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繊維ビジネス中心の古い大阪の商社というイメージを払拭し、総合商社ナンバーワンに躍り出た伊藤忠はヒエラルキーが薄い会社です。売上高は20兆円台、しかし利益率は数%、それが1990年代の伊藤忠商事でした。
資源の権益を押さえている三菱商事、三井物産にはとてもかなわない万年4位の会社でした。その伊藤忠がどうして商社業界ナンバーワンの企業になったのでしょうか。ダイキン工業やコマツと同様、いち早く中国市場の発展を見抜いたことが一つの理由だと思います。
その先陣を切ったのは、1998年から2004年までの6年間、社長を務めた丹羽宇一郎氏です。今日では中国は伊藤忠にとって重要な市場で、社員の30%は中国語の研修を受け、中国のパートナーや顧客との 関係を深めています。
信越化学が顧客とのビジネスを超えた熱い関係を築くことを大切にしたのと同じ発想です。社会に溶けこむことは鉄則で会話力は必須ですが、多くの企業では中国語の学習は社員の裁量に任せています。伊藤忠の発展のもう一つの突破口は、生活産業への進出です。
丹羽氏は社長になる前は海外事業の開発と生活産業カンパニーを管掌されていましたので、社長として強いリーダーシップを発揮されたと想像します。総合商社の組織図を見ると商品や機能での分担が中心で、ユーザー起点の生活産業という、多くの商品や機能を統合する切り口は、非常にユニークなものです。
丹羽氏の後継者となったのは小林栄三氏です。小林氏はIT事業の経験が長く、伊藤忠がITカンパニーを目指すための原動力になった社長ですが、デジタルからは連想できない、EQの大切さを強く意識された経営者です。
ソニーの復活に貢献した平井一夫氏は、その著書『ソニー再生』(日本経済新聞出版)のなかで経営者がEQの資質を持つことの重要性を繰り返し述べています。小林氏もEQの大切さを認識している経営者だと思います。『プレジデント』(2007年9月17日号)に以下のようなインタビューがあります。
「社長になると1対1で若い社員と話す機会というのはそう多くありません。社長に就任したときに私が一番危惧したのは社員から遠い存在になることです。社員の目の表情が見えないような遠い存在になったら現場の臨場感は失われます。現場の臨場感なしに、適格な経営判断はできません」
「そこで就任時に私は様々なカンパニーの若い社員に会って直接話をする機会を作ろうと思い、400名の社員に会うことを宣言しました。(中略)社内では常々、『愛情を持て。 愛情の反対語は無関心です」と言っています」。
小林氏はテルモの和地氏やダイキン工業の井上氏と同じ発想を持たれています。小林氏の後を2010年に継いだのは岡藤正広氏です。大阪をベースに一貫して繊維の営業に関わり、海外での勤務経験はゼロという異色の経歴です。岡藤氏もまた、組織を動かすための鉄則を深く理解していると言えます。
どんな社長も経営の方向や将来のビジョンを語ります。しかし、ビジョンを実現するための具体的な目標、挑戦的ですが達成不可能ではない成果目標を明確に示す社長は少ないです。伊藤忠は万年4位から下剋上を目指す、といっても具体的な成果目標は曖昧でした。
岡藤氏は三つの成果目標を明確に示します。まずは4位でなく3位になる。次に非資源の事業で1位になる。その次に総合で1位になる、という順番です。このアプローチは、OKRと今日呼ばれる野心的な目標管理の手法と同根です。
野心的な目標を描くのは難しくありませんが、具体的な成果目標を定義するには想像力とセンスが必要です。岡藤氏は全社的な目標管理の推進と同時に社員の生産性に着眼します。無駄な仕事の削減と効率の悪い仕事の仕方の改善に取り組みます。
例えば、流行するフレックスタイム制の意義や生産性への効果、課題をこだわって考える、などの一見小さな細部にこだわる経営を続けるのです。「神は細部に宿る」と言われますが、岡藤氏はそのことを認識しているのだと思います。
2021年には資源安で三菱商事や三井物産の業績が低迷したこともあり、念願の下剋上を実現します。伊藤忠の20年間を振り返ると経営者のバトンタッチが絶妙に行われたことが感じられます。丹羽氏、小林氏、岡藤氏という、それぞれ経験も個性も異なる経営者が適切なタイミングでトップに立つ、というストー リー性を感じるのです。
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