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今、歴史に残る強欲な人物が世界を混乱に陥れています。 強欲な人物は話し合いによって問題を解決しようとするのではなく、力をもって自分自身の主張を押し通そうとします。多くの人が傷つき、命を落としていったとしてもまったく気にしないのです。
力による支配は社会を分断します。2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。ある書物には、侵攻前からイギリスとアメリカの国内で起こった分断のことが書かれていました。イギリスではEUからの離脱を巡って2016年6月23日に国民投票が行なわれ、大方の予想に反して離脱派が勝利を収めたのです。
一方、アメリカでは2016年の大統領選挙で、やはり大方の予想に反してドナルド・トランプが勝利しました。いずれもわずかな差での勝利であり、国民の間に大きな分断を残す結果となったのです。書物は Paul Collier and John Kay, Greed is Dead: Politics after Individualism (Allen Lane, 2020)の日本訳です。
書物が出版された2020年7月は、ちょうど新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、イギリスやアメリカでも多くの人たちが亡くなっていった時期でした。アメリカでもイギリスでも新型コロナに立ち向かうため、社会の分断を乗り越え、人々の連帯が求められ、それまでの行き過ぎた個人主義の時代が変わろうとしているように思われました。
その後、2021年1月にジョー・バイデンがアメリカ大統領に就任し、2022年9月にはイギリスでボリス・ジョンソンが首相を辞任しました。日本では2021年10月に「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄内閣が成立したことも、時代が変化しつつあることを告げているように感じられました。
しかし、2022年後半の時点で、アメリカでは依然としてトランプ前大統領への支持が強く、イギリスでは新しい首相が2か月ももたずに辞職し、日本では国葬をめぐって分断が起こり、「新しい資本主義」の姿は見えず、内閣支持率は低迷していました。イギリスとアメリカで起こったような社会の分断は日本でも起こっていたのだろうか。
トランプが大統領選挙に勝利し、まだ大統領に就任する前に真っ先にトランプ氏の私邸を訪れ、54万円のゴルフクラブをプレゼントした安倍晋三元首相は、ポピュリストのトランプやジョンソンに似ているようにも見えますが、能力主義を推し進めたという点では違うようにも思われます。
書物の内容は、マイケル・サンデル『実力も運のうち能力主義は正義か?』(早川書房、二〇二一年)の内容と驚くほど似ています。 どちらも能力主義 (meritocracy) を批判し、コミュニティの重要性を主張しています。
違いは、サンデルがトランプの大統領就任とブレグジット(イギリスのEU離脱)能力主義の時代の終わりと捉えるのに対して、コリアーとケイは書物で極端な個人主義の時代はまだ続いていると考えています。
いずれの本も、能力主義の世界を「ディストピア」として描いたマイケル・ヤングの『メリトクラシー』(講談社エディトリアル、二〇二一年)を引用します。「能力が物を言う社会で、何の能力も持たないと判断されるのはとてもつらいことである。下層階級の人たちがこれほど道徳的に丸裸にされたことはかつてなかった」(118頁)。
労働者の政党であったはずのイギリスの労働党もアメリカの民主党も、能力主義を採用したために労働者の支持を失う一方、切り捨てられた労働者を味方に付けたのがトランプであり、ジョンソンでした。
日本では「桜を見る会問題」(2019年)を巡って野党に責められる安倍元首相の様子は、トランプの「ミスをして立ち往生する様子」(127頁)と重なって見えます。若者は倫理的な正しさを主張するエリート志向の政党に嫌気がさし、むしろ立往生する姿のほうに親近感を覚えます。能力主義の世界は格差を拡大させます。
グローバル化によって職を失い、移民に職を奪われた「何の能力も持たない」人たちの賃金は、40年にわたって低迷し続けてきました。日本でも厚生労働省の『毎月勤労統計調査」によると90年代以降、実質賃金は低迷したままです。
高度成長期を生きた人たちは日本を平等社会だと思い込んでいますが、現代の格差社会に生まれた若い人たちは当然のように日本は格差社会だと思っているでしょう。「何の能力も持たない」と見なされないように若者は必死に頑張っています。それに対して、雇う側の人たちは自己責任を理由に何の罪悪感も持たず切り捨てていくのです。
日本の所得格差は拡大していないという主張があります。再分配所得を見れば格差は拡大していないのですが、当初所得では格差は顕著に拡大しています。単に使える金額が問題なら再分配所得を見ればいいのですが、書物においてもサンデルの本においても繰り返し強調されるのは労働の「尊厳」の問題です。
「給付金による消費は、働いてまともな生活を送ることから得られる尊厳 (dignity) にとって代わることはできない」(120頁)。格差は尊厳の問題でもあり、当初所得格差の拡大の意味は深刻です。格差を拡大させる政策は社会を分断します。アベノミクスに対する評価は大きく分かれています。アベノミクスの恩恵を受けた人たちはアベノミクスを高く評価するのに対して、その犠牲となった人たちはアベノミクスを批判しているのです。
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