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コタンBBS

違星北斗研究会
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 「アイヌ民族否定論に抗する」に寄稿しました。  [返信] [引用]
寄稿させていただいた『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社、1月27日発行)の目次、公式サイトにはまだ出てないんですが、岡和田さんのサイトにありました。
全容ははじめて見ましたが、すごいメンバーですね。光栄です。

http://d.hatena.ne.jp/Thorn/touch/20150106/p2

 
管理人  ++.. 2015/01/07(水) 23:03 [581]

 
(ペンネームの山科清春で「違星北斗の言葉の『悪用』について」という文を書いています)。
管理人  ++.. 2015/01/07(水) 23:13 [582] [引用]





 又吉康和  [返信] [引用]

伊波普猷が「目覚めつつあるアイヌ種族」として掲載された手紙を送った相手が、沖縄教育の又吉康和(こうわ)。
のちに琉球新報社長、沖縄民政府副知事、那覇市長。

伊波普猷は彼に「茶話誌」「ウタリグス」を送っている。

もしかして、現存しない「茶話誌」、沖縄から見つかる可能性もあるかも……?

 
管理人  ++.. 2014/12/11(木) 22:00 [580]





 北斗の小ネタ  [返信] [引用]
「違星北斗ノート」でわかったどうでもいいことを怒られない範囲で大発表。
(1)違星北斗は床屋に頻繁に行く。
(2)北斗はかき氷を食べた次の日にアイスクリームを食べている。
(3)シューズや下駄の鼻緒や下駄歯、靴墨、靴修繕など、足元のおしゃれにお金を使っている。

 
管理人  ++.. 2014/11/16(日) 14:17 [579]





 無題  [返信] [引用]
今回の違星北斗ノートには「おおぐま座」「こぐま座」についての未発見の散文詩(歌詞?)が書かれている。
北斗の星座名に関する言及は初めて。

北斗は熊の話や句歌を多く残し、北斗の父は熊取の名人で、北斗の家の幣棚にはイナウ(北斗はイナホと表記)とともに熊の頭の骨が飾ってあり、ヨイチのコタンの広場には「熊の碑」なるものがあった。

「北斗」の号には「熊」→星座の「おおぐま座」=「北斗七星」という連想が働いている「熊由来」の筆名である可能性が高い。

 
管理人  ++.. 2014/09/28(日) 16:53 [578]





 「違星北斗・鳩沢佐美夫」展  [返信] [引用]
 今秋、アイヌの傑出した文学者である鳩沢佐美夫と違星北斗の特別展が、平取町の「沙流川歴史館」で開かれるそうです。

 今回の違星北斗直筆の備忘録ノートの情報も、この展示準備に際して知ったことです。

 小樽同様、我々違星北斗研究会(我々といっても、会員は私一人ですが)が、違星北斗の展示資料に協力することになりました。


 内容的には、紹介、年表、作品展示、例のノートのようなゆかりのアイテムといった、昨冬の小樽文学館の展示と同じような形になるのかと思います。
  
 小樽の時は、展示の現場が見れなかったのですが、今回は、ノートの発見もありましたので、ぜひ現場に行きたいと思っています。
 
 展示内容の詳細がわかりましたら、またお知らせいたします。

 興味のある方は、ぜひよろしくお願いいたします。
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 平成26年度 沙流川歴史館特別展
「平取町ゆかりの歌人 違星北斗・作家 鳩沢佐美夫」
会期 平成26年9月30日〜11月30日まで。
※月曜日 休館、ただし月曜が祝祭日の場合はその翌日が休館。

http://www.town.biratori.hokkaido.jp/biratori/nibutani/html/saru0N.htm
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
管理人  ++.. 2014/08/17(日) 14:34 [577]





 違星北斗の備忘録ノート!  [返信] [引用]
違星北斗の研究が置いてけぼりになっていかんなーと思ってると、ホームページをご覧になった方がとても面白いお話を持って来てくれる。とてもありがたいことです。
どうやら違星北斗のノート(備忘録)が現存するようです‥‥俄然、震えてきました。

 
管理人  ++.. 2014/08/17(日) 12:54 [574]

 
現在わかってる北斗ノートは遺稿集「コタン」の編集の際に東京の希望社に送ったきり紛失しちゃっているんだけど‥‥一冊、北海道庁に送った短歌のノートがあって、それだったらすごいんだけどなあ。

管理人  ++.. 2014/08/17(日) 12:55 [575] [引用]

 
違星北斗の備忘録ノート、所蔵されている文学館の方からあらましをお教えいただいた。大正14年の上京時のものだそうで中々凄そう。今までわからなかったことが、いろいろ明らかになると思う。新たな関係者(それも近代史の超大物)との接点も。閲覧できるか未定だけど、とても興奮してきた。

管理人  ++.. 2014/08/17(日) 12:56 [576] [引用]





 小樽文学館館報  [返信] [引用]
先日、「違星北斗と口語短歌展」が開催された小樽文学館の館報に、「違星北斗研究の先駆者について」という文章を寄稿しました。木呂子敏彦、谷口正、阿部忍、早川勝美といった北斗研究の先駆者と、そのネットワークについて書きました。

 
管理人  ++.. 2013/04/17(水) 21:05 [571]

 
「違星北斗研究の先駆者について」をブログに、アップしました。

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-056d.html

管理人  ++.. 2013/09/12(木) 01:01 [573] [引用]





 『伊波普猷全集』  [返信] [引用]
『伊波普猷全集』 第十巻に、北斗の記述あり。

『奄美大島民族誌』「跋」

 奄美大島を訪れたことのある人は、其の住民(中略)を見て、アイヌを聯想したであらう。
(中略)
 一昨年の秋頃であつたか、アイヌ学会のあつた時、(中略)晩餐の時、私の向ひに眼のへこんだ毛深い青年が坐つてゐたのを見て、大島の人とばかり思つてゐたところが、あとでこの青年が違星[北斗]といふアイヌであると聞いて吃驚した。そして其の演説を聴くに及んで、其の発音や語調が大島の人のそれにそつくりだつたので、二度吃驚した。私がまのあたりアイヌを見て、其の話を聞いたのは、此が初めてだつた。違星君には其の後も屡〃会つて、其の発音や語調を観察したが、彼がアイヌの部落中で、最も日本化した余市のアイヌで、しかもその母語を全く話すことが出来ないと聞いたので、其の発音や語調は、ことによると、近所にゐる和人の影響を受けたものか、さもなければ、彼の個人的の特徴ではないかと思つて、他のアイヌのそれを聞く機会を待つてゐた。昨年の秋、アイヌ向井山雄を歓迎する為に、アイヌ学会が開かれた時、私は半ば好奇心に駆られて、出席して見た。向井氏は胆振の有珠の酋長の子で、バッチラー師の下で働いてゐる宗教家であるが、その顔附が大島の上流社会の紳士そつくりだつた。しかも其の発音や語調が、違星君のより一層大島的であるのを聴いて、面白いと思つた。これは恐らく今日まで何人も気づかなかつたことであらう。かくもかけ離れた所に居る両民族の間に、かくも著しい類似の存するのは、たゞ不思議といふの外はない。これは果して偶然の一致だらうか。(後略)

 これは、内容的には「目覚めつつあるアイヌ種族」と一致しますね。
http://www.geocities.jp/bzy14554/mezame.htm

 ただ、伊波普猷と北斗が初めて出会ったアイヌ学会は3月19日、「一昨年の秋頃」というのは間違いではないかと思います。
 その次に書いてある、向井山雄の出たアイヌ学会のことは、金田一から北斗への手紙(昭和2年4月26日)にも書いてあります。
 向井山雄は大暴れしてしまいます。
 http://www.geocities.jp/bzy14554/tegamikindaichi.htm

 
管理人  ++.. 2013/02/09(土) 20:11 [570]





 希望社の刊行物  [返信] [引用]
ヤフオクで入手した後藤静香の希望社の雑誌、「希望」。

これも含めて、希望社関係の雑誌がだいぶ揃ったのですが、残念ながら、北斗に関する記述はほとんどないんです。

備忘のために、所有メモ。

雑誌
【希望】 
 メイン雑誌。初期は「女子教育」を全面に出し、男子には「修養団」を進めているが、事業内容の拡大により、のちに代表雑誌に。
 
大正11年6〜7月 (10x18縦長、80P程度)
大正12年6〜11月 (同)
大正13年1〜5月 (同)
大正14年1〜4、8〜12 (B6サイズ、80P) 
大正15年なし
昭和2年2〜7、9〜11月
昭和3年4月〜10、12月
昭和4年1〜9月
昭和5年1〜4月

 北斗関係の記述なし。
 北斗が在京中の大正15年と、「コタン」発行直後の昭和5年後半がごっそり抜けていますので、
 もしかしたらそのあたりに何か記述があるのかも。

【のぞみ】 縦長リーフレットサイズの小冊子、後ににちにA5判ぐらいに。
 修養雑誌。ためになる話、ローマ字記事など。

大正12年8〜11月 (10x18縦長、80P程度)
大正13年1〜12月 (同)
大正14年3〜12月 (同)
大正15年2〜7、9、11月 (同)
昭和2年1、5〜8月(B6サイズ、80P)
昭和3年1〜7、9、11月
昭和4年1〜12月
昭和5年3月

 北斗関係の記述なし。

【泉の花】(B6サイズ) 希望を継承か?

昭和5年4〜5月

【大道】A5版。泉の花を継承か?

 昭和5年6〜12月

 ※8月号に後藤静香の「コタンに泣く」が掲載。

 希望社の雑誌は、どうも、ややこしいのですが、
 こういうことみたいです。

 まず、「希望」が女子教員雑誌としてスタート、また、おなじくらいの頃、「のぞみ」も修養雑誌としてスタート。
 で、「希望」が老若男女含めた雑誌となり、「誌友」もぐんぐん増える。

 ところが、いろいろ社会事業に手をだし、また「希望館」という本社の工事などもはじめ、金回りが悪くなる。

 そこで、迷走がはじまります。
 昭和4年3月には、いきなり、
  ・「のぞみ」の中に「泉の花」を含む。
  ・「希望」の中に「のぞみ」「泉の花」を含む。
 つまり、「希望」と別に「のぞみ」「泉の花」を定期購読している人間には、同じ内容を含む雑誌が別々で送られるという事態に。
 「人にオススメください」という前提なのかもしれませんが‥‥いかんでしょう。
 まあ、後藤さん、お困りだったのでしょう。

 さらに、昭和5年には6月に「泉の花」が「大道」に。
 もっというと、装丁デザインが同じなので、4月に「のぞみ」が「泉の花」に改名したばかりだったのかもしれません。
 その後はどうなったかよくわかりませんが、読者の混乱はすごいものだったでしょう。
 翌年6月には、希望社の後藤静香が新聞に告発されてしまいます。


 
管理人  ++.. 2013/02/09(土) 14:16 [569]





 北斗忌  [返信] [引用]
今年の1月26日は、ツイッターで北斗忌特集として、中断していた昭和2年夏から、昭和4年の正月までのヒストリーを一日かけてやりました。

あんまり突っ込めなかったですが、とりあえず、
時間ができたら、まとめてみたいと思います。

今後、北斗の生涯をまとめる際の、ひな形にはなるかな、と思いますので。

それから‥‥小樽文学館の「違星北斗と口語短歌」展が終わりましたね。
私は残念ながら、見に行けませんでしたが‥‥。

北斗の企画展が行われるということは、すごいことだと思います! 巡回とか常設化とかしていただけると、嬉しいですが‥‥。

小樽文学館様、お疲れ様でございました!

 
管理人  ++.. 2013/02/03(日) 02:36 [568]








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