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コタンBBS

違星北斗研究会
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 無題  [返信] [引用]
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教員用のアイヌ民族の歴史の教科書ガイド。すっごく勉強になるんだけど、違星北斗(載ってる!)のところは、ツッコミどころ満載なんだよねえ。

https://t.co/75wf9rvpVt

なんか、違星北斗が戦前の「北海道アイヌ協会」を作ったみたいに書いてあるんだけど……ちょっと飛躍しすぎ。吉田菊太郎らとの「アイヌ一貫同志会」が、戦前の「北海道アイヌ協会」(実質、そのようなものはなかったともいわれているけれども、仮にあったとしても)の前身の一つにすぎないし。


 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:40 [645]

 
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いや、でもこんなに自信満々に教科書に「違星北斗、吉田菊太郎たちが仲間を集めてアイヌ協会を作った」と書いてあるのはなぜだろう……それを裏付ける文書でも出てきたのかな!? 1931年、北斗、死んどるよね?
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:41 [646] [引用]

 
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「東京で事務員をしている時に、民族の復興を思い…」と書いてあるが、もちろん違う。民族の復興のために、東京に就職し、さまざまな学者文化人の知識を吸収して北海道に戻ったのだ。あと、北斗の生年月日ね。戸籍上は1902年1月、実際は1901年12月だけど、ここでは新説1903年説が登場。
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:42 [647] [引用]

 
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あと、誤解を招きそうなのが「『コタン』を1927年に発刊」。実際はガリ版刷り同人誌『コタン』を1927年に発行(北斗の作品だけでなく、他の人の作品も掲載)、1930年に遺稿集『コタン』を発刊で、今言う『コタン』、北斗の著作としての『コタン』は1930年版。

いや、いい本だと思いますよ。でも、違星北斗がまるで「ヒーロー」になっちゃうじゃないですか。こうやって「歴史」って作られていくんですねえ。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:44 [648] [引用]

 
『アイヌ一貫同志会』自体が、実在したか確証に乏しく、藤本英夫の文章に伝聞としてでてくるだけで、他には見当たらない。当時の文章なり手紙なりには一切出てこない団体名なんだよね。
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:45 [649] [引用]





 アイヌの物語アニメ  [返信] [引用]
先程、「アイヌのお話アニメ」に辿り着きにくいと書いたのですが、キーワードがよくなかったようで、「アイヌのお話 アニメ」で検索するとうまく行きました。
でも、やっぱりラインナップが見られるちゃんとした公式ポータルサイト欲しいですよね。

くもの女神 - ヤオシケプ カムイ - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/IXBy9TZOgQk

オキクルミの妹 - オキクルミ コッ トゥレシ - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/bhsQGeWktiU

アイヌのお話アニメ オルシペ スウォプ 「レホッネ シンタ(60のゆりかご)」 https://youtu.be/25X8OosDCZk

小さなアワの穂 - ノカン ムンチロ プシ - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/xewQ5MkF_lA

「ポイヤウンペ(サコイェ)」アイヌのお話アニメ オルシペ スウォプ https://youtu.be/EjFYrsYHcfE

サマイクルのイム - コンル カ タ - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/TGwkOIv-0X0

うさぎがはねた(アイヌ語音声+日本語字幕) https://youtu.be/8RQ5Rprpw9U

パナンペとペナンペ トドのシラミ - エタシペ コムイ - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/FKTaBUtuWxY

空の上の雪かき(アイヌ語音声+日本語字幕) https://youtu.be/GHHyQfFQK1U

空き家の化け物 - オハチスイェ - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/eeFrBqd5Pn4

この木たおれろ(アイヌ語音声+日本語字幕)https://youtu.be/FG2naTkjSHI

口輪を鳴らして - オタコチャンチャン - アイヌ語音声日本語字幕 https://youtu.be/svAr1R22owA?list=PLZxG9Trb0LOH3Dbj_2BH_rcKbUHDgieZw

赤ん坊の知らせ アイヌ語(オリジナル)音声 日本語字幕 https://youtu.be/7H7nF9W2R8g

この砂赤い赤い アイヌ語音声 日本語字幕 https://youtu.be/hPZicP4VDFk

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:30 [641]

 
これは別の「しらおいポロトコタン アイヌ民族博物館」のページだけど、こういうページがあれば……。
http://www.ainu-museum.or.jp/takar/book/

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:30 [642] [引用]

 
素晴らしいまとめが。

「アイヌのお話アニメ」解説
https://togetter.com/li/504157

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:32 [643] [引用]





 『アイヌの伝説 其情話』  [返信] [引用]
余市の郷土史家で北斗の友人の鍛治照三が『あけゆく後方羊蹄』に引用した違星北斗の手によるものとしていた童話「林檎の花の精」「ローソク岩と兜岩」が、大正13年の青木純二『アイヌの伝説 其情話』に掲載されているのだ。

これは、一体!?
これらは北斗の手によるものではないのか?どっちが先だ?


 
管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:07 [633]

 
大正13年なら、北斗は茶話誌に書いていた可能性もある。また、余市の伝説だから、北斗やほかの余市アイヌが青木純二に語った可能性もある。

逆に北斗が青木の文を茶話誌か何かに引用し、それを鍛治が、北斗のものとして引用した可能性もあるかも。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:04 [639] [引用]

 
北斗の評伝を書くには、当然余市コタンの歴史や伝承も相手にせねばならないのだけれど、実際はそこが難関だったりする。
北斗の祖先は鯱神を怒らせてオタルナイから余市に来たという伝承なのだが。
やはり小樽余市の伝説を調べねばならないのは必須なのであった。
シトナイ問題は北斗とも関連するのだ。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:06 [640] [引用]





 ヤエ姉様  [返信] [引用]
「違星北斗はバチラー八重子のことを「ヤヱ姉様」と呼んで慕っていた」的言説はおそらく半分は正しい。慕ってはいたが、八重子は北斗にとってはむしろ母くらいの年齢なんだよね。自分はこの「姉様」呼びはクリスチャンの敬称〇〇兄、〇〇姉の由来だと思うんだが、どうだろう。

(2018年8月23日 twitter)

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 19:57 [638]





 今日のシリパ岬  [返信] [引用]
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今日のシリパ岬


(2018年7月17日 twitter)

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 19:54 [637]





 ヘイトする創作者  [返信] [引用]
創作者をめざしてるのにヘイトに染まっている人は
「自分の作品を楽しみに手にとってくれた人を逆に傷つけ悲しませ、手にとったのを後悔させるような表現をするべきではない」
ということの折り合いをどうつけるつもりなのかな。憎悪振りまきながら多くの人に愛されたいって、矛盾してるでしょうに。

(2018年4月17日 twitter)

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 19:43 [636]





 北斗のポテンシャル  [返信] [引用]
研究者としての違星北斗、実は凄いポテンシャルだったと思う。あのまま研究を続けてれば…。猛反論して北斗を萎えさせた先生は罪深いよ。「祖父に聞いた」「兄はこう言う」「我が家の伝承では」「隣のM家の伝承」「川向かいのコタンでは」アイヌである北斗ならではの地に足がついた根の生えた研究。

あ、北斗とフゴッペ大論争をした某先生のことを悪くいうつもりはなくて、実は、昭和30年代に、違星北斗の資料の収集と顕彰をした、北斗を現代に残した方の子孫が、その論争相手の方と浅からぬ関係があったりもして……。不思議な縁があるものです。

(2018/6/2 twitter)

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 19:41 [635]





 コタンとの出会い  [返信] [引用]
私が違星北斗と出会ったのはいつだったか。書店で95年版『コタン』を手にして、「アイヌの姿」を読んだ時に、涙が出てしかたがなかった。

たしか、札幌の書店だったと思う。
でも、それが何年のことかがわからない。95年版だから95年以降なんだろうけど……。

98年頃にはゼミの参考資料として北斗の短歌を出していて、
20001年頃には、北斗の短歌をデータベース化を始めているから、その間だなあ。

 
管理人  ++.. 2018/11/28(水) 08:25 [634]





 無題  [返信] [引用]
北斗と親交があったらしい詩人・秋田雨雀のことをもっと調べないといけないと思っていて、青森の記念館にも行きたい。

とはいえ、群馬の後藤静香記念館にも行けてないのだ…。

http://kuroishi.or.jp/sightseeing/akita

 
管理人  ++.. 2018/11/11(日) 19:22 [628]

 
上野の国際子ども図書館の「『赤い鳥』創刊100年―誌面を彩った作品と作家たち」展
http://www.kodomo.go.jp/event/exhibition/tenji2018-03.html
を見てから、秋田雨雀のことを考えている。
筆まめな人で、多くの文化人の登場する詳細な日記を残している。北斗とは面識があり、北斗ことも書いてあるかも知れないと、雨雀の日記を購入する。

管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:04 [632] [引用]





 無題  [返信] [引用]
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秋田雨雀日記 大正14年12月13日「夕方アイヌ人の選里(千里)君がきたので、夜まで話した。やはり大和民族にたいする怒りを持っているようだ」
この「選里」は「違星」の読み間違いではないかと。(編者は「千里」としていて、知里真志保に比定しようとしているのかも知れないが、真志保はまだ室蘭中学の学生)

 
管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:01 [629]

 
秋田雨雀日記には北斗の知人もたくさん登場する。金田一京助、柳田国男、そして、街頭マンドリン詩人永井叔。
秋田雨雀は「アイヌの滅亡」「悲しみのオキクルミ」という戯曲を書いている。(北斗に出会う前の大正13年)


管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:02 [630] [引用]

 
秋田雨雀日記、秋田雨雀記念館に行けば、手書きのもの見れるのかな。
それにしても、手書きの原稿(特に本人が校正できない遺稿)を編集者や印刷工が活字にするときに間違いが生じることがいかに多いことか。


管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:03 [631] [引用]








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