おしゃべり広場
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常駐スタッフ   管理人  ルネ
非常駐スタッフ 錦糸夫人 喜美子様

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9月夏祭  ..ルネ     
 
  10日月曜日に昼の部、いってまいりました。

まずは鳥居前の口から。
咲甫大夫さんが力みのない意外な好演を聴かせてくれました。
また、寛太郎くんがひとりで弾くのをはじめて聴きました。将来が楽しみなよい音。
失礼ながらあまり期待していなかった初っぱなから、さわやかな演奏でした。

が、そのあと睡魔が……。
千歳さんは楽しみにしていたのでがんばったのですが、うつらうつら……。

三婦内でしっかり目がさめました。
どんなに眠くても住師匠のときは起きていられる。
この段は人形も充実しているし。
毎回思うのですが、お辰さん、いい女です。
女にだらしのない磯之丞なんかよりよっぽどオトコ前です!

そして長町裏は圧巻でした。
語りの伊達大夫さんも人形の玉也さんも、団七をいびる義平次がそれはそれは楽しそうで。
そして勘十郎さんの遣う人形のなんと大きなこと。
残念だったのは、綱大夫さん。
団七がひらきなおるここいちばんのときは、もう少し迫力のある声がほしかったです。
大きくなくてもいいのですが、ハリのある、腹に落ちた声というのでしょうか。
それだけが残念ですが、とても見応えのある楽しい段でした。

..2007/09/13(木) 12:17  No.978




腹ごしらえ  ..喜美子     
 
  大阪公演中は住大夫師匠も、自家製おむすびを持参なさるのですよ。

舞台の二時間前に、炭水化物を取るのが良いと、楽屋では伝説のように語られているそうです。
入門したての下積み時代、師匠方は店屋物の天丼なんぞを取り寄せて召し上がるのを、羨ましく傍で見ていたもんだと錦糸はいいます。
素うどんくらいしか頂けぬ懐事情。また、贅沢を咎める周囲の眼も光っていた。「勉強して、早う偉うなりや」の教えだったかと気づくのも後年のこと。いつも、ひもじい僕らに下足番の小母ちゃんがお餅を焼いて食べさせてくれたもんだ、と錦糸が懐かしそうに話すのを聞いたことがあります。

睡蓮さん、ポストカードお眼にとめてくださりありがとうございます。
知人のアイディアが実現の運びに。一観客の意見が採用されて、傍ながら嬉しい限りです。
大阪の劇場の制作ですから、東京のロビーにはないと思います。
もし東京で御覧になったとすれば、それは私が少しばかり東京に持参した分かな?
文楽劇場の観客係りにお問い合わせになるとよろしいかと思います。
曽根崎心中のカードですものね。
訴求力あり、と思います。
よろしく御喧伝くださいませ。
..2007/09/13(木) 10:58  No.977




四季の味とポストカード  ..睡蓮     
 
  「四季の味」は知り合いのコックさんが編集の方と懇意にされているので時折読ませていただいていましたが、今回は未見でした。こんな素敵なページがあったとは…!大夫さんも三味線弾きさんもおむすびを召し上がる、語感や風情以上に、まるで試合前日にマラソンランナーが炭水化物をたっぷり摂るように、1回1回の舞台が持久力勝負のまさに「闘い」なんやなあとその現実にも感動しました。

それと、ポストカード!素晴らしいアイデアだと思います!がさっといただいて文楽未体験の友人にどばっと配りたいです〜。劇場に行けばいただけるのでしょうか…?
..2007/09/12(水) 12:55  No.976




おむすびネタ  ..ぴ     
 
  あれは何時だったでしょうか…文字久さんが交通事故でお怪我なさって休演中だったときのことです。
前日に東京公演を満喫し,翌日三越をブラブラしていると,何と目の前におむすびを買うてはる住師匠が!
思わずお声をおかけすると「いや〜えらいところ,見られましたな〜」と照れていらっしゃいました。
芸風やインタビュー等で,人間味たっぷりな方だと想像していたのですが,実際お会いするとお話しぶりが品がよくて柔らかくて,流石”国宝”の風格を感じさせられました。
ちなみに具は,おかかと梅。夜の舞台に備えてお腹に堪えない物を選ぶ健康管理も国宝です。
でも国宝がおむすび買っていらっしゃる姿ってちょっと面白いでしょ。
..2007/09/09(日) 07:22  No.975




四季の味  ..七味唐辛子     
 
  毎号、取り寄せている「四季の味」が本日届き、中になんと文楽の写真があるではありませんか!!

錦糸さんが、楽屋で召し上がられるというおむすびが、取材されていました。
おむすびの写真は丸々1ページ、もう1ページの半分は住大夫さんとの舞台写真、なかなか格調高い、いい雰囲気です。

文章も錦糸さんのお人柄が出ていて、私の好きな「四季の味」に出られて、なんだか一緒にお食事を愉しんでいる感じです。
巻末にはおむすびの内容の説明もありました。今度、大阪の文楽劇場のお芝居見物の節には黒門市場や、空堀商店街というところも歩いてみたいと思います。

9月公演も今日が初日ですね。
今月も参ります。もう一味違った音色と、私の耳は反応するかもしれません。

四季の味、秋号、ニューサイエンス社の発行です。
..2007/09/08(土) 14:11  No.974




連レスで失礼します…  ..祐仙     
 
  ツツドリ様からのご指摘に先のレスではお答えできていませんでしたので,追記させていただきます。

>>そこには大きな条件の違いもあるように思われます。
>ここ、不明慮です。
思われます、とお上品に濁さないで、具体的に、ビシッとお気持ち述べて下さい。
条件の違い、時代が違えば、当然なので何を仰りたいのか想像できません。

宇宙の歴史でたった1回しかあり得ないライヴに,何かの因果のある人たちと一緒に居合わせて,一緒に感動できることが大きな幸せであって,また最高の贅沢なのだと小生は思っています。
だから,観客も上演にいくらか参加しているようなものなのです。
その観客と上演者との距離感は作品の上演のあり方を変えます。
芝居小屋のような近い距離では,演奏の厳密さよりも親近感がモノを言いますから,多少のテクスト(原典)からの逸脱も許容されるでしょう。
芝居なら時にアドリヴが入りますよね。
山城・清六の沼津はテンポが速く荒削りな印象を与えますが,ドライヴ感があって,聴いている方も乗せられていくような感じで進んで行きます。
推進力を感じさせる語りは,その思い切ったテンポの速さによるところが大きいと思います。

他方,劇場では自ずと語りや楽器のテンポが落ちます。
じっくり聴かせる演奏をしなければ,広い空間で音が回り,細部が聴き取りにくくなって不明瞭な演奏になってしまうからです。
住大夫の語りは,語る文章が長い以上に上演時間が長いと思います。
面白いので退屈しませんが,随分ゆっくり語っています。
ゆっくり語るには息が長くなければならず,腹式呼吸の徹底が必要ですので,体力の維持が大変でしょう。
また,「間」が変わりますから,清六の語るような三味線の弾き方とは異なり,錦糸の三味線はより繊細な音を出して,ひとつひとつの音のニュアンスを変えて丁寧に弾いています。
小生は三味線を弾けないので詳しくわかりませんが,立ち上がりの柔らかい音を出すには,棹を押さえる左手の指が微妙にスライドしながら勘所へ動くように,ポルタメントをきかさなければならないのではないでしょうか。
そういう三味線の表現や,ゆっくりした語り口は,芝居小屋で間延びしてしまいます。
しかし,劇場ではよく響きます。

芝居小屋では,唾が飛んでくるような語りが迫力があってよいのでしょうが,劇場では子音のひとつひとつが明瞭に発音されなければ何を語っているのか聴こえてきません。
三味線においては,アーティキュレーションを細かくすることで,語りのシラブルと同様な表現を試みることになると思います。
また,音のないところにもしっかり意味を持たせます。
三味線の音が減衰していく様を聴かせたり,音が減衰する間にリュートのように装飾音を入れたりするでしょう。
あるいは,次の音が出るまでの間を延ばすことで緊張感を生みます。(「雨だれ」はその典型です。)

大夫の語りの特徴を,むしろ相三味線の方がよく示しているかもしれません。

さらに,劇場の大きな舞台では人形の動く距離も長くなり,動くのに時間がかかりますので,その分,語りにおいては,同じフレーズを語るのに時間をかけなければならないでしょう。
もちろん,間延びさせてはいけませんから,時間をかけてひとつの音(おん)を発する分だけ,細かい発音や音の運びが要求されることになると思います。
江戸時代の初演は,今の文楽劇場での上演よりももっとテンポが速かったのではないでしょうか?
タイム・マシンでもあれば検証したい気分ですね。

なお,小生は音楽を趣味としていますが,仕事上は自然科学畑の人間ですので,科学的根拠を示すことができない場合にしばしば「思われる」という表現をつい使います。
修辞上の癖ですので,「思われる」は「そうだと言いたい」ぐらいの意味合いでお読みください。
..2007/09/03(月) 00:45  No.973




字数制限があってたくさん書けませんが  ..祐仙     
 
  ツツドリ様,レス有難うございます。
小生はたまたま40歳を過ぎた社会人ですが,小生としては,ツツドリ様が年下であっても年上であっても関係ありません。
対等な議論ができると思って投稿していますので。
論点において考え方やイデオロギーの相違があることは別として,ツツドリ様の聴き込みの鋭さに感銘いたしますし,小生には理解が追いついていない作品の深いご理解にもとづく世界をも感じますので,貴殿には素直に敬意を表したく存じます。
だからこそ,小生なりに別な意見を持つところは主張させていただくわけです。
議論は,相手の意見と自分の意見を対立させることがあっても,相手の人格を汚すものではないと考えております。
小生は,文楽を頭ごなしに否定する人の話に聞く耳は持ちませんが,文楽を語ることができる人の意見は,たとえ自分の意見と異なっていても,興味深く傾聴します。
民主主義的な考え方で,いろいろな意見があるから面白い,いろいろな感じ方があるから面白い,という点をツツドリ様も感じて理解していらっしゃると思いますので,こちらは自論を気楽に書いています。


> 私が去る、と言う前にバシバシ叩いて欲しかったです。

残念ながら,このHPに立ち入ったきっかけが,妻である「ぴ」の書き込みでして,ごく最近のことでした。
何も去らなくても,お時間の許す時に立ち寄っていらっしゃったらよろしいのでは?


> 私は沼津一つの演目を引き合いに大夫比較した記憶はありません。

沼津は,同じ演目でも優劣を比較するのではなくて,それぞれの芸風や味が楽しめるという1例として,小生が勝手に説明上,例示したのであって,沼津の比較をなさった方に反論するという名目で書き込んだものではありません。


> うまさっていうのは、技量の余裕から生まれるのです。
> もし例示されたい音源があれば、まず具体的に明示下さい。
> 聴く機会があれば聴きます。

ご指摘の通り,うまさは技量に余裕がなければ,偶然の賜物はともかく,再現性を持って認められるものではないでしょう。
また,音程が定まらないような乱気流や,芸の精進が感じられないような単調で語り分けのない演奏は,応援はできるとしても満足を得られるとは思えません。
今年7月7日の素浄瑠璃の会では,英大夫に「大当たり」という声がかかっていましたが,残念ながら,小生は出だしの語りで全力を尽くさず(声量を意図的に下げているのに発音が不明瞭でした),終盤に向けてセーブしていた点を聴き逃しませんでしたので,「一段(語り通せるだけの持久力をまだ)もってないね」と妻の「ぴ」に言っていました。
誤解のないように記しますが,小生は英大夫を応援したいとは思っていますし,この日の芸が万全でなかったとしても,今後に大いに期待はしております。
しかし「大当たり」の掛け声が安売りされたことには不満を抱きました。
そういう掛け声がさらに優れた芸を作るわけではないと思いましたから。
もっとも,上記はあくまでも1人の観客の辛口批評に過ぎませんが。
一方,住大夫の酒屋は,最初の発声から会場の隅々までしみわたり,一段語り終えるまでペースが落ちることはなく,危なげなく芸を楽しむことができました。
このマラソン完走を思わせる持久力に支えられた語りの芸の,迷いのない独自の世界を築く表現力は感動モノで,やはり国宝の貫禄と言うべきでしょう。

さて,例示できる音源(音源が残されているか不明ではあります)ですが,もちろん小生の主観が多分に入ります。
最近の公演で特に印象に残ったものを列記します。
あくまでもご参考までということで,押し売りはいたしません。

1)平成12年9月東京本公演「山科閑居」十九大夫・清治
→NHKで全段放映されました。わが家では,八段目の道行以外,すべてDVDに落としています。(道行は米大統領選挙に関する臨時ニュースの影響で,タイマー設定と番組放映がずれていて切れてしまっていたため,悔しいのですが残りませんでした。)クライマックスの竹で雨戸を落とすところに向けて盛り上がり,堂々たる声量で由良之介が本蔵をこれでもかと説得するところは特に圧倒されました。
2)平成13年1月大阪本公演「土佐将監閑居(ども又)」住大夫・錦糸
→又平のどもるところを哀愁をもって表現し,吃音が治って「ラリルレロ…」と言うところの,恐る恐る言ったり早口で言ったりする間合いが,その前の平成8年7月本公演だったかで語られたときよりも更に洗練されていたと思います。
3)平成14年7月大阪本公演「天満屋」住大夫・錦糸
→しっとりと語る語り口で,どのくだりがよかったというのではなく,全体として総論的に感動しました。(大局的な見方もアリだと思いますが,こういう書き方は言語的具体性がなくてNGでしょうか?)
4)平成17年9月東京本公演「寺子屋」住大夫・錦糸
→松王の苦悩を語る見事な語りを象徴していたのは,特に松王の咳だったと思います。よだれくりで笑わせてもらいますが,語り分けの多い段で,それぞれの登場人物を見ていなくても聴いていれば目に浮かぶ語りでした。
→2)〜4)の音源が残されているのかは存じません。

ただし,ライヴでは臨場感で圧倒されるため,ライヴで感動しても,録音で後から聴いたときにはアラが見えることもあると思います。
レコーディングは所詮,特殊な人工産物です。
臨場感を欠き,ライヴに勝るとは思えません。
文楽の上演に限らず,舞台芸術に不可欠な要素として,観客,(舞台以外の)上演空間,(時間的な)間というものがあります。
これらはテキスト(原典)に書かれることがありえませんが,芸の構成要素になっているはずです。
..2007/09/02(日) 23:53  No.972




管理人より  ..ルネ     
 
  昨日より、ほとんど内容のない数行のコメントがいくつか書かれました。
すべて同じリモートホストからの書き込みであるため、悪戯と判断して削除しました。
対策として、しばらくのあいだ、みなさまのコメントにおいて、ホストの一部が表示されるよう変更いたしました。
ご承知おきくださいませ。
..2007/09/02(日) 19:31  No.971




無題  ..     
 
  喜美子様
内子座でのエピソードにまつわるお話…良いですね〜。芝居小屋って日々慌しくしている現代人にとっていい空間ですね。益々行きたい願望”が強くなりました。

私は「楽しいな〜,(鑑賞できて)うれしいな〜,むむっ素晴らしい!」なんて鑑賞しています。

でも音を発信していく側にまわると,どうしたらあのチンの音がでるのか,左手と右手のタイミングか,音締めの違いか,などと研究すべきところは沢山あります。
折角,国宝級を目の当たりにしているのですからもっと勉強しなくてはならないのですが,芸の素晴らしさ,舞台セットの見事さ故どうしても”舞台”という大きなの器の中での観客の一人と化しています。

万人が愉しめる文楽(どんな愉しみ方でも自分が心地良かったらそれでいいと私は思います)あの時に祐仙にお願いしてよかったと思っています。
これからも益々のご活躍お祈り致します。
飛行機飛べば(笑)また伺います(東京のチケットはなかなか取れないので,飛行機で大阪です)
..2007/09/02(日) 08:34  No.970




無題  ..ミセス・シャーロキアン     
 
  愛子さま、

私はまだ文楽経験ほんの2,3年の初心者ですが
良い公演を拝見してくると
自分の感激を語らずにはいられずに
ほかに場所もなくここでつたない思いのたけを書き付けておりますが
皆さま暖かく迎えてくださっていると思います。

是非ご一緒に楽しいおしゃべりを!


つつどりさま、

正直なところつつどりさまの厳密な鑑賞は
私には常に難しすぎて
半分も理解していないとは思いますが
文楽を漫然と聴いて楽しむものと考えていた私には
つつどりさまのように
一音一音を大事に聴かれる姿勢は
とても勉強になりました。
有難うございました。

..2007/09/02(日) 00:22  No.969





  




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