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No.266 への▼返信フォームです。


 小田井用水路    ..inisiejoly     >>引用
      2021/12/05(日) 23:30  No.266
 
 
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我が家の畑の有る紀の川市には、江戸期に紀州藩の特命で開削された小田井用水路が流れています。
粉河寺には大畑才蔵翁彰功乃碑が在りました。

帰宅後、地理院図面で見ると見事に50mの等高線をトレースしていました。
他にも藤崎井が紀の川と平行に、河岸段丘を二本の総長30kmも流れているそうです。

写真は小田井の河川との立体交差部、大正期に竹や木材から英国積の煉瓦に改造された木積川渡井だそうです。

何とか通路は確保されており、水路と平行に自転車も渡ることができます。

次からは、起終点を見に行こう〜っと!


 Re:小田井用水路    ..inisiejoly     >>
        2022/01/04(火) 16:38  No.268
 
 
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百合山新88ヵ所の1番横に餓死人塚の碑〜
天明天保の大飢饉や、それ以前の十余回に及ぶ大凶作において農民は草根木皮を食らうなど塗炭の苦しみにおちいり延宝3年(1675年)以来藩の救済が行われたが、尚 餓死する者が多く〜以下略
(紀の川市教育委員会看板より)

 Re:小田井用水路    ..まだまだ     >>
        2022/01/29(土) 12:00  No.271
 
 
これはおもしろい どうやって 江戸期高低差計ったんやろ、、、

 Re:小田井用水路    ..inisiejoly     >>
        2022/03/29(火) 21:01  No.273
 
 
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まだサン
毎度です〜
やはり現代のような水準測量器具は無く水木やを使っての
特殊技術だったようですね。

またユックリと水路ポタしたいですね。

スモモの花が咲きだしました〜

 Re:小田井用水路    ..inisiejoly     >>
        2022/04/19(火) 19:55  No.274
 
 
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近くには、もう一本紀の川沿いに流れる用水路が在ります。
藤崎井用水路です。

久々に自転車でポタしました。

現在、紀の川の北側一帯には多くの水田が広がり、県内有数の田園地帯となっています。
しかし、かつてはたびたび干ばつに襲われ、「月夜にやける」(月夜でもかわいてしまう)と
言われるほど水の便が悪い土地でした。
転機が訪れたのは江戸時代です。
現在の橋本市から岩出市まで、紀の川の水を運ぶ大土木工事が行われたのです。
紀の川北筋の農地を潤す大動脈・小田井用水の開発です。
(水土里ネット小田井Hpより)

世界灌漑施設遺産だそうです。



 Re:小田井用水路    ..inisiejoly     >>
        2022/04/19(火) 20:04  No.275
 
 
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願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月の頃

西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉 - 文治6年2月16日〈1190年3月31日〉)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人。
俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。
憲清、則清、範清とも記される。西行は号であり僧名は円位。
後に大本房、大宝房、大法房とも称す。

誕生は元永元年(1118年)。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女である。

父系は藤原魚名(藤原北家の藤原房前の子)を祖とする魚名流藤原氏。
佐藤氏は義清の曽祖父・公清の代より称す。
祖父の佐藤季清も父の康清も衛府に仕え、
紀伊国田仲荘(和歌山県紀の川市、旧那賀郡打田町竹房)を知行地としていた。
母系についてはよくわかっていないが、
源清経については考証があり文武に秀でた人物だったとされている。
(Wikipediaより)

生誕地へ〜



 Re:小田井用水路    ..inisiejoly     >>
        2022/04/19(火) 20:07  No.276
 
 
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昔から人の足跡は有ったそうで〜

古墳群も〜

 Re:小田井用水路    ..inisiejoly     >>
        2022/04/19(火) 20:08  No.277
 
 
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いにしえ1ページ、
作れそうですね〜

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