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酒を呑み足りなくて深夜帰宅、何かおつまみはないかと、冷蔵庫を開ける。ビニール袋詰めの白菜の漬物が見つかる。まだ封を切っていない新しいものです。まず包丁取り、袋の上のほうだけ上手に切る。2つ入りの袋から白菜をひとつ取り出す。袋の方は、中の汁がこぼれないように、流しの内側に立て掛けて置く。
ここまでの作業だけでも、何と言うこともないのだが、イライラが伴う。汁の入ったビニール袋というものは、何かあったら倒れてやろう、何かあったらこぼれてやろう、という気配に満ちているからである。それをこちらは、何とかして倒すまい、何とかしてこぼすまい、と気疲れするのである。
汁だけの入った袋を流しの内側に立てかける、という作業だけでも、かなりの技術を要する。立てかけようとすると、酔っ払いのようにズルズルとずり下がる。引き上げると、今度は横に倒れようとする。立とうという意思がまるでないのです。
一人前のおつまみとしては、この白菜のおしんこは量が多すぎる。そこで半分をまた板の上に乗せ、あとの半分を、流しの内側に立てかけておいた袋に戻す。この戻すのがまた、かなりのイライラを伴った難事業なのである。
左手で、ともすれば倒れようとするビニール袋の口をあけて立たせ、その口のところへ、右手でダラリと持った白菜の先端をあてがう。白菜の漬物の先端というものは、広がろうとする意思が強い。冬だと、深夜の水道の水は冷たい。手がかじかむ。
だが、ビニール袋は倒れようとし、白菜の先端は広がろうとする。深夜の台所で、どうしてこんなことをしなければならないことになったのか。そういう疑問が、ふと頭の中をよぎる。お酒のおつまみは、はたして白菜でなければならなかったのか。
その横にあった、瓶詰めの佃煮でもよかったのではないか。いやいや、白菜を、半分取っておこうと思ったのがそもそも間違いではないのか。いっぺんに、全部食べたってよかったのではないか。
全部洗って、全部切って、全部お皿に盛って、食べて、そうして残ったら、それにラップをかけて冷蔵庫にしまえばそれで済むことだったのではないか。そうだ。そうだったのだ。白菜の先端を、ビニール袋の切り口に挿入させようとしながら、後悔の念がしきりにわく。
それでもようやく気を取り直し、半分をビニール袋におさめる。手からも袋からも、水がしたたり落ちるから、小走りになって冷蔵庫のところへかけつける。白菜のために、こんなに苦労させられる。内心いまいましくてならぬ。
冷蔵庫のドアを開け、ヘナヘナと倒れそうになる白菜の袋をようやく瓶詰めの佃煮にもたせかける。もたせかけてドアを閉めようとしたとたん、袋が倒れて汁がどっと冷蔵庫の中に流れ出し、冷蔵庫からあふれて床のほうにまでひろがってくる。
その汁を見つめながら、俺の人生はこれでよかったのだろうか、と思い、思いながらあわてて雑巾を取りに行こうとし、汁にすべってころんで頭を打って酔いが回りそのまま意識が遠のいていく。翌朝、その現場を見た家族の目が点になる。
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