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  出産報告・24週死産、8週流産後の出産

[5] かな台風

Name: かな台風
Date: 2005/10/05(水) 15:51
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Title: 出産報告・24週死産、8週流産後の出産    
現在、1490gの極低出生体重児の未熟児で生まれた1歳の長男がいます。2000年に、死産(24週)と流産(8週)を経験しました。結婚して四年、初めての妊娠でした。近くということで選んだ病院は、内診がありませんでした。母に「内診がない病院もあるよ。」と言われ、そんなものだと軽く思っていたし、まさか自分が死産を経験するなんて思ってもみなかったので、内診がないということをあまり深く考えていませんでした。何度目かの健診の日の朝、「あと一日で25週に入るね。」と、主人と話したのを覚えています。耳に張り付いて消えない、先生の「あれー?赤ちゃん死んでるねー。心臓弱かったかな?家族に誰かいる?弱い人。」と、冗談を言うように聞こえる明るい声。「胎動止まったのに気づかなかったの!?母親だったら気づかないと!」初めての妊娠で、胎動が止まるなんて頭になかった私には、かなりショックな言葉でした。最後に我が子(女の子でも男の子でも)<蒼依>の姿をエコーのモニターで見ました。お腹の底に沈んで動かなくなっていた愛しい愛しい蒼依の姿は、今でも忘れることが出来ません。

その後のことはショックのあまり、あまりよくは覚えていませんが、「旦那さんにエコーを見て心臓が止まっているのを確認してもらうから、また今度、都合の良い時に来てください。」と言われ、放心状態のまま病院を出て携帯から母に電話をし、たまたま家にいた弟に迎えに来てもらいました。手術をしないといけないなんて話は何もされずに帰されたので、母が病院に連絡して確認したところ、そんなに言うんだったら明日来てくださいと言われ、翌日家族も含めてやっと、詳しい(?)説明がありました。家族はすぐにでも手術をして蒼依をこの世界に出すものと考えていたのですが、先生の言葉は「学会に行くから暇がない。」とのことでした。母が強く頼んで、子宮口を開く器具を入れるのは翌々日の午前中に行うことに決まりました。親子三人最後の夜、主人は何も話さないまま先に寝てしまい、一人眠れない私は、悲しくて、悲しくて、不安でたまりませんでした。

翌日、どこからかちぎって来たような、手のひらに乗る小さな白いのメモ紙に、『手術に同意します』と一言書かされ、家族が帰ってから「学会の準備があるから。」と、急に子宮口へ器具を入れる時間が早まり、午前三時頃、薄暗い寒い寒い手術室で行われたのを覚えています。寒くて震える中、痛がると「痛いはずない!」と、怒られました。陣痛を起こし、出産は予定通り午後から行われました。処置台に乗せられた私に、「僕はお昼食べてくるから、出てきそうになったら電話で呼んで。」と言った先生、「もう、出てきそうなんですけど!」と言うと、「そんなはずない!」と、信じてもらえませんでしたが、看護師さんが慌てて先生を呼び止めた瞬間、蒼依は生まれました。とても小さい赤ちゃんの感触を、今でも体で覚えています。愛しい愛しい我が子です。

それから一月後に仕事にも復帰し、やっと落ち着いた頃、子供が欲しくてたまらない、蒼依にお腹に戻って来て欲しいと強く願っていた頃、再び妊娠しました。同じ年の、十一月でした。調べに調べて評判の良い病院を選び、とても優しい先生にめぐり合えました。初めての健診で、袋は見えるけれど、赤ちゃんが見当たらない。早すぎるのかもしれないから、念のために、一週間後にまた検査してみましょうとのことでした。それからの一週間は、眠れない日々と激しい恐怖心との戦いでした。<ハル>と名づけて呼んでいた赤ちゃんの姿はすでになく、調べた結果、稽留流産でした。私は全身麻酔で見れませんでしたが、主人と母には、小さい小さい赤ちゃんが入っていた袋も見せてくれたそうです。原因は不明とのこと。どちらの時も、痛みも出血もありませんでした(私が気づかなかっただけかも?)。あと一回、流産をしたら、遺伝子レベルまで詳しく調べましょうと言ってもらえて、病院選びの大事さを思い知らされました。そのすぐ後に主人に浮気され、心身ともに、私はぼろぼろだったと思います。

それから三年、基礎体温計りも一旦止め、気晴らしに旅行をし、このまま四年目に突入したら不妊検査を受けようかと考えていた矢先の妊娠でした。一年間辞めて休んでいた仕事にも復活し、やっと落ち着いた頃でした。女性の上司と二人きりの職場で、「食事しないで帰れば時給稼げるよ。」と、妊娠している事は伝えてあったのですが、お昼ご飯も食べさせてもらえませんでした。倉庫に行く振りなどをしながら、こっそり作ってきた小さなおにぎり等を食べていました。そんな中、子供の命が一番大切!と、上司に直接退職の意思をを伝えるために乗っていた通勤電車の中で出血が始まりました。主人が会社を早退し、泣きながら車で迎えに来てくれました。それからは、子宮筋腫が5〜6個見つかり、そのうちの一つはヘンチョウをきたして、その痛みは予想以上のものだったりしましたが、何とか痛み止めだけは飲まずに頑張りました。胎盤が筋腫のそばにあって、早期胎盤剥離の恐れもあったので、薬で出血を止めながらの安静生活でした。無事に育ってくれるか不安な毎日でしたが、天国の蒼依とハルが守ってくれていると信じ、なんとか乗り越えることが出来ました。

出血している時が一番危ないから、出血が落ち着いてから来なさいと言われたり、すぐに来なさいと言われたり、先生によってバラバラなのが怖かったです。そんなこんなで入退院を繰り返し、最後は四十日間入院し、原因不明の発育遅延だった小さい(末っ子だけど)長男を、昨年四月に緊急帝王切開手術で出産することが出来ました。36週でした。息子は生まれてすぐ、大学病院に救急車で搬送され、翌日、感染症で高熱を出し、生死の境を彷徨っていたのですが、約三週間で退院しました。股関節脱臼の恐れがあり、そのまま大学病院の整形外科に通ったりもしました。現在は、激しい夜泣きを体験する毎日です。

天国に兄弟がいる事、蒼依とハルと一緒にいれた日々が素晴らしかった事、そして、この子に合った教え方で、少しずつ、自分やまわりの人の命の大切さ、重さをわかっていってもらいたいです。私は、天国の蒼依&ハル&(末っ子だけど)長男の、三人のママです。
個人的には、誰かに何か言われて落ち込んだり、喜んだり、その感情自体はあまり変わっていなくても、受け止め方や、考え方は、死産や流産を経験してから変わってきたと思います。子供たちに、四年経った今も現在進行形で成長させてもらって、一緒に成長している、そう思っています。このHPと出会えて、皆さんの経験や気持ちに触れられて、随分気持ちが安らぎました。天国にいる我が子が、そう導いてくれた気もします。人生という一度きりの貴重な時間の中で、優しくて厳しい、そしてなによりも素晴らしい天使たちの母親になれたことを誇りに生きて行きたいです!



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