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コタンBBS

違星北斗研究会
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 メモ  [返信] [引用]
「よいち」S29 10-11 第5巻 26号
「北斗歌碑にご賛同を希う」

よいち
 「藻入情話 トシカの恋」
 アイヌの伝説(?)

 ロミオとジュリエットのように、余市川の左岸・右岸の恋人がシリパで死ぬ話

改造 T14年 「悲しみのオキクルミ」

 
管理人  ++.. 2019/03/21(木) 13:27 [672]





 徳太郎の両親  [返信] [引用]
中里徳太郎の父親・母親の名前は「林家文書」でも欠落しており、わからなかったが、荒井源次郎遺稿に
「明治10年(1877年)9月、父イタク・エアシカイ、母スネコロの長男として生まれる」とある。
佐藤氏調べの「系図」では伯太郎とあり、金田一の「あいぬの話」では徳蔵とされているがどちらかは不明。

 
管理人  ++.. 2019/03/01(金) 13:28 [669]

 
脇乙名 イタキサン 57歳(1803年ごろ生)
長男 ?
次男 ?
三男 コエタ 改 鯉太郎 1845年ごろ生まれ
四男 ホンコエタ 改 猪之松(助?) 1852年ごろ生まれ→東京留学をして、市川姓へ。
妹 ヲヘレケ 改 とみ 1855年ごろ生まれ。

この?の子(イタキサン孫)として
イタク・エアシカイ(伯太郎?徳蔵)?
甚作(→違星家)1862年生まれ
宗市
甚三


このうち、長男か次男が「イタク・エアシカイ」だろうか。

名前は「能弁」の意味かな。


管理人  ++.. 2019/03/01(金) 13:42 [670] [引用]

 
イタキサン(1803年ごろ生)

↓→(長男)名前不明(1820年〜30年代ごろ生?)
↓→(次男)名前不明(1820年〜30年代ごろ生?)
↓ ※長男か次男のどちらかの息子
↓  ↓
↓  ↓→→(継子)イタク・エアシカイ(1850年代ごろ?)
↓  ↓   (伯太郎(佐藤利雄説)/徳蔵(金田一京助説)
↓  ↓     ↓
↓  ↓     ↓→→(イタク・エアシカイ長男)
↓  ↓         徳太郎(1877年生)
↓  ↓           ↓
↓  ↓              →篤治
↓  ↓      
↓  ↓→→(次男?)
↓  ↓   甚作(セネツクル)1862年生
↓  ↓
↓  ↓→→弟
↓  ↓→→弟
↓   →→妹
↓  
↓→(イタキサン三男)
↓    鯉太郎(コエタ)1845年ごろ生

↓→(イタキサン四男)
↓    猪之助(ホンコエタ)1852年ごろ生
↓   東京「留学」、市村姓を名乗る

 →(イタキサン娘) 
      とみ(ヲヘレケ)1855年ごろ生


管理人  ++.. 2019/03/07(木) 13:16 [671] [引用]





 イコンリキ  [返信] [引用]
8ページめ、余市上場所では初鰊や初鮭が上がるとら和人とアイヌの合同の祭りをし、違星北斗の曾祖父イコンリキらがイナホ(イナウ)を作りカムイノミをしていたという資料。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/38286/1/3_17-26.pdf

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:44 [667]

 
イコンリキは違星北斗の祖父・万次郎の父。
北斗の曽祖父。
脇乙人なので、幕末の「林家文書」に結構名前がでてくる。
カムイノミしたり、和人へのツグナイで連帯責任で刀の鍔を供出したり。
名の通ったアイヌだったのだろう。
養家イソヲク家(後の違星家)に婿入りした万次郎はイコンリキの名残りを家紋と家名に残した。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:45 [668] [引用]








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