Title: 妊娠報告・23週死産後の妊娠
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2004年11月16日に、23週6日目の初産の女の子を死産しました。もう既に胎動があり、毎日お腹をなでながら話し掛けていました。絶対に女の子だという根拠のない確信があり、名前(灯:あかり)も決めていました。 2 3週3日目の検診の日「母子共に順調」といわれ帰宅し、次の日(土曜日)の朝、胎動を感じたきり動かないような気がしました。次の日(日曜日)一日、様子を見ました。しかし、胎動がありません。月曜になって、朝一で病院へ電話をして受診。一時間ほど待たされて、やっとエコーで見てもらった時には赤ちゃんの心臓は動いていませんでした。「まさか」なんで私が…」「うそでしょ」「きっと夢を見てるんだ」頭の中が真っ白になりました。すぐに入院して、亡くなった赤ちゃんを出さないと母体も危なくなると言われ主人に連絡を取り帰宅してもらい、入院準備の為一人自宅へ戻りました。出産準備のための荷物を既に用意していた為、そのバッグを持って出ればいいだけでした。そして、入院した翌日、亡くなった赤ちゃんを分娩しました。やはり女の子でした。口元が主人に良く似ていました。今まで生きて来た中で一番辛い出来事でした。退院日に火葬し、主人の家の墓に納骨しました。仏壇に子供用の小さな位牌を作ってもらい、毎日手を合わせています。
その頃、小さい時からとっても可愛がってくれた祖母が末期癌で入院していました。以前、お見舞いに行った時「お前の子供見るまでは絶対に死なないから」と言ってくれたのに…。見せてあげられないまま、赤ちゃん死んでしまった。12月11日に祖母も息を引き取りました。92歳でした。しばらくして、祖母が入っていた棺の中に敷いてあった白い折柄の布と同じ白い着物を来た祖母が、赤ちゃんを抱いている夢を見ました。あぁ、一緒に天国にいるんだなぁと思ったら安心しました。
それから、生理が再開。病院での不育症の検査の結果は陰性。問題ないとのこと。ただ、子宮筋腫があり大きくなってきていることと年齢を考えて、一日でも早く妊娠をと言われました。精神的に落ち着いてからと思い、しばらく家でゆっくりしていました。春には、接骨院で看護婦のパートも始めました。6月に大好きな沖縄旅行へ行って来ました。現地の友達にも会いました。帰ってきてから次の子を作るつもりでいました。
3ヶ月前から基礎体温をつけ、排卵日検査薬も用意し、子宝草を育て、葉酸・マカ・高麗人参を飲み、毎日大豆製品を食し、子宝風水を実行し、寝室には木村さんの絵を飾りました。そして、排卵日と思われる日の前後10日間、一日おきに頑張りました。その結果、今回、妊娠することが出来ました。まだ4週4日目に受診した時は、早すぎて心拍確認できませんでした。5日後に再検診です。丁度、6週と3日目なので大丈夫だと思います。 また、同じように急に死産してしまったら…と思うと不安で一杯です。正直、素直に喜べずにいます。産まれるまでは安心なんて出来ません。
昨日から、灯ちゃんの新盆です。主人と一緒にお墓に迎えに行きました。灯篭も盆棚も飾りました。でも、灯ちゃんのお墓参りの帰りに、たまたま深川不動尊でおみくじを引いたら大吉で、それに見合った石が入っているのですが、私の場合はカーネリアンが入っていました。勝運招来・意欲向上・生きる希望を与え行動力を起こさせるという赤い石でした。あぁ、頑張らないといけないって思いました。きっと灯ちゃんも応援してくれてるんだと思いました。
今度こそ必ず元気な赤ちゃんを、無事、出産して見せます。たまたまだとは思いますが、出産予定日が灯ちゃんと一日違いです。また、夢なのですが、小さな女の子が私の足元にしがみ付いていて急にすーっと透明になって私のお腹の中へ入ってしまったのです。夢なんですけどね。なんか、不思議な感じです。生まれ変わりではないでしょうけど、次も女の子だったらびっくりです。多分、男の子のような気がするのですが、元気な子が無事産まれるならどちらでも良いです。大歓迎です。
死産直後、辛くて辛くて仕方ない時に、ここでお世話になりました。本当に救われました。ありがとうございました。ここで子宝草を分けていただき、大切に育てています。子株が沢山付いたのと、妊娠したのとで、私も皆に子宝草をお分けする事にしました。同じような想いをした方へ、少しでも希望を分けてあげられたらと思っています。 (掲載日:2005/8/11)
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