中里徳太郎の父親・母親の名前は「林家文書」でも欠落しており、わからなかったが、荒井源次郎遺稿に 「明治10年(1877年)9月、父イタク・エアシカイ、母スネコロの長男として生まれる」とある。 佐藤氏調べの「系図」では伯太郎とあり、金田一の「あいぬの話」では徳蔵とされているがどちらかは不明。
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管理人 ++.. 2019/03/01(金) 13:28 [669] |
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脇乙名 イタキサン 57歳(1803年ごろ生) 長男 ? 次男 ? 三男 コエタ 改 鯉太郎 1845年ごろ生まれ 四男 ホンコエタ 改 猪之松(助?) 1852年ごろ生まれ→東京留学をして、市川姓へ。 妹 ヲヘレケ 改 とみ 1855年ごろ生まれ。
この?の子(イタキサン孫)として イタク・エアシカイ(伯太郎?徳蔵)? 甚作(→違星家)1862年生まれ 宗市 甚三 妹
このうち、長男か次男が「イタク・エアシカイ」だろうか。
名前は「能弁」の意味かな。
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管理人 ++.. 2019/03/01(金) 13:42 [670]
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イタキサン(1803年ごろ生) ↓ ↓→(長男)名前不明(1820年〜30年代ごろ生?) ↓→(次男)名前不明(1820年〜30年代ごろ生?) ↓ ※長男か次男のどちらかの息子 ↓ ↓ ↓ ↓→→(継子)イタク・エアシカイ(1850年代ごろ?) ↓ ↓ (伯太郎(佐藤利雄説)/徳蔵(金田一京助説) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓→→(イタク・エアシカイ長男) ↓ ↓ 徳太郎(1877年生) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ →篤治 ↓ ↓ ↓ ↓→→(次男?) ↓ ↓ 甚作(セネツクル)1862年生 ↓ ↓ ↓ ↓→→弟 ↓ ↓→→弟 ↓ →→妹 ↓ ↓→(イタキサン三男) ↓ 鯉太郎(コエタ)1845年ごろ生 ↓ ↓→(イタキサン四男) ↓ 猪之助(ホンコエタ)1852年ごろ生 ↓ 東京「留学」、市村姓を名乗る ↓ →(イタキサン娘) とみ(ヲヘレケ)1855年ごろ生
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管理人 ++.. 2019/03/07(木) 13:16 [671]
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