組織内の特定の誰か一人を貶めることで、組織の多数がうまく結託することは世の摂理でしょうか?
投稿者: 会社員
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2014/02/04(火) 02:40 No. 58 |
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はじめまして。 私には高校の頃から付き合いのある同僚Aがいます。 この同僚Aはなんといいますか、立ち回りが上手いと言ったらいいのかわかりませんが、自分が不利な状況に決してならないようにするのが上手いといいますか・・・・ 具体的には ・同調しているような、仲間が居ない人と同調している仲間が比較的居る人を嗅ぎ分けて、どっちにつけばいいかを瞬時に見極めて行動する ・仲間の居ない人に対するミスは大げさに騒ぎたて、自身がしたミスや不正は必死に隠そうとする。 ・そもそも失敗は少ない。なぜなら誰しも失敗しやすい仕事、失敗が付き物のような仕事は仲間の居ない人にぶん投げる。 ・自分が言いたいことを他人に言わせる。自分が悪口を言ったら評判が悪くなるので、貶めたい人は他人に叩かせるように誘導する。 そのためには平気で嘘をつく (A「○○があんなこと言ってたらしいよ」というような嘘)
このようなことで、ここまで同僚Aを悪いように書きましたが 上司にはかなりウケが良いです。 逆に、彼にターゲットにされた数々の新人はどんなに頑張っても仲間が出来ず、仕事で評価されず、辞めていった人間も居ました。
でもこれまでの人生を振り返ってみて思うのです いじめられっ子のような、いわばクラス内のはけ口が一人ぐらいは居たもので、その子が居ることでクラス内が円滑に物事が運んでたようなことは、今思えばあったと思うんです。
つまりAのしてることは世の摂理に忠実で正しいことなんでしょうか?私には彼のしてることがあまり良いことだと思えないのですが、私の考えを改めて彼を見習うべきでしょうか? 管理人さんのご意見をぜひお聞かせ願いたいです。
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投稿者: 管理人 ..2014/02/12(水) 19:55 No.64 |
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こちらこそ、はじめまして管理人です まずはじめに確認しておきたいことがあります それは、「正しいこと」と「事実ということ」の違いをはっきりさせて置かなくてはならないと思います 分かりやすいように、誇張した書き方になってしまいますが、事実は「たんに、そのようなことがあった」という客観的なことです(世の中のことを、どこまで客観的にみることができるかとうかということが大問題なのですが) 事実には正しいも、間違っているもないと思います 事実は正しいこともあるでしょうが、どちらかというと正しくないことの方が多いように思われます 事実そのものには、正しいも、正しくないも、間違っているも、間違っていないもないのです それともうひとつ、「正しい」とはどんなことを指して言う言葉なのでしょうか 自然科学なら正しいとか、間違っているとかは比較的容易に判断できますが、人間社会に起こることの多くは簡単に正しいとか、間違っていると言えることが少ないと思います 事実をどのように捕らえるかは、人によって、組織によって、社会によって、時代によって(価値観によって)まったく違うからです 私が「正しい」という言葉を使う意味は、そのことが生きることを楽しく、あるいは生き甲斐を感じ取ることであれば、「それは正しい」と言えると思います 小難しいことを書きましたが、このことを頭に叩き込んでおくことは大切なことでしょう そのことを理解した上で、おたずねの問題に答えることが必要だと思います この続きは、後日書かせてもらいます 日本語が変になってしまいましたが
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投稿者: 管理人 ..2014/02/15(土) 12:51 No.66 |
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管理人です いつの世にも要領のいい人間はいるものです そのような人は、いざというときのために必ず自分の逃げ道は用意しておくものです 自分のミスは隠し、隠し通すことができなければ他人のせいにしたり、自分の見方を増やして自分を正当化しようとするのです いやな仕事は他人にやらせ、自分は成績の上がるような仕事しかしないのです そのような人が上司の受けがいいのは、この世の中では当然のことですね いいとか悪いとかの問題ではなく、現実はそのようなことが圧倒的に多いという事実を言ったまでです そのような人に対抗しようとすれば、まず自分の見方を増やさなければなりませんが、そのことは上司に嫌われることにも繋がりますから、見方になってくれる人はいないか、非常に少ないと思います そのような人は攻撃しやすい人(反発しないし、意見を言わない人)に目標を定めて、その弱い人に罪を着せ、自分はのうのうとしているものです 私にも、同じような経験がありますから こと仕事に関して言えば、自分がその人より実績を上げてから、自分の意見を言うしかないのではないでしょうか 仕事もできないのに、意見や文句を言ったら自分が浮いてしまうだけですから 治部も要領よく行きたいなら、その人を見習えばいいし、その人を反面教師とすることも必要なことですね ただ、要領のいい人は一時期はいい思いをしても、自分が人を使う立場になれば行き詰まってしまうことも多いようですよ 実力でのし上がる人とおべんちゃらで出世する人とでは、部下の信頼が違いますから 見習うか否かは、人それぞれの考え方によるとしか言えません 自分が将来どんなに生き方をしたいかによって、答えは違うと思います 私なら、要領は悪くても他人に信頼される道を選ぶと思います 「要領」というと、なにか悪い意味で用いることが多いと思いますが、いい意味でも必要欠くべからざることです
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投稿者: 管理人 ..2014/02/17(月) 09:26 No.68 |
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管理人の木村です 私は八方美人やごますりについていろいろいと書いてきましたが、自分に自信があれば「いい意味で八方美人になることも、ごまをすることも構わない」と思っています よくないのは、自身がないために八方美人になったり、ごまをすってしまうことです ここをしっかりと区別することさえできるようになれば、生きることは想像していた以上に楽になると信じています 念のため、申し添えさせていただきます
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