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コタンBBS

違星北斗研究会
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 『伊波普猷全集』  [返信] [引用]
『伊波普猷全集』 第十巻に、北斗の記述あり。

『奄美大島民族誌』「跋」

 奄美大島を訪れたことのある人は、其の住民(中略)を見て、アイヌを聯想したであらう。
(中略)
 一昨年の秋頃であつたか、アイヌ学会のあつた時、(中略)晩餐の時、私の向ひに眼のへこんだ毛深い青年が坐つてゐたのを見て、大島の人とばかり思つてゐたところが、あとでこの青年が違星[北斗]といふアイヌであると聞いて吃驚した。そして其の演説を聴くに及んで、其の発音や語調が大島の人のそれにそつくりだつたので、二度吃驚した。私がまのあたりアイヌを見て、其の話を聞いたのは、此が初めてだつた。違星君には其の後も屡〃会つて、其の発音や語調を観察したが、彼がアイヌの部落中で、最も日本化した余市のアイヌで、しかもその母語を全く話すことが出来ないと聞いたので、其の発音や語調は、ことによると、近所にゐる和人の影響を受けたものか、さもなければ、彼の個人的の特徴ではないかと思つて、他のアイヌのそれを聞く機会を待つてゐた。昨年の秋、アイヌ向井山雄を歓迎する為に、アイヌ学会が開かれた時、私は半ば好奇心に駆られて、出席して見た。向井氏は胆振の有珠の酋長の子で、バッチラー師の下で働いてゐる宗教家であるが、その顔附が大島の上流社会の紳士そつくりだつた。しかも其の発音や語調が、違星君のより一層大島的であるのを聴いて、面白いと思つた。これは恐らく今日まで何人も気づかなかつたことであらう。かくもかけ離れた所に居る両民族の間に、かくも著しい類似の存するのは、たゞ不思議といふの外はない。これは果して偶然の一致だらうか。(後略)

 これは、内容的には「目覚めつつあるアイヌ種族」と一致しますね。
http://www.geocities.jp/bzy14554/mezame.htm

 ただ、伊波普猷と北斗が初めて出会ったアイヌ学会は3月19日、「一昨年の秋頃」というのは間違いではないかと思います。
 その次に書いてある、向井山雄の出たアイヌ学会のことは、金田一から北斗への手紙(昭和2年4月26日)にも書いてあります。
 向井山雄は大暴れしてしまいます。
 http://www.geocities.jp/bzy14554/tegamikindaichi.htm

 
管理人  ++.. 2013/02/09(土) 20:11 [570]





 希望社の刊行物  [返信] [引用]
ヤフオクで入手した後藤静香の希望社の雑誌、「希望」。

これも含めて、希望社関係の雑誌がだいぶ揃ったのですが、残念ながら、北斗に関する記述はほとんどないんです。

備忘のために、所有メモ。

雑誌
【希望】 
 メイン雑誌。初期は「女子教育」を全面に出し、男子には「修養団」を進めているが、事業内容の拡大により、のちに代表雑誌に。
 
大正11年6〜7月 (10x18縦長、80P程度)
大正12年6〜11月 (同)
大正13年1〜5月 (同)
大正14年1〜4、8〜12 (B6サイズ、80P) 
大正15年なし
昭和2年2〜7、9〜11月
昭和3年4月〜10、12月
昭和4年1〜9月
昭和5年1〜4月

 北斗関係の記述なし。
 北斗が在京中の大正15年と、「コタン」発行直後の昭和5年後半がごっそり抜けていますので、
 もしかしたらそのあたりに何か記述があるのかも。

【のぞみ】 縦長リーフレットサイズの小冊子、後ににちにA5判ぐらいに。
 修養雑誌。ためになる話、ローマ字記事など。

大正12年8〜11月 (10x18縦長、80P程度)
大正13年1〜12月 (同)
大正14年3〜12月 (同)
大正15年2〜7、9、11月 (同)
昭和2年1、5〜8月(B6サイズ、80P)
昭和3年1〜7、9、11月
昭和4年1〜12月
昭和5年3月

 北斗関係の記述なし。

【泉の花】(B6サイズ) 希望を継承か?

昭和5年4〜5月

【大道】A5版。泉の花を継承か?

 昭和5年6〜12月

 ※8月号に後藤静香の「コタンに泣く」が掲載。

 希望社の雑誌は、どうも、ややこしいのですが、
 こういうことみたいです。

 まず、「希望」が女子教員雑誌としてスタート、また、おなじくらいの頃、「のぞみ」も修養雑誌としてスタート。
 で、「希望」が老若男女含めた雑誌となり、「誌友」もぐんぐん増える。

 ところが、いろいろ社会事業に手をだし、また「希望館」という本社の工事などもはじめ、金回りが悪くなる。

 そこで、迷走がはじまります。
 昭和4年3月には、いきなり、
  ・「のぞみ」の中に「泉の花」を含む。
  ・「希望」の中に「のぞみ」「泉の花」を含む。
 つまり、「希望」と別に「のぞみ」「泉の花」を定期購読している人間には、同じ内容を含む雑誌が別々で送られるという事態に。
 「人にオススメください」という前提なのかもしれませんが‥‥いかんでしょう。
 まあ、後藤さん、お困りだったのでしょう。

 さらに、昭和5年には6月に「泉の花」が「大道」に。
 もっというと、装丁デザインが同じなので、4月に「のぞみ」が「泉の花」に改名したばかりだったのかもしれません。
 その後はどうなったかよくわかりませんが、読者の混乱はすごいものだったでしょう。
 翌年6月には、希望社の後藤静香が新聞に告発されてしまいます。


 
管理人  ++.. 2013/02/09(土) 14:16 [569]





 北斗忌  [返信] [引用]
今年の1月26日は、ツイッターで北斗忌特集として、中断していた昭和2年夏から、昭和4年の正月までのヒストリーを一日かけてやりました。

あんまり突っ込めなかったですが、とりあえず、
時間ができたら、まとめてみたいと思います。

今後、北斗の生涯をまとめる際の、ひな形にはなるかな、と思いますので。

それから‥‥小樽文学館の「違星北斗と口語短歌」展が終わりましたね。
私は残念ながら、見に行けませんでしたが‥‥。

北斗の企画展が行われるということは、すごいことだと思います! 巡回とか常設化とかしていただけると、嬉しいですが‥‥。

小樽文学館様、お疲れ様でございました!

 
管理人  ++.. 2013/02/03(日) 02:36 [568]








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