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多国籍企業運営の時代からグローバル企業運営の時代へ転換を導いたベルリンの壁の崩壊は、天安門事件からほぼ6ヵ月後の1989年11月9日、東ドイツ政府が東ドイツ国民の旅行、移住の大幅な規制緩和を発表したことがきっかけとなり、ベルリンの壁に市民が殺到、国境検問所が解放されます。
冷戦 を象徴した東西ベルリン分断の歴史が終結しました。ベルリンの壁崩壊は、政治的にはソ連邦の崩壊、共産党国家の解体という混乱を生み出しましたが、欧米の大規模な企業にとっては企業運営の大きな変革をもたらすものでした。
それは多国籍企業運営の終焉とグローバル企業運営の始まりを意味するものだったのです。冷戦期は、同じ西側陣営であってもそれぞれの国が輸出入を厳しく管理し、高い関税をかけ合う時代でした。
1980年代には日米の間でも自動車や半導体の分野で関税をめぐる激しい交渉が行われていました。しかし、冷戦の終結は、国ごとに孤立するのではなく連携して大きな市場を共有する動きを加速していきます。欧州では1993年にEU(欧州連合)が設立されます。
国ごとに孤立した分断の時代では、企業は進出した国のインサイダーになり、製造、販売を併せ持つ多国籍企業運営を追求します。これに対し、多くの国が連携する大きな経済圏ができれば、企業は共通の製品、サービスを共通の方法で提供する効率のよいアプローチをとることが可能になります。このアプローチをグローバル企業運営と呼びます。
企業にとっては規模の経済が格段に増し、トップ企業は最大の効率を得ることができるようになります。このことにいち早く気づいたのはGEのジャック・ウェルチ氏でした。彼は世界のナンバーワンもしくはナンバー2のシェアを獲得するように事業責任者に強い指示を出していきます。この事に早い段階で気づいた日本企業はほとんどありませんでした。
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