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天皇「日本にとりまして対日講和を成立させることができれば何より先決であると思います」(もう講和問題が話されています)。「国際関係の利害は必ずしも一致していません。四大国間の意思の一致もなかなか困難のように見受けますが、その間の消息は如何でしょう」。
マッカーサー「確かにアメリカとソ連・中共との対立はいっそう強まり、まことに残念ですが、対日講和の成立は早期の講和の見通しがつかなくなりました」。 天皇「米国はアジアにたいする重点の置き方がヨーロッパに比べて少しく軽いのではないですか」。
もう少しアジアをしっかり守ってくださいと、天皇はマッカーサーをしかるわけです。 マッカーサー「米国は従来ヨーロッパ第一主義の政策をとってきております。このバランスの誤りが、いわば中国の悲劇(共産国になってしまったこと)を招いたのだと思います」。
天皇「日本共産党は国際情勢の推移にしたがい、巧みにソ連のプロパガンダを国内に流しております。国民の不安をかきたてようとしているように私には見受けられます」。 マッカーサー「わかりました。 共産党が法律に違反したようなことがあったらどしどし取り締まり、宣伝に対してもこれを厳しく見守ります」。
すると天皇は「こういうイデオロギー国家に対しては、共通の世界観をもった国家の協力によって対抗しなければならないと思います」と言います。 日米が協力して対抗すべきだというわけです。
マッカーサー「共産主義はマルキシズムに立脚した独裁制をもって世界制覇をもくろんでおります。その手段は暴力に訴えて巧みであり極めて危険であります。自由主義諸国も十分その危険を自覚して互いに協力しなければならないと思います」
二人はここで意見が一致しました。そしてこの直後の5月3日、GHQは日本共産党の非合法化を示唆します。さらに6月6日、共産党中央委員24名の公職追放の指令が出されました。徳田球一や志賀義雄ら、共産党の主だった人たちが地下にもぐることになりました。
そして天皇・マッカーサー会談から一週間後、吉田茂が池田勇人大蔵大臣をアメリカに派遣して、「もしアメリカ側からそのような希望を表立って申し出しにくいならば、日本政府としては、日本側からそれをオファーするような形の持ち出し方を研究してもよい」と伝えます。
これは安保条約の前哨戦になる話で、日本を守るための米軍駐留ということをアメリカ側が言い出しづらいならば、日本側からそれを言い出してもいいですよというのです。アメリカ側が日本を命がけで守ると言っている、それならば日本は講和会議の後、いたずらに中立的な武装国家をつくって(独立国になるのですからそれが理想でしょうが) 中国やソ連と対立するよりは、むしろアメリカの傘の下に入ったほうがいいだろうと決め、吉田茂は池田勇人を送り込んだのです。
このことについては安保条約の基礎になる話としてお話しています。いずれにしろ天皇とマッカーサーの会談でそういうことが話し合われ、二人の見解が一致した形で、時の政府が日本の今後のあり方を考え、決定しようとしていたといえるのではないかと思います。そしてこの直後、6月25日に朝鮮戦争が勃発したのです。
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