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コタンBBS

違星北斗研究会
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 名前  [返信] [引用]
違星北斗には名前が3つある。

戸籍上は「瀧次郎」だが、本来は「竹次郎」で、代書屋が聞き間違えたまま、登録してしまったのだ。

(現代ではそうでもないかもしれないが、余市の方言は「イ」音と「エ」音の混同というのがあるようで、それは古老の方と話していても感じたし、北斗自身もよくイ音とエ音の書き違えている)。

で、彼は和人の前では「瀧次郎」、家族や、コタンの人々からは「竹次郎」、「タケ」と呼ばれていた。

彼の父や祖父の時代には、和人名とアイヌ名の両方を持っていたが、さすがに北斗の世代の余市ではそういうことも少なかったようだ。
ただ、図らずしも、北斗の中には和人社会での名前「瀧次郎」と、アイヌ社会での「タケ」が同居することになった。
 
 一つの体に二つの名前。
 一つの言葉に多くの意味。

 多くのアイヌと同様、彼は和人社会とアイヌ社会という二つの社会で、多面性を持たざるをえなかったし、彼の場合はそれを名前によって使い分けざるを得なかった。

 後年、彼は北斗と号することになる。
 その引き裂かれた二つの名前を統合したのだ。

 彼はまた、当時蔑称的に用いられていたアイヌという言葉に、新しく良い概念を込めようとした。我アイヌ、何を恥じることがあろうかと。

 言葉の意味は、時代によって変わっていく。
 また、人為的に変えられる。
 のちに言葉を武器に戦っていくのには、この三つの名前を持つことと無関係ではないと思う。

 
管理人  ++.. 2011/02/08(火) 11:11 [531]





 とりあえず  [返信] [引用]
違星北斗botを作ってみた。(@kotan_bot)

http://twitter.com/kotan_bot

彼の生涯をツイートで追っかけてみよう。
自分のための復習でもある。

 
管理人  ++.. 2011/02/07(月) 01:31 [530]





 バランス  [返信] [引用]
twitterで「違星 北斗」と検索しても、何も出ないことが多い。違星北斗について「なう」(笑)な人がそれだけいないといことだろう。
でもって、「アイヌ」と検索すると、アイヌの現在がわかる。

 そのスタンスも理解度もバラバラ。

 ・イベント告知
 ・地名、言葉などのへえ、これアイヌ語なんだっていうつぶやき
 ・北海道県(アイヌ犬)カイくんのこと
 ・サブカル(ゲーム、アニメ、漫画)で触れている系。

 無条件賛美系。
 ・先住民文化、ネイティブバンザイ系
 ・スピリチュアル系。
 
 それから、右寄りアンチ系。
 ・アイヌ協会糾弾系
 ・アイヌはいない、存在しない系

 あとは、北海道の人のつぶやき、アイヌの人自身のつぶやきもある。

 etc、etc。

 今は、アンチ系の「アイヌはいない系」「アイヌ協会糾弾系」がくっついちゃって、小林よしのり氏が砂澤氏を擁して、他のよく知らない若いネット右翼たちを巻き込んでいっている感じだろうか。沖縄問題、尖閣問題、中国パワー。そういったもろもろの問題、危機感がおおいに関係しているのだと思う。
 もちろん、そして北方領土問題。「アイヌはもういない」ということにしておかないとというのがあるから、このところのキャンペーンなんだろうけど。

 僕はまあ、いつも決めつけること、自分の立場を表明することからは逃げている。
 いくら考えても、わからないから。
 その時々で、揺れ動くから。

 ただ、そのバランスを取るときに、僕の場合はそこに違星北斗がいて、その生涯、思想を参考にさせてもらっている。
 時に、「〇〇め、さすがにそれはアカンやろ」と思うこともあるけど。

 いやいや、僕には違星北斗がいるじゃないかと。 
 こんな時、北斗はどう考える? あの時の北斗は?

 だから、違星北斗の「振れ幅」「ゆらぎ」こそが僕に取っては大きいし、大切なんだと思う。

 
管理人  ++.. 2011/02/06(日) 10:42 [528]

 
もうひとつ、北斗以外でいえば、僕には恩師といえる人が何人かいるけど、いま、ふとした瞬間に思い出されたりするのが、大学で教わった作家の小川国夫先生の言葉だ。

お酒が好きで、冗談が好きで、よく笑った。
聖俗清濁を併せ呑み、時折出る言葉はユーモアがあり、かつ深く重かった。

決して、激したり、誰かを糾弾したりすることはなかった。ただ、悠然と山のようにそこにおられた。

先生はクリスチャンだったが、最後の授業はある禅僧の言葉で締めくくられた。
大学での先生は聖書だけがテキストでそれをうだうだ講釈するようなことはなく、聖書はすでに先生の中に血肉としてあって、それで僕達の生きる現代の日本と、そこにいたる古今東西のテキストを論じた。
最後の授業で先生が挙げられたのは道元の「愛語よく回天の力あり」という言葉だった。
言葉の、文学の力を信じなさい、それは世界をも動かすのだ、と。

言葉によって世界を変えた人。それは、キリストのことでもあったが、僕には違星北斗のことだとも思えた。

当時、小川先生はキリストのような人だと思った。たぶん、聖書に描かれていない、本当のキリストは、清濁をのみこんだ、よく笑い、人を愛する、時には反省もする、容赦のある人だったのだと思ったのだ。容赦無く完璧な神の子ではなくて。

違星北斗が生きていたなら、そんな人になって欲しかったとも思った。

時によって流され、右に行ったり、左に行ったり、真ん中を進んだりしながら、ブレながら、バランスをとりながら、人に傷つき、また人を傷つけ、時に反省し、時に舞い上がり。それでもアイヌのために一生を捧げる。

惜しむらくは、彼にその迷走する時間「しか」与えられなかったことだ。

違星北斗は体当たりの人だった。後先考えず、突っ走る人だった。無茶をする人で、そのあと猛烈に反省して落ち込む人だった。

あと10年、いやあと5年、迷い、右往左往して、答えを探して欲しかった。そして、彼にとっての真実を見付け出してほしかった。
その言葉で世界をもっと変えて欲しかった。

今となっては、彼の先にどんな未来があったのかもわからないが、もし、彼が生きたなら、すくなくとも、今残っているテキストは、「修行時代」の「習作」になっていただろう。彼は執拗に、何度も何度も、それこそ病床ででも自分の作品に手直しをする人だったから。

どなたかが言った、北斗の「限界」があるとすれば、ある意味で「死」に勝てなかったことだと思う。その先を生きられなかったことだ。巨大な未来の可能性を、失ってしまったことだ。
おそらく、彼の言葉は世界を変えただろう。未完成な、生きている時でさえ、少しは世界を変えた。どういう形であれ、「その先」も彼は世界を変える言葉を放ち続けただろう。

埋れている彼の思想の断片を掘り起こし、当時の思想の揺れ動きを調べて、補完し、彼が辿りつけなかった「その先」を想像するのが我々の役目なんだと思う。

だが、これは小川先生が言っていたことだが、事件や人物の真実を相対化し、明らかにするには、50年、100年の時間がかかる。今わかることはわかるし、わからないことはわからない。

それが、調べていくうちに、あと数十年後にはわかるようになってくることもある。事件から時が流れることによって、ぽんと、ものすごい事実が出てきたり、証言が出てきたりする。見えてくることもある。

だが、そのためには、違星北斗という人の存在を埋もれさせてはならない。誰も知らなくなれば、誰もしらないのだから、資料も出てこない。多くの人に知られれば、それだけ調べる人も多くなるし、隠された事実が明らかになってもくる。

だからこそ、北斗のことは多くの人に知られなければならないと思う。

名前ばかりの研究会ではなく、北斗を研究する人、もっと出てきてほしいと思います。
喜んで、資料も提供しますので。

本当に研究会(オフ会)ができればいいと思います。
やり方がよくわからないですが。

管理人  ++.. 2011/02/06(日) 11:16 [529] [引用]





 北斗の限界?  [返信] [引用]

「habrodiatus」より引用
********
朴烈や難波大助アイヌから
出なかった事せめて誇ろう

この歌に、時代の制約を受けた彼の限界を知る。
********
http://silverfax.blog10.fc2.com/blog-entry-159.html

 彼の限界?

 うーん。そうかな。
 何が限界?

 民族を誇りに立ち上がろうとしている青年が、
自分たちの民族の中から、(当時の社会的には)重大犯罪者を出していないことを誇りたいと言う。

 限界があったとて、それは
 彼をとりまく時代の限界であって、北斗の限界ではないだろうに。

 現代のぬくぬくしたところからだったら、好きなようにこねくり回して言えるもんだな、と思う。
 北斗の時代の彼の置かれている立場や環境を想像してから言ってほしい。
  
 と、コメントしたかったが、コメント欄がないのでここに書きます。 



 
コタンBBS  ++.. 2011/02/02(水) 14:28 [525]

 
 リンク先、書き込みを削除されておられました。

 北斗は、23歳で東京に行き、25歳で北海道にかえって、27歳で死ぬ間際まで、急激に、加速度的に成長し続けていた人だから、その過渡期にはいろいろとツッコミどころがある発言をしているし、当時の社会に照らして優等生的な発言をしていても、今日の我々には違和感がある場合もある。だが、それは北斗の歪みではなく、社会がそれを正義としたからで、まわりの和人、それも名だたる名士や博士たち、「偉い大人」たちもそれを是としていた。北斗は、「正しく生きる」の目標のもとに、その時代の正義を生きようとしたにすぎない。

 それを、今日の教育で植えつけられた価値観で測って、「限界」とかいうのは、やっぱり違うだろう。「限界」と決めつけた方にこそ、限界があるんじゃないか。調べて、考えて、想像する努力が足りないんじゃないか。

 死の床では、不安や動揺で、発言は縷縷揺らぎ、絶望して弱音を吐き、世を恨んだりもしている。当然、思想の進歩は停滞となり、時に逆行もしたかもしれない。
発言のブレもある。

だが、それに惑わされるんじゃなく、さまざまな北斗の発言言動の中から、彼の真意を読み取り、そして、北斗が死ななかったら、彼が達しようとたであろう地平を、その先を想像しなければならない。

それが、僕たちの使命なんだと思ったりもする。



 こんな時「北斗」が生きて 居たならと
 沁々思ふ―― 一人夜更けに    (森竹竹市)

管理人  ++.. 2011/02/05(土) 01:40 [527] [引用]





 管理人  [返信] [引用]
http://favotter.net/status.php?id=17226068246

こちらのつぶやきに同意見。

 
コタンBBS  ++.. 2011/02/02(水) 14:55 [526]





 なんだこれ?  [返信] [引用]
なんだこれ?
http://literaturematters.blog111.fc2.com/blog-entry-10.html

----------------------
違星北斗(いぼしほくと)
歌人。実名滝次郎。北海道後希望(しりべし)総合振興局管内の余市(よいち)町の天性。祖父万次郎は、1872年(明治5)、東京に開かれた開拓使仮学校に選露見して生徒として派遣されたアイヌの一人。北斗は小学校卒業後、造材人連れ合いをしながら歌を詠み、さらに自らもアイヌ探求を希望し、上京して金田一(きんだいち)京助に会ったこともある。1927年(昭和2)には、昼間の時間高支庁(現昼間の時間高振興局)管内の平取(びらとり)町の聖公会の幼稚園でバチェラー?八重坊主の仕事に手を結ぶ一方、売薬行商をしながらアイヌに対する差別を告発する歌をつくる。遺稿集『コタン』(1930)には、北斗のアイヌとしての怨念(おんねん)がにじんでいる。

アイヌとして生きて死にたい願もてアイヌ絵を描く淋(さび)しい心
-------------------------


日本語勉強中の外国の人が翻訳エンジンを頼りに書いたのかな?
バチェラー八重坊主って。

 
コタンBBS  ++.. 2011/01/28(金) 01:27 [524]





 希望園   [返信] [引用]
投稿日: 9月24日(土)04時24分57秒

三、二風谷に希望園を作る 林檎三百本


 北斗は二風谷にリンゴを植えようとしたのです。
 平取(いわゆる平取本町)ではなく。
 自働道話10月号の

来年から平取村にリンゴの苗木を少し植附けます

 の「平取村」は「村」とついていることから、役場のある「平取」ではなく、「平取村」全体を指した言葉であり、より厳密に言えば「平取村二風谷」であると思います。

 あらやさんが言われるように、バチラー八重子や吉田ハナがリンゴ園を手伝ったとかいう話はありません。なぜなら、平取教会を守らねばならない八重子やハナは、平取から動けないからです。
 もちろん、北斗が二風谷でリンゴ園をやろうというのも頓挫するのですけれど。
 『希望園』というネーミングから、北斗はバチラー幼稚園と同様に希望社のバックアップを期待していたのかもしれません。ですが、後藤静香はこの後、バチラーへの資金援助を打ち切ります。
 バチラーと後藤静香の間に立つ北斗には、立つ瀬ないことだったでしょう。
 微妙な関係。バチラー幼稚園にいられなくなった理由はそういうところにもあるかもしれません。

 
管理人 [URL]  ++.. 2005/10/01(土) 02:28 [8]

 
>  北斗は二風谷にリンゴを植えようとしたのです。
>  平取(いわゆる平取本町)ではなく。
>  自働道話10月号の
>
> 来年から平取村にリンゴの苗木を少し植附けます
>
>  の「平取村」は「村」とついていることから、役場のある「平取」ではなく、「平取村」全体を指した言葉であり、より厳密に言えば「平取村二風谷」であると思います。
>
>  あらやさんが言われるように、バチラー八重子や吉田ハナがリンゴ園を手伝ったとかいう話はありません。なぜなら、平取教会を守らねばならない八重子やハナは、平取から動けないからです。
>  もちろん、北斗が二風谷でリンゴ園をやろうというのも頓挫するのですけれど。

 このリンゴ園のことについては、「平取入村時代の違星君の思い出」に記述がありましたね。八重子が土地を買い、実現しそうだったのだけど、買った機械が使い物にならなかった、ということでした。
またフォローしときます。

管理人  ++.. 2006/08/22(火) 00:55 [261] [引用]





 昭和萬葉集  [返信] [引用]
北斗とバチラー八重子の短歌が講談社「昭和萬葉集」(S55)という本に掲載されているらしい。

http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/44191999.html

 
管理人  ++.. 2010/11/15(月) 23:44 [522]





 にしんそば  [返信] [引用]
仕事で大阪へ。

関西では「にしんそば」というのがメジャーで、立ち食いそばの店には必ずあります。

忙しい中ですが、関西で立ち食いそば屋に行く時は、必ずといっていいほど、にしんそばを頼みます。

なぜなら、にしんも立ち食いそばも、北斗を思い起こさせるキーワードですので。


 支那蕎麦の立食をした東京の去年の今頃楽しかったね


 暦無くとも鰊来るのを春としたコタンの昔慕わしきかな


 仕事に追われて北斗のことを忘れていても、にしんそばを食べている時だけは、北斗のことを考えています。
 

 
管理人  ++.. 2010/10/22(金) 00:59 [517]

 
それとは関係ないけれども。

最近、漫画家小林某やその周辺で、有名なアイヌの息子さんのお名前やお姿をお見かけするようになりました。

これは、すごく個人的な感覚なんですが、
ひょっとしたら、

その方の立ち位置というのが、どうも私には、東京時代の違星北斗の立ち位置に、どこか微妙に似ているような気もします。もちろん、違うところは全然違うのですが。

これから、その方の考え方が、どうなっていかれるのか、どうされるのかわかりませんし、その方が北斗のことをどうお考えなのかも知りません。
 
ですが、ひとつだけ言えるのは、

小林某にシンパシーを感じ(?)て行動を共にするのはご自由かと思うのですが、

・・・
あなたと小林某は、同じ方向を見てはいない。目的や目標を同じうしていないように見える。

・・・
あなたが大きなリスクをかけて訴えておられることには、実際彼らは、たいして興味がない。
彼らは自分たちの主張したい(と本当に思っているのかは知らないが)考えの傍証として、あなたの存在や言説を利用しているにすぎない。

・・・
あなたは、自分でも気づかないうちに彼らに都合のいい、生きた「標本」にされてやいないか?

     ・・・
やっぱり、あなたはどこか、北斗に似ている。

管理人  ++.. 2010/10/22(金) 01:22 [518] [引用]

 
立場の弱いものを己の正義や正当性担保のために利用するというのは日本の思想界隈の伝統的な所作なので、利用されていることを承知の上で逆に利用して使い捨てられればいいんでしょうけどね。えてしてミイラ取りはミイラになるものですが…。

アイヌ民族という概念が生じた時点で線引き発生することは避けられませんので、越えられぬ壁を受容できるかどうか。いや、いまはアイヌであるということが自己肯定して生きてゆくネタになり得るので北斗の生きた時代とは比べられないような気もします。アイヌであることを強く意識するのは我々シャモとの関係性に起因するものなので他人事ではないのでしょうが、踏み付けて歩くしかないような気がしています。失礼。

tkht  ++.. 2010/10/22(金) 05:50 [519] [引用]

 
確かに比較するのは難しいと思うんですが、なんだか、直感的にピンときて書いてしまいました。

「同族」への失望を表明して、
北斗はアイヌをアイヌの名のもとに再起しようとし、
その方はアイヌ系日本人はいても、アイヌなどはすでにないという。

そこは大いに違うんですが、中央のシャモがおのれの思想の根拠として利用する、本人も本意か不本意か、あるいは自覚的であるのかないのかわからないけど、それに同調してシャモに都合のいいことを発言し、彼らの都合よく「編集」されて流布されてしまう。
 本人の本当に言いたいことはカットされ、聞き手の誘導的で恣意的な質問には都合よく答えてしまい、相手の文脈でセンセーショナルに利用される。
 根本で向いている方向は違うのに、見るものにはそれが伝わらず、偏見の助長にさえつながってしまう。
その構図がちょっと似てるのかなと。

 NHKのアイヌ関係の番組なんかでも、そういう恣意的な情報操作が気になってしまうことがありますが、今回流れているチャンネル桜かなんかのビデオはそんなもんじゃない。
 聞き手が酷い。こすい。卑劣で、あざとい。

管理人  ++.. 2010/10/23(土) 12:10 [520] [引用]

 
右や左のヘゲモニーの取り合いに巻き込まれているとしても、そしてそれが結果的に誤解や偏見を助長することになったとしても、それもまた生き様だと思いますし、その方が思うところがあって覚悟して選択した道なら、たとえこすっからさや卑劣さに歪められた姿が映し出されることになったとしても、それはもうご自身で引き受けるしかないのではないかと思うのですが、すこし冷酷なものの見方かもしれません。すみません。

偶然余市という街に住んでいるのですが、尊厳供給し合うような関係を築くことをしてこなかったという前提があって、道産子と言われる人々はある種の後ろめたさみたいなものを持っていたりなんかりするかもしれません。たとえば、補助金流用したという報道があっても重箱の角をつつくような気にはならないというのもそういう背景があるからなんじゃないかと、個人的にはそういう感覚を持っています。

tkht  ++.. 2010/10/24(日) 06:33 [521] [引用]





 時田則夫  [返信] [引用]
「違星北斗」定例検索より。

2004年 6月発行「辛夷」59号に
時田則雄による「違星北斗の歌」という論文があるようです。

ウィキペディアによると

時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、歌人。北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校、帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。歌誌『辛夷』主宰。野原水嶺に師事。 十勝にて農業を経営しながら文芸活動を行っている農民歌人。

ということです。

さがしてみよう。

 
管理人  ++.. 2010/10/12(火) 01:13 [516]








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