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Name: あおい
Date: 2005/12/26(月) 17:41
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Title: 【出産報告】稽留流産後の出産
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2004年7月に、稽留流産で手術をしました。悲しくていっぱい泣いて、こちらのHPでは皆さんに励ましてもらいました。(ありがとうございました!)
その後、11月に妊娠が判り、もしかしてまたダメかも・・・との 不安な気持ちもありましたが、2005年7月に男の子を無事に出産いたしました。
このHPに訪れる、悲しい気持ちでいっぱいの貴方にも、かわいい赤ちゃんがやってくることを心から願っています。
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Name: 柚
Date: 2005/12/25(日) 02:21
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Title: 【妊娠報告】二度の流産を経て
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上の子が2歳になる少し前の去年九月。 念願の二人目を妊娠しました。 検査薬を何本無駄にしてきたか分からない日々に、やっと終止符が打てると本当に嬉しかった。 陽性反応が出た次の日に受診したらまだ4週で何も映らず。 でもまさか自分が流産するなんてこれっぽっちも思ってなかった私は、余裕を持って次の受診を待ちました。 そしてその日。 袋と卵黄嚢を無事に確認し、だけど先生からは意外な言葉が。 『卵黄嚢が大き過ぎる。大抵この場合はダメになるケースが多いんだけど…。でも赤ちゃんいるし心臓も動いてるねぇ…』
言われてよく目を凝らせば僅か2ミリの赤ちゃんが見えました。 心臓の動きは私にはわかりませんでしたが、先生には見えてるみたいでした。心拍を確認出来れば流産の確率はぐっと減る。そう信じていた私は、不安を感じながらもまぁ大丈夫だろうと病院をあとにしました。 次は二週間後。 やっぱり長くて、不安で怖くて仕方ありませんでした。でもつわりが始まり、赤ちゃん元気なんだなって安心していた7週辺りでまさかの出血。次の日慌てて受診しました。手に汗を握りながら、モニターを見て背筋が凍ったのを今でも覚えています。4ミリの赤ちゃんが見えた。けどある筈の心拍がない。先生も何度も角度を変えながら見てくれてたけど、私はもういいからってモニターから目を外しました。 『残念だけど…。やっぱりダメだったね』 先生は私の気持ちの整理がついてからでいいと、手術を一週間後にしてくれました。 ですがそれまでに出血が酷くなり、腹痛はなかったものの沢山の大きな塊が流れ落ちていきました。もうだめだと病院に行き、まだ少し中に残ってるからと麻酔なしで子宮内から異物を掻き出されました。痛くて痛くて、終わっても着衣がやっとで立つ事が出来ずにそのまま車椅子でベッドに運ばれました。それから二週間は出血が続き、医師からは生理を一度見送ったら大丈夫だと告げられ、言われた通り一度の生理を待って避妊をやめました。すると直ぐにまた妊娠!こんなに早く?と流産から僅か二か月後の妊娠に実感がわかず、でも嬉しくて本当に叫びたくなる程でした。二度も流産なんてあり得ない。この子は絶対大丈夫!!信じて疑わなかった。でも…。 『赤ちゃんが見えない』 7週に入り、袋も3センチ以上あるのに中は空っぽ。枯死卵でした。その時は手術を受け、今年一月の事です。 続けての流産。 それから仕事も行けなくなり、主任に甘えて半年以上も休んでしまいました。仕事を再開したのは暑い日が続く七月。その頃には二人目を完全に諦めていて、一人いるからそれだけでも感謝しなきゃと前向きに考えるようになっていました。 妊娠なんて全く頭から抜け落ちていた今年九月。きっちり来ていた生理が二日遅れている。まさに女の勘だったのでしょうか。妊娠の二文字が頭を掠めました。直ぐに検査薬を購入。尿意を催すまでじっと我慢し、いざトイレへ!結果は。即反応で陽性!!トイレにくっついてきていた息子に思わず『あーちゃんいるよ!』と報告してしまいました。次に検査薬を片手にうたた寝している旦那のもとへ。
諦めていた筈の妊娠。 本当に半信半疑でした。でもこれを打っている今も私のお腹をポコポコ蹴っている可愛い我が子。やっと18週になりました。まだまだ不安は消えませんが、日に日に力強くなる胎動を感じながら、この子の生命力を信じていこうと思います。
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Name: あっこ
Date: 2005/12/11(日) 18:39
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Title: 【出産報告】24週無脳症での死産後の出産
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私は昨年の8月18日に妊娠24週で赤ちゃんが無脳症と診断され、赤ちゃんをお空へ返しました。赤ちゃんは150gのとっても綺麗な男の子でした。私は元気に産んであげられなかったことを謝り、何日も何日も泣いて過ごしました。
赤ちゃんとの悲しいお別れの後、天国に行った赤ちゃんがまた私のお腹に帰って来て欲しい気持ちでいっぱいになりました。その気持ちが通じたのか、その年の年末には妊娠していることに気付きました。
そして2005年の8月19日に元気な男の子が誕生しました。天国に行った赤ちゃんの命日の次の日の誕生は、きっと天国から赤ちゃんが帰ってきたに違いないと確信しています。
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Name: ピヨ
Date: 2005/11/21(月) 21:31
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Title: 【出産報告】二回の流産と一回の死産…そして出産
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私は41週の娘を死産しました。予定日を一週間過ぎてからの事でした。原因は不明。解剖しないと解らないと言われましたが産声もあげない娘の体を切るのはあまりにも切なく断りました。当時絶対医療ミスと思いました。裁判も考えましたが例え勝ってお金をもらっても娘は生き返りません。悔やんでも悔やみきれませんでした。毎日泣きました。娘の顔は見れませんでした。なぜなら医者は私に娘が亡くなった事をしばらく内緒にして数日後に伝えようとしたからです。主人だけ見てあげられました。私はそれから引きこもりになりました。それから三年無事に息子を出産しました。
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Name: りょう
Date: 2005/11/10(木) 12:50
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Title: 【妊娠報告】稽留流産後の妊娠
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5月末に、11週目で稽留流産しました。初めての妊娠で、高年齢でしたので、はじめは流産を心配していました。でも8週目か9週目に心拍もきけてピーナツみたいな赤ちゃんもみえて、もう大丈夫と思い周りの人に妊娠を報告した直後 だめになりました(先生も驚いていた)。 今日産婦人科に行ってみてもらい、二度目の妊娠がわかりました。「前の生理日から計算したら5週目くらいのはずだけど、エコーは4週くらいだなあ、排卵が遅れた可能性もあるから、まだ心配しなくてもいいけど・・・」と先生にいわれました。 初めて妊娠したときは、生理が遅れてすぐにお乳が痛くなりはってきてびっくりしたのですが、今回は体にたいした変化も感じずなんだか心配です。 初めて妊娠したときは、本当に大喜びしてすぐ母にだけは報告したのですが、今回はまただめだったらと思うと、不安で夫以外誰にもまだいえません。 でも、とにかく、妊娠したのがうれしいです。だから、ここに報告します。
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Name: めい
Date: 2005/10/22(土) 08:50
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Title: 【妊娠報告】稽留流産後の妊娠(現在8w)
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今年5月末に9wで心拍確認できないまま稽留流産し、手術後2回程生理がきたものの、8/2を最後に止まっていました。「もしかして…」と9/17に病院受診、結果は陰性。「子宮内膜は分厚くなってるからあと1ヵ月ぐらいは生理がくるのを待ってみて」と先生に言われました。と同時に頑なに拒否してきた基礎体温をいい加減計り始めることにしました。開始日9/18は生理48日目、36.85℃で、それからずっと高温相でした。あまりに生理がこないのでもう一度念のため10/2に自宅で検査薬をためしたら陽性反応!ダンナと「いつ排卵していつ受精した子なんだ?!」と頭を傾げながらその週に病院受診しました。内診で胎嚢を確認し、大きさからすると5wぐらいだと言われました。でも前回のこともあり、心拍確認できるまで不安でした。また枯死してしまうのではないかと…しかし、前回全くなかったつわりがあり、きつい日々を送っていた矢先10/18の夜に少し出血、次の日に病院受診、そして流産の気があると言われました。でもそんな中て初めて心拍が確認されました。大きさから8wで、5月末が予定日とのこと。赤ちゃんは3頭身で14mmでした。泣きそうなほど嬉しかった!!安静にしなさいと言われたけど、10月から新しい職場だし、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない…今は止血しているので、もし次悪くなったときは絶対に仕事を辞めると決め、今は慎重に毎日の仕事と妊婦生活を送っています。 自分の親からは流産から1年くらいは子供は作らず休みなさい、と言われていましたが私は早く欲しかったし、若干無理な体調であることもわかっていながら授かりました。体力的に不安はあるものの、無事妊娠し、心臓が動いてる以上、私は母親になれると信じ、つらいつわりにも耐えて頑張りたいと思います。
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Name: hana
Date: 2005/10/05(水) 16:18
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Title: 【妊娠報告】2度の流産後の妊娠
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2歳半になる娘がいますが、そのあと2度続けて流産しています。 1度目は完全流産で、出血とともに赤ちゃんが出てきてくれたため手術の必要は無く、次の妊娠も特に期間をあける必要はないと言われました。出てきた赤ちゃんはアーモンドくらいの小さな塊でしたが、紙に包み、近くの神社の子供の守り神の足元に埋めさせていただきました。ごく初期でしたが、初めての流産のショックで毎晩、泣いて過ごしました。その3カ月後に再び妊娠。先生も、前回のこともあるし慎重に診ていきましょうと言ってくれました。しかし、再び出血があり前回よりは育っていたもののお腹の中で成長は止まってしまいました。 今回はお腹の中で亡くなっていた期間が長かったかもしれないので、自然に流れるのを待つよりも手術をした方が良いと言う先生の判断で手術に踏み切りました。別の病院でも流産確定と言われていたし、覚悟していたからと、先生のお話も冷静に聞き手術の説明や日取りの段取りも済ませ、手続きも自分でキビキビと動いていたのを覚えています。2度目だし、娘の世話で悲しんでいられないと、強がっていたように思います。手術前に過ごした病室でも、年配の女性に『お腹が大きくないのにもう生まれるの?』と聞かれたときは『今回はダメだったんです』と普通に答えていました。看護婦さんにも、『私、麻酔がかかりずらいんですよ』と笑顔を交えながら話していましたし、手術室に向かうときも色々しゃべっていたと思います。
手術室に入り、偶然、私の好きな曲が流れていました。手術台に乗り、待っている間に徐々に涙があふれて、気づくと、固定された私の手を先生がそっと握っていてくれました。ボロボロと涙が流れ、そのまま意識がなくなりました。目が覚めて病室に戻るエレベーターの中でも声を出さず泣いていました。行きは一緒にしゃべっていた看護婦さん達も黙っていました。病室のベッドに寝かされてからも、泣きました。娘は義母に預けてきていたので、主人も黙ってついていてくれました。少し眠り、数時間後には、また自分で手続きや支払いを終え退院しました。やっぱり強がってしまっていたんですね。この掲示板の中で、病院で嫌な思いをされた方も多いのに私は先生にも看護士さんたちにも病室の方にも恵まれていたし、手術前の処置も術後もあまり痛みがなかった私は幸せだったんだなぁと思います。
術後の検診で、双子だったことが分かりました。身体の回復も良かったので、こちらの掲示板を参考にして自分で供養のようなことをしてみたり、お寺にお参りに行ったりしました。私は神奈川県に住んでいますが、その時に行ったのがこちらでも子宝神社として紹介されている、鎌倉にある長谷寺です。沢山の植物があり綺麗で大きなお寺で入るのにもお金がかかるのですが、気分転換と観光も兼ねていってきました。私は、どこまでの供養をするか迷っていたのですが自分の気持ちが大事なんだと思い、お札を供えてきました。沢山の神様(仏様?)が奉られており、その中には亡くなった赤ちゃんを守ってくれる神様などもいました。沢山の水子地蔵も祀られており、沢山の赤ちゃんが亡くなって沢山の方が悲しい思いをされたんだと思うとまた辛い気持ちになりました。それらしきところではお参りをしたりお札などを供えたりして、二度の流産で亡くなった3人の赤ちゃんのことをお願いしてきました。また、今度こそという気持ちで子宝のお願いもしてきました。また、数カ月後には箱根にある『天山』という日帰り温泉にも行ってきました。そこには子宝の湯というものがあるんです。娘を妊娠する前にも行っていたことを思い出し、また気分転換も兼ねて出かけました。娘に振り回されのんびりと言うわけにはいきませんでしたが、リフレッシュできた気がします。
そして、その1カ月後、妊娠していることがわかったんです!温泉の時にはすでに妊娠していたのかどうかは微妙な時期だし、わからないけど、ご利益があったのかなぁと心の中で思っています。
今回の妊娠も、切迫流産で出血と腹痛があり、また流産するんじゃないかと不安な気持ちでいっぱいでした。出血は止まりましたが、まだ安定期とまではいかないし、無事出産するまでは不安な日々が続くと思います。赤ちゃんが出来たからといっても、赤ちゃん達を亡くした悲しみは無くなるものではありませんし。
妊娠するまでは妊娠できるのかすごく不安でしたし、妊娠した後も、これから赤ちゃんが育ってくれるのか不安です。皆さんも、同じような気持ちだと思います。でも、きっと大丈夫!天国から赤ちゃんが応援してくれていますから。お互いに、希望をもって頑張りましょうね。
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Name: otto
Date: 2005/10/05(水) 16:17
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Title: 出産報告・8週流産後の出産
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2004年5月、初めての赤ちゃんとはお別れしなければなりませんでした。 私にとっては今まで生きてきた中で一番かなしい出来事で、夏の間の記憶がほとんどありません。毎日、ポコズママのサイトを訪れることだけが生き甲斐と言ってよいほどでした。 仕事をやめていたので平日一人で過ごすことがつらく、早くまた妊娠したいと願い続けていました。
9月、気分転換にと出かけた旅行先で新たな命を授かったようです。 10月に夫がドイツへ二ヶ月間の出張へ出かけた晩、なぜか突然階段から落ちました。足の指が痛いので、レントゲンを撮ろうと調べると、検査薬が陽性に! 二人とも驚きましたが、もし落ちていなければ出張先へそのまま遊びに行っていたはずなので、私は天使のしてくれたことだと信じているのです。 初診は早すぎて何も見えませんでしたが、ドイツへ行って帰ってきた時には、小さな手足が心臓と共に動いていました。思わず涙してしまったのを思い出します。
その後、母親学級の帰りに自損事故を起こしたり・・・ 7ヶ月末からは切迫早産で2ヶ月間の入院となり、張り止めを飲みながら枕から頭を離すことも許されない安静生活の中、緊急で子宮口縫縮術を受けたのにもかかわらず高位破水したりと、いろいろありましたが、2005年6月、無事に女児を出産しました。 切迫早産のことでも、もし流産していなくてこのサイトでいろんな知識を得ていなかったら、もしかしたらまた失っていたかもしれない、と思ったりするのです。常に天使の存在を感じ、助けられながらの妊娠・出産でした。
また、入院してからは、危ない状態ではありますが、毎日ベビーの様子をチェックしてもらえるのがとても嬉しかったです。それまで、いつも不安で不安でたまりませんでした。結局、臨月になっても不安は消えず、ベビー用品の準備を最低限しかしなかったため出産後に困ったりもしましたが、仕方なかったと思います。 娘には、守ってくれている兄姉の存在と、命の重みを語り伝えていきたいと思っています。 (2005/8/26投稿)
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Name: 華
Date: 2005/10/05(水) 16:16
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Title: 妊娠報告・2度の流産後の妊娠
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一度目は結婚後1年で妊娠し、9週目に繋留流産しました。 結婚前から子供は早く欲しかったのですごく嬉しく、妊娠できて100%出産出来ると信じていました。 しかし、流産の宣告…信じられずに、その後は立ち直れませんでした。
不妊治療を9年間続けて、昨年、自然妊娠できたのに、また5週目で完全流産してしまいました。 ニ回目の時は、流産を冷静に受け止められました。
そして今年、自然妊娠で三度目の妊娠が叶いました。 今は12週目で一応順調ですが、過去ニ回流産しているので、またいつ突然流産してしまうか不安で一杯です。 うれしさ20%、不安が80%… 次の検診まで4週間あるので、心臓が止まっていないか心配です。
長い不妊治療の事を思えば、辛いつわりも耐えられます。 今度こそ無事に産まれてきて欲しいです。 ママも頑張るから、一緒に頑張ってね。 (2005/8/14投稿)
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Name: れいこ
Date: 2005/10/05(水) 16:11
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Title: 妊娠報告・3度の流産後の妊娠
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私は結婚してすぐ妊娠しました。でも赤ちゃんが見えないまま流産。凄く喜んでたので、まさか!!という感じでした。その後生理も半年間こず、やっときてもすこーしだけ。不妊で病院に通い始め一年半、やと妊娠した子はまた死んでいたらどうしよう・・不安だらけで、一週間に一度確認して貰うため産婦人科に通い、結局何事も無く無事出産できました。その子が生まれてからずっと避妊はせずに四年間子供ができず、やっとできた子は一度目と同じで心音も確認できないまま流産・・・悲しくて、上の子の世話もあり、仕事もやめてしまい、不妊治療を始めました。それから一年、またもや妊娠しましたが心拍確認できず・・・それから半年、もう30歳も後半になり、やっと今、妊娠しました。今、8週です。心拍も確認できました。とても嬉しいけど、毎日毎日不安が大きくて、またもや一週間ごとに病院に確認に行ってますが、一週間が長い!!今度こそ、生まれますように・・・毎日祈るばかり・・・細木和子では大殺界のど真ん中。あ〜早く安定期来ないかな〜 (掲載日:2005/8/11)
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