| TOP | ホーム | 携帯用 | 過去ログ/検索 |

☆★☆最新情報7☆★☆

 
新規投稿 ] 
  小話2025年7月分上  仲條拓躬2025/07/22(火) 19:01 
  フランダースの犬  仲條拓躬2025/07/22(火) 18:59 
  人類が味わってきた恐怖  仲條拓躬2025/07/22(火) 18:57 
  コレラの原因を調べた  仲條拓躬2025/07/22(火) 18:56 
  ウーロン茶  仲條拓躬2025/07/16(水) 08:37 
  手賀沼のビオトープ水田  仲條拓躬2025/07/16(水) 08:36 
  世界の終わり  仲條拓躬2025/07/14(月) 15:24 
  宇宙の夜明けから  仲條拓躬2025/07/14(月) 15:23 
  誰も手を出さない満州  仲條拓躬2025/07/14(月) 15:22 
  デフレスパイラルの脱却  仲條拓躬2025/07/12(土) 09:30 






[ 一覧 ]
小話2025年7月分上
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/22(火) 19:01
No. 7913
 
 
アメリカ・タイ・イタリアの3カ国でもっとも評価されるどんぶりは。
第10位 親子丼、第9位 麻婆丼、第8位 中華丼、第7位 ネギトロ丼、第6位 カツ丼、第5位 天丼、第4位 うな丼、第3位 豚丼、第2位 牛丼、第1位 焼き鳥丼。

満員電車で痴漢と騒がれると男性は青くなります。事情を説明して戴けますかと駅長室に連れて行かれたら最後です。警察が現れて交番に連行されて本署まで、犯人扱いされて12日間拘留されると考えると恐ろしいものです。痴漢行為を行っていなくても「やりました」と言えば直ぐに自宅に帰れるのだぞと何度も言われるそうです。12日間も拘留されれば会社もクビになってしまうだろうし帰りたい一心で「やりました」と言ってしまうのでしょう。

夏に歌いたい80年代 ランキング。第10位は 中森明菜 ミー アモーレ、第9位は 中森明菜サザンウィンドウ、第8位は tube シーズンインザサン、第7位はプリンセスプリンセスの世界で一番暑い夏、第6位は 研ナオコ 夏をあきらめて、第5位は ラッツ&スターめ組のひと、第4位は 松田聖子 夏の扉、第3位はサザンオールスターズ チャコの海岸物語、第2位は 松田聖子 青い珊瑚礁、第1位は 井上陽水と安全地帯  夏の終わりのハーモニー。

ChatGPTはかなり専門性が高い知識はあまりインプットされていないようです。たとえば経済政策や法律に関する質問に対しては間違った回答が出てくることが少なくありません。これは時事問題に関しても同じです。だから私は自分の日記を書いてアップする際にChatGPTを使うことはないです。

1995年(平成7年)1月17日5時46分に発生した、淡路島北部の深さ16kmを震源とするM7.3の地震です。神戸市と淡路島の洲本で震度6を観測したほか、東北地方南部から九州地方にかけての広い範囲で有感となりました。当初公表された最大震度は6でしたが、気象庁の地震機動観測班の現地調査によって、神戸市や淡路島の一部地域では震度7に相当する揺れが発生していたことがわかりました。

なぜロケット打ち上げる時 たくさんの 煙が出るかと言うと水をかけているから水蒸気が出るため 防音効果にもなっている

グリーンピースが何かというとえんどう豆です。豆苗 さやえんどう グリーンピース エンドウ豆 のエンドウは順番で大きくなっていく。もやしが成長すると枝豆になる 枝豆が成長すると大豆になる。あんこは小豆。白あんは インゲン豆。お赤飯に入っている豆は小豆です。関西は小豆 関東はササゲ。

本日のニュースですが、女子中学年生が一軒家のオキハイを盗んだ事件がありました。
逮捕された女子中学生は「何が入っているのだろうと気になって開けてしまった。韓国のりだったので外れだった」と反省していなかった
昔、牛乳は配達で勝手に飲んで新聞読んでいる奴がいたなぁ〜

2025年4月1日に施行される内容は次のとおりです。子の看護休暇の見直し。所定外労働の制限(残業免除)の対象拡大。短時間勤務制度(3歳未満)の代替措置にテレワーク追加。育児のためのテレワーク導入。育児休業取得状況の公表義務適用拡大。介護休暇を取得できる従業員の要件緩和。介護離職防止のための雇用環境整備。介護離職防止のための個別の周知・意向確認等。介護のためのテレワーク導入。

2025年10月1日に施行される内容は次のとおりです。柔軟な働き方を実現するための措置等。仕事と育児の両立に関する個別の意向聴取・配慮。

小学校の時 教室からグランドを見ると野良犬を追いかけているバカな弟がいた 家に帰ったらその野良犬がいた

日本の刑法は、「死刑、懲役、罰金、禁固、拘留、科料、没収」の7つで構成されています。懲役、禁固、拘留の違いですが、刑務所で労役を与えて懲らしめるのが懲役、労役のないものが禁固、30日未満拘束されるのが拘留です。

企業は自ら使用しているパーム油の原産地の情報や環境の変化に伴う社会的影響を調査して公表した上で、パーム油を使用して欲しいと思います。これは、パーム油のみならず、環境にかかわるすべての物に当てはまるのではないのでしょうか。

信号のない横断歩道で一番止まらない。
都道府県は富山県です。一番止まる県は長野県です

記憶力は睡眠 しっかりした方がよく覚えられる


 





[ 一覧 ]
フランダースの犬
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/22(火) 18:59
No. 7912
 
 
子供の頃、フランダースの犬をテレビでみて泣きました。映画館で観て涙が零れました。ご存じない方のためにストーリーをご紹介します。主人公はネロという少年で、ベルギー北部のフランダース地方にお爺さんと二人で住んでいました。ある日、過酷な労役を強いられて死にかけていた犬を見つけ、この犬を二人は引き取りパトラッシュと名づけます。

二人と一匹は、幸せな日々が続きます。ネロは絵を書くことが大好きで、毎日、牛乳を運ぶアントワープの街にある、大聖堂のルーベンスの絵を見てみたいと願っています。やがて誤解などもあって、窮地に追い込まれていきます。最後の望みをかけた絵のコンクールにもネロの絵はエンピツ画のため、絵の具を使った作品に負けてしまい落選します。

そんな中、お爺さんが亡くなりネロは家を追い出されます。途方にくれるネロとパトラッシュは、大雪の吹雪の中、アントワープの大聖堂に行き、ついにルーベンスの絵を観る事が出来た。落選したネロの絵を評価した画家は間に合わずに、二人はその絵の前で天国に召されると言う話です。

この話が日本で有名なのはアニメ化されたことでしょう。「世界名作劇場」として放映されました。平均視聴率25%という大人気のアニメです。この世界名作劇場では、アルプスの少女ハイジ、母を訪ねて三千里などの人気アニメを残しています。再放送しているので、ご覧になっている方もいるでしょう。

さて、このフランダースの犬の原作があります。作者はウイーダという英国人の女性です。原作はアニメの内容と同じです。このウイーダのお父さんがフランス人で教師でした。二十歳の時文筆活動を始め、児童小説を主に書き、一時はかなり人気があったようが、30代を過ぎる頃からイタリアに住み、そこで生涯をすごしました。

生涯、独身で晩年は貧窮に苦しみ、亡くなりました。このベルギー、フランス時代に考えたのか、フランダースの犬です。フランダースというのはベルギー北部の地域を指し、中心都市はアントワープという。だが、このお話はベルギーでは、あまり有名でないらしい。

話に出てくるアントワープの大聖堂もそこにあるルーベンスの絵は実際にあるが、見て涙するのは日本人くらいらしい。ネロとパトラッシュの像なんていうものもないのです。アニメに登場するフランダースの犬は、茶色いセントバーナードだが、原作の挿絵では、白黒なのでよくわからないが、目も隠れそうな毛むくじゃらの犬が描かれています。

労役によく使われていたこの地方の犬も黒い毛がぼうぼうと生えている犬だったらしい。アニメでは黒い犬では映えないので、茶色に変えたのかな?日本人ってこの手の話に弱いです。主人公は真面目に一生懸命生、生きているのに、貧乏でいじめられるお話。

この名作劇場でもアルプスの少女ハイジも母を訪ねて三千里もそう、私なんか、キャンディキャンディに感激しました。日本のアニメは、大抵、ハッピーエンドになると思いますが、フランダースの犬はかなり厳しい結末です。それだけに、多くの人の心に残っているとも言えるでしょう。そうそう、マッチ売りの少女もいつまでも心に残っています。

 





[ 一覧 ]
人類が味わってきた恐怖
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/22(火) 18:57
No. 7911
 
 
2002年、未知の新型肺炎が中国で広がりました。重症急性呼吸器症候群(SARS)と名付けられたこの病気で命を落とした患者はアジア、南北アメリカ大陸、ヨーロッパで700人以上にのぼります。

のちに、この新種の病原体は普通の風邪の症状を起こすウイルスの仲間だということがわかりました。それまでの風邪のウイルスは、ちょっとした喉の痛みを引き起こす程度のごく弱いものでした。

エボラ出血熱が最初に知られるようになったのは1976年のことです。この時は中央アフリカのごく一部の地域での流行だったため、ほとんど注目されませんでした。ところが2014年に、突如として、爆発的な流行が始まりました。

過去にエボラ患者が出ていなかった西アフリカで最初の患者が確認されると、ヨーロッパや米国など他の地域にも感染が広がっていきました。公衆衛生にとって幸運だったのは、指導教官から進路に関する助言を受けたピーター・ピオットがそのアドバイスを蹴って感染症研究の道を選び、世界最先端を行く臨床微生物学者となっていたことでした。

ピオットはエボラウイルスの同定に初めて成功し、死に至る別の新たな感染症、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の謎の解明でも活躍しています。人類にとって不幸だったのは、彼が感染症研究に携わるようになってからの40年以上の間に、感染症は研究の種に事欠かない分野であることが明らかになったことです。

2016年までにHIV感染とエイズの世界的流行により少なくとも3500万人が死亡し、さらに数千万人がウイルスのキャリアであることがわかっています。しかも患者の大多数は命を救うために必要な薬を手に入れられずにいます。

これに匹敵する規模の伝染病を探すなら、14世紀のペストにまでさかのぼらなければならない。当時800万人だったヨーロッパの全人口の60%が死亡し、全世界では7500万人から2億人の死者が出たと推定されています。

14世紀には微生物の存在はまったく知られておらず、人々の生活の中心にあったのは宗教でした。そのため、ハンセン病は神の罰とされ、ペストも同じようなとらえられ方をしていたようです。

現代に生きる我々は古代や中世の先人よりも知識があり、きちんとした教育を受けてきたと思い込みがちですが、果たしてそうだろうか。 HIV感染者やエイズ患者たちは今も社会から疎外され、中には、ふしだらな生活をしていたから神罰がくだったのだとそしる人たちがいます。

ハンセン病患者に対する差別も一部の地域ではいまだに根強いものがあります。地図それぞれの背後には、人類が味わってきた恐怖と苦しみがあります。しかし同時に、人類がここまでも手ごわい、恐るべき敵を撃退する力を手に入れるための知識を求めて、たゆまぬ努力を続けたことも見て取れることでしょう。

 





[ 一覧 ]
コレラの原因を調べた
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/22(火) 18:56
No. 7910
 
 
世界各地でときおり発生する伝染病の大流行をつぶさに見ていくと、その地域の社会と経済に大きな影響を及ぼしていることがわかります。 特に最貧困層は甚大な被害をこうむっています。

伝染病がなぜ起こり広がるのかは人類にとって長年の謎でしたが、19世紀半ば以降になると、感染地図と呼ばれるものがその解明に大きく寄与するようになりました。専門家たちはこの地図を使って予防法を考え、感染の拡大を防ぐようになったのです。

歴史上初めての感染地図は、1854年にロンドン・ソーホー地区でコレラが大流行した時にイギリスの医師ジョン・スノウが作ったものです。この流行ではおよそ600人が犠牲になりましたが、 そのうち200人は一夜のうちに命を落としました。

当時のコレラは感染経路がわかっておらず、医師たちは拡大を食い止められずにいたのです。コレラは一旦はやり始めると数日のうちに数百人の命を奪っていきます。死亡者数は時に数千人にものぼりました。

それまでのどんな病気とも異なるこの伝染病に対して、医師たちはなす術なく時間だけが過ぎていきました。コレラは伝染病の中でも特に感染速度が速く、1800年代には世界中に広がり数百万人がこの病で命を落としました。

スノウは、ソーホー地区でのコレラの感染源は汚染された飲料水に違いないと考えていました。そうであればすべての状況を矛盾なく説明できるからです。しかし、当時の医学界はスノウの考えを突拍子もないものととらえ、真剣に受け止めなかったのです。

スノウは自説を証明するために、この地域の家を一軒ずつ訪ね歩き、それぞれの家ごとに何人の犠牲者が出たかを聞いて回りました。そうして、集めた情報を市街地図に重ねていったのです。これこそが世界初の感染地図となるのです。

この地図は、死者の大多数がブロードストリートの井戸周辺に集中し、別の井戸に近い場所では少ないという疑いようのない事実を示して見せたのです。ソーホー地区の調査と、ロンドン南部で行われたさらに大規模な調査研究が評価され、ジョン・スノウは「疫学の父」として歴史上に名を残すことになったのです。

疫学とは、 伝染病の発生率や分布、決定因子などを研究する医学の一分野です。疫学者は一人ひとりの患者を診るのではなく、もっと広い視野で公衆衛生を観ます。疫学とは、誰が、どういう原因で発病したのかを調べ、伝染病が突如広がる原因を調査する学問だと言えます。疫学者が「医学探偵」と呼ばれる所以です。

 





[ 一覧 ]
ウーロン茶
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/16(水) 08:37
No. 7909
 
 
ウーロン茶は脂肪の分解に効果があります。中国料理は油っこい料理が多いです。ウーロン茶はその料理の間に飲んで、次の料理が食べやすくなるようにします。高カロリーや高脂肪の食事も消化吸収し、余分な脂肪分をスムーズに分解し除去する働きを持っています。

アルコール代謝作用もあって、二日酔いにも有効ですが、ウーロンハイの二日酔いの時は飲めません(笑)最近の米国の研究では、ウーロン茶を長期的に摂取することにより、老化現象を予防するということが初めて実証されました。

「老化」の主な原因は、「酸化的ストレス」です。ウーロン茶は、強力な抗酸化力を有する成分を含有するため、老化を予防する効果が期待され、老化予防効果を実証するために同研究が実施されたとのことです。お茶や緑茶には豊富にビタミンCが含まれていますが、ウーロン茶や紅茶にはほとんど含まれていません。

余談ですが、お茶や緑茶を飲んで日光に浴びるとしみが出来やすいし、肌に皺が出来ます。ウーロン茶は発酵過程でビタミンCが破壊されてしまうためです。そして、ダイエットや成人病、老化防止に役立つのです。

 





[ 一覧 ]
手賀沼のビオトープ水田
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/16(水) 08:36
No. 7908
 
 
ドイツ語で、BIOは生物で、TOPは場所で結合した概念を表します。考え方は自然に存在する環境や生態が人工的な仕組みにより、生態系を強制的に変化させられることを食い止め、母なる地球の自然を守るということです。

最近では動物愛護や自然環境保護を訴えながら、実際には矛盾した言動に気づかない人々が増えてきました。大部分の人は、生物をペットとして、人間と同じ環境に置き、自己都合にあわせています。

危険動植物は、その飼育は環境や管理に細心の注意を必要とする危険な動植物です。趣味のレベルでの飼育には大いなる疑問を持っています。現実には飼い主の都合により飼育放棄が行われ、結果、その存在さえ知らない人間が、生命を脅かされています。

ひとりの浅はかな人間がことの重大ささえ認識せずに安易にその刹那的な欲望により取り返しのつかない種の絶滅の原因を作っています。これもBIOTOP を無視した、人間の傲慢と身勝手さに基づく自然への冒涜であり、明らかな罪と言ってもいいでしょう。

人工物による BIOTOP の強制的な変更への警鐘と共に人間が趣味として飼育するに適当でない生物に関する丁寧で慎重な検証が必要ではないかと常々、思っています。さて手賀沼のBiotopは、我々の憩いの場です。手賀沼の水は、今ではとても綺麗になりました。

手賀沼の水質改善をするひとつとして、水生植物ホテイアオイを利用しています。さらに水田を実施して春は田植え、夏は草取り、秋には稲刈りをして、収穫したお米は収穫祭で試食しました。さらにビオトープで咲くアヤメがとても綺麗です。

あやめと菖蒲はよく似ていて、区別が付けにくいです。手賀沼で「あやめ祭り」がありますが、堀切菖蒲園の「菖蒲祭り」と全く同じに見えますが、あやめが生えている場所は陸地で、菖蒲は池や沼の水の中に生えているのです。

花もよく見ると模様が異なる事がよくわかります。さらに、葉だけのとき中央脈の突起が目で見て、はっきり分かるのが菖蒲で、手で触って少し感じるのがアヤメです。ちなみに、菖蒲湯に使う菖蒲はサトイモ科で、あやめはアヤメ科として区別できるといいます。

さらに、カキツバタも菖蒲にとても似ています爆(((●〜*>水路を流れる水も温かくなりというより熱くなり、水生動物にとっても過しやすくなっているのか疑問です。流れる水路の水は、底まで透きとおり、ザリガニやヒルなどが観察できます。

手賀沼ビオトープ水田の最初の仕事は田おこしです。これがとても疲れます。普段使わない筋肉が悲鳴をあげます(笑)次に代かきです。代かきとは水田に水を入れて平らにすることで周辺に作ってある水路の流れを変え、耕した場所へ水を流し込み、土をならすのです。

代かきが終わると苗の植え込みです。苗3本ぐらいずつを土に押し込み植えます。ビオトープにはたくさんの植物や生物が棲息しています。手賀沼の水は豊富で養分が豊富なのでよく育ちます。夏の間に生い茂った草木を刈ると、大きくなった稲が姿をあらわします。

そうなると実りの秋をとなり、稲を刈り取るのです。刈った稲はビニールシートに広げ、一本ずつ手作業で脱穀を行い、籾を容器に集めます。刈り取った稲の籾を乾かし、籾すりはすり鉢とすりこぎ棒を使用して米粒が割れないように力を加減しながらすりこぎ棒回し精米するのです。こうして自給自足で出来たお米と野菜で収穫祭を祝うのです。

 





[ 一覧 ]
世界の終わり
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/14(月) 15:24
No. 7907
 
 
(N・K・ジェミシン 『第五の季節』小野田和子訳、東京創元社) 4月の出ていない暗い秋の夜、北半球で夜空を見上げると、大きなW形をしたカシオペヤ座が見つかる。そのWの下側にあたる空を2〜3秒見つめていると、空が十分に暗ければ、満月と同じくらいの幅の、薄ぼんやりした雲塊が見えるはずだ。

そのぼんやりした雲塊が、アンドロメダ銀河である。それは約1兆個の恒星と一つの超大質量ブラックホールをもった、巨大な渦巻き形の円盤で、秒速110キロメートルで私たちに向かって突進している。40億年ほどすると、アンドロメダ銀河と、私たちの天の川銀河は衝突し、華々しい光のショーが起こるだろう。

恒星たちは、もともと進んでいた方向から四方八方へと逸れ、宇宙の中を優美な弧を描きながら次々と飛んでいくだろう。それぞれの銀河の中で漂っていた水素が突然ぶつかり合い、新たな恒星が爆発的に生まれることもあるだろう。双方の銀河の中心にあるブラックホールは休眠から覚め、周囲のガスを発光させはじめる。

やがてこの二つのブラックホールは、混乱の只中で衝突し、互いにらせんを描きながら融合することだろう。ものすごい強度の放射と高エネルギー粒子のジェットが、ガスと恒星がカオス的にもつれあった塊を貫通するうちに、天の川銀河とアンドロメダ銀河が合体して、新たに「ミルクドロメダ (Milkdromeda) 銀河」が誕生する。

天の川 (Milky Way)とアンドロメダ (Andromeda) の名をとっての命名だ(訳注:現時点ではまだニックネームにすぎない。「ミルコメダ 〔Milkomeda〕銀河」ともいう)。この銀河の中心部には、一段と質量を増した新しいブラックホールの内部へと、もはや命運尽きた物質が渦を巻いて落下しながら放射する、強力なX線があふれるだろう。

この、銀河同士の途方もなく大規模な衝突のあいだも、そもそも恒星どうしの間隔は非常に大きいので、双方の恒星どうしが正面衝突することはほとんどないと考えられている。太陽系は、全体としてはどうにか存続するだろう。だが、地球はそうはいかない。

その頃までには太陽が赤色巨星のサイズに膨張しており、地球は著しく加熱されて海は干上がり、生命体につながりうるものは地表から抹殺されているだろう。しかし、もしも人類が科学と知恵を尽くして太陽系内のどこかに大規模な宇宙基地のようなものをつくって生き延び、この現象を観察していたなら、二つの巨大な渦巻銀河の合体は、10億年にわたって続く荘厳で美しいプロセスであるはずだ。

粒子のジェットと超新星爆発が落ち着いたころ、残った質量は、死にゆく古い恒星が集まった巨大な楕円銀河となっているだろう。異様に美しい天体ショーその只中にいる者にとっては大惨事だが、銀河どうしの合体は、宇宙全体では日常茶飯事で、はるか遠く離れたところから見物できるなら、異様に美しい天体ショーだ。

巨大な銀河が小さな銀河を引き裂き、共食いする。隣接する恒星系(訳注:複数の恒星が互いに重力を及ぼし合う力学系。連星、星団など) どうしが一体化する。私たちの天の川銀河には、数十個もの近隣の小型銀河を吸収してきた証拠が見つかっている星間衝突事故で生じた破片さながらに、いくつもの恒星の軌跡が、天の川銀河の円盤を取り囲むように巨大な弧を描いている様子が、いまなお観測できるのだ。

しかし、このような衝突は、宇宙全体としてはしだいに稀になっている。宇宙は膨張しており、宇宙の空間そのものがますます拡大しつつある空間内にあるものではなく、ものともののあいだの空間が広がっているのである。

これはつまり、孤立した個々の銀河と銀河団(訳注:銀河群は、厳密な定義はないが、3個から数十個程度以下の銀河が直径数百万光年ほどの範囲に集まっているもの。銀河団は、1958年のパロマー・スカイサーベイの定義を踏襲し、一般に、50個より多数の銀河が直径1000万光年程度の範囲に集まっているものとされる)は、平均して、互いにいっそう遠く離れつつあるということである。

それぞれのグループや集団の内部では、なおも融光年を越えたあたりからは、すべてが広がって離れ離れになっているように見える。

 





[ 一覧 ]
宇宙の夜明けから
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/14(月) 15:23
No. 7906
 
 
ガスに満ちた暗い宇宙から、銀河や恒星の光できらきらと輝く宇宙への移行をもたらした主な要因は、今日では「ダークマター」と呼ばれている、きわめて奇妙な物質です。あまりに奇妙なので、最も強力な衝突型粒子加速器の中でも再現することにはまだ成功していないといいます。

放射、水素ガス、そしてあちこちに点在する他の原初の元素からなる混合物の中に、この奇妙な「ダークマター」という物質が存在しているのです。「ダーク」という名前ではあるものの、実際に暗いわけではありません。むしろ、「見えない」のです。ダークマターはどうやら、光とはいかなるかたちにおいても相互作用しようとしないようなのです。

放射することも、吸収することも、反射することもない。我々にわかるかぎりでは、ダークマターの塊に向かって進む光は、その塊をただ通過してしまうだけです。だが、ダークマターがほんとうにすごいのは、それがほとんど重力相互作用しかしないことです。

普通の物質が自らの重力に引かれて塊として凝集しようとするとき、その物質は圧力をもつので、引かれることに抵抗して押し返す。しかしダークマターは、この力を感じることなく凝集することができるのです。光と相互作用しないことの副次的効果は、何物ともほとんど相互作用しなくなることです。

なぜなら、たいていの場合、物質の粒子同士の衝突は静電反発力に由来し、それが起こるには、光との相互作用が必要になるからです(光子は光の粒子ですが、同時に、電磁力を媒介する粒子でもあるため、何かが見えないのなら、その何かは電磁的な引力も斥力も経験しない)。電磁力も圧力も、ダークマターには働かない。

インフレーションが終わった時のゆらぎによってあちこちに生じた、高密度の物質の小さな塊は、放射、ダークマター、そして通常の物質の混合物を含んでいました。通常の物質には圧力があり、それが放射と混合状態にあったので、最初に重力によって凝集できたのは、圧力によって即座に反発して広がってしまうことがないダークマターだけでした。

やがて、宇宙がさらに膨張して、冷却していく物質から放射が分離して遠ざかると、ガスがこの重力の井戸の中に流入できるようになり、凝集して恒星や銀河を形成しはじめました。今日なお、最大の尺度における物質の構造銀河や銀河団が織りなす宇宙のウェブは、ダークマターの塊や筋の骨格によって支えられています。

宇宙の夜明けにおいて、これらの見えない塊や筋が最初に輝きはじめた恒星や銀河が光を放ちはじめて輝き、ウェブに沿って煌めいた。さながら、暗闇のなかの妖精の明かりのように。次に宇宙が大きな変貌を遂げたのは、非常に多くの恒星が発する光が宇宙を満たすようになったおかげで、宇宙の火の玉状態終了時には中性になっていた。

宇宙空間を漂うガスが、電離しはじめたときのことです。当時、恒星が発する光は非常に強く、水素原子をふたたび自由電子と陽子に分解してしまった。その結果、 光源である銀河の集合を包囲するように、電離した水素の巨大な泡がいくつも形成されました。

宇宙のいたるところで、これらの泡が成長しているというのが、「宇宙の再電離」時代の特徴である「再」というのは、ガスは最初にビッグバンのあいだに電離し、この時ふたたび恒星によって電離されているからです。この変貌は、10億年ごろに完了しましたが、今日では、観測天文学の最先端領域の一つとなっていました。

それがいつ、いかにして起こったかが、ようやく理解されはじめたばかりです。それから130億年近くが経ちましたが、そのあいだ、ものごとはほぼ変わらぬ推移をたどり、銀河たちが形成されては結びつき、超巨大ブラックホールがあちこちの銀河の中心で質量を増し、そして新しい恒星たちが生まれ、その生涯をまっとうしているのです。

そのような経緯があって、現在の宇宙があります。今日我々が見ている宇宙は、銀河が連なってできた、暗闇に輝く広大な美しいウェブです。我々自身の青と白の惑星は、中くらいの大きさをした黄色い恒星の周りを公転しており、その恒星は、あらゆる意味で、きわめて平均に近いのです。

はっきりした証拠はこれから見つけなければならないのですが、この平凡な銀河には生命体があふれているのかもしれません。遠い昔に爆発した超新星の破片が、数千億個の恒星の周囲をめぐる一つひとつの惑星の上に、生命現象の基本的な原材料を生み出している。

現在の推測によれば、惑星系の約一割で、表面に液体状の水を維持するのに適した大きさをもつと同時に、恒星からの距離も適正な惑星すなわち地球のような惑星が存在しているという。

観測可能な宇宙の全域に見えているその他の2兆個の銀河には、数え切れないほどの別種の生命体が存在し、彼ら自身の文明や芸術、文化、そして科学的取り組みをもっており、その誰もが彼ら自身の視点から宇宙の物語を語り、彼ら自身の原初の過去を徐々に発見しているのかもしれません。

それらの惑星一つひとつの上で、我々と似ていたり似ていなかったりする生命体が宇宙マイクロ波背景放射をかすかなノイズとして検出しているかもしれません。そしてそこから、ビッグバンの存在と、我々が共有する宇宙は永遠の過去から常に存在していたのではなく、最初の瞬間、最初の粒子、最初の恒星を経験したのだという驚くべき知識を導き出しているかもしれません。

これらの他の生命体たちも、我々と同じことに気づきつつあるのかもしれません。宇宙は定常的ではなく、明確な始まりがあり、また、必然的に、終わりもあるのだと。

 





[ 一覧 ]
誰も手を出さない満州
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/14(月) 15:22
No. 7905
 
 
未開の地の満州買収計画がどのような経緯でまとめられたのかは解明されていませんが、孫文が来日して、3回にわたって内閣を組織した桂太郎と会っています。その際、桂は孫文に対し、人口増加の勢いからも日本は満州に発展するほかない、と説いていました。

孫文はかねがね革命成就のためには満州を日本に譲ってもよいとの考えだったと言います。また、この桂・孫文会議のころ、桂は森恪に会い森に「キミは支那を料理せよ」と言っています。この桂の意向を受けた森が、東京で中国側の情報も集めて、側近の山田に交渉を指示したのです。

森の電報を受けた山田は、革命支援で志を同じくしていた宮崎滔天とともに南京城内で孫文と会います。孫文は同志の胡漢民を伴い、別室の黄興とも相談して「よろしい。すぐそのことを進めてくれ」と返事をしました。

そして、このあと孫文やその代理の黄興が来日して桂と話合って解決する段取りまで決定したのです。しかし、桂は「大正政変」で内閣を投げ出したあと病床の身となり、結局、この満州買収計画は立ち消えとなったのです。

この満州を日本の領土とする孫文の言動はのちに中国内でも批判の対象となったのですが、孫としては革命達成のためにはなによりも資金と武器がほしく、革命が成れば満州問題は別の方法で解決出来るだろうと考えていたのかも知れません。

日本側では、桂内閣のあとの山本権兵衛内閣では、満州に何で日本が金を出さなくてはならないのだと言う反対の意見が支配してしまいました。当時、政界に大きな影響力を持っていた山県有朋は、満州はもともと日本の勢力下にあるのだから買う必要はない、との意見であり、共和制が天皇制の日本に影響を及ぼすことをおそれ、中国革命支援にも反対だったのです。

このようにして満州買収計画は日の目を見なかったが、1931年(昭和6年)、汪兆銘らが樹立した広東の国民政府で外交を担当していた陳友仁が来日して、当時、若槻民政党内閣の外相だった幣原喜重郎に密かに会って、満州の日本への譲渡を打診しました。

これに対して幣原はこう答えています。「満州を住民ぐるみ買いとることはご免だ。満州住民をことごとく渤海湾に投入して皆殺しにする権利を承認するという条件のない限り、満州とともにその住民をうのみにすることは爆弾を抱えて眠るようなものであるから、タダでも貰い受けません」(幣原『外交50年』)

幣原は、荒れ狂う馬賊がいて治安が乱れている満州ではいくらタダで満州をあげると言われても割に合わないことを知っていたのです。ここで満州支配の話は立ち消えとなったのですが、森と満州との繋がりはこの頃から形作られ、やがて満州事変などを経て強固なものとなってゆくのです。

 





[ 一覧 ]
デフレスパイラルの脱却
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/07/12(土) 09:30
No. 7904
 
 
物価が安くなるにつれて、給料も安くなります。すると、消費者の購買力が落ち、益々、物が売れなくなるのがデフレによる悪循環の構図です。給料が下がっても、物価が安くなっていれば、差し引きゼロになり、生活水準は変わらないはず、モノの値段が下がって、どこが悪いのだろうと多くの人が抱く素朴な疑問だろう。

何年か前はハンバーガーや牛丼をはじめとして、外食産業の値段はどんどん下がりました。ユニクロをはじめ、安くて質のいい衣料品が街にあふれました。マンションの値段が下がり、バブルの頃を思えばローンも随分、安くなりました。衣食住だけでなく、規制緩和の結果、航空運賃などもずいぶん下がったので海外旅行に行く人も大勢いました。

確かに、デフレでそういう面もあるのだが、ここで忘れてならないことが、いくつかあります。私に一番重く圧し掛かるものは、物価がどんなに下がっても、過去の借金は減らないということです。給料が下がれば、ローンが払いきれず、バブルの時に購入したマイホームを手放さなければならなくなるのです。

売却した代金でローンを返せればいいのですが、地価の値下がりでローンが残ってしまうのです。日本での自殺者が激増したのが、持ち家を所有する人が多かったでしょう。デフレがローンを抱えている人の首を締めつけていたのです。

問題は、住宅ローンだけではない。あらゆる場面で生じてくるのです。例えば、月給30万円の方が、月々5万円のローンで車を購入したとする。5万円なら簡単に返せるはずだったのに、デフレで給料が15万円になってしまったら、毎月15万で生活していた方は、毎月5万円を出費するのは容易なことではないのです。

しかも、恐ろしい事に、物価が下がる以上に、収入が落ちる傾向があると言う事です。デフレ時には、企業がどんどん倒産する。要するに、物価は絶対にゼロにはならないが、収入は失業すれば簡単にゼロになるのです。デフレは人々の希望をも奪ってしまうのです。給料が右肩上がりだと思えばこそ、日本人は比較的気軽に借金をして、物を購入しました。

それが、デフレですべてが右肩下がりとなり、お先真っ暗となれば、誰も大きな買い物をしなくなります。それが、正しい自衛策であっても、人々が購入を控えれば、企業の経営状態は益々悪化していくのです。それが、さらに失業者をふやし、デフレはいよいよ加速していくという仕組みなのです。

景気が悪くなり物が売れない⇒売れないから物の値段が下がる⇒安く売った分会社の儲けが減り従業員の給与も下がる⇒従業員の家族は苦しくなり、益々、物を購入しなくなる⇒もっと景気が悪化して物が売れなくなる⇒売れないからもっと値段を下げる⇒安く売った分会社の儲けが減り従業員の給与も下がる⇒従業員の家族は苦しくなり、益々、物を購入しなくなる⇒もっと景気が悪化して物が売れなくなる⇒売れないからもっと値段を下げる⇒安く売った分会社の儲けが減り従業員の給与も下がる⇒従業員の家族は苦しくなり、益々、物を購入しなくなる⇒もっと景気が悪化して物が売れなくなる⇒売れないからもっと値段を下げる⇒安く売った分会社の儲けが減り従業員の給与も下がる⇒従業員の家族は苦しくなり、益々、物を購入しなくなる⇒もっと景気が悪化して物が売れなくなる⇒売れないからもっと値段を下げる⇒デフレスパイラル(自爆)

さて、デフレスパイラルからの脱却はうまくできるのであろうか

 






     + Powered By 21style +