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中国に唐という大国ができると、朝鮮半島がざわつきます。百済と高句麗、新羅という3つの国で、「唐の犬になるべきかどうか」 を巡る内輪揉めが起きます。隋の煬帝を退けた高句麗では、「頑張れば何とかなるで。犬はやめよう」というグループがクーデターを起こして、政権を握ります。
百済でも、高句麗と組んで唐に対抗しようというグループが権力を握ります。この2国に挟まれたのが、新羅です。新羅には、唐に助けを求めるよりほかに選択肢がありませんでした。唐は朝鮮に大軍を出します。こうして663年、白村江の戦いが起きました。
日本も朝鮮に出兵し、唐と新羅の連合軍と戦います。 日本はもともと百済の要請に応じて、たびたび朝鮮半島に兵を送っていて、日本に仏教が伝来したのは、その見返りでした。しかし、白村江の戦いで、日本と百済は大敗します。やがて高句麗も滅びました。
白村江の戦いで負けた後、日本はパニックに陥ります。唐から郭務粽という将軍がやってきて、日本に敗戦処理を求めます。第2次世界大戦後のマッカーサー将軍みたいなものです。しかし幸運なことに、この後、唐と新羅が喧嘩を始めました。
この喧嘩のおかげで、日本は立ち直る時間を稼げました。日本にとっては幸運でした。武則天が女帝の「ロールモデル」となり、持統天皇が生まれます。中国では7世紀前半、名君と呼ばれた唐の2代皇帝、太宗が、約四半世紀にわたって国を舵取りしました。
貞観の治と呼ばれる、中国が最も栄えた時代のひとつです。その跡を継いだのが、高宗です。名君の子どもというのはだいたい出来がよくないもので、高宗もそうでした。ただ、高宗が幸運だったのは、お父さんの死後、お父さんのガールフレンドのなかに武則天という賢くてかわいい女性を見つけて恋したことです。
高宗は皇后を離縁して、655年に武則天を皇后に迎えます。この後50年にわたって、 世界帝国となった唐を武則天が仕切ってくれました。今でいえば、ヒラリー・クリントンが50年、大統領をやっているような感じです。
武則天のような切れ者の女性が、世界帝国を50年も仕切っていたら、周辺の国でも「私が仕切ってやろう」と思う優秀な女性が現れます。武則天がロールモデルとなり、日本に持統天皇という女帝が生まれたのでした。
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