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  2024福島の旅日記1日目  仲條拓躬2024/11/11(月) 18:46 
  大東亜戦争の遠因として  仲條拓躬2024/11/06(水) 20:46 
  お見舞いの気遣い  仲條拓躬2024/11/06(水) 20:44 
  ボジョレーヌーボー蘊蓄  仲條拓躬2024/11/06(水) 20:43 
  スマホがストレスを引き起こす  仲條拓躬2024/11/05(火) 16:41 
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  人との距離を変えたコロナ  仲條拓躬2024/11/05(火) 16:38 
  親子関係について  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:35 
  お見舞いの考え  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:34 
  日本の戦後の民主主義とは  仲條拓躬2024/11/01(金) 15:33 






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2024福島の旅日記1日目
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/11(月) 18:46
No. 7638
 
  都内で観光バスに乗り込み一杯やりながら福島県の母畑温泉・八幡屋に向かいました。東北自動車道をしばらく走るとお昼の時間が近づきました。最初の目的地である全国菓子博・金賞受賞の栃木県推奨銘菓、お菓子の城・那須ハートランドに時間前に着きました。

代表するお菓子は「御用邸の月」に並ぶ絶品チーズケーキです。御用邸の月の製造過程が外から見られるのも楽しい。絹のようになめらかになるまでやさしく泡立てた地元ブランドの卵のメレンゲを、ニュージーランド産のクリームチーズに混ぜて焼き上げています。

中はスフレのようなふんわりとした味を、焼き色のついた外はふくよかな味わいをお愉しみいただけます。おいしさや食感を大切にしててるので、1個ずつの袋入りです。試食があります。工場ラインでは、材料が投入されてから完成するまでの工程がご覧いただけます。

見学させて頂いたので、販売しているお菓子にも愛着が湧きましたが、味自体は、前回食べたときと同じ感想で割と普通な感じでした。お昼の食事の中にも登場していたのですが、体に良くない添加物が入っているのがとても気になってしまいます。

お昼はいつもと変わらぬ牛肉の釜めしみたいなものを食べましたが、地酒が一番おいしかったかな(笑)団体客が食事と買い物による定番のようですが、空いている時間がもったいないです。食事後は大内宿を目指しました。大内宿は、タイムスリップしたような所です。

なんで来ても同じ感想ですが、日本にもこのような場所が残されているのだな〜としみじみ感じました。大内宿とは江戸時代の会津から日光を結ぶ下野街道の宿場町で、約500mに渡って当時からの茅葺屋根の建物が残っている素晴らしい場所です。

画像を見せると白川郷に似ていると思われる方がいます。当時は大名行列も通り、本陣や脇本陣もあったとのことです。大内宿では、前回紹介しましたが、人気の「三澤屋」で大きなネギを箸代わりにして十割蕎麦等を楽しめます。

大内宿の散策時間は30分だけとなっているのです。誰が行程を組んだのだろうと残念になります。「三澤屋」は、さすが人気店で待ち時間が40分でした。無理じゃん。その後は時間がないので、慌てて宿場町散策に出かけました。

大内宿は「重要伝統的建築物群保存築」に指定され、それらのことは看板に書かれています。大内宿の街道筋の両脇の側溝には用水路が流れていますが、江戸時代当時は、道路の真ん中に流れていたようです。夏はこの用水路に「ラムネ」や「スイカ」が冷やされていました。明治19年になって埋め立てられ、道路の両側に側溝が掘られたようです。

もう二度と来られないかもしれないと見晴台まで登りました。大内宿の景色はやはり素晴らしかったです。江戸時代はこのような風景が広がっていたのです。大内宿は、江戸時代当時の宿場町風情を楽しめ、また見晴台からの景色も素晴らしくとてもオススメです。

その次は、会津武家屋敷に行きました。産声をあげたばかりの新政府が、会津藩など旧幕府勢力を武力制圧し前代の秩序を「悪」として、完全に亡きものとし、新秩序を確立した戊辰戦争です。会津藩主松平家御廟とあります案内を概略します。

「会津特有の伝統精神を後世に伝える責務を痛感していたところ、家老屋敷の図面が見つかったことで、具体化される事となり、家老屋敷として竣工を見、更にゆかりの建物を移築し他のが、会津武家屋敷である。」このように書いてあります。

柔道家「西郷(保科)四郎」の像。西郷頼母の養子となった人で、姿三四郎のモデルだといいます。「山嵐」という技を繰り出す四郎を近くで見ると迫力倍増です。「家老屋敷 西郷頼母邸」案内を書き出すと以下になります。

「西郷家は、会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職を務めた千七百石取りの家柄であった。江戸時代中期の和様建築の粋集めた、豪華かつ壮大なこの家老屋数は、敷地画積二千四百坪、建築面積二八〇坪を誇り、三十八室もの部屋を擁していた。四脚門や式台玄関、それに冠振りぐしに九曜の放を付けた鬼瓦などは、格式の高い西郷家ゆえに許された特権であった。」豊富な展示ですが、ここでの胸を打たれたのはドラマでも見るシーンです。

西郷頼母の妻以下、21名が自刃した場の再現です。神妙に展示を見ている妻。その視線の先は「会津戦争への道」これを読むと、松平容保公は、藩主を子供に譲り、輪王寺宮(日光東照宮)に謝罪嘆願を依頼するなど恭順の姿勢だったと書かれています。

しかし、旧勢力の一掃は武力にのみ為されるものとする新政府側の考えは、揺るぎなかったのでしょう。「悲劇 西郷頼母一族の自刃」妻子を自刃で亡くしても、ただ一人、人生を全うした西郷頼母。批判する人もいるようですが、自分の為、ひいては世のために「生き抜く」ことは死ぬよりもはるかに高尚な事だと思います。

案内。「慶應四年八月二十三日、西軍の侵攻は疾風の如くであった。西郷頼母が登城した留守宅では、妻の千重子を筆頭に一族浪等二十一人が、全員自決を遂げた。この様子は弾丸を避け邸内に入った西軍藩士中島信行が死にきれず息も絶え絶えの少女から介錯を求められ、涙ながらこれに応じた悲劇を再現したものである。」

西郷千重子の辞世。「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節のありとこそきけ」
意味をGoogleで検索すると、「弱いなよ竹と同じように風に吹かれてしまう身だけれど、強風にも曲げられない、なよ竹の節のように、私も節義に殉じてみせる」という強い意志と覚悟が込められています。

このように回答してくれました。「節義に殉じてみせる」もう涙しかありません。自刃の場面と家族らの辞世の句が置いてあります。「逆屏風について」「守り刀は死者が黄泉の国に行く際に、悪霊を払う武器として、屏風は悪霊が来ないように壁としての役目を果たすとされています。

何故、屏風を逆さに置くかというと死者の着物の襟を男女逆さまに着せるように、仏教でいう「さかさごと」という行為から来ていて、このことから屏風を逆さまに置くのは、武士の自刃の作法となりました。」このような意味が書かれています。ここでは西郷頼母一家の紹介だけですが、戊辰戦争で起きた、一家自刃の例は他にもあり、会津の苦難を思うと、なんとも言葉がありません。

 





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大東亜戦争の遠因として
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/06(水) 20:46
No. 7637
 
 
第一次世界大戦以降の世界体制は明らかに日本が不利なものになってしまいました。後に首相となる近衛文麿が、全権西園寺公望の随員としてベルサイユ講和会議に出席するときに書いた「英米本意の平和主義を排す」という有名な論文があります。

国際連盟を含めたベルサイユ体制が定着すれば、日本国は大陸利権の維持・拡張といった生きる活路を失う、と大変危機感を募らせた訳です。日本は政治的敗戦国になったのだということを、この論文は示しています。

日本が必死で参画しようとすれば帝国主義国家を中心とする外交の世界が変わる。というか、欧米列強の都合でルールが勝手に変えられてしまうわけなのですが、ウィルソン体制で、これ以上の帝国主義的拡張は止めましょう、となりました。

だが、平和主義を唱えながら、イギリスやフランスといった列強は自分たちが保持していた植民地は全部保全しています。オーストラリアは白人主義をとっているので、利権はまったく傷ついていません。

ところが日本は、頭の中身は帝国主義のままだし、経済システム、産業革命が完遂されてない段階で、列強の囲い込みが済んだ世界に置き去りにされて身動きが取れない状態だったのです。さらに言えば、ベルサイユ講和会議で日本が提案した人種平等宣言がほとんど受け入れられる余地がなかったのです。

人種問題というのは、あの時代の日本にとって国際秩序の重要問題なのです。このときの無念さは『昭和天皇独白録』の冒頭にも、大東亜戦争の遠因として、「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し」と書かれています。

それがアメリカでは排日移民法などに繋がっていくのです。ただ、明治の初めに、1921年のワシントン会議の頃にはとにかく日本は世界三大海軍国の1つに昇格しました。明治維新前の黒船襲来からすれば、夢のような地位向上なのです。

強いものが同じ肌の色を持つ弱いアジアの人々を守るという心境に近づいたので、国際連盟に積極的に加入して、新しい国際秩序を支持しようという気になるのも、常識的な判断だったと思うのです。

ところが近衛文麿のように日露戦争の前後に、生まれた世代にとっては、最初から日本は列強のひとつなのです。ですから何でアメリカ、イギリスの後ろについて3番目の位置で我慢せねばならないのかという不満が出てくるのです。

「英米本位の平和主義を排す」という論文にも、そうした思いが色濃く表れています。ワシントン会議の結果、海軍の主力艦保有比率はイギリス5、アメリカ5、日本3と決められました。しかし、この枠組みに入れて貰えただけでも大変なことです。

今当時を考えても、この比率は妥当なところでしょう。第一、日本にはそれ以上海軍力を増強する資金がなかったのですから。石原莞爾が構想した最終戦争論を読んで鑑みると軍備を蓄えておく事が賢明だったように思えてならないのです。

 





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お見舞いの気遣い
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/06(水) 20:44
No. 7636
 
 
お見舞いに植木ものは根づく(寝づく)といって好まぬ人もいますが、植木などの好きな人は長持ちするのはよいといいます。

親しい間柄だと、バラが好きだとか、バラだと赤が好きだということがわかれば、なるべく硬いつぼみのものが良いと思う。それでもある患者が、花瓶の水を変えるのが大変だと言われるのを聞いたことがあるから、そういうことにも心を配って欲しいです。ユリは長持ちするが、匂いが強いのでよくないという方もいます。

果物などを病院にもって行く人がいますが、糖尿病だと甘い果物はよくないでしょう。一般に入院患者には食べ物は持参しない方が良いです。

お見舞いに行って、病人が急変したり、発熱したりしていた時は、病室に入る事を辞退し、家族だけに面談するのがよいでしょう。家人が病室にいなければ、花と共に、カードに短い見舞いの言葉を一筆して病院に届けてもらうと、患者はお見舞いの人の心をゆかしく思うでしょう。

 





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ボジョレーヌーボー蘊蓄
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/06(水) 20:43
No. 7635
 
 
ボジョレーヌーボーはフランスのボジョレ地方でガメイという葡萄から造られているワインで、リヨンという都市の北西部に広がる丘陵地帯をボジョレ地方といいます。毎年、11月の第3木曜日に販売が解禁になりますが、実は私は過去に解禁日の前の日に呑んだことがあります。

東京のお茶の水にある旅館「龍名館本店」に3本だけ前の日に手に入ったということでした。「龍名館本店」は都心にありながら落ち着いた感じで個室なのでゆっくりとくつろげました。JR御茶ノ水駅3分です。(笑)

ちなみに、ヌーボーとは新しいという意味で、新酒は正確にはプリムールと言います。日本は、日付変更線に近いので、本場フランスより8時間早くボジョレーヌーボーが飲めるのです。だが、価格はフランスに比べるとかなり高い、それは、通常ワインは船を使って輸入するのに対し、ボジョレーヌーボーは航空便で空輸するからです。

良いワインを購入するのは、良いお店を選ばなければなりません。当たり前です。(笑)基本はワインを横に寝かせてあるお店を選び、ワインを縦に保存しているお店はダメでしょう。ワインはデリケートなので、ワインセラーが店内の静かなところにあり、光や振動で品質が落ちないようになっているところです。

知識豊富な店員がいるお店で、たくさんの種類があるところがよいです。ワインの見分け方ですが、赤ワインで、紫がかっているのは、1年以内の若いワインで、ルビー色は、2年から5年以内のワイン、ややレンガ色は、飲み頃で、褐色は、酸化しているため飲料としてではなく料理に使いましょう。

白ワインは、透明や薄い緑は、若いワインで、薄い麦わら色は、飲めるワインで、黄金色が、甘口で飲み頃、辛口はやや味が落ちます。ワインは購入したらすぐに飲んだ方が良いものと、飲み頃になるまで保存しておく方が良いものがあります。

ちなみに、日本ではボジョレーヌーボーをどれくらい飲んでいるのかというと、フランスに次いで世界で2番目に多く消費されているそうです。日本人はワイン好きというか物珍しいもの好きなようです(笑)

ボジョレーヌーボーといえば「赤」しか目にしません。フランスのワイン法律によって赤以外は販売されていないそうです。フランスにはワイン法律というものが存在するのが驚きです。そして、一番大事なことは、体のためにもワインに「亜硫酸塩」が混入されてないものを選ぶのが大切だと思います。

 





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スマホがストレスを引き起こす
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/05(火) 16:41
No. 7634
 
 
電車やバスに乗っていると、ああ、あの人はスマホを失くしたんだな、という場面に出くわすことがあります。激しい不安に襲われ、命がかかったみたいに鞄やポケットを探しています。ようやくスマホが見つかったときの安堵した様子、そしてパニックが消えていく様がはっきり見てとれます。

高価なスマホが見つからなかったら心配でストレスがかかるのは当然ですが、あのパニックぶりはお金の問題だけではないでしょう。スマホを強制的に手放した被験者の体内では、ほんの10分でストレスホルモン、コルチゾールのレベルが上昇します。

つまり脳が「闘争か逃走か」のモードに入るのです。最も顕著に影響が現れるのはスマホを頻繁に使っている人で、スマホを慢性的に使っていない人はそれほど上昇しません。脳がどのように進化してきたかを考えると、それも特におかしなことではないのです。

ドーパミンを与えてくれる対象に意識を集中させるのは、生き延びるために大切なことです。一日中、10分ごとにちょこちょことドーパミンを補給してくれる対象を失ったら、当然ストレス反応が起きます。さらには、「生存のために大切なものが消えてしまった」という信号が脳に送られます。

するとHPA系が作動し、脳が私たちにこう命じます。「手を打て! ドーパミンをくれるものを取り返せ! 今すぐにだ!」 脳はこの強い不安の力を借りて、私たちに指令を実行させようとするのです。スマホは失くしたときだけにストレスを生じさせるわけではないでしょう。

失くさなくてもストレスは生じるようです。20代の若者およそ4000人にスマホの利用習慣を聞き取り、その後1年にわたって観察を続けた研究があります。熱心にスマホを使う人ほどストレスの問題を抱えている率が高く、うつ症状のあるケースも多かった。

同じような結果が、 アメリカ精神医学会 (APA)が約3500人に対して行ったインタビューでも示されました。「アメリカのストレス (Stress in America)」というタイトルで報告されましたが、スマホを頻繁に取り出して見る人ほどストレスを多く抱えていました。

多くの被験者が、時々はスマホを遠ざけておくほうがいいとわかっているし、3人に2人は「デジタルデトックス」が心の健康にいいだろうと思っています。しかし、実際にそれを実行していたのはわずか30%にも満たなかったのです。

複数の大規模な研究をみると、ストレスとスマホの使用過多には関連があることがわかります。その影響には小さなものから中程度のものまであるのですが、ストレスに弱い状態の人は、たとえ小さな一滴でもコップが溢れることになるといいます。

それは不安障害にも同じことが言えるでしょう。結果は同じでした。10件の調査のうち9件で、不安とスマホの使用過多に相関性が見られたのです。おかしな事ではありません。ストレスと不安は本質的に体内の同じシステム、つまりHPA系の作動によって起きます。

ただ理由が異なるだけなのです。ストレスは脅威そのものが引き金になりますが、不安は脅威かもしれないものが引き金です。スマホがストレスを引き起こすなら、不安も引き起こすのは容易に想像つくし、実際そうなのです。

被験者がスマホを手放したときの心配と不安を計測したところ、離れている時間が長くなるほど不安が増すことがわかりました。30分ごとに計測するたびに、不安の度合いが増していったのです。最も不安が大きかったのはどういう人だったのかもちろん、スマホをいちばんよく使っている人たちだったのです。

 





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スマホで気が散るように訓練
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/05(火) 16:40
No. 7633
 
 
凄まじい量の情報にさらされるほうが、集中力を高める訓練になると思うかもしれません。スマホに気を散らされるのにも徐々に慣れるのでは? 筋肉がジョギングや筋トレによって鍛えられるのと同じでと。問題は、普通の人の脳がその逆を行くことです。

交通重大事故が多発している中にイヤホンしながらのながら運転が指摘されています。2024年11月から自転車のスマホ運転も法律で禁止されました。それは、気を散らすものが多いほど注意力が散漫になるのです。

常にデジタルな邪魔が入ることで、気を散らされることにますます脆弱になるようです。それがこの数年、これだけ大勢の人が、インターネットを使っていないときでも集中できない理由ではないだろうか。私自身も、本を集中して読むことが難しくなりました。

スマホをサイレントモードにするくらいでは効果がなく、集中したければ別室に置いておかなくてはいけない。そこまでしても、100年前と同じように本にのめりこむのは難しい。集中を要するページにくると、スマホに手を伸ばしたい欲求に駆られるのです。

もう昔みたいな努力はできなくなったようです。多くの人に同じような経験があるはずです。気を散らされる存在が当たり前になると、それが存在しないときでも強い欲求を感じるようになります。現代社会では集中力は貴重品になってしまったのです。

ただ、私たちの注意持続時間(attention span) が12秒から8秒に下がり、金魚以下だというのはありがたいことに作り話です。スマホの使用に特に慎重になったほうがいいのは、学校や大学の教室内です。そこで脅かされるのは集中力や作業記憶だけではありません。

長期記憶を作る能力にも悪影響が出るのです。スマホやパソコンがそばにあるだけで、学習能力が落ちるのです。ある研究で、2つの大学生のグループに同じ講義を聴かせました。片方のグループは自分のパソコンを持参し、もう片方は禁止されていました。

パソコンを持参したグループが講義中に何をしているかを調べてみると、講義に関するウェブページをいくつも見ていて、そのついでにメールやフェイスブックもチェックしていました。

講義の直後、パソコンを使った学生たちは、もう一方のグループほど講義の内容を覚えていなかったのです。学生に偏りがあったためではないのを確認するために、同じ実験を別の2グループでも行いました。やはり結果は同じで、パソコンなしのグループの方がよく学習できていたのです。


 





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人との距離を変えたコロナ
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/05(火) 16:38
No. 7632
 
 
嵐が弱まれば、視界の妨げになっていた大気中の浮遊粒子状物質が清められて、遠くまではっきり見えるようになります。嵐が去れば、重病や事故から回復した患者がそうであるように、状況や今後の進むべき道がわかるかもしれません。

現状という氷に閉ざされていたあいだは不可能だと思えたことを、変えられると思うかもしれません。自分自身やコミュニティーや生産システムや未来に違った感覚をもつかもしれません。先進国に住む多くの人にとって、パンデミック直後に訪れた一番大きな変化は、空間に関することでしょう。家があれば自宅で過ごし、他人との接触を避けました。

通学や通勤はせず、会議のために集まらず、ちょっとした用事やジム通いなど不要不急の外出は控え、パーティー、バー、クラブ、教会、モスク、礼拝堂などには行かず、多忙な日常から逃れました。フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは、遠く離れた友人にこんな手紙を書いています。

「この距離を大切にしましょう。友情でしっかりと結ばれたこの距離を。たがいに想い合えていなければ、離れないのだから」。私たちは、たがいを守るために接触を断つ。物理的な距離を保たなくてはならないとしても、人びとは弱者を助ける方法を見つけている。

気候運動家のレナート・レデントール・コンスタンティーノは、フィリピンからの手紙にこう書かれています。「今日、人類が生き延びてきた多くの理由を思い出させるような隣人愛を目の当たりにした。日々、この近辺や他の都市、国々で、勇気あるすばらしい市民活動に出合う。ほんの2〜3人による略奪行為は、絶望、暴力、無関心、傲慢がはびこり、指導者の忠告を聞こうとしない、とされる大勢の頑固な人びとによって抑えられていくのではないかと思う」

感染拡大の連鎖から離れられないとき、これまでのつながり、移動手段、必要な商品の供給方法などを再考しました。対面接触の価値を以前よりもありがたく感じるようになりました。

バルコニーで歌って励まし合ったり、医療従事者に拍手を送ったりしたヨーロッパの人びとや、郊外の住宅街で屋外にでて踊ったり歌をうたったりしたアメリカ人は、これまでとは違う帰属意識を持つようになりました。

私たちは、食糧の生産者、それを食卓に届けてくれる配送者に新たな尊敬の念を抱くようになりました。最大の問題はあくまで外出自粛はつらいけれど、経済活動を再開したり、忙しく飛び回ったりするのは気が進まず、外出を控える状態を続けることになりました。

医薬品や医療機器など、必需品の多くを別の大陸で生産してきた常識は、考え直しました。不安定な調達を強いられるサプライチェーンも、考え直しました。つねづね、新自由主義の時代を特徴づけた民営化の波が「人間の心」の民営化の始まりだと考えていた。

運命を共にするという感覚や社会の絆を弱めたのではないかと。災害の体験を共有したことが、プロセスを逆行させると期待したい。ひとりひとりが全体とつながり、依存しあっているという新たな認識が、気候変動への有意義な行動をうながすかもしれません。

大きな変革は、突然やってくることを学んだのです。「所有と消費で、我々は力を使い果たす」と200年以上前にワーズワースが書いた。皆にいきわたるだけの充分な食糧、衣服、住居、医療、教育があると認める瞬間になるかもしれないそれらを手に入れる権利は、職業や収入によってはならないのだと。

パンデミックは、国民皆保険制度やベーシックインカムの保障に懐疑的だった人びとに対して、その必要性の証明になったかもしれません。災害直後は、意識や優先順位を変える大きな力が働くのです。

 





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親子関係について
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:35
No. 7631
 
 
自分が行うことに関して第三者が反対した場合、それを実行することによって第三者を不快にするのではないかと思われる場合があれば迷い悩んでしまうことがあります。過去の話になりますが、私は長官から感謝状を戴くことになりましたが、生前、父親が「官僚から感謝状など受けるな」と言った事がありました。

その時は、関係各所の方々がノミネートしてくれたのにその期待を裏切りたくないと思う気持ちと親の言う事を聞かなければという思いの、葛藤がありました。基本は、自分の人生に係わることは自分で選ぶという強い信念が必要だと思います。

よくないのは、父親のために、自分の幸せをあきらめ、幸せになれないなどと考えながら生きることです。逆に自分の意思を貫き通して親不孝をしてしまったとしても、自分の意思と責任で選び、その選択が素晴らしかったと思えるように生きることが大切だと思うのです。

時と場合で親孝行の道を選択するのもよし、自分の意思を貫き通す道を選択するのもよし、と考えられれば、少しは楽に選ぶ事が出来るのではないでしょうか。ひとつの判断で、たとえ親不孝をすることになってしまったとしても、それが全てではないと思います。

親孝行の方法はいくらでもあります。日々の接し方や小さな親切の積み重ねが大切だと思うのです。親不幸をしてしまったら、余計に感謝と思いやりの気持ちを出す事が出来ればよいと思うのです。ひとつ親不孝してしまってもたくさんの親孝行をするという気持ち。

親不孝をして一時的に親子関係が悪くなってしまっても、それで終わりではないのですから喧嘩しても自分から仲直り出来るように努力を続ければ、きっといつかは親も分かってくれると思うのですが、とても難しいことかもしれません。

だが、それが出来れば親子関係は修復できるものだと思います。関係を修復しようとする努力続ける人と拒絶し続ける人では、正しさも強さも違うのだと思うのです。親不孝にならないためにも、親のために幸せになれないと不満を抱えたり恨んだり憎んだり嫌ったりしながら親を拒絶することは大きな親不孝だと思います。

逆に、ひとつ親不孝をしても、親に申し訳ないという気持ちで前向きに小さな親孝行をするきっかけになればいいと思うのです。親は子供の幸せを願うものです。いくら親でも未熟な人間です。自分の感情や望みを押し付け世間体で考えてしまうこともあるでしょう。それでも実は我が子の幸せの為にと考えているのです。

自分の信念を通すことで、一時的に親との関係が悪くなってしまうこともあるでしょうが、自分が親孝行をしたいという気持ちを大切にして、親不孝になるようなことをしないというのも人間として大切な選択だと思います。それが自分の幸せにも繋がると思います。

 





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お見舞いの考え
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:34
No. 7630
 
 
胃や胆嚢の手術では、胃管を鼻孔から胃内に挿入されている患者が多いです。このような患者は、不自然な姿でお見舞いの人に会う事はいやではないでしょうか?よほど親しくない限り、お見舞は遠慮した方が良いと思います。

また高熱や、痛みで苦しんでいる病人を見舞う事も避けた方が良いと考えます。長期入院になりそうな時は会社の担当者は上司へ報告する役目があるでしょうが、患者の様子を知るために、電話で何という病名ですかと尋ねる事は非常識でしょう。

外部に本当の病名を知られたくない人があるからです。ただ、ご様子はどうか、お見舞いに行ってもよいですか、それだったら今日、明日でもか、来週くらいのほうがよいかを聞くことが望ましいと思います。

電話などで、先方がお見舞いを受けることを遠慮される時は、花でも見舞いに届けて、病人には会わない事が一番よいと方法ではないかと思うのです。コロナ禍の中では会うことがかなわなかった現状もありました。

 





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日本の戦後の民主主義とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2024/11/01(金) 15:33
No. 7629
 
 
戦後、日本は米国GHQの占領下のもと日本人が長い年月をかけて培ってきた日本人の価値観を否定されました。戦前の日本の価値観が全て正しいとは思いませんが、昔からの日本人固有の価値観をたかが300年しか歴史のない米国に否定されたのは事実です。

敗戦国とはいえ、憲法までGHQの監視下の元に創られました。それまでの日本は民主主義国家とは言いがたい面が多々あったことは否定できませんが、敗戦国となり占領されたことで米国の民主主義を押し付けられてしまったのです。

米国の民主主義は誰でもが平等だから、多くの人たちがいっせいに米国式の民主主義を指示しました。米国には米国の歴史がありその中から培われてきた価値観なのに、敗戦と同時に受け入れてしまったのです。

米国は自由のイメージがありますが、民主主義のもとでの自由には一定のルールがあり、そして自己責任が必ず伴います。日本人はその自由を勘違いしています。日本人の自由にはルールもなければ自己責任もないし、自分勝手が自由とうい言葉になってしまっているのです。

日本は無宗教の国と言われ、多くの日本人は宗教を持ちません。キリスト教、イスラム教など世界中の多くの民族は宗教を持ち、その教えを元に行動します。今の日本人のなかには自分の行動指針とするような教えがないのです。

民族的に共通した教えがないから、自分勝手なことをする人が増えてきているのではないでしょうか。日本には日本固有のすばらしい価値観はあったはずです。一昔前なら武士道です。

武士道が人々の価値観であり日本人に共通した教え、行動指針だったのではないでしょうか。戦後も半世紀以上を過ぎ、日本人は日本固有の共通した価値観を再検証する時期に来ているのではないでしょうか。

 






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