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世界に門戸を開いた1905年から40年後、日本は終戦によってすべてを失いました。原子爆弾を日本に落とすマンハッタン計画は、1944年9月18日、アメリカとイギリスの覚書で始まりました。それは、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の間に存在した機密文書です。
1945年2月、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者はヤルタ会談で、対ドイツ戦争終結のヨーロッパや太平洋について話し合いました。この時、日本について重大な取り決めが行われました。ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して日本攻撃に加わり、日露戦争の恨みを晴らすことでした。
だが、4月12日ルーズベルトは突然死亡して、副大統領のトルーマンが大統領に就任したのです。トルーマンは、知らされていなかった原子爆弾の存在をスチムソン陸軍長官から聞いて知ってしまうのです。
5月8日、ドイツは無条件降伏して、ヨーロッパの戦争は終わりました。トルーマンは、ソ連より優位に立ちたいために原子爆弾を日本に対して使用すると決定するのです。トルーマンは原子爆弾実験成功の報告を手中にし、7月17日、ポツダム会談に臨みました。
トルーマンは、ソ連が8月8日に参戦する通告を受け取っていたので、アジアでのアメリカ主導権を握りたい一身でソ連参戦より早く原子爆弾を使用したかったのです。7月26日、アメリカ・イギリス・中国のポツダム宣言が発表されました。
「日本政府に対し無条件降伏を宣言し、これ以外の選択は迅速かつ完全な壊滅があるのみ」という最後通牒でした。日本の鈴木首相は、それを聞いて「ただ黙殺するのみ」と新聞発表しました。だが、黙殺は翻訳では、「拒否」という英語となり連合国に伝わってしまったのです。トルーマンは喜んだ。
それはポツダム宣言発表の前、7月25日、極秘に原子爆弾投下命令をしていたからなのです。第1目標は広島、第2目標は小倉、第3目標は長崎、第4目標は新潟と決められました。B29エノラ・ゲイは、8月6日広島上空で原子爆弾リトルボーイを投下しました。
8月9日、B29ボックス・カーは、小倉上空に到着しましたが、厚い雲にさえぎられて目視できず、長崎に向かいました。同じく長崎も厚い雲に覆われていましたが、1カ所だけポカーンと穴が開いており、プルトニウム爆弾ファトマンを投下したのです。
私の両親にとって終戦の記憶はそうとう生々しかったでしょう。平和を望む気持ちも今以上に切実なものであったと想像します。21世紀に生まれた子どもたちにとって、1945年は遠い昔のことでしょうが、子供らが生まれた後でも、9.11事件やイラク戦争、スペインやロンドン・インドネシアなどでテロ事件が発生しています。
21世紀の子供達も戦争とは無縁ではありません。世界に目を向けるとロシアのウクライナへの軍事侵略が止まず、イスラエルでは人道無視の殺戮が続いており、ロシア、中国の独裁化が強化されております。力対力、力による服従は何も生み出さない事に思いを馳せ、英知を出し合って平和裡に解決が図られる事を願うばかりでございます。
加えてアメリカの権益を強烈に追及するトランプ政権の発足により、今後の世界経済政治がどのように影響を受けるのか、まったく目が離せません。世界に平和をもたらすにはどうしたらよいのでしょうか。終戦から多くの年月が過ぎた今、戦争を経験している方が生きているこの時代に、真剣に恒久平和を考える必要があるのではないでしょうか。
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