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コタンBBS

違星北斗研究会
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 子供の道話の童話  [返信] [引用]
子供の道話を見なおしています。

北斗が書かせたという奈良農夫也の「玉藻物語」を打ち込むためですが、ついでにいろいろチェックをして気づいたことがあります。

 北斗の童話のほとんどはこの「子供の童話」に掲載されたものです。

1)大正15年10月号「半分白く半分黒いおばけ」
2)昭和2年1月号「世界の創造とねづみ」
3)昭和2年6月号「郷土の伝説 死んでからの魂の生活」
4)昭和2年7月号「烏(パシクル)と翁(エカシ)」
5)昭和3年8月号「北海道の熊と熊取の話」

このうち、4)は昭和3年2月に小樽新聞に掲載され、5)は「子供の童話」より以前に昭和3年1月に「北海道人」に掲載されています。
 また、3)、4)、5)は、遺稿「コタン」に掲載されていて、現在、このサイトで見られるのは、そのバージョンなのですが、「子供の童話」掲載バージョンとはかなり細かい差異があります。
 この差異についても、いつか調べなければと思っています。

 
管理人  ++.. 2012/06/03(日) 20:14 [560]





 違星北斗botまとめ  [返信] [引用]
違星北斗botのまとめを作りました。
1 http://goo.gl/So6ok
2 http://goo.gl/Po5C1
3 http://goo.gl/wqEX7
4 http://goo.gl/olwq3
5 http://goo.gl/zS8vm
とりあえず、上京前まで。

けっこうつかれた。

 
管理人  ++.. 2012/05/05(土) 12:12 [559]





 無題  [返信] [引用]
具体的に名前が上がった曲名としては

「江差追分」 http://bit.ly/HkrOTM
「別れの曲」 http://bit.ly/HnTb34
「千鳥の曲」 http://bit.ly/I86SD9
「六段」http://bit.ly/HndFuT

「琴だか都山かしらないが」というのは、流派ですね。
「別れの曲」がショパンとは意外ですね。

 
管理人  ++.. 2012/04/07(土) 13:28 [558]





 北斗と音楽  [返信] [引用]
北斗は尺八をよくしました。

 尺八で追分節を吹き流し/平取橋の長きを渡る
 尺八を吹けばコタンの子供達/珍しさうに聞いて居るなり
 平取はアイヌの旧都懐しみ義経神社で尺八を吹く

などの短歌があります。
また、証言としては、

《違星君の尺八
彼は琴だか都山か知らないが、江差追分を得意としていた。六段、千鳥の曲なども吹奏したような記憶があるが余りそれは上手でなかった。
彼の吹奏の情景は江差追分が柄に合っている。
》(「違星君の平取入村当時の思い出」)

《ガツチヤキの薬を売りながら、コタン巡りをしていた頃の或る晩であつた。私の門に立つて暫くの別れにと「別れの曲」を吹奏され静かに立ち去られた。箕笠かぶりの清き尊きあの夜の姿こそは忘れようとして忘れることの出来ない思い出となつた。》
(「違星北斗を偲ぶ」鍛冶照三)

《ついには病身になり血を吐き、世を呪い人を呪い、手当たり次第に物を叩き割って暴れ死にたくなった。村の人の話では当時の違星青年は、よく尺八を吹いて月夜の浜を行きつ戻りつ、夜もすがらそうしていたこともあり、真っ暗な嵐の晩に磯の岩の上にすわって一晩尺八を吹いていたこともあった。》(金田一京助「あいぬの話」)

などがあります。




 

 
管理人  ++.. 2012/04/07(土) 13:03 [557]





 北斗と映画  [返信] [引用]
北斗がいた大正14年から大正15年に、かかっていた映画。「20世紀へタイムスリップ 1925年(大正14年)」(http://nannohidonnahi.sakura.ne.jp/20seiki/1925/05.htm


 黄金狂時代(The Gold Rush) 6.26 アメリカ 1925/12/(日本公開)
  監督:チャールズ・チャップリン
  出演:チャールズ・チャップリン

 オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera) 9.6 アメリカ 1925/09/(日本公開)
  監督:ルパート・ジュリアン
  原作:ガストン・ルルー
  出演:ロン・チェイニー メアリー・フィルビン ノーマン・ケリー ギブソン・ゴーランド

 戦艦ポチョムキン ソ連 第1次ロシア革命20周年記念映画 1967/10/(日本公開)
  監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
  出演:アレクサンドル・アントノーフ グリゴリー・アレクサンドロフ ウラジミール・バルスキー

 キートンのセブン・チャンス(キートンの栃麺棒 Seven Chances) 3.11 アメリカ
  監督:バスター・キートン
  出演:バスター・キートン

 キートンの西部成金(キートンのゴー・ウェスト! Go West) 11.1 アメリカ
  監督:バスター・キートン
  出演:バスター・キートン

 ロイドの人気者(The Freshman) 9.20 アメリカ
  監督:フレッド・C・ニューメイヤー サム・テイラー
  出演:ハロルド・ロイド

邦画

 恩讐の彼方に 2.5
  監督:牧野省三
  製作:東亜キネマ(等持院撮影所)
  原作:菊池寛「恩讐の彼方に」
  脚本:直木三十三
  出演:市川花紅 常盤松代 沢田正二郎 久松喜代子
  上映:京都マキノキネマ

 街の手品師 2.13
  監督:村田実
  製作:日活(京都撮影所第二部)
  出演:岡田嘉子
  上映:浅草三友館

 月形半平太 5.15
  監督:衣笠貞之助
  製作:聯合映画芸術家協会(等持院撮影所)
  主演:沢田正二郎
  上映:浅草大東京

 ふるさとの歌 9.17
  監督:溝口健二
  製作:日活(関西撮影所教育部)
  出演:木藤茂 辻峰子 川又賢太郎 橘道子
  上映:大阪常盤座

 日輪 11.13
  監督:衣笠貞之助
  製作:マキノプロダクション(御室撮影所) 聯合映画芸術家協会
  原作:横光利一
  出演:沢村源十郎 市川猿之助 阪東和三郎 市川八百蔵 マキノ輝子 マキノ富栄
  上映:浅草大東京

 雄呂血 11.20
  監督:二川文太郎
  製作:阪東妻三郎プロダクション
  配給:マキノプロダクション
  出演:阪東妻三郎
  上映:浅草大東京


 
管理人  ++.. 2012/04/07(土) 12:32 [554]

 
「20世紀へタイムスリップ 1926年(大正15年)」(http://nannohidonnahi.sakura.ne.jp/20seiki/1926/05.htm

洋画

 肉体と悪魔(Flesh and the Devil) 12.25 アメリカ 1929/03/(日本公開)
  監督:クラレンス・ブラウン
  原作:ヘルマン・ズーデルマン「消えぬ過去」
  出演:グレタ・ガルボ ジョン・ギルバート

 拳闘屋キートン(キートンのラストラウンド Battling Butler) 9.19 アメリカ
  監督:バスター・キートン
  出演:バスター・キートン

 ロイドの福の神(For Heaven's Sake) 4.1 アメリカ
  監督:サム・テイラー
  出演:ハロルド・ロイド

邦画

 カラボタン 8.30
  監督:野村芳亭
  製作:松竹キネマ(蒲田撮影所)
  出演:田中絹代
  上映:東京歌舞伎座

 陸の人魚 9.12
  監督:阿部ジャック
  製作:日活(大将軍撮影所)
  原作:菊池寛
  出演:梅村蓉子
  上映:神田日活館 葵館

 足にさはった女 10.29
  監督:阿部豊
  製作:日活(大将軍撮影所新劇部)
  出演:岡田時彦
  上映:神田日活館 三友館

 狂った一頁 9.24
  監督:衣笠貞之助
  製作:新感覚派映画連盟 ナショナルフィルムアート社
  原作:川端康成
  出演:井上正夫 中川芳江 飯島綾子
  上映:武蔵野館

第3回(1926年度)キネマ旬報ベストテン
 外国映画
 第01位 黄金狂時代 監督:チャールズ・チャップリン
 第02位 最後の人 監督:F・W・ムルナウ
 第03位 ステラ・ダラス 監督:ヘンリー・キング
 第04位 海の野獣 監督:ミラード・ウエッブ 出演:ジョン・バリモア
 第05位 鉄路の白薔薇 監督:アベル・ガンス
 第06位 ダーク・エンゼル 監督:ジョージ・フィツモーリス
 第07位 ダグラスの海賊 監督:アルバート・パーカー
 第08位 熱砂の舞 監督:ジョージ・フィツモーリス
 第09位 ロイドの人気者 監督:テイラー・ニューメイア
 第10位 滅びゆく民族 監督:ジョージ・B・サイツ
 日本映画
 第01位 足にさはった女 監督:阿部豊
 第02位 日輪 監督:村田実
 第03位 陸の人魚 監督:阿部豊
 第04位 狂った一頁 監督:衣笠貞之助
 第05位 カラボタン 監督:野村芳亭
 第06位 受難華 監督:牛原虚彦
 第07位 紙人形春の囁き 監督:溝口健二
 第08位 転落 監督:井上金太郎
 第09位 水戸黄門 監督:池田富保
 第10位 蜘蛛 監督:悪麗之助


管理人  ++.. 2012/04/07(土) 12:34 [555] [引用]

 
こうやって見ていくと、全然古そうな気もしませんね。
むしろ現代よりも名作が多いような……。

北斗が映画について書いたものはあまりないですが、

  貧乏を芝居の様に思ったり 病気を歌に詠んで忘れる

なんて歌を読んでいるので、芝居などは嫌いでははいような気がしますね。

北斗ではなく、中里篤治(凸天)に

 阪妻の型をまねする子供等の、元気は俺のどこにもないのだ

という短歌があります。

 丁度、北斗が上京した頃に阪妻の「遠呂智」が公開されて、目玉の松ちゃん(尾上松之助)がなくなっていますね。

管理人  ++.. 2012/04/07(土) 12:44 [556] [引用]





 無題  [返信] [引用]
Twitterで違星北斗botというのをやっているのだが、大正15年の夏で少し停滞している。

もっといえば、バチラーと後藤静香の資金トラブルが本当に大正15年であるのか。
裏付けがほしい。
決め手となる証拠がない。

 
管理人  ++.. 2012/04/03(火) 09:17 [553]





 アイヌ民族党  [返信] [引用]
「アイヌ民族党」のHPに違星北斗のことを「かつて、抑圧からの解放を叫んで闘ったアイヌの青年・違星北斗」と紹介してあるが、ちょっと違うんでないかな…北斗は「抑圧からの解放」みたいな中2的というかオザキ的な、「仮想敵」にルサンチマン、ではなくて…自己の向上、修養、改善、かと思ふ。
 
管理人  ++.. 2012/02/26(日) 00:03 [549]

 
北斗のことを抵抗歌人というのも、自分はあまりよくわからない。抑圧者への抵抗を表明した時期があったにせよ、そういうものを超越した頃の北斗の思想こそ北斗の到達点だから。
管理人  ++.. 2012/02/26(日) 00:07 [550] [引用]

 
なんか、上手く伝わる自信がないんですが、違星北斗の思想は抑圧への「抵抗」や「解放」といったところを超越したところにあると思う。「民族が各々個性に向って伸びて行く為に尊敬するならば、宇宙人類はまさに壮観を呈するであろう。嗚呼我らの理想はまだ遠きか。」北斗は宇宙から地上を見ている。
管理人  ++.. 2012/02/26(日) 00:21 [551] [引用]

 
もちろん、この「宇宙」の語が、現代の宇宙という語感とは違って、「世界」というような意味でつかわれていたにせよ。それはかわらないだろう。
管理人  ++.. 2012/02/26(日) 00:21 [552] [引用]





 生誕110年  [返信] [引用]
違星北斗が生まれて、この1月1日で110年になりました。
とはいっても、本当の誕生日は前年末らしく、北斗も戸籍上の誕生日1902年1月1日ではなく、1901年生まれを称していました。

まあ、いずれにせよ、110年イヤーということで、何かやりたいと思っています。

 
管理人  ++.. 2012/01/07(土) 00:58 [548]





 「大空」  [返信] [引用]
今、Twitterのテキストを仕込んでいて、重大な間違いに気づいた。

永井叔の「緑光土」に載った北斗の「大空」、皇紀2585年を大正13年としていたのだけれど、正しくは大正14年ではないですか。

どうしてこうなったかわからないですが、年表が間違っていました。

年表を大正13年になっていたので、大空は東京で永井叔に会う前の余市時代に書いたとなって、ちょっとおかしいなとは思っていたのですが、もしかしたら、北斗が事前に書いていたのを、永井と出会ってから見せたということもないではない、と思っって居ました。

しかし、大正14年でしたら、東京で永井叔との交流があってから、書いたということになり、非常に自然になります。

しかし、なんでこんな単純なケアレスを長年見過ごしていたのだろうか……orz

 
管理人  ++.. 2011/12/04(日) 22:14 [547]





 このところ  [返信] [引用]
来年2012年を北斗生誕110年イヤーとして、何かできないか考え中。

適当に考えてみよう。

違星北斗展示会
違星北斗研究会
違星北斗音楽会

それを実現するにはどうしたらいいのか、よくわからないので、いろんな所に出かけて行っては、いろんな人に「何かやりたい、やりたい」という話だけはするようにしています。

 「その前に違星北斗の本を書いたらどうか」と言われるのですが、まあずるずるとまとめるのを躊躇しています。
 まだ、いろいろわからないことが多くて、年表の空白も埋まらない。
 せっかく東京にいるのに、東京時代のことも調べられていない。
 
 とりあえず、暇ができたら、群馬県の榛名町にある後藤静香記念館にも行きたいと思っています。もしかしたら、希望社で行方不明になった北斗の日記はないかな、と思っております。

 その他、まだ辿れるところはあるはずなのですが、それがどこなのかも思い出せない今日この頃です。

 
管理人  ++.. 2011/11/01(火) 01:19 [544]

 
そういえば、先日イオマンテのビデオを見てきました。

もちろん、北斗の余市コタンでも、イオマンテをしていて、北斗の家にも、朽ち果てた祭壇があり、そこに熊の頭骨が飾ってあったと。
 そんへんのことが、イオマンテのビデオを見ることで、いろいろ分かることがありました。
 下の記事にもありますが、北斗の家にも、花矢やら捧酒箸やらがいっぱいあった。
 余市コタンには、北斗の頃まで熊の檻があったともいう。
 北斗は余市はいち早く和人化したところで、アイヌ文化は廃れてしまったというが、それでもそういうものがいっぱい残っていて、実際、北斗の死後に兄の梅太郎が祭主、父甚作がアドバイザーで、余市でイオマンテをやっていたりする。
 また、北斗の親戚筋の方が、「つい最近」まで山中で神事をやっていたとも聞いた。
 余市で私にいろいろ教えてくださる郷土史家の方(80代)がいらっしゃって、その方がいろいろ教わったアイヌの方が、余市で「最後の」アイヌ文化伝承者だったという。
 そのアイヌの方は、大正十一年(1922)生まれだから、生きていたら90歳だが、14年前に亡くなられた。

 逆に言えば、つい14年前最近まで、余市でもアイヌ文化を守っている人がいらっしゃったのだともいえる。

管理人  ++.. 2011/11/01(火) 01:42 [545] [引用]

 

「北斗と熊」。

 熊取名人の父。
 違星家が仕切った余市でのイオマンテ。
 北斗の熊の歌、熊の短歌。

 もっと掘り下げて北斗と熊についても考えなきゃ。
 きっといろいろ見えてくると思う。

管理人  ++.. 2011/11/01(火) 01:59 [546] [引用]








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