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  海の色合いとは  仲條拓躬2026/02/16(月) 18:21 
  オリンピックで有名になったクオーツ  仲條拓躬2026/02/16(月) 18:12 
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  ネットワーク構想の戦略  仲條拓躬2026/02/05(木) 14:40 
  他国を欺いていいのであろうか  仲條拓躬2026/02/04(水) 20:01 






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海の色合いとは
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/16(月) 18:21
No. 8144
 
 
目に飛び込んでくるのは、海中ではね返った青い光です。白っぽい太陽光には、さまざまな色の光が混ざり合っています。色の違いは光の波長の違いで、波長が短い方から紫、 藍、 青、緑、黄、 橙、赤に見えます。

太陽光が海の中に入ると波長の長い赤などは吸収され、波長の短い藍や青はあまり吸収されません。それが水分子や水中の微粒子などに当たってはね返ると、我々の目に飛び込んで青く見えるのです。

青にも様々な色合いがあるのはなぜかというと青の波長にも幅があるためです。海中に入った光をはね返す物質には様々なものがあります。水分子のほかに、海底の砂や石、プランクトン、浮遊している微粒物質などです。

物質により特定の波長の光が吸収され、吸収されなかった光が反射します。そのため、反射する光も物質によって異なるので違った見え方をするのです。熱帯の海はなぜ美しい青色なのというと透明な海水と白い砂の海底のおかげです。熱帯の海の浅いところは栄養分が少なく植物プランクトンがあまりいないので綺麗な透明です。

その上、サンゴ礁が作った白い砂の浅い海底は、光を均等にはね返すので、その「白」と「青」が混じって美しい色になるのです。 夜の海が暗く見えるのはなぜかというと月の光がとても弱いためです。月の光は太陽に比べてとても弱く、満月でもおよそ37万分の1の明るさです。

弱い懐中電灯で夜の海を照らしても海中が見えないのと同じで、エネルギーの少ない月の光は海の水を透過できないので黒っぽい色にしか見えません。満月に照らされる夜の海。月の弱い光は海に反射してしまい、黒に近い青になります。

 





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オリンピックで有名になったクオーツ
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/16(月) 18:12
No. 8143
 
 
クオーツ時計はクオーツ片を使い、電流を流すと規則正しく振動し、LSIを使用して、正確に時を刻む時計で水晶発振時計と言います。クオーツとは水晶という意味で、反射的に「時計」を想像する人が多いと思います。

この「クオーツ」が日本で初めて登場したのは、東京オリンピック(1964年)の時でした。大会の公式時計に使われ、一躍世界に日本の時計の優秀性をアピールしました。このクオーツを武器に、日本は世界の時計市場に進出し、ついには時計王国スイスを追い抜きましたが、それまでの道のりは長かったのです。

クオーツを開発したのは服部セイコーグループです。しかし、セイコーが初め開発を目指していたのが「音叉式」という、まったく違う技術の開発でしたが、この音叉式時計の特性を持っていたのはアメリカの会社で、商品化の許可がどうにもおりないので、それなら、クオーツを開発しようということになり、苦労の末に完成したのです。

世界初のクオーツ式腕時計は、当時の価格は45円です。庶民にはダイヤの指輪なみの値段でしたが、今では価格もぐっと下がり、その優秀性が全世界に認められ親しまれています。

ちなみに、電池の寿命がくると、クオーツの腕時計は進んだり、遅れたりせず、パタっと止まるそうです。中には寿命がきたら、秒針が2秒おきに動いたりするものも出ているそうです。

 





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大物であった久原房之助の人生
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/16(月) 18:10
No. 8142
 
 
戦前の昭和初期には政治勢力が4つありました。一つは天皇周辺の宮中グループで、これは元老、首相経験者や大臣、侍従長、宮中高官、それに枢蜜顧問官、貴族院議員でもあった華族の大部分が含まれていたと言います。

二つ目は軍部、とくに陸軍で、中堅、小壮軍人が上層部を動かしていました。三つ目は政党で、1928年の第一回普通選挙から、政局に影響があったのは政友会、民政党の二大保守政党で、1940年にすべて解消しました。

四つ目は官僚で、外務、内務、大蔵、商工各省の官僚が、行政の実権を握っていました。このような時代に久原房之助と言う大物がいましたが、毛嫌いされていたので、この四つのいずれにも足場を築けませんでした。

それは田中好義一内閣の退陣の頃から「重臣ブロック」という言葉を口にして、批判の対象としたので、重臣側の反発を買い、久原房之助の批判は昭和天皇の耳にも届いていました。『昭和天皇独白録』には「久原房之助などが『重臣ブロック』という言葉を作り出し田中内閣が倒れたのは重臣達、宮中の陰謀だと触れ歩くに至った」と。

昭和天皇が指しているのは、張作霖爆殺事件のとき田中首相が「犯人は帝国軍で、これを厳罰に処します」と上奏していたのに、のちには一転して「帝国軍人が犯人とは確かめることができませんでした」と上層し、天皇から「前と言う事が違う、辞表を出したらよかろう」と叱責され、内閣総辞職に追い込まれたことにあります。

このほか久原房之助が「日中ソ三国緩衝地帯」設置論で朝鮮を「手渡す」ことに言及したことも、重臣層を刺激したことは間違いなく、久原房之助は危険人物と見られていたのです。久原房之助は阿部、米内内閣で内閣参議に就任していましたが、これに先立つ近衛内閣で参議候補にのぼった際、内大臣の湯浅倉兵が久原房之助の名前に×印をつけました。

首相が元老、重臣の推挙で決まった戦前戦中の昭和で、久原房之助が天下をとる事は不可能だったのです。次に軍部はどうだったかと言うと陸軍の実権は、二・二六事件のあと皇道派を一掃した統制派が握り、東条英機、梅津美治郎、武藤章の系列です。

久原房之助が親しかったのは荒木貞夫や小磯国昭など皇道派の人脈で、二・二六事件に関与したことから陸軍主流からは疎遠でした。二・二六事件後から東条時代が終わるまで軍との関係で時の流れに乗ることは出来ませんでした。

第三に政党は、政友会の幹事長になりましたが、当選回数がモノをいう党内では「鈴木喜三郎・鳩山一郎」の大派閥の壁は大きかった。政友会正統派の総裁は、鳩山一郎派の力を借りて乗っ取ったもので、実力で制圧していたのではありません。

最後に官僚の力はこの時代でもとても強かった。内務・警察官僚は治安の要所を押え、地方には官僚出身の知事が君臨していました。経済官僚は国家総動員法をはじめ統制経済を推進しました。外務官僚は阿部内閣で貿易省の新設を結束して潰しました。

久原房之助の「官歴」は田中内閣の時の逓信大臣の短い期間だけです。息のかかった官僚を育てる時間はなかったのです。こうして久原房之助は時の四大権力に基盤を持たず怪物として異端者として終戦を迎えました。

二・二六事件に関わって空費した2年の歳月はこの激動期に才能を発揮する機会を奪ってしまったのです。だが、終戦を向かえても久原房之助の政治に対する意欲はまだ消えてはいませんでした。占領軍から戦犯容疑者に指定されましたが、病気で拘留は免れました。

容疑は田中義一や荒木貞夫ら「軍国主義者」とされた人物と親しかったこと、二・二六事件に関与したことでしたが、一年足らずで指定が解除され公職追放されました。ようやく政界復帰のチャンスがめぐってきたのは、吉田内閣の1952年の総選挙です。

時すでに82歳。山口二区から無所属で出馬して、佐藤栄作(のち首相)に8000票の差をつけてトップで当選しました。だが衆議院の議席はたった5ヶ月しか続かなかった。翌年3月、吉田内閣は解散を断行し、総選挙で久原房之助は落選しました。

岸信介、佐藤栄作の兄弟がこの山口二区で立候補し、公認されず組織のない久原房之助がはじき出されてしまい政界を永遠に退いてしまったのです。一匹狼では難しい、この事からも助け合いの輪とはとても大切なものだと実感する久原房之助の人生でした。

 





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医学の進歩を千年以上遅らせた理由
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/13(金) 14:42
No. 8141
 
 
世界保健機関(WHO)のロゴマークをご存知ですか? 国連のシンボルの中央に、蛇の巻きついた杖が大きく描かれています。これは「アスクレピオスの杖」と呼ばれ、古くから世界中で広く用いられている医療のシンボルマークです。

アスクレピオスとは、ギリシャ神話に登場する名医です。紀元前五世紀頃の古代ギリシャでは、その神殿「アスクレペイオン」が病人の治療施設になっていました。今人類が享受している医学のルーツは、古代ギリシャにあるのです。

そして、この頃にギリシャで生まれ、今でも「医学の父」と尊ばれるもっとも著名な医師がヒポクラテスです。ヒポクラテスとその弟子たちが著した『ヒポクラテス集典』は、七〇篇を超える資料からなる医学書です。

中でも、医師の心得や守秘義務、倫理観を説いた「ヒポクラテスの誓い」は、医師が学生時代に教科書で勉強し、国家試験にも出題される重要なテーマだといいます。二千年以上前のコンテンツが、いまだに医学教育で用 いられているという事です。

むろんヒポクラテスの偉業は、これだけではありません。当時、多くの人が病気を神がかり的なものと捉え、いわば魔術的な治療を施されていた中で、ヒポクラテスは患者を丁寧に観察することの大切さを説いたのです。

患者の脈拍や呼吸、肌のつや、尿、便など、多くの情報を熱心に記録し、症例集としてまとめたのです。当時の治療は、食事や入浴、運動などの生活習慣の改善や、薬草を用いたものでした。のちの医師たちは、こうした記録を参照して治療に生かすことができました。

ヒポクラテスは、まさに世界最古の医療データベースをつくったのです。ヒポクラテスは、四種類の「体液」のバランスが乱れて病気が起こると考えました。この「体液」を、血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液と呼びました。

人の体はこれらの体液でできていて、それぞれに独自の機能があるとしました。現在は、黄胆汁や黒胆汁といった用語は存在せず、架空の理論であるにすぎません。だが、この「四体液説」は、その後二千年近く正しいと信じられ続けることになります。

例えば、うつ病のかつての呼び名「メランコリア」は、ギリシャ語の黒 (melas) と胆汁(khole) の造語です。黒胆汁が原因の病気だと考えられた名残でしょう。また、「リウマチ(rheumatism)」 は、ギリシャ語の「流れる (rheuma)」が語源です。

体液の流れが停滞することで、関節などの腫れが起こると考えられていた名残です。19世紀頃まで広く行われた瀉血も、四体液説に基づくものです。瀉血とは、血液を抜く治療のことです。余った血液を体外に排出することで体液のバランスが改善し、あらゆる病気がよくなると考えられていたのです。

医療の歴史において、瀉血は長らく人気の治療でした。静脈を刀で切開して流血させたり、ミミズに似た吸血動物であるヒルを体に吸いつかせたりして、患者の血液を除去するといった治療は日常的に行われていました。

19世紀頃になってもなお、医師たちは患者の血を抜くためにヒルを壺の中に備蓄していたほどです。「ヒル」の英語である“leech” には、「医者」という意味もあります。ヒルが医者自体を表す俗称として使われるほど、ヒルによる瀉血は長らく好まれたのです。

ヒポクラテスののち、西洋医学にもっとも大きな影響を与えた人物が、二世紀頃の古代ローマで活躍したクラディウス・ガレノスです。ガレノスは、ヒポクラテスの教えを発展させ、古い文献を収集して膨大な理論を築き上げ、中世では医師の君主ともいわれました。

宗教的な理由で人体解剖が禁止されていた当時、ガレノスは猿や豚などの動物の解剖を繰り返しました。脊髄を様々な部分で切断し神経の支配領域を調べたり、腎臓と膀胱をつなぐ尿管を結んで尿が腎臓でつくられることを示したりなど、様々な知見をまとめました。

また、ガレノスは四体液のバランスを整える上で瀉血をもっとも重視し、加えて薬草治療や下剤、手術など、数々の治療法をまとめ上げました。ガレノスの著作は計500万〜1000万語に上るともいわれ、その学説はキリスト教の教義と結びつき、侵すことのできない理論となったのです。

当然ながら、動物を解剖した経験に基づくガレノスの理論には、様々な誤りが含まれていました。しかし、その大きすぎる権威に誰も異を唱えることはできなかったのです。時にガレノスは医学の進歩を千年以上遅らせたとまでいわれていますが、こうした経緯が理由なのです。

 





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ダーウィンの恐るべき慧眼
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/10(火) 15:02
No. 8140
 
 
キリンの首はなぜ長いのか。かつては、高所の葉を食べるために首が伸びた、と考えられていましたが、進化の過程で懸命に首を伸ばすうち、目的にかなうように少しずつ首が長くなってきたと考える「用不用説」は、現在では誤りとされています。

激しい筋力トレーニングをして筋骨隆々になれば、筋骨隆々の子が生まれるわけではない。美容外科手術を受けて鼻を高くすれば、鼻の高い子が生まれるわけではない。子に伝わるのは、原則としてDNAに書かれた遺伝情報だけです。

だが、こんなふうに説明できるようになったのは、遺伝学が進歩した二十世紀以降のことです。1859年、イギリスの地質学者チャールズ・ダーウィンは、世界で初めて「自然選択説」を提唱しました。

生存競争の結果として、環境にもっとも適応した種が生き残り、適応できなかった種は淘汰される、というものです。つまり、キリンの首は「目的」があって伸びたのではありません。全くの偶然によって生まれた少しだけ首の長いキリンは、他のキリンに比べて生存に有利であったため、より生き残る確率が高かったのです。

首が長いほど、低い位置の葉を他の動物と取り合うリスクが少ない。長い年月を経て、首がより長い遺伝子のほうが保存され、首の短い遺伝子は淘汰されていく。より環境に適応できる特徴が「自然に選択されてきた」のです。

なお「キリンの首」は自然選択を説明する際によく登場しますが、あくまで話を理解しやすくするための一例であり、実際に特定の遺伝子がこのような現象を起こしたことが判明しているわけではありません。

現代に生きる我々は、ダーウィンのこの恐るべき慧眼を、どのように見るだろうか? 途方もなく長い進化の過程を明確に思い描くのは難しい。我々は、長くても100年ほどしか生きられない。その上、次の世代を生み出すのに年単位もの長い年月を要する動物たちを見て、そこに「進化」の営みを感じることなど不可能なのです。

だが、我々の体内には、分単位で次の世代を生み出し、我々の観測可能な範囲で進化を遂げる生物が存在する。例えば、細菌です。大腸菌は約20分で2倍の数になり、2時間で64倍になります。

このペースで増え続ければ、1日では22桁という途方もない数に膨れ上がります。抗菌薬の濫用はさまざまな耐性菌を生み出しましたが、これは抗菌薬から生き延びる「目的」で細菌が進化したのではありません。

偶然の遺伝子の変化によって抗菌薬に耐性を獲得した細菌が、自然選択されたのです。癌についても同じことがいえます。ガンは抗がん剤によって一時的に小さくなりますが、完全に消えてしまうことは少ないです。あるときから抗がん剤は効かなくなり、再び癌は増大に転じます。この時、がんの中では何が起こっているのだろうか?

遺伝子レベルで癌を調べると、驚くべき事実が明らかになります。特定の抗がん剤から逃れるしくみを身につけ、耐性を獲得したがん細胞に置き換わっているのだといいます。偶然生まれた耐性細胞は、抗がん剤によって自然選択され、多数派の座を奪ったのです。

また、その耐性メカニズムは実に多様であり、その狡猾さには背筋が寒くなるほどです。耐性の仕組みを暴き出し、そこをターゲットに抗がん剤を開発すると、再び耐性を持つがん細胞が現れます。近年、がん治療は驚くほど進歩し、抗がん剤のラインナップは数え切れないほど増えましたが、そこには「いたちごっこ」に近い戦いの歴史があるのです。

このように、ミクロの世界を覗き込めば、まさに「自然選択」をありありと観察できます。とてつもない速度で次の世代を生み出す生物は、極めて短い期間に進化の過程をたどるのです。

近年、環境因子が遺伝子に影響を与え、これが次世代に引き継がれる現象が存在することがわかってきています。これを「エピジェネティクス」といいます。限定的ではありますが、生後に獲得した性質は子に伝わらない、とする説明は必ずしも正しくないことがわかっているのです。

 





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はめられて湾岸戦争
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/10(火) 15:01
No. 8139
 
 
イラン革命が起きると、アメリカはイランを攻撃するよう、密かにイラクをけしかけました。イラクの侵攻を止めようとせず、反対を表明しなかったばかりか、非公式にはイラクの行動に対して支持を与えていたのです。イラクは、イラン国内の混乱を絶好のチャンスと見て1980年9月に、イラクはイランに侵攻したのです。

この時、アメリカはイラクにはイランを倒せないと分析し、両国とも消耗するような長期戦こそがアメリカが望んでいた事態であり、サウジアラビアをはじめとする湾岸の産油諸国も、戦争が長期化するのに必要な資金を喜んで提供するつもりでいました。

ここで道徳的な国際政治でない事を指摘しますが、アメリカにはすでに第二次世界大戦中、大量虐殺をした独裁者ヒトラーを倒すために、別の大量殺人を犯した独裁者スターリンと組んだ実績があります。

アメリカはソ連軍を使ってドイツ国防軍を消耗させた上で、初めてノルマンディーに自国の陸軍を上陸させたのです。また1970年代には、ニクソンがソ連を封じ込めるために毛沢東の中国と同盟を結成しています。

このような同盟関係とは奇々怪々なものであり、利害が原則に優越する外交はアメリカのお家芸なのです。さらに言えば、1つの問題を解決することで、次の難問が生じるというのも、アメリカにとっては、いつものことなのです。

対ヒトラー戦で英米と組んだおかげでソ連がすっかり国力を強化し、第二次大戦が終わると超大国へと成り上がっていたことなどは、非常に分かりやすい例でしょう。さて、カーター政権ではイラン攻撃をそそのかされたサダム・フセインだったが、イランを攻撃したからといって、直接得るところは少なかったのです。

フセインが欲していたのは、ペルシア湾岸の覇者となることでした。オスマン・トルコ時代にはイラクの一部であり、後にイギリスによってイラクから切り離されたクウェートを取り戻す重要な戦略目標でした。

フセインは、イランを倒せば、イラクが湾岸最強の国家となることを理解していました。イランを倒した後クウェートを取り戻しても反対しないという暗黙の了解を、アメリカから取り付けていました。

但し、この了解はあまりにも暗黙のうちになされたために、後でアメリカが騙まし討ちしたのです。アメリカはイランVSイラクの、どちらの敵とも見方ともつかない対応を続け、ケイシーCIA長官が中心となったイラン=コントラ事件も、こうした戦略の一環でした。

アメリカはイラクに武器を供給する一方で、ホーク地対空ミサイルとTOW対戦車ミサイルをイランに提供することで、イランの敗北を防止しようとしていたのです。イランVSイラクは10年近く続くこととなり、戦死者の数は何百万人におよんだが、最後にはイラクが勝利します。

正確には、イランよりもイラクの方が消耗の度合いが少なかったので、数ヶ月間平和のうちに過ごした上で、サダム・フセインはかねての約束のクウェートを取り返しに向けて動き出したらまんまとはめられて湾岸戦争となってしまったのです。

 





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2人の天才はどちらが正しいのか
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/09(月) 19:05
No. 8138
 
 
自然はいちばん大事な秘密を光に込めました。我々の恒星である太陽からの光は、地球の全生命の源です。植物は光を食べて糖をつくります。光は宇宙の物差しでもあり、空間と時間に輝く目盛りを刻みます。光が閉じ込められた所はブラックホールです。

暗黒物質や暗黒エネルギーは光を発さないので、その正体の理解が進んでいません。「光を見る」というと宗教的な意味で使うことが多いのですが、光にいちばん執着するのは天文学者です。だが光の探究は、一流の天文学者や物理学者さえも困惑させます。

ニュートンもそうでした。20代のニュートンは1665年から1666年の冬を故郷のウールスソープで過ごしました。英国リンカンシャーの寒村です。彼は寝室にこもり、光と色の物理的性質の解明を試みます。思い詰めて、針で目を突いてみた事もあったという。

このころニュートンは、既に微分積分学という数学の新しい分野の基礎を築いていました。そして一連の実験の結果、色は光の一つの側面であると結論づけました。我々の目に映るものは、どこまでが光の特性で、どこからが神経活動の産物なのか。

色は光の中に隠れているのか、それとも我々の目の中にあるのか。ニュートンはそれを突き止めたかったのです。知りたい欲求が高じるあまり、ニュートンはボドキンと呼ばれる千枚通しを手に取り、左目の下のほうに押し当てました。

光学研究のノートには「眼球に圧力をかける実験」と淡々と記し、図まで添えてあります。この実験は明るい部屋で行なったが、両目をしっかり閉じていたにもかかわらず、まぶたを通して光が入ってきて、大きな「青みがかった円」が見えたといいます。

苦痛の割に大した結果は得られなかったようです。それでも、こうした単純で身近な実験を積み上げた結果、ニュートンは虹の正体を明らかにし、白い光はすべての色の足し合わせでできている事を説明しました。

ニュートンが探究したのは、熟したリンゴが木から落ちたり、窓から光線が差し込んだりといったありふれた現象です。でも、その「当たり前」のことに、まるで4歳児のように「なぜ」「どうやって」という疑問を向けたところが偉大でした。 光の成分は何だろう。

光を限界まで分割したら、そこに何があるのか。影のできかた、雲間から差す光、皆既日食の暗闇を考えると、光は直進することがわかる。ニュートンは、光は粒子の流れだと考えました。コーパスルと彼が呼んだ微粒子が次々と目の網膜に当たることで、我々は光を感知するのです。ところがオランダに、粒子説に真っ向から反論する研究者がいました。

それは誰あろうクリスティアーン・ホイヘンス、土星に環があることを確かめ、最大の衛星タイタンを発見した天文学者です。彼もニュートンと同じで、身近な現象に好奇心と疑問を向ける人物でした。終生うつ病を抱えながらも、好奇心の結果世界を変えることに長けていました。

振り子時計を発明したのもホイヘンスです。正確に時を刻む振り子の振幅を割り出す公式も考案しました。振り子時計はそれから3世紀のあいだ、最も正確な計時装置として世界に君臨しました。

ホイヘンスは「マジック・ランタン」と名づけた新しい装置の原案を残しています。それが映写機として実現するのは数百年後ですが、ホイヘンスは17世紀当時既に映画の概念をもっていました。その「映画」は本人の陰鬱な気質も関係していただろう内容です。

ホイヘンスのペン画には、骸骨がダンスを踊る様子が描かれています。おどけた挨拶のあと、自分の頭蓋骨をはずして山高帽のように腕に抱え込む。そして頭のないまま得意げに胸を張り、また頭を戻してにやりと笑いかけるのです。

ホイヘンスもニュートン同様、数学の新しい領域を開拓しました。ゲームの結果を予測する理論、つまり確率論です。光に関してもホイヘンスは独自の説を打ち立てましたが、それはニュートンと全く異なっていました。

光は一直線に次々と飛んでくる粒子ではなく、あらゆる方向に広がる波だと考えたのです。音が波のように移動することは、当時既に知られていました。扉が少し開いているだけで、向こうの声がよく聞こえるのは、音が水のように回り込んで入ってくるからです。

音叉をたたいて持ち上げ、音を聞きながらその振動を見ていると、音波が四方八方に発散するのが見えるようです。光もこれと同じだとホイヘンスは考えました。ニュートンとホイヘンス、2人の天才はどちらが正しいのか。光は粒子か波か。この問いの答えは一筋縄ではいかないのです。

 





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中国を旅行して気づいた事
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/05(木) 15:04
No. 8137
 
 
中国に滞在して驚いたことですが、中国でまず、気付く事は、中国人は、そこが船内だろうが、列車内、ホテル内、レストランであろうが所かまわずツバを吐く!カーーーーッペ!!っとね。汚ねーよ(`´)

夢の国、上海ディズニーランドも汚いです。アトラクションで並んでいてもずる込みしますし、食べたゴミを平気で投げ捨てています。座っている席まできて、一緒に座ろうとします。日本語を話せる人は1%くらいだといいます。

また、中国人男性の多くは小便のフィニッシュの時、大きく体を上下に揺らしています。そこら中に飛び散っています。大便の方は壁が低くて、隣の人の姿が上から丸見えになっている所が多いです。

顔を洗う時、日本人は顔を固定して手を動かし洗うと思うけど、中国人は手を固定して、顔を動かして洗います、確か、韓国の人がやっているのも見たことがあります。財布を持たない方もよく見ます。ズボンや服のポケットに裸で入れています。そのせいか、ボロボロの紙幣が多いし、破れているのもあります。なんか、昔の日本人みたいです。

 





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ネットワーク構想の戦略
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/05(木) 14:40
No. 8136
 
 
過去の残念なお話になりますが、NTT民営化をめぐって郵政省との間で軋轢があり、郵政省は国家戦略としてネットワーク構想を打ち出すどころか、これを押さえ込んでしまったのです。米国では、日本が光ファイバーによるネット構想を展開したら世界を支配されてしまうと危機感を持った上院議員のゴアがいました。

ゴアは米国が先手を打つべきだと考え、米国の通信業者、コンピューター関係業者を集めて、光ファイバーのネットワークを確立しようとしたが、光ファイバーの生産は日本が中心になっていて日本企業を儲けさせるだけだということがわかったのです。そこで60年代に米国の国防総省の意向で開発された秘密兵器、インターネットを一般に開放しました。

その時にクリントンが大統領候補になり、ゴアを副大統領候補に指名した訳ですが、それまで共和党支持だった通信、コンピューターの関連業者がゴアの周辺に集まり、その事が大統領選挙でクリントンを勝利に導いた大きな要因だと言われています。

ゴアがぶち上げた「情報スーパーハイウェー構想」によってインターネットは急速に世界に普及して、90年代のアメリカはそれと歩調を合わせるようにして景気がどんどん回復していったのです。日本は郵政省とNTTの争いで、光ファイバーのネットワーク構想は進まなかった。まさに戦略ある国家と、戦略なき国家の大きな違いといっていいでしょう。

本来、IT、PC機器の分野で米国よりも日本がはるかに先行していたことは米国の専門家が一番良く知っています。マイクロソフトがウインドウズを世に出した1980年代に当時、東京大学助教授だった坂村健氏の提唱した、トロンOSは何万台ものコンピューターをリアルタイムで動かす超機能分散システムで、世界初の偉業でありました。

これを潰そうと米国はありとあらゆる手をうちました。トロン搭載機を日本国内の学校教育用に採用する事が決まりかけていましたが、これを日本政府の国内産業保護政策で公正な自由貿易に反するとスーパー301条まで持ち出して中止させたのです。

日本がこの分野で先行することは米国の国家戦略が許さなかった。また、ITの核心である、パソコンの心臓部マイクロプロセッサーを押さえているのはインテルなのだから米国が強いのは仕方ないなどと言いますがそのマイクロプセッサー誕生のきっかけを作ったのは日本の技術者でありその高品質の商品化に貢献したのは日本企業でした。

また、アメリカ産牛肉の輸入がブッシュ大統領と小泉首相が直接会って再開されたのも圧力でしょう。どうやらアメリカ軍再編問題と牛肉の輸入再開問題については、ブッシュ大統領と会う前には決着させる考えだったようです。

日本国民の生命を危険にしてまでも、国防や経済を大義名分に変な理屈をつけて、BSE感染牛の判別も出来ないままアメリカ産牛肉の輸入解禁を行うとはどういうことなのだろうか。次々に受け継がれたアメリカ政府の深層にある奴隷のように扱う対日戦略は、日本国が世界に誇る感染牛をシャットアウトするシステムを力で無視したのです。

さらに、米軍が駐留し、経費を日本が負担しています。海兵隊と空母機動部隊の母港などがおかれているのは日本だけです。日本の防衛とは関係ありません。アメリカの世界戦略の前線基地なのです。

日本に仮に戦火がおこるとしたら、アメリカの先制核攻撃戦略によって介入戦争がおこったとき、それが日本に及ぶと言うのがもっとも可能性の高いものです。この火種をなくすことは、日本の恒久平和とアジアの安定にとって大きな役割を果たすと思います。

高市総理の人気によって、裏金問題もないがしろにして、防衛予算が増大していきます。条約では、米軍は日本国を守る義務があるとは記されていないと言います。そうなるとアメリカは国益の為にしか動かない事となりますので、日本国が主権国家である以上、在日米軍は、日本国から見ればイラクのように外国の軍隊が自国を占領している状態でしょう。

だから日本が他国と手を結べる状態ではないのです。米国からすればいくらでも金を出す日本国を手放しません。アメリカ軍再編は、世界のパワーバランスを乱す可能性もあります。そのような事を鑑みると日米安全保障体制という日本国唯一の生命線を冷静に見定めながら、土台は確りとした免振構造で独自の防衛戦略を練る必要があると思うのです。

 





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他国を欺いていいのであろうか
   投稿者: 仲條拓躬    
2026/02/04(水) 20:01
No. 8135
 
 
イラク攻撃では日本は国連安保理非常任理事国への多数派工作を行っていました。日仏首脳電話会談でシラク大統領からこの点を指摘した事が分かっています。日本がODAでの多額の援助を武器に、イラク攻撃に対して態度を表明していない安保理非常任理事国に米英に同調するようにと圧力をかけていたのです。

圧力をかけることはアメリカから依頼されたものでしょう。当時の小泉首相は、フランスのシラク大統領からの指摘には対して、やってないと嘘をついていたのです。安全保障理事会は、常任理事国5カ国を含む15カ国で結成され、国連の安全保障に関しての議決権を持つ唯一の機関です。

常任理事国5カ国すべての賛成と非常任理事国10カ国の4カ国以上の賛成によってのみ議決されることになっています。しかし、湾岸戦争のように可決されずともアメリカは攻撃します。そうなってしまうと、安保理の決議は、意味がないのですけどね。

大切な議決を計る機関の安保理理事国を脅迫して、多数派工作を行うことはあってはならないことです。恐らく日本のODAの援助額を考えれば、理事国に発言力はあるでしょう。日本の援助先の多くはアメリカの軍事拠点のある国なので、実際にお金が必要な国にはあまり援助していないのです。しかし、小泉首相は、国民に対して何の説明もしません。

国民の上に立つ民主主義政権である以上、説明の責任があるはずです。無辜のイラク国民が大勢亡くなったのです。フランスのシラク大統領は再び小泉首相に電話をかけて、米国のイラク攻撃をなんとか思いとどませるため、小泉首相に相談したのです。

シラク大統領は、あらゆる情報を説明して対イラク攻撃に反対する自らの信念を語り、これに対し小泉首相はただ一言、「サダム・フセインが悪い、大量破壊兵器は破棄されねばならない」と、米国の子分のように官僚が書いたとおりの言葉を繰り返すだけでした。

この話を聞いて国のトップの器量の違いを見せつけられ日本国を恥ずかしいと感じさせる責任は重大と思います。この二人の電話の内容が、政治家の器量の相違を浮かび上がらせたのです。結局米国は世界各国へ嘘を言いイラクに侵攻した事が暴露されました。

米国の高官が、文書が偽造だと知りながら放置したのです。自国に対する信頼が崩れても構わないと思っていたのでしょうか?アメリカの政権中枢にはどんなことをしてでも戦争に持ち込むと考える人がいて、偽造の証拠を使って世界を納得させ、開戦への作戦を考えたようです。

当時、イラクに対する経済制裁がイラクの一般市民を無用に苦しめているとして制裁解除を求める声がアラブ諸国やヨーロッパで高まりました。こうした動きに対応するための嘘の情報を流し、イラクが大量破壊兵器を持っていると世界に思わせようとしたのです。それに追随している小泉首相は国民に謝らないのでしょうか。その事について国民も無関心なのが残念です。

 






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