心配ないよと気遣ってくれ、でてきた胎嚢を先生の所へもっていってくれました。手術は全身麻酔であっというまに終わり、手術室から出ると旦那がいましたが、麻酔がきいててうまく話すこともできず、ストレッチャ-の上でただ涙が流れるだけでした。

その後、タイミング妊娠法の本を見つけ、妊娠のメカニズムについていろいろ勉強していくうちに、「初期流産は染色体異常で長くは生きられない赤ちゃんであり、自然淘汰される。これはお母さんがどんなに安静にしていても防げるものではない。また妊娠に気づく前に死んでしまう(つまり生理予定日前)赤ちゃんもたくさんいる。実際は受精卵のほとんどが気づかない妊娠で終わっている。」ということを知りました。そしてそのような悲しい妊娠をしないためにも、精子と卵子が共に新鮮で元気な状態で受精できるようにタイミングを計る大切さを知りました。それからは排卵検査薬を使い、基礎体温では正確に予知できない排卵日を知ってチャレンジ!みごと妊娠、そして出血など心配もありましたが無事長女を出産しました。

でもその次の妊娠は、無計画だったため排卵日と少しずれてしまいました。初めからだめかも・・と思っていたのに心拍が確認され、希望がもてました。このころ働いていたのですが、つわりもあり毎日がとてもしんどくへとへとでした。そして次の診察で、エコーを見ている先生がずっと無言。なんだか嫌な予感がしていた私に、赤ちゃん大きくなっていないね。前回の診察時より2ミリ大きいからちょうど二日後に亡くなったんだね。と・・上の子がそばにいたのでぐっと泣くのをこらえ、手術の予約をして帰りました。当日は旦那は子どもの世話があるため私一人で病院へ。前回とは違う病院だったので、二時間の日帰り手術でした。

それから半年後、また排卵検査薬を使って妊娠!次女の誕生です。そして現在、また妊娠して胎児心拍を確認したところですが、実はこの妊娠、予定外のもの・・排卵日より四日ほど早く、私はまただめになっちゃうのかな、と心配しています。流産ってママもパパもそして赤ちゃん自身も悲しいもの。タイミングを計ることで少しでもこの悲しみからぬけだせるならば・・それから、淡々と話す医師に傷つくかた、とても多いと思います。でも三度流産を経験してきて、これはある意味正しいのかな?と思うようになりました。もちろん医師は優しい言葉をかけるべきです。でも、自分が気づかない妊娠がたくさんあるそのなかで、たまたま長く生き、ママにアピールして去っていってしまった赤ちゃんと、気づかれないままおわった赤ちゃんのどこに違いがあるのでしょう?もしかしたら、流産に終わった赤ちゃんのほうがママの愛を感じられて幸せだったかもしれない。どの赤ちゃんも元気で生まれてきてほしいけれど、自然は強いものだけが生まれるように淘汰している。もし生まれてきても長く生きられないから・・私たちにはどうしようもできないことなのです。だから、冷徹に聞こえるかもしれないけれど、科学的に考える事で、ママは自分を責めなくってすむんです。自然界のルールを理解すると冷静に流産を受け止められる。どうか自分を責めないで!
(掲載日:2005/3/29)





Name: ちびちゃんまま
Date: 2005/10/05(水) 16:02
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Title: 出産報告・10週流産後の出産    
2003年4月20日にちびちゃんをお空に帰しました。悲しかった・・・自分ではどうすることもできないこととはわかっていても、自分を責めました。おなかの中で心音が止まっても、ママの私が気がつかないなんて、最低な人間だなって、私だけが生きてることも嫌だった。自殺も考えました。私は保育士だったので、退院後は職場に復帰。また子供を見るのもつらかった。

保育園ママは自分と年齢が近いので、妊婦ママもいるし、赤ちゃんを連れてお向かいに来るママもいるんです。針のむしろでした。顔で笑って、心で叫んでました。「私の赤ちゃん返して」って。我慢も限界で、7月末に退職しました。少しは心も回復してきましたが、おそらく一生悲しみは背負って生きてきます。その後、妊娠は考えられませんでした。自分に余裕ができるまで、赤ちゃんのことは(妊娠)考えないようにしました。

その後2004年4月、夫婦でじっくり考えて解禁しました。それから又不安でした。病院は心音がはっきり聞こえるようになるまで行かないことを選択しました。心音が聞けたときは、診察台でおお泣きしてしまいました。その後は、流産の不安・早産の不安・死産の不安この10ヶ月不安との戦いでした。

今、我が家の赤ちゃんはすやすや眠っています・・・幸せをかみしめつつ、ちびちゃんが天国にいったことを申し訳なく思います。今年の4月20日には、親子3人でちびちゃんにお花を供えたいと思います。
(掲載日:2005/03/22)





Name: かよ
Date: 2005/10/05(水) 16:00
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Title: 妊娠報告・2度の流産後の妊娠    
私は2度の流産経験があります。2度目流産のときは、「もう、自分は子供が産めないのではないか?」と思いました。1度の流産なら偶然の不幸で、よくあることと諦められたのですが、2度続けて流産したので悲しみ、やる気の無い日々を送り、流産したことを思い出しては泣き、なんで自分が流産したのか責め、夫には八つ当たりしたりしました。

2度流産してからは、赤ちゃんは欲しかったものの、また妊娠して流産するのが怖かったです。しかし、産婦人科に行き流産した原因を検査したところ、何も悪いところはないことがわかりました。先生は次の妊娠を勧めましたが、私は怖かったので今度はゆっくりでいいかなと思いました。産婦人科で流産しやすい人のための薬と漢方薬を服用して、今度はゆっくり妊娠を待とうと思っていました。

しかし、やはり「早く赤ちゃんが欲しい」という思いが出てきて迷いました。欲しいけれど流産するのは怖いという葛藤とで、泣いたり今度こそは赤ちゃんに会いたいという希望とで混乱したり、不安定な状態を過ごしていました。・・・でも、やっぱり赤ちゃんに早く会いたいという気持ちが勝り、それに今度は薬や漢方薬も服用しているのだから大丈夫と言い聞かせ、妊娠を目指しました。主人には、不安定な気持ちになり責めたり当たったりとしてしまいました。それでも、何にも言わず支えてくれたことに感謝しています。

2度目の流産後、4ヵ月後に妊娠できました。嬉しかったけど不安もいっぱいでした。しかし、3度目の妊娠は今まで聞けなかった心拍も聞けたこともあり、「今度こそ大丈夫」と自分に言い聞かせ信じて頑張ろうと思いました。

その結果今、娘は7ヶ月になりこの体験談を書くことができました。体験談を書こうと思ったのは、私も流産してからいろいろなネットのサイトで流産のことを調べたり、掲示板を見たり書き込みしたりして励まされたからです。今度は私が誰かの励ましになれたらと思いました。

私は流産したことは悲しみ、とても辛かったです。でも、流産したことによって「命の大切さ、尊さ」を身をもって実感しました。命って誕生するまでとっても大変だってこと、流産するまでは分りませんでした。妊娠したら当たり前のように出産できるものだとばかり思ってました。できるなら流産したくなかったけど、自分におきたことの全ては無意味なことなんてないと思います。流産したからこそ尚一層、うまれてきてくれた我が子を愛しいと思い、うまれてきてくれてありがとうと思えます。

流産して早く赤ちゃんに会いたい人に言います。「諦めないで」、怖かったり悲しかったりすると思うけどそれを勇気に変えてください。赤ちゃんに会えると信じれる勇気に・・・
(掲載日:2005/3/22)



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