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コタンBBS

違星北斗研究会
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 希望社の刊行物  [返信] [引用]
ヤフオクで入手した後藤静香の希望社の雑誌、「希望」。

これも含めて、希望社関係の雑誌がだいぶ揃ったのですが、残念ながら、北斗に関する記述はほとんどないんです。

備忘のために、所有メモ。

雑誌
【希望】 
 メイン雑誌。初期は「女子教育」を全面に出し、男子には「修養団」を進めているが、事業内容の拡大により、のちに代表雑誌に。
 
大正11年6〜7月 (10x18縦長、80P程度)
大正12年6〜11月 (同)
大正13年1〜5月 (同)
大正14年1〜4、8〜12 (B6サイズ、80P) 
大正15年なし
昭和2年2〜7、9〜11月
昭和3年4月〜10、12月
昭和4年1〜9月
昭和5年1〜4月

 北斗関係の記述なし。
 北斗が在京中の大正15年と、「コタン」発行直後の昭和5年後半がごっそり抜けていますので、
 もしかしたらそのあたりに何か記述があるのかも。

【のぞみ】 縦長リーフレットサイズの小冊子、後ににちにA5判ぐらいに。
 修養雑誌。ためになる話、ローマ字記事など。

大正12年8〜11月 (10x18縦長、80P程度)
大正13年1〜12月 (同)
大正14年3〜12月 (同)
大正15年2〜7、9、11月 (同)
昭和2年1、5〜8月(B6サイズ、80P)
昭和3年1〜7、9、11月
昭和4年1〜12月
昭和5年3月

 北斗関係の記述なし。

【泉の花】(B6サイズ) 希望を継承か?

昭和5年4〜5月

【大道】A5版。泉の花を継承か?

 昭和5年6〜12月

 ※8月号に後藤静香の「コタンに泣く」が掲載。

 希望社の雑誌は、どうも、ややこしいのですが、
 こういうことみたいです。

 まず、「希望」が女子教員雑誌としてスタート、また、おなじくらいの頃、「のぞみ」も修養雑誌としてスタート。
 で、「希望」が老若男女含めた雑誌となり、「誌友」もぐんぐん増える。

 ところが、いろいろ社会事業に手をだし、また「希望館」という本社の工事などもはじめ、金回りが悪くなる。

 そこで、迷走がはじまります。
 昭和4年3月には、いきなり、
  ・「のぞみ」の中に「泉の花」を含む。
  ・「希望」の中に「のぞみ」「泉の花」を含む。
 つまり、「希望」と別に「のぞみ」「泉の花」を定期購読している人間には、同じ内容を含む雑誌が別々で送られるという事態に。
 「人にオススメください」という前提なのかもしれませんが‥‥いかんでしょう。
 まあ、後藤さん、お困りだったのでしょう。

 さらに、昭和5年には6月に「泉の花」が「大道」に。
 もっというと、装丁デザインが同じなので、4月に「のぞみ」が「泉の花」に改名したばかりだったのかもしれません。
 その後はどうなったかよくわかりませんが、読者の混乱はすごいものだったでしょう。
 翌年6月には、希望社の後藤静香が新聞に告発されてしまいます。


 
管理人  ++.. 2013/02/09(土) 14:16 [569]





 北斗忌  [返信] [引用]
今年の1月26日は、ツイッターで北斗忌特集として、中断していた昭和2年夏から、昭和4年の正月までのヒストリーを一日かけてやりました。

あんまり突っ込めなかったですが、とりあえず、
時間ができたら、まとめてみたいと思います。

今後、北斗の生涯をまとめる際の、ひな形にはなるかな、と思いますので。

それから‥‥小樽文学館の「違星北斗と口語短歌」展が終わりましたね。
私は残念ながら、見に行けませんでしたが‥‥。

北斗の企画展が行われるということは、すごいことだと思います! 巡回とか常設化とかしていただけると、嬉しいですが‥‥。

小樽文学館様、お疲れ様でございました!

 
管理人  ++.. 2013/02/03(日) 02:36 [568]





 森本儀一郎氏  [返信] [引用]
1931年に放送された北斗のラジオドラマを書いた森本儀一郎さんについて。

ネット上で公開されている北海道文学大辞典(北海道文学館編)に記述がありました。

http://www.h-bungaku.or.jp/issue/pdf/jiten03.pdf
------------------------------
大14〜(1925〜)
[シナリオ]札幌市生まれ。日本大学芸術学部中退。宗谷関内枝幸町で教員生活のかたわらNHK(札幌)の「ラジオ文芸」常連投稿者として活躍し、昭和27年同局最初のの専属作家となった。数多いラジオドラマを執筆し、30年まで専属作家を続けたのちフリーとなり、北海道放送のテレビ「いろはに北海道」の構成にあたった。ラジオドラマの代表作に「ひぐらしの宿」「夢は枯野を」「深ァいきりの向うへ」などがある。
------------------------------
大正14年生まれでしたら、現在、88歳ですね‥‥。

情報が昭和60年のものなので、現在どうなさっているかはわかりません。

ちなみに、違星北斗の項目もありますが、特筆すべきところはない感じです。

 
管理人  ++.. 2013/02/03(日) 02:29 [567]





 注解アイヌ神謡集  [返信] [引用]
「注解アイヌ神謡集」(知里幸恵著訳、北道邦彦編注)の解説編に収録されている佐藤三次郎「北海道幌別漁村生活誌」に、北斗のことが書かれていました。

 幌別の海岸について。

「六月頃になると、椿に似た真紅な花が沢山咲いて、とてもきれいである。
 この頃は鱒が沢山獲れるし、鰮もぼつぼつみえる頃であるが、ガスがひどく、毎日眺めている恵山(エザン)や近くの鷲別の岬までが、すっかり包まれてしまう事が多い。こんな時、地球岬の灯台は、一日中ボーを鳴らしている。

   幌別の浜のはまなす咲き匂い
   恵山の崎は遠くかすめり

 という違星北斗さんの歌も、この頃詠んだのだろうと思う。


 北斗が幌別にいた頃は7月半ばですが、まだ咲き頃ですね。

 この佐藤三次郎は幌別のバチラー教会の裏に住んでいた人で、「ウタリの友」にもタンネ・ヘカチの名前で寄稿しており、そこにも北斗の名前が登場します。
 http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-3073.html
 

 
管理人  ++.. 2012/11/11(日) 17:10 [566]





 違星北斗、新情報  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 90.7KB )

現在、「違星北斗と口語短歌」という企画展が開催されている、小樽文学館の方から、何点か、北斗に関する情報をいただきました。

1 『新短歌時代』第3巻第3号(昭和4年3月1日発行)に、村上如月による「違星北斗君を悼む」という記事が掲載されているとのことで、コピー画像をいただきました。近々にブログにアップします。

2 違星北斗の描いた絵画

  北斗が描いたエカシのカラー絵画です。
  
 

 
管理人  ++.. 2012/11/11(日) 16:01 [562]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 54.6KB )

3 違星北斗の写真

  →新宿ステーション写真室とあります。
   東京で、新調した背広を着て撮った写真ですね。

   握った拳が力強いです。


管理人  ++.. 2012/11/11(日) 16:09 [563] [引用]

 
1のテキストには、興味深い記述があります。

 過日、違星北斗が(おそらくアイヌと侮蔑されて)徳冨蘆花を殺そうと思った、というんですが……。

 徳冨蘆花と会ったとすれば東京時代でしょう。
 あるいは、北斗が徳冨蘆花の作品を読んで、ということかもしれません。
 蘆花は北斗が長知内で会った奈良農夫也とも関係が深いので、そのつながりなのか。

管理人  ++.. 2012/11/11(日) 16:16 [564] [引用]

 
1の画像には、これは偶然なのでしょうが、背表紙に「月刊雑誌 北海道及樺太」の広告があり、この中に「北斗星」の名前で「鰊漁業合同論」という文章があるのですが、これはもしかしたら北斗の論文かもしれません。
 北大の図書館にありそうなので、さっそく調べてみたいと思います。

管理人  ++.. 2012/11/11(日) 16:22 [565] [引用]





 市立小樽文学館で、企画展「違星北斗と口語短歌」が開催  [返信] [引用]
本日より、市立小樽文学館で、企画展「違星北斗と口語短歌」が開催されています。

違星北斗についての、はじめての企画展示だと思います。

ぜひ! 

お近くの方も、お遠くの方も、

行ってみてください!


私も、違星北斗研究会として、展示協力・資料提供などをさせていただいております。
よろしくおねがいいたします。

http://www4.ocn.ne.jp/~otarubun/bungakukan/kikakuten/kikaku.html

http://230i.jugem.jp/?eid=1079

http://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/bungakukan/bungaku-event.html

http://blog.livedoor.jp/bluebook/archives/52287420.html

 
管理人  ++.. 2012/11/10(土) 15:20 [561]





 子供の道話の童話  [返信] [引用]
子供の道話を見なおしています。

北斗が書かせたという奈良農夫也の「玉藻物語」を打ち込むためですが、ついでにいろいろチェックをして気づいたことがあります。

 北斗の童話のほとんどはこの「子供の童話」に掲載されたものです。

1)大正15年10月号「半分白く半分黒いおばけ」
2)昭和2年1月号「世界の創造とねづみ」
3)昭和2年6月号「郷土の伝説 死んでからの魂の生活」
4)昭和2年7月号「烏(パシクル)と翁(エカシ)」
5)昭和3年8月号「北海道の熊と熊取の話」

このうち、4)は昭和3年2月に小樽新聞に掲載され、5)は「子供の童話」より以前に昭和3年1月に「北海道人」に掲載されています。
 また、3)、4)、5)は、遺稿「コタン」に掲載されていて、現在、このサイトで見られるのは、そのバージョンなのですが、「子供の童話」掲載バージョンとはかなり細かい差異があります。
 この差異についても、いつか調べなければと思っています。

 
管理人  ++.. 2012/06/03(日) 20:14 [560]





 違星北斗botまとめ  [返信] [引用]
違星北斗botのまとめを作りました。
1 http://goo.gl/So6ok
2 http://goo.gl/Po5C1
3 http://goo.gl/wqEX7
4 http://goo.gl/olwq3
5 http://goo.gl/zS8vm
とりあえず、上京前まで。

けっこうつかれた。

 
管理人  ++.. 2012/05/05(土) 12:12 [559]





 無題  [返信] [引用]
具体的に名前が上がった曲名としては

「江差追分」 http://bit.ly/HkrOTM
「別れの曲」 http://bit.ly/HnTb34
「千鳥の曲」 http://bit.ly/I86SD9
「六段」http://bit.ly/HndFuT

「琴だか都山かしらないが」というのは、流派ですね。
「別れの曲」がショパンとは意外ですね。

 
管理人  ++.. 2012/04/07(土) 13:28 [558]





 北斗と音楽  [返信] [引用]
北斗は尺八をよくしました。

 尺八で追分節を吹き流し/平取橋の長きを渡る
 尺八を吹けばコタンの子供達/珍しさうに聞いて居るなり
 平取はアイヌの旧都懐しみ義経神社で尺八を吹く

などの短歌があります。
また、証言としては、

《違星君の尺八
彼は琴だか都山か知らないが、江差追分を得意としていた。六段、千鳥の曲なども吹奏したような記憶があるが余りそれは上手でなかった。
彼の吹奏の情景は江差追分が柄に合っている。
》(「違星君の平取入村当時の思い出」)

《ガツチヤキの薬を売りながら、コタン巡りをしていた頃の或る晩であつた。私の門に立つて暫くの別れにと「別れの曲」を吹奏され静かに立ち去られた。箕笠かぶりの清き尊きあの夜の姿こそは忘れようとして忘れることの出来ない思い出となつた。》
(「違星北斗を偲ぶ」鍛冶照三)

《ついには病身になり血を吐き、世を呪い人を呪い、手当たり次第に物を叩き割って暴れ死にたくなった。村の人の話では当時の違星青年は、よく尺八を吹いて月夜の浜を行きつ戻りつ、夜もすがらそうしていたこともあり、真っ暗な嵐の晩に磯の岩の上にすわって一晩尺八を吹いていたこともあった。》(金田一京助「あいぬの話」)

などがあります。




 

 
管理人  ++.. 2012/04/07(土) 13:03 [557]








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