Title: 出産報告・妊娠19週、22週死産後の出産
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結婚してすぐに初めての子を妊娠。最初は『子宮外妊娠の疑い』もあり、入院したり、切迫流産で自宅安静・毎日ホルモン注射に通院。それを乗り越えやっと5ヵ月!安定期になれば多少無理しても大丈夫だと思っていた。しばらく休んでいた仕事にも戻り、赤ちゃんが無事に産まれることを信じて疑うことも知らなかった・・・
そしていつもの昼休み、腹痛を感じ”便秘のせいかな?”とトイレへ。。しばらくすると妙にスッキリした感覚が・・・と、下を見ると股の間から黄色っぽい風船のようなものが出てきていた。ものすごく驚き焦っていると”ぱんっ”と音がして水が出てきてしまった。この時、妊娠に対して無知だった私には何が起きたのか??理解できず、パニック状態のまま病院へ電話、車の後部座席に横になり、同僚に病院まで送ってもらった。
医師から伝えられたのは私は"子宮頸管無力症"という病気で、お腹の子供は助けられない、という事実。翌日促進剤を使ってお腹の子供を外に出す、という・・・。全く理解できないままに処置は進み、分娩台で死んだ子を生んだ。妊娠19週・280グラムの男の子。
その一年後、二度目の妊娠。今度は施設の整った病院を紹介してもらい、早い段階で縫合手術を受けることになった。手術の前日から入院し、翌日の手術に備え処置をしてもらう。念のため内診してもらった時、想像していなかったことが・・なんと、私の子宮口はすでに開きかかっており、胎胞が突出していた。このままでは手術をするのは危険だと、そのまま絶対安静の入院生活が始まった。
一度突出した胎胞が引っ込む場合もあるという。そうなることを願いながら、2週間程が経過。それでも状態は変化せず、それどころかこのままでは、どんどん感染してしまい近い内に破水する、と告げられた。助けるには突出した胎胞をバルーンで押し上げ手術で子宮頸管を縫うしかない。ただこの状態での成功確率は50%くらいだという・・・。主人と話合い、とても悩んだ結果 このまま入院していても助からないのなら、手術に架けてみよう!と決めた。結果、手術は成功『これで無事に産める』ど信じていた。なのに、翌日の内診の時、手術で縫ったのに、また胎胞が出てきていた。また手術前と同じベッドで寝たきりの生活が始まった・・・・
それからまた2週間程が経過。私の体調は日に日に悪くなり、熱も出始め、バルーン(道尿)が痛くて我慢できないほどになっていた。そして翌朝、破水。医師たちは何とか助けようと考えてくれたが、羊水がどんどん出てきてしまい、もうどうしようも無い状態になってしまい諦めるしかなかった。。自然に陣痛がくるのを待ち、翌日死産。妊娠22週 480グラムの女の子。
この後、私たち夫婦は子供の話をしなくなり、なんとなくお互いに避けていたような?そんな感じだったと思う。でも今は1人娘がいます。2度の死産後、二年程してから三度目の妊娠。今度は14週から入院・手術〜出産まで24時間点滴をしたままの安静入院。入院していた半年間にも”もう出てくるの?”と思った時も数え切れないほどあり、不安だらけでしたが・・・。
無力症の治療には縫縮術と安静、と本には書いてありますが、重度の場合、本当に大変な病気です。何か良い治療法がみつかることを祈ります・・・。 (掲載日:2005/2/15)
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