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コタンBBS

違星北斗研究会
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 ゴールデンカムイが描かない「アシリパの妹たち」の苦難と明日  [返信] [引用]
書評を「シミルボン」という書評サイトに寄稿しました。
「ゴールデンカムイが描かない「アシリパの妹たち」の苦難と明日」
https://shimirubon.jp/reviews/3873

ゴールデンカムイでアシリパさんを好きになった方、
アイヌ文化に興味を持った人、
そのあと
アシリパさんや、その弟や妹世代、
そしてアシリパさんの子ども世代のアイヌが、
どう生きたかを、
思いを馳せてみてください。
一応、
「ゴールデンカムイ」ではなく、
「アイヌ神謡集」の書評です。

 
管理人  ++.. 2016/05/02(月) 12:42 [596]





 没後87年  [返信] [引用]
今日(もう昨日か)1月26日は、違星北斗の命日でした。没後87年です。

この1月26日という日は、北斗にとっては命日であるのと同時に、もう一つの記念日でもあります。

違星北斗は、死の5年前の1924(大正13)年、22歳の時に余市アイヌの修養団体「茶話笑楽会」を結成しています。

1月26日は皇太子(後の昭和天皇)の成婚記念日で、笑楽会はこの日に合わせて結成された、といくつかの資料に書いてあります。

アイヌである北斗がなぜ?

と思う人もいるかもしれませんが、それは今日的な感覚なのだと思います。

当時としてはおめでたい日に合わせて結成しよう、というのは当たり前の感覚だったのかもしれません。

ちなみに北斗と昭和天皇はともに1901(明治34)年同年の生まれであります。北斗は戸籍上は翌年1月1日生まれになっていますが、前年の年末に生まれています。北斗が戸籍上の明治35年ではなく、34年生まれを自称していたのには、そのあたりのことも関係しているかもしれません。

いずれにしても、
亡くなった1月26日が、北斗の民族復興の運動の最初の第一歩の記念日であり、さらにそれが昭和天皇の成婚記念日からとられている、というのはいろんな意味で数奇な感じがしてなりません。

 
管理人  ++.. 2016/01/27(水) 01:00 [595]





 変節のケーススタディ  [返信] [引用]
昨日、東京外国語大学で開かれた「アイヌ民族とオーストラリア先住民――同化・差別と研究の現在」というワークショップに参加して考えたこと。

河野本道というアイヌ研究者は、昔は親アイヌ的な立場をとっていたけど、近年は小林よしのりや砂澤陣なんていうアイヌ民族否定論者のすがり立つ支柱のような存在になってしまった。

いろいろあって。

そう。その「いろいろあって」というのが、本当に厄介なのだと思う。個人的体験による変節。ルサンチマン。

河野本道が「いろいろあって」そうなった。
砂澤陣が(同上)。

その「いろいろあって」が、彼らを変節させ、
今や新たな差別と偏見の出どころになろうとしている。

一緒にしたらダメだけど、知里真志保の心にもいろいろがあった。
もしかしたら、病床でしたためられ、希望社によって取捨選択され、残らなかった違星北斗の日記にも、いろいろあった、その変化があったかもしれない。
(古田謙二の短歌に、病床の北斗の思想は歪んでいるという記述がある)

そういった、ルサンチマンや屈辱や絶望や挫折による変節や屈折が、それを利用したい者によって悪用され、ソーシャルメディアにより拡散されることで、今やその悪意は看過できないものになっている。

我々は、彼らの極めて個人的体験に根ざした、変節の記録を学ばなければならない。

明らかにしなければならない。
変節のケーススタディを整理しなければならない。

いろいろあって、こうなった。
だから、その人の言うことには気をつけろよ、フィルターがかかってるぞ、と。

これを読めという、決定版を作らなければいけない。
正解を示さなければいけない。常識にしなければならない。

僕たちは当たり前に思っていた、してはいけないことが、
いつからか、人を差別すること、虐げること、人を人とも思わないこと、人を苦しめることを、平気な顔、誇らしい顔で行うことがまかり通る世の中になってしまった以上は。




 
管理人  ++.. 2016/01/23(土) 02:24 [594]





 岩崎吉勝  [返信] [引用]
違星北斗の遺稿「コタン」を編集したのは
希望社の関係者、岩崎吉勝と宗近真澄。宗近真澄の方は、日本におけるエスペラント語普及に関して、名前を残しているけど、岩崎吉勝はよくわからなかった。

 あるレポートを書くために、しばらくぶりに検索してみたら、岩崎吉勝のプロフィールが見つかった。
 
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8E+%E6%9C%89%E9%A6%99-1641673

コトバンク
20世紀日本人名事典の解説
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小野 有香
オノ ユウコウ


大正・昭和期の歌人,詩人,社会主義者

生年明治15(1882)年3月16日
没年昭和40(1965)年3月17日
出生地奈良県吉野郡
本名岩崎 吉勝
旧姓(旧名)小野
学歴〔年〕早稲田大学政経学部〔明治40年〕卒
経歴「週刊平民新聞」の後継紙である「直言」の編集をし、短歌「暗潮」、詩「労働に生きよ」などを発表した。また「新紀元」にも詩や短歌を発表した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

平民新聞っていうと、北斗が世話になった「自働道話社」の西川光次郎が関わっていたんですよね。

後藤静香と西川光次郎をつなぐラインっていうのは見つかってなかったんですが、もしかしたら、この辺が関係しているのかもしれませんね。
偶然かもしれないですが。

 
管理人  ++.. 2015/11/09(月) 17:46 [592]

 
小野有香は若い時、「火鞭会」という社会主義的文学結社の同人で、後に「大菩薩峠」を書く中里介山と一緒だったみたいですね。

https://kotobank.jp/word/%E7%81%AB%E9%9E%AD-1155444


管理人  ++.. 2015/11/09(月) 18:12 [593] [引用]





 オマンルパロ  [返信] [引用]
知里真志保の「あの世の入り口いわゆる地獄穴について」の中の余市の伝承について、「余市町郷土史」を更科源三が「北海道の昔話アイヌ編」引用してて、話の運びが違星北斗のものとほとんど同じなんどよね。余市町郷土史は北斗のを参考にしたのかもしれない。
 
管理人  ++.. 2015/09/01(火) 02:10 [590]

 
あと、余市なのに、遠く離れた日高と同じ「オマンルパロ」なのかな、とも。

日高に縁深かった北斗が、日高の呼び方を持ってきたってことないよね?


管理人  ++.. 2015/09/01(火) 02:15 [591] [引用]





 北大講演資料ダウンロードページ  [返信] [引用]

去る6月12日の北大・アイヌ・先住民研究センターでの講演の資料PDFを下記のページにアップロードしました。

・小冊子「違星北斗遺稿集」(S29、違星北斗の会)

 →とてもコンパクトにまとまっています。最初に北斗を知る入門編として、「コタン」をドンと渡すより、こちらの方がよいかもしれません。


・「違星北斗昔話集」 北斗の別の文才が見えてきます。絵本にしたい。
・「違星北斗年譜」 最新版。随時更新しているので参考用に。
・「アイヌ神謡集序文」原文とコタンでの引用文の比較です。
・「レジュメ」 というよりメモです。お恥ずかしい。

「ダウンロード」をクリックして、PDFが開いたら、「別名で保存」で任意の場所に保存してください。

 ご興味のある方は、よろしくおねがいします。

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0f98.html

 
管理人  ++.. 2015/07/13(月) 17:34 [589]





 SF乱学講座・違星北斗  [返信] [引用]
8月2日(日)「SF乱学講座」で違星北斗の事をお話しさせていただきます。

ーーーーーーーーーー

「アイヌの歌人・違星北斗の言葉の「悪用」について」

講師:山科清春(違星北斗研究会代表)

内容紹介:

アイヌの歌人・違星北斗は、大正から昭和の初めに活動した、アイヌの歌人です。
彼はその27年の生涯をアイヌの民族復興と権利回復のために捧げ、当時「滅び行く民族」などと呼ばれていたアイヌの中にあって、「俺はアイヌだ」「俺はここにいる」と叫び、多くの同族に勇気を与え、自覚と団結を促しました。
ところが、このアイヌの誇りと魂の叫びを歌った違星北斗の言葉が、近年、全く正反対の「アイヌ民族は存在しない」といったヘイトスピーチの中で用いられるといった事態が起きています。
この講座では、違星北斗の波乱に満ちた生涯とその思想の変遷を紹介しながら、彼の言葉はなぜ悪用されたのか、その本当の意味とは?
といったことを中心にお話しさせていただきたいと思います。

開催日時:2015年8月2日 日曜日 午後6時15分〜8時15分
参加費 :千円
会場  :高井戸地域区民センター(地図) (京王井の頭線「高井戸」駅下車)

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5302/

 
管理人  ++.. 2015/07/13(月) 17:28 [588]





 違星北斗に関する講演について  [返信] [引用]
6月12日に北海道大学のアイヌ・先住民研究センターで違星北斗についてお話させていただくことになりました。
夜6時半ごろからになりそうです。

違星北斗の生涯とその思想の遍歴について、「アイヌ民族否定論に抗する」に書いたようなことをお話させていただこうかと思っています。

参加費は無料だと思いますので
興味のある方はぜひお越しください。

喋るのは苦手ですが、より多くの人に違星北斗の事を知ってもらえればと思い、お受けすることにしました。

詳細またお知らせします。

http://www.cais.hokudai.ac.jp

 
管理人  ++.. 2015/05/03(日) 09:31 [587]





 北斗の短冊  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 48.6KB )

 「アイヌ民族否定論に抗する」(河出書房新社)をお読みになった方がツイッターで興味深いつぶやきをされていました。
 その方のお祖父さまは、違星北斗のお知り合いだったとのこと。
 さっそく、ツイッターで連絡させていただきました。
 現在、札幌にお住まいのTさんとおっしゃられる方で、その方のお祖父さまは、小樽の景山病院で働いて短歌や俳句をされており、ご自宅に北斗が泊まられたられり、一緒に銭湯に行ったことがあるそうです。
 
 景山病院といえば、北斗が活躍していた「新短歌時代」に掲載された「さらば小樽よ小樽の人々よ」という福田義正の文章に登場します。

http://www.geocities.jp/bzy14554/sarabaotaruyo.htm

 
 また、今回ご連絡をいただいたTさんのお祖父様のお名前も、上の文章に出ているそうです。

 さらに!
 ご自宅に現在も「北斗の直筆の短冊」がある、とのことでした。

 それが、こちらです。

 

 

 
管理人  ++.. 2015/02/09(月) 12:58 [584]

 
.jpg / 4.0KB


 これは、間違いなく、北斗の筆によるものだと思います。

 特徴的なのが「4」に似た「斗」の形、斗の右下に点を打つこと(この点を打つのことっで「斗」を違星家の家紋「エカシシロシ」に似せているんですね。

管理人  ++.. 2015/02/09(月) 13:05 [585] [引用]

 

この北斗の短冊は、とても貴重なものです。

色紙は金田一家にある他、数点あるのですが、短冊は私は初めて見ました。

T様には、WEBへの掲載の許可とともに、
もし北斗の企画展などが開かれる時は、展示のお声掛けしてもよいかとお願いしましたところ、どちらも快諾いただきました。
T様、ありがとうございます。


管理人  ++.. 2015/02/09(月) 13:14 [586] [引用]





 無題  [返信] [引用]
寄稿させていただいた「アイヌ民族否定論に抗する」という本が、河出書房新社発売になりました。

「アイヌ民族はいない!」と発言して、民族を抹殺しようとする人たちに「NO!」を突き付ける本です。

私はとかくネトウヨたちに誤解•曲解されいいように利用されてしまっているアイヌの歌人違星北斗の言葉について書きました。
ご興味あるかたは是非。

http://www.amazon.co.jp/アイヌ民族否定論に抗する-岡和田-晃/dp/4309226205

 
管理人  ++.. 2015/01/27(火) 10:10 [583]








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