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2020年までに、伝統的な政党に対する信頼が失われていたことは、西側社会ではほとんど普遍的な現象でした。そして、選挙の番狂わせは予測できたのですが、それらの番狂わせはさまざまな形をとりました。
2017年のフランス大統領選挙では、左右の既成政党の候補者が、極左と極右の候補者にはるかに遅れをとっていたため、アン・マルシェ 運動を組織してから、たった一年しか経っていない中道派のマクロンが、中道を駆け抜けることができました。しかし、その翌年、彼は「黄色いベスト運動」の反乱に直面することになります。
一方、ドイツでは同じ年に行なわれた選挙でCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)を合わせた得票率が50パーセントに達しなかった。大連立政権の発足に手間取り、その後、両党の支持率が低下するにつれて、ますます政権は不安定になっていきました。
ドイツの二つの主要政党は、現職の党首が選挙で負けて辞任したため、すでに三人目の党首が誕生しています。アメリカでは、2016年に政治的背景も経験もないポピュリストのトランプが共和党の大統領候補として選出され、彼の気まぐれな発言のもとに、党の上層部と投票基盤の多くをまとめあげました。
イタリアでは、2018年に初のオール・ポピュリスト政権として不安定な政権が誕生しました。イデオロギーや哲学をほとんど持たない二つの抗議政党による連立政権で、当然のことながら翌年には崩壊し、同じように不安定な政権と交代しました。
EU離脱(ブレグジット)を問う2016年の国民投票の結果は、それまでのイギリスの政治システムを覆しました。そして、2019年12月の総選挙で労働党は50以上の議席を保守党に奪われ、そのほとんどが、ストークやドン・バレーのような伝統的に労働党が強かった労働者階級の地域でした。
しかし、これらの出来事は、もっと長期的なトレンドが顕在化したものでしょう。この一世紀の間、ヨーロッパの政治は、資本主義社会主義かというイデオロギーで定義され、投票行動は主に 社会階級によって決まっていました。
しかし、「資本主義者」や「社会主義者」という用語の意味も、そして左派と右派という対立の軸も、次第にはっきりしないものになっていきました。これらの用語は、政治的立場やグループを表す 「進歩派」、「活動家」、「ポピュリスト」のような新しい用語にとって代わられました。
グリーンピースからブレグジット党まで、またマーメイドからペギーダまで、単一争点の圧力団体が力を増す一方、伝統的な政党の党員数は急速に減少していきました。そして、社会階級を投票行動に結びつけていた歴史的なつながりは完全に切断されました。
アメリカの政治は、これまで大きな支持を得た社会主義の政党や運動がまったくなかったという点で異なっています。バーニー・サンダースとアレクサンドリア・オカシオ=コルテスが社会主義者と自称しているとしても、それは政治的な用語がどれほど変化したかを示すものに過ぎないでしょう。
その社会主義は、クレメント・アトリーやフランソワ・オランド〔第24代フランス大統領。任期2012〜2017年〕の社会主義ではなく、ましてやマルクスやレーニンの社会主義ではない。著者の一人が1968年に書いた「なぜヨーロッパの政治はアメリカよりもはるかにイデオロギー的なのか」というエッセイを思い出しています。
それは、このトピックがエッセイのテーマとして意味を持つ、ほとんど最後の瞬間でした。2020年にはこの逆が正しいように見えるかもしれませんが、アメリカの政治はイデオロギー的というよりも「部族的 (tribal)」というほうが正確でしょう。ジョー・バイデンはイデオロギーの人ではないし、ドナルド・トランプも同様です。
「左派」と「右派」という用語が政治の世界で使われるようになるのは、1789年にフランス国民議会で反国王派が議長の左側に座り、王党派が右側に座ってからのことです。この用語が政党を表すために使われ始めたのは、フランス第三共和政〔1870〜1940年〕の時期です。当時のグループは、中道右派、中道左派、極左などと呼ばれていた。
選挙権が拡大するにつれ、左翼政党への支持が高まり、1930年代になると左右の分裂によってヨーロッパは二極化し、最も破壊的な戦争につながったのです。1945年当時、社会主義はヨーロッパの労働者階級の間では高く評価される一方、アメリカでは社会主義を支持する者はごくわずかでした。
戦前のルーズベルトの大胆な政策がアメリカの資本主義を救ったのに対し、ヨーロッパの各国政府はナショナリズムと経済的保守主義という破滅的な組み合わせに撤退していたのです。そして、1945年以降、ヨーロッパの有権者は何か違うものを求めました。
共産主義のもとで、ロシアはドイツに対して軍事的に勝利し、東ヨーロッパのほとんどは1989年までソビエトの支配下にとどまりました。ロシアは1953年に水素爆弾の実験を行ない、1957年にはスプートニク〔世界初の人工衛星〕を宇宙に打ち上げました。その後20年間、共産主義の経済的・技術的成果の評価は誇張されたままだったのです。
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