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KGB出身の切れ者、ロシアのプーチン大統領はさすがに賢明で、テロの被害に遭わないためにはその思想を消すのではなく共存する得策をとっています。ウラジーミル・プーチンは、ソビエト連邦共和国時代にレニングラードの大都市サンクトペテルブルグ市に生まれ育ちました。
1975年にレニングラード大学の法学部国際関係学科を卒業して、KGB(ソ連国家保安委員会)に入りました。KGBは、国内では秘密警察、国外ではスパイ活動を行う諜報機関です。プーチン大統領は、最初はレニングラード市の反体制活動家の監視活動などを担当していました。
その後1985年〜1990年まで、東ドイツに派遣されて1989年末にベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツの統合により、サンクトペテルブルグに戻り市長の国際問題の顧問団のひとりとして、成功を収めて1994年にサンクト市の副市長に抜擢されました。
その後プーチンは、1996年にエリツィン大統領に気に入られてモスクワに異動して、エリツィン大統領の側近として、ロシア連邦政府の高官を歴任したのです。1999年に首相となり、その年の暮れに行われた議会選挙で、プーチン政党を擁立して最有力のエリツィンの後継者となり、大晦日に大統領職をプーチンに譲ったのです。
プーチン大統領の側近にはKGB出身者が多いといいます。スパイの出身ですから、人物の過去や経歴、日々の行動や人脈などを調べ、盗聴して脅迫して密告者に仕立てることなども、部下に命じているといいます。プーチン大統領は、反抗的な地方の州知事の汚職を摘発して、辞任させているのです。
プーチン大統領が一番、力を入れたのは経済の建て直しでした。ロシアからドイツへの直結ガスパイプラインが2010年に開通するほか、シベリアから中国への石油パイプラインが稼働しています。同じルートで天然ガスを売り込む構想が日本や韓国にも、対象となっています。
過去にプーチン大統領が訪日したのも、主な目的はロシアのエネルギー産業が石油やガスの売り込む事だったのです。現在のロシアは、経済と政治をプーチン大統領という秘密警察出身のマフィアが一人で握っているような独裁国家です。だがロシアの世論は、プーチン大統領を、強く支持しています。
それは、エリツィン時代は、ロシア政府を私物化して混乱させるばかりだったのに対して、プーチン大統領はロシアを再び世界の強国にするという国家理念を持って独裁政治をやっているからです。ロシアの多く人は、強かったソビエト連邦共和国を崩壊させたゴルバチョフより、自国が米国対等の強い国に戻ることを望んでいるのです。
廃止になっていたソビエト連邦共和国時代の国歌や紋章などを復活させる政策を採用して、多くのロシア国民に支持されています。プーチン大統領は2004年の大統領選挙で71%の得票で再選され圧勝してから現在まで支持され続けているのです。
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