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私の母が生まれた昭和16年は統制が厳しいのですが、喫茶店の時代だったと言います。ミルクホールの時代の次に純喫茶といいコーヒー紅茶とケーキを出し、ウェートレスに正装させて和服なら振袖を着せていたそうです。アルコール類を出さないのが純喫茶です。今でも銀座の「門」「プリンス」などにその名残があります。
父が生まれた昭和4年から約10年、次第にあきられてきたところへ戦況次第に荒んできました。知恵者が女性を客の隣に座らせました。それまでは座ることは禁じられていたのです。これを「新興喫茶」と言ったそうです。
次いで「特殊喫茶」を考え出し、酒を出したのです。女性が隣に座ると空気は一変します。酒類を出すとカフェまたバーに似て、しかも値段はバーが10円なら5円です。たちまち、大繁盛したと言います。此の辺はいつの時代も同じです。同じといっても昔の人が「メイド喫茶」に入って「お帰りなさいご主人様」なんてものを見たら驚くでしょうね(笑)
酒は二級酒を配給に回すと一級や特殊酒は余ります。酒造元にコネがあれば酒場は開業できるのです。特殊喫茶は空襲に見舞われるまであったそうです。法は破るためにあるのですね(笑)今の喫茶店には「パフェ」とか「サンデー」とか、昔の人が見たら驚くだろうなぁ〜「フルーツパフェ」や「ストロベリーサンデー」など色々。
ちなみに「パフェ」とは「パーフェクト」から来ているそうです。新鮮なフルーツやアイスクリーム・生クリーム・シロップなどをミックスしての口当たりがよい「完全な食べ物」だから「パーフェクト」だというのです。
「サンデー」とはその名の通り、「日曜日」です。アメリカの若者たちが日曜日に自分のお皿にアイスクリームに乗せて食べたそうです。それが「サンデー」のはじまりだということです。「パフェ」は、背が高いグラスに入って出てきます。「サンデー」は、背が低い広いお皿のようなグラスに入っていることが多いです。
当時は喫茶店でも電話を使っていないのです。5・15事件や2・26事件当時の新聞記者の回想録を読むと、みんな電報で叩き起こされています。電話はないのです。電話の普及は昭和30年代です。昭和30年代の末になると電話のない家が少なくなりました。子供の学校の名簿を見るとないのは珍しいのです。
ちなみに大切な用件は、右耳で聞いたほうが忘れないのです。理屈から言えば、左耳で聞いた言葉は、いったん右脳に入り、そこから言語をつかさどる左脳に伝達されます。一方、右耳で聞いた言葉は、そのまま左脳に入り、左脳で処理されるので、右耳で聞いたほうが、迂回路が短い分、ストレートに相手の言葉が伝わってくるのです。しかし、電話は気に食わぬ奴を寄せ付けないでおく悪魔の発明品です。だが、今はスマホという便利なものがあるか(笑)
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