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   出産報告・妊娠19週、 ....   
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   出産報告・3度の流産 ....   

Name: ゆうまい
Date: 2005/10/05(水) 16:00
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Title: 出産報告・妊娠19週、22週死産後の出産    
結婚してすぐに初めての子を妊娠。最初は『子宮外妊娠の疑い』もあり、入院したり、切迫流産で自宅安静・毎日ホルモン注射に通院。それを乗り越えやっと5ヵ月!安定期になれば多少無理しても大丈夫だと思っていた。しばらく休んでいた仕事にも戻り、赤ちゃんが無事に産まれることを信じて疑うことも知らなかった・・・

そしていつもの昼休み、腹痛を感じ”便秘のせいかな?”とトイレへ。。しばらくすると妙にスッキリした感覚が・・・と、下を見ると股の間から黄色っぽい風船のようなものが出てきていた。ものすごく驚き焦っていると”ぱんっ”と音がして水が出てきてしまった。この時、妊娠に対して無知だった私には何が起きたのか??理解できず、パニック状態のまま病院へ電話、車の後部座席に横になり、同僚に病院まで送ってもらった。

医師から伝えられたのは私は"子宮頸管無力症"という病気で、お腹の子供は助けられない、という事実。翌日促進剤を使ってお腹の子供を外に出す、という・・・。全く理解できないままに処置は進み、分娩台で死んだ子を生んだ。妊娠19週・280グラムの男の子。

その一年後、二度目の妊娠。今度は施設の整った病院を紹介してもらい、早い段階で縫合手術を受けることになった。手術の前日から入院し、翌日の手術に備え処置をしてもらう。念のため内診してもらった時、想像していなかったことが・・なんと、私の子宮口はすでに開きかかっており、胎胞が突出していた。このままでは手術をするのは危険だと、そのまま絶対安静の入院生活が始まった。

一度突出した胎胞が引っ込む場合もあるという。そうなることを願いながら、2週間程が経過。それでも状態は変化せず、それどころかこのままでは、どんどん感染してしまい近い内に破水する、と告げられた。助けるには突出した胎胞をバルーンで押し上げ手術で子宮頸管を縫うしかない。ただこの状態での成功確率は50%くらいだという・・・。主人と話合い、とても悩んだ結果 このまま入院していても助からないのなら、手術に架けてみよう!と決めた。結果、手術は成功『これで無事に産める』ど信じていた。なのに、翌日の内診の時、手術で縫ったのに、また胎胞が出てきていた。また手術前と同じベッドで寝たきりの生活が始まった・・・・

それからまた2週間程が経過。私の体調は日に日に悪くなり、熱も出始め、バルーン(道尿)が痛くて我慢できないほどになっていた。そして翌朝、破水。医師たちは何とか助けようと考えてくれたが、羊水がどんどん出てきてしまい、もうどうしようも無い状態になってしまい諦めるしかなかった。。自然に陣痛がくるのを待ち、翌日死産。妊娠22週 480グラムの女の子。

この後、私たち夫婦は子供の話をしなくなり、なんとなくお互いに避けていたような?そんな感じだったと思う。でも今は1人娘がいます。2度の死産後、二年程してから三度目の妊娠。今度は14週から入院・手術〜出産まで24時間点滴をしたままの安静入院。入院していた半年間にも”もう出てくるの?”と思った時も数え切れないほどあり、不安だらけでしたが・・・。

無力症の治療には縫縮術と安静、と本には書いてありますが、重度の場合、本当に大変な病気です。何か良い治療法がみつかることを祈ります・・・。
(掲載日:2005/2/15)





Name: ソラマメ
Date: 2005/10/05(水) 15:59
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Title: 出産報告・2度の流産後の出産    
私は今まで2回の流産を経験しました。私のお腹の中に来てくれた二人を抱けなかった事はとても残念ですが、今は二人の天使ちゃんにはとても感謝の気持ちでいっぱいです。

2人目の天使ちゃん「そら」をお空に帰した後、何度かタイミング指導を受けましたが「妊娠をしても、また同じ事を繰り返すのでは?」という不安でいっぱいになり、不育症の検査を受けました。その結果、私は血栓ができやすい体質だと言う事がわかりました。産婦人科の先生には「絶対的な原因ではないが、原因のひとつと考えられる」と言われ正直とてもショックでした。もっと早くに自分の体の事をわかっていれば、二人を天使ちゃんにならなかったかも知れないと・・・でも主人が「二人が大変な事になる前に、体の事を教えてくれたんだよ」と言ってくれた時、少し気持ちは楽になったし、とても感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2004年1月・・・
色々検査をしていくうちにホルモンのバランスも崩れているとわかり、しばらくの間、妊娠は諦めて仕事に没頭しようと思っている時に「妊娠」が判明しました。生理前の出血に「おかしい???」と思い、検査薬で検査をしたら「陽性反応」が出ました。でも、出血をしてわかった妊娠だったので「また流産をしてしまうのではないか?」「こんなに早い時期から妊娠がわかるのはおかしいのではないか?」と思いながら診察を受けたのを覚えています。
診察の結果は「確実に妊娠をしている」という事でした。

でも、時期的に早すぎて赤ちゃんの姿は見えませんでした。ここから次回の健診日の1週間はとても長い日々でした。2回目の健診では胎嚢が確認でき、そのまた1週間後には運良く小さい赤ちゃんの姿と心臓の動きが見えてきたので、少し安心をしました。でも、その頃から出血が見られるようになってきたので血流を良くする薬を飲むことになりました。
今回は、健診に行くたびにお腹の赤ちゃんがスクスクと大きくなってくれていましたが、臨月に入って2回目の健診の時に「妊娠中毒症」になってしまいました。主治医から「ここまで大きくなった赤ちゃんをダメにしたくないので、午後になっても血圧が下がらなければ今日中に帝王切開、下がったら明日ね」と言われてしまいました。「初めての入院・予定外の展開」で下がるはずの血圧は下がらず・・・もう覚悟を決めて「帝王切開だ!」と思ったら血圧は下がり「翌朝に持ち越し〜」となったのですが、運良くその夜に陣痛が始まり、9月10日の午前10時54分に無事に息子を出産する事が出来ました。

今では期間は短かったとしても、お空に行ってしまった二人の天使ちゃんのママになれて良かったと思っています。お空に行ってしまっても、生きていく中で妊娠できる時間というのは少ないものですから貴重な時間を過ごさせてもらったと思います。過保護にならない程度に、息子には二人の天使ちゃんの分もかわいがってあげたいと思っています。
また、いつか私のお腹の中に赤ちゃんが来てくれることを願いながら子育てをしていきたいと思います。
(掲載日:2005/1/14)





Name: KAITOママ
Date: 2005/10/05(水) 15:57
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Title: 出産報告・3度の流産後の出産    
1回目は心拍確認後8週で進行流産。
2回目は妊娠反応後すぐ稽留流産。
3回目は2回目の流産後すぐ妊娠。入院しホルモン注射。胎のう確認後胎児心拍確認できず稽留流産。

1年の間に3度の流産を経験。夫の転勤を機に退職。1年ほど体を休め、アスピリンを服用していました。不育症の検査をしたが原因は不明(染色体は調べず)

4度目の妊娠判明(4W3D)で入院。5Wを待たずにつわりが始まり10Wまで続き点滴治療体重6キロ減少。
12Wまで入院。退院後も張り止めを飲んでいたが、張りが強く子宮頸管が短くなったため33W6Dより再入院。40W2Dで出産するまで入院。出産時も赤ちゃんがストレスでおなかの中でウンチをし始めたため吸引分娩で出産。3078gの男の子を出産しました。

4ヶ月程入院・トラブル続きの妊娠・出産でしたが、無事に生まれてくれたことで全てがいい思い出になりました。





Name: りっちゃん
Date: 2005/10/05(水) 15:56
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Title: 妊娠報告・14週死産後    
2004年3月13日に苺ちゃんを流産してもうすぐ半年。「流産するとできやすいんだって。」って何度も言われたけど、半年たってやっと妊娠しました!苺ちゃんは9月出産の予定だったので、9月が近づくのがいやでした。そんなときに妊娠していることがわかって、まるで苺ちゃんからのプレゼントのような気がしてなりません。

この半年いろいろありましたが一番辛かったのは・・・・・あたしよりも後に結婚してすぐ妊娠して12月出産予定との話を聞くことでした。彼女が悪いわけじゃないのに何度も八つ当たりしてしまいました。やっとやさしくなれそうです。今度こそ無事に元気な赤ちゃんを産みたいです。産まれたらまた報告します。





Name: マンゴー
Date: 2005/10/05(水) 15:55
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Title: 妊娠報告・39週死産後    
私は平成11年に男の子を死産しました。39週でした。語りつくせない程のとても悲しい経験でしたが、それは時間と共に温かい想いに変わりました。あの子に逢えたお陰で、大切なことをたくさん知ることができました。今いる家族が元気でいることに心から感謝できるようになりました。

それと併せて、1つの葛藤が私を苦しめ始めました。もう一度頑張って元気な赤ちゃんを産んでみたい。けれど勇気を出して頑張っても、また何かあるかもしれない・・・こればかりは考えても考えても、空回りするばかりで、赤ちゃんを抱っこするのを夢みることはできても、妊娠することは怖く、拒否し続けていました。

でも、誰かが背中をおしてくれました。妊娠しました。迷わず嬉しく、頑張ろうと勇気がわきました。今15週です。絶対に元気な赤ちゃんを産んでみせます・・・頑張ってます。





Name: かな台風
Date: 2005/10/05(水) 15:51
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Title: 出産報告・24週死産、8週流産後の出産    
現在、1490gの極低出生体重児の未熟児で生まれた1歳の長男がいます。2000年に、死産(24週)と流産(8週)を経験しました。結婚して四年、初めての妊娠でした。近くということで選んだ病院は、内診がありませんでした。母に「内診がない病院もあるよ。」と言われ、そんなものだと軽く思っていたし、まさか自分が死産を経験するなんて思ってもみなかったので、内診がないということをあまり深く考えていませんでした。何度目かの健診の日の朝、「あと一日で25週に入るね。」と、主人と話したのを覚えています。耳に張り付いて消えない、先生の「あれー?赤ちゃん死んでるねー。心臓弱かったかな?家族に誰かいる?弱い人。」と、冗談を言うように聞こえる明るい声。「胎動止まったのに気づかなかったの!?母親だったら気づかないと!」初めての妊娠で、胎動が止まるなんて頭になかった私には、かなりショックな言葉でした。最後に我が子(女の子でも男の子でも)<蒼依>の姿をエコーのモニターで見ました。お腹の底に沈んで動かなくなっていた愛しい愛しい蒼依の姿は、今でも忘れることが出来ません。

その後のことはショックのあまり、あまりよくは覚えていませんが、「旦那さんにエコーを見て心臓が止まっているのを確認してもらうから、また今度、都合の良い時に来てください。」と言われ、放心状態のまま病院を出て携帯から母に電話をし、たまたま家にいた弟に迎えに来てもらいました。手術をしないといけないなんて話は何もされずに帰されたので、母が病院に連絡して確認したところ、そんなに言うんだったら明日来てくださいと言われ、翌日家族も含めてやっと、詳しい(?)説明がありました。家族はすぐにでも手術をして蒼依をこの世界に出すものと考えていたのですが、先生の言葉は「学会に行くから暇がない。」とのことでした。母が強く頼んで、子宮口を開く器具を入れるのは翌々日の午前中に行うことに決まりました。親子三人最後の夜、主人は何も話さないまま先に寝てしまい、一人眠れない私は、悲しくて、悲しくて、不安でたまりませんでした。

翌日、どこからかちぎって来たような、手のひらに乗る小さな白いのメモ紙に、『手術に同意します』と一言書かされ、家族が帰ってから「学会の準備があるから。」と、急に子宮口へ器具を入れる時間が早まり、午前三時頃、薄暗い寒い寒い手術室で行われたのを覚えています。寒くて震える中、痛がると「痛いはずない!」と、怒られました。陣痛を起こし、出産は予定通り午後から行われました。処置台に乗せられた私に、「僕はお昼食べてくるから、出てきそうになったら電話で呼んで。」と言った先生、「もう、出てきそうなんですけど!」と言うと、「そんなはずない!」と、信じてもらえませんでしたが、看護師さんが慌てて先生を呼び止めた瞬間、蒼依は生まれました。とても小さい赤ちゃんの感触を、今でも体で覚えています。愛しい愛しい我が子です。

それから一月後に仕事にも復帰し、やっと落ち着いた頃、子供が欲しくてたまらない、蒼依にお腹に戻って来て欲しいと強く願っていた頃、再び妊娠しました。同じ年の、十一月でした。調べに調べて評判の良い病院を選び、とても優しい先生にめぐり合えました。初めての健診で、袋は見えるけれど、赤ちゃんが見当たらない。早すぎるのかもしれないから、念のために、一週間後にまた検査してみましょうとのことでした。それからの一週間は、眠れない日々と激しい恐怖心との戦いでした。<ハル>と名づけて呼んでいた赤ちゃんの姿はすでになく、調べた結果、稽留流産でした。私は全身麻酔で見れませんでしたが、主人と母には、小さい小さい赤ちゃんが入っていた袋も見せてくれたそうです。原因は不明とのこと。どちらの時も、痛みも出血もありませんでした(私が気づかなかっただけかも?)。あと一回、流産をしたら、遺伝子レベルまで詳しく調べましょうと言ってもらえて、病院選びの大事さを思い知らされました。そのすぐ後に主人に浮気され、心身ともに、私はぼろぼろだったと思います。

それから三年、基礎体温計りも一旦止め、気晴らしに旅行をし、このまま四年目に突入したら不妊検査を受けようかと考えていた矢先の妊娠でした。一年間辞めて休んでいた仕事にも復活し、やっと落ち着いた頃でした。女性の上司と二人きりの職場で、「食事しないで帰れば時給稼げるよ。」と、妊娠している事は伝えてあったのですが、お昼ご飯も食べさせてもらえませんでした。倉庫に行く振りなどをしながら、こっそり作ってきた小さなおにぎり等を食べていました。そんな中、子供の命が一番大切!と、上司に直接退職の意思をを伝えるために乗っていた通勤電車の中で出血が始まりました。主人が会社を早退し、泣きながら車で迎えに来てくれました。それからは、子宮筋腫が5〜6個見つかり、そのうちの一つはヘンチョウをきたして、その痛みは予想以上のものだったりしましたが、何とか痛み止めだけは飲まずに頑張りました。胎盤が筋腫のそばにあって、早期胎盤剥離の恐れもあったので、薬で出血を止めながらの安静生活でした。無事に育ってくれるか不安な毎日でしたが、天国の蒼依とハルが守ってくれていると信じ、なんとか乗り越えることが出来ました。

出血している時が一番危ないから、出血が落ち着いてから来なさいと言われたり、すぐに来なさいと言われたり、先生によってバラバラなのが怖かったです。そんなこんなで入退院を繰り返し、最後は四十日間入院し、原因不明の発育遅延だった小さい(末っ子だけど)長男を、昨年四月に緊急帝王切開手術で出産することが出来ました。36週でした。息子は生まれてすぐ、大学病院に救急車で搬送され、翌日、感染症で高熱を出し、生死の境を彷徨っていたのですが、約三週間で退院しました。股関節脱臼の恐れがあり、そのまま大学病院の整形外科に通ったりもしました。現在は、激しい夜泣きを体験する毎日です。

天国に兄弟がいる事、蒼依とハルと一緒にいれた日々が素晴らしかった事、そして、この子に合った教え方で、少しずつ、自分やまわりの人の命の大切さ、重さをわかっていってもらいたいです。私は、天国の蒼依&ハル&(末っ子だけど)長男の、三人のママです。
個人的には、誰かに何か言われて落ち込んだり、喜んだり、その感情自体はあまり変わっていなくても、受け止め方や、考え方は、死産や流産を経験してから変わってきたと思います。子供たちに、四年経った今も現在進行形で成長させてもらって、一緒に成長している、そう思っています。このHPと出会えて、皆さんの経験や気持ちに触れられて、随分気持ちが安らぎました。天国にいる我が子が、そう導いてくれた気もします。人生という一度きりの貴重な時間の中で、優しくて厳しい、そしてなによりも素晴らしい天使たちの母親になれたことを誇りに生きて行きたいです!





Name: ひなの
Date: 2005/10/05(水) 15:45
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Title: 出産報告・3度の流産後    
こんにちは。私の体験を聞いてほしくて、ここにやってきました。
現在42歳。6歳と1歳の子供がいます。働くママです。

結婚が遅かったので、35歳で初めて妊娠、36歳で1人目出産しました。9ヶ月までは比較的順調でした。9ヶ月後半でひどい風邪をひき、肋骨を5本折ってしまい寝返りもうてず、大変な半年を過ごしましたが。。。

それから38歳で2人目がほしいねと主人と話あっていましたが、運良く妊娠。喜んだのもつかの間、切迫流産と診断され、仕事も休み家で安静に寝て過ごしました。そのうち朝5時頃出血がひどくなり、病院に電話。朝一番に来てくださいと言われ、9時に行きました。
妊婦検診が優先され、出血してるのですがといってもなかなか診てもらえず、結局3時間待たされました。座るところもなかったんです。もうだめだとわかりました。6週で胎嚢の中に赤ちゃんは見えず、流産ですと診断。そこは総合病院で研修医がいたようです。カーテンの向こうで「この場合はだめだから・・・。子宮ガンの可能性もあるから・・・」等等こんな時になんてことをと涙が流れました。それまでの病院の対応にはいろいろ不満もあったんです。お昼からOPになり、OPが終わり畳で寝ていると隣の御部屋から看護師さんたちの笑い声。情けなく、日本の医療に不信感が沸きました。もっとケアーがあればいいのに。
また涙が溢れました。最後の検査の日窓口相談へ行き「この病院には二度ときません。でも私と同じような方が同じ思いをしないように配慮してください」と訴えました。もちろん心無い医師の名前も・・・。それから3年ほどして友だちが入院したので御見舞いに行くと産婦人科の待合は広くなっていました。

そして、初めての流産から2ヶ月、また妊娠。検査薬で陽性。病院でまだわかりませんと。
その日に人間ドックが入っていてレントゲンと胃の検査はせず、子宮ガンの検査は受けましたがその直後出血。トイレで血の塊のような袋のようなものが出てしまいました。個人病院にかかっていたので、すぐ行くともうほとんど出てしまい、様子をみましょうということでOPもなく経過だけ見て終わりました・・・。また更に涙で溢れ、立ち直れない状況でした。
でも仕事にはすぐに復帰。つらく心を閉ざしたままもんもんとして過ごしました。ただ仕事があったからなんとなく前を向くことができたのかもしれません。

それから5ヵ月後、妊娠。でも袋の中に赤ちゃんはいません。年末だったので病院はお休みになります。年明けの1月5日にOPをすることが決まりました。重くつらい御正月です。いつ出血があるかわからないので安静にと言われていたので初詣にも行けません。1人で病院でOPを受け、2時間程休みました。ベットの傍らにおにぎりが2つ置いてありました。それを見ると涙が溢れてどうしようも無い気持ちになりました。看護師さんが置いてくれたのでしょう。でも食べる気力はありませんでした。支払いをしふらつく足で電車に乗りました。車窓をぼーっと眺めながらまた涙で一杯になりました。

もうしんどいなぁ・・・・

でももう少し頑張ろうか・・・・
40歳までと卵管の通水検査やクロミッドの服用、着床を助ける注射など仕事帰りに病院に通いました。1年半ほど頑張ったでしょうか?もう病院に通うのもつらく(妊婦さんが一杯で)思い切って止めました。

止めて半年なんと自然に妊娠しました。以前あまり早く診察を受けすぐに出血ということを繰り返していたので受診をかなり遅らせ11週まで待ちました。子宮外妊娠など危険を承知でです。皆さんは私のようなまねはしないでくださいね!

近くの大学病院へ行きました。おじいちゃん先生でしたが、「よう動いとる、元気や〜はい」と超音波の画面を見た時、ようやく喜びの涙が溢れて止まりませんでした。妊娠経過も順調で、出産も2時間しかかからず超安産でした。私は41歳になっていました。

今もこの経験を思い出します。忘れることはありません。時々苦しくなるし、誰かに聞いてほしいという衝動にかられます。3人の天使はきっと私をお空から見ていてくれると思っています。命の尊さをいやというほど教えてくれた3人に恥じないよう今目の前の子ども達を慈しんで育てていきたいと思っています。

高齢出産も今は珍しいことではありません。皆さんもまだまだ今からです。でも気持ちが苦しくなったら少しお休みすることも必要かもしれません。リフレッシュするとまた力が湧いてきますから・・・

長々と聞いていただいて有難うございました。自分自身でも心の整理がすこし出来たように思います。





Name: ゆっくんママ☆
Date: 2005/10/05(水) 15:44
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Title: 出産報告・36週死産後の出産    
もう7年も前になります・・・。私が最初の子供を36週で体内死亡というかたちで亡くしてしまってから。

その日のことは今でも夢に出てくる事があります。いつもの定期健診でエコーを見ていた先生から「心臓が動いていない・・・早く処置を」といわれ一瞬頭が真っ白になって目が覚める、これが本当に夢ならばどんなにいいかと何度も何度も思いました。もちろん自分を何万回も責めました。あの時無理をしていなければ・・・とか何度も考えました。

死んでいる子供を出産しなければならない辛さ、そして元気な赤ちゃんを抱いたお母さんと一緒に入院しなければならないむなしさ、本当に言葉ではいえない気持ちでいっぱいでした。結局、その時の主人とはその事が原因で喧嘩がたえなくなり離婚しました。その頃の私にはもう楽しい人生はやってこないとそんな風にばかり考えている後ろ向きな毎日だったのです。

しかし、時が私を癒してくれました。時間という優しさで忘れる事は無理だとしても少しずつ、少しずつ私のかたくなな気持ちをほぐしてくれたのです。今は経験した者にしかわからない貴重な体験をさせてもらったと亡くなってしまった子供には感謝しています。私はこの事で他人に対して優しくできるようになった気がするからです。

現在、私は再婚し元気な女の子を無事出産しました。初めての子育てはわからない事も多くて大変ですが、楽しい毎日です。いつか子供にもお兄ちゃんがいたんだよって教えてあげたいと思っています。

今、苦しんでいるお母さん。苦しいでしょう。悲しいでしょう。どうかいっぱい泣いてあげてください。そしてあなたは何も悪くないんです。だってその子の為にこうして泣く事ができるんですから。きっと天国でわかっていますよ、自分のために泣いてくれるお母さんのことを。そして元気をだしてください。いつか赤ちゃんは産まれてきます、あなたの元にきっといつか・・・。





Name: きのこ
Date: 2005/10/05(水) 15:43
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Title: 出産報告・6週稽留流産後    
私には、2人の子供がいます。でも、1番初めの子を6週目で、稽留流産しました。評判のいい病院だったのですが、私には、ほんと最悪の病院でしたが、流産の処置を受けました。。悔しくて、泣いて泣いての日々でした。ドクハラの言葉がこの当時あれば、訴えていたかな?

2年後、長男を無事出産。 ごく普通に育って、ごく普通に分娩。ごく普通に生活していました。

長男が1才9ヶ月の時に次男誕生。 陥没呼吸。チアノーゼ。救急車でNICU(新生児集中治療室)のある病院に搬送されていきました。翌日3時間もの手術。ステロイド投与。何ケ所にもなる手術の後。数々の病名..。この子は、生きていけるのだろうかと..。でもやっと、生後8ヶ月に退院できました。その間に私は沢山の人と出会い、支えられ、学びました。
今、次男は、1才9ヶ月。在宅看護にも慣れ、楽しく子育てしています。

子供を授かるって、とても神秘で未知なもの。どんなコでもほんと可愛いですよね。うまく表現できないけど..流産したから、今の私達が居るんだと思っています。皆さまにも、早くかわいい赤ちゃんが授かりますように...






Name: みらい
Date: 2005/10/05(水) 15:41
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Title: 出産報告・3度の流産後    
わたしには今1歳の娘がいます。 この子を授かるまでにたくさんの悲しい涙をながしました。妊娠したら産めるとしか考えてなかったので、自分が「流産」するなんて思いませんでした。

1回目の妊娠は、出血しはじめて、入院しましたが止まりませんでした。トイレにいくたびに大量の出血。「神様赤ちゃんをつれてかないで!」って祈りました。けど、ダメでした。隣の病室では、赤ちゃんが誕生したらく「おめでとう」「よかったね」って声が聞こえました。

2回目、3回目の妊娠も「赤ちゃんが育ってない」と言われて、処置しました。子宮を開きやすくする為に入れられた器具の痛みは、生まれることができなかった、赤ちゃんの悲痛なメッセージのようでした。「ごめんね」しか言えませんでした。

「次 すぐできるよ」「若いんだから また妊娠すればいいじゃない」まわりの言葉にも傷ついてしまいました。きっと、この気持ちは 経験した人にしかわからないと思う。 まわりに話せる人もなく もっと早くこんなふうに話せる場所があるって事知ってたら、気持ちがやわらいだんだろうな。

3回流産のあとは、「不育症」の治療をしました。「免疫療法」という方法で 娘に会う事ができました。

失った赤ちゃんに 私は、「命の大切さと優しさ」をもらいました。立ち止まってしまう事もありました。妊婦さんを見るのが、苦痛な日々もありました。けど「いつか私だって」っ
て言い聞かせてました。 

みなさんの悲しい涙が笑顔にかわりますように。 応援させてもらいます。



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