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コタンBBS

違星北斗研究会
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 違星北斗の本棚  [返信] [引用]
「シミルボン」というサイトに、違星北斗のことを書きました。(だいぶ前ですが…)。

【連載】違星北斗の本棚

第1回「『ズートピア』と違星北斗の思想〜ああ我らの理想はまだ遠きか」
https://shimirubon.jp/columns/1674973

第2回 「一命を賭して書かれ、一民族を救う力を持つ本たち」
https://shimirubon.jp/columns/3897

第3回「日本民俗学の黎明期を目撃したアイヌの一青年」
https://shimirubon.jp/columns/1675707

第4回「100万人のカリスマ、後藤静香の『権威』〜《修養》の時代〜」
https://shimirubon.jp/columns/1676484

第5回「二人の恩師のはざまで 〜ジョン・バチラーと後藤静香」
https://shimirubon.jp/columns/1677318

第6回「分断の世界に抗う言葉の力〜違星北斗の理想から遠く離れて」
https://shimirubon.jp/columns/1679105


 
管理人  ++.. 2017/04/02(日) 13:53 [601]





 こんなの見つけた  [返信] [引用]
違星 北斗 ( いぼし ほくと 1901- 1929 ) STV ラジオ ほっかいどう 百年物語 2016-101-6

http://www.dailymotion.com/video/x4xppla#user_search=1

まあ、まずまずですね。

 
管理人  ++.. 2016/12/10(土) 02:43 [599]

 
よく、このサイトを読み込んでくださっている感じで、このサイトをまとめてくださった感じです。放送に僕の言葉や見解もそのまま紛れ込んでいるし。
管理人  ++.. 2016/12/10(土) 02:49 [600] [引用]





 無題  [返信] [引用]
東京アイヌ学会について。

アイヌ民族文化研究センターだより NO.40
(2014年3月)に
 《「北方文化展」と「東京アイヌ学会」に関する資料》というものがあります。久保寺逸彦資料を紹介下記事です。

http://ainu-center.hm.pref.hokkaido.lg.jp/HacrcHpImage/05/pdf/05_003_no40.pdf

その中に、「東京アイヌ学会」設立の記事があるのですが、年代は昭和11年となっています。

北斗も「東京アイヌ学会」に参加しているのですが、その「第二回 東京アイヌ学会」は大正14年3月ですから、昭和11年に設立されたものは、その後身なのか、もしくは、一旦立ち消えになったものを復活させたものか。

北斗が参加したのは勉強会といった雰囲気だったのですが、昭和11年設立のものは、百貨店の白木屋でアイヌ文化の展示なども行ったそうです。

会長が金田一京助、役員に久保寺や知里真志保の名前があります。

 
管理人  ++.. 2016/11/19(土) 02:41 [598]





 「違星北斗のノートについて」  [返信] [引用]
「違星北斗のノートについて」寄稿しました「沙流川歴史館年報」第17号が届きました。
北海道立文学館の所蔵の北斗の現存する唯一の直筆ノート
「違星北斗大正14年ノート」のレポートです。
お許しをいただいたので、
こちらからもPDFで読めるようにしています。
http://www.geocities.jp/bzy14554/hokutonotenitsuite.pdf
※文章の間違いや言葉足らずなところがありますので、若干、修正しています。

 
管理人  ++.. 2016/05/07(土) 00:35 [597]





 ゴールデンカムイが描かない「アシリパの妹たち」の苦難と明日  [返信] [引用]
書評を「シミルボン」という書評サイトに寄稿しました。
「ゴールデンカムイが描かない「アシリパの妹たち」の苦難と明日」
https://shimirubon.jp/reviews/3873

ゴールデンカムイでアシリパさんを好きになった方、
アイヌ文化に興味を持った人、
そのあと
アシリパさんや、その弟や妹世代、
そしてアシリパさんの子ども世代のアイヌが、
どう生きたかを、
思いを馳せてみてください。
一応、
「ゴールデンカムイ」ではなく、
「アイヌ神謡集」の書評です。

 
管理人  ++.. 2016/05/02(月) 12:42 [596]





 没後87年  [返信] [引用]
今日(もう昨日か)1月26日は、違星北斗の命日でした。没後87年です。

この1月26日という日は、北斗にとっては命日であるのと同時に、もう一つの記念日でもあります。

違星北斗は、死の5年前の1924(大正13)年、22歳の時に余市アイヌの修養団体「茶話笑楽会」を結成しています。

1月26日は皇太子(後の昭和天皇)の成婚記念日で、笑楽会はこの日に合わせて結成された、といくつかの資料に書いてあります。

アイヌである北斗がなぜ?

と思う人もいるかもしれませんが、それは今日的な感覚なのだと思います。

当時としてはおめでたい日に合わせて結成しよう、というのは当たり前の感覚だったのかもしれません。

ちなみに北斗と昭和天皇はともに1901(明治34)年同年の生まれであります。北斗は戸籍上は翌年1月1日生まれになっていますが、前年の年末に生まれています。北斗が戸籍上の明治35年ではなく、34年生まれを自称していたのには、そのあたりのことも関係しているかもしれません。

いずれにしても、
亡くなった1月26日が、北斗の民族復興の運動の最初の第一歩の記念日であり、さらにそれが昭和天皇の成婚記念日からとられている、というのはいろんな意味で数奇な感じがしてなりません。

 
管理人  ++.. 2016/01/27(水) 01:00 [595]





 変節のケーススタディ  [返信] [引用]
昨日、東京外国語大学で開かれた「アイヌ民族とオーストラリア先住民――同化・差別と研究の現在」というワークショップに参加して考えたこと。

河野本道というアイヌ研究者は、昔は親アイヌ的な立場をとっていたけど、近年は小林よしのりや砂澤陣なんていうアイヌ民族否定論者のすがり立つ支柱のような存在になってしまった。

いろいろあって。

そう。その「いろいろあって」というのが、本当に厄介なのだと思う。個人的体験による変節。ルサンチマン。

河野本道が「いろいろあって」そうなった。
砂澤陣が(同上)。

その「いろいろあって」が、彼らを変節させ、
今や新たな差別と偏見の出どころになろうとしている。

一緒にしたらダメだけど、知里真志保の心にもいろいろがあった。
もしかしたら、病床でしたためられ、希望社によって取捨選択され、残らなかった違星北斗の日記にも、いろいろあった、その変化があったかもしれない。
(古田謙二の短歌に、病床の北斗の思想は歪んでいるという記述がある)

そういった、ルサンチマンや屈辱や絶望や挫折による変節や屈折が、それを利用したい者によって悪用され、ソーシャルメディアにより拡散されることで、今やその悪意は看過できないものになっている。

我々は、彼らの極めて個人的体験に根ざした、変節の記録を学ばなければならない。

明らかにしなければならない。
変節のケーススタディを整理しなければならない。

いろいろあって、こうなった。
だから、その人の言うことには気をつけろよ、フィルターがかかってるぞ、と。

これを読めという、決定版を作らなければいけない。
正解を示さなければいけない。常識にしなければならない。

僕たちは当たり前に思っていた、してはいけないことが、
いつからか、人を差別すること、虐げること、人を人とも思わないこと、人を苦しめることを、平気な顔、誇らしい顔で行うことがまかり通る世の中になってしまった以上は。




 
管理人  ++.. 2016/01/23(土) 02:24 [594]





 岩崎吉勝  [返信] [引用]
違星北斗の遺稿「コタン」を編集したのは
希望社の関係者、岩崎吉勝と宗近真澄。宗近真澄の方は、日本におけるエスペラント語普及に関して、名前を残しているけど、岩崎吉勝はよくわからなかった。

 あるレポートを書くために、しばらくぶりに検索してみたら、岩崎吉勝のプロフィールが見つかった。
 
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8E+%E6%9C%89%E9%A6%99-1641673

コトバンク
20世紀日本人名事典の解説
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小野 有香
オノ ユウコウ


大正・昭和期の歌人,詩人,社会主義者

生年明治15(1882)年3月16日
没年昭和40(1965)年3月17日
出生地奈良県吉野郡
本名岩崎 吉勝
旧姓(旧名)小野
学歴〔年〕早稲田大学政経学部〔明治40年〕卒
経歴「週刊平民新聞」の後継紙である「直言」の編集をし、短歌「暗潮」、詩「労働に生きよ」などを発表した。また「新紀元」にも詩や短歌を発表した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

平民新聞っていうと、北斗が世話になった「自働道話社」の西川光次郎が関わっていたんですよね。

後藤静香と西川光次郎をつなぐラインっていうのは見つかってなかったんですが、もしかしたら、この辺が関係しているのかもしれませんね。
偶然かもしれないですが。

 
管理人  ++.. 2015/11/09(月) 17:46 [592]

 
小野有香は若い時、「火鞭会」という社会主義的文学結社の同人で、後に「大菩薩峠」を書く中里介山と一緒だったみたいですね。

https://kotobank.jp/word/%E7%81%AB%E9%9E%AD-1155444


管理人  ++.. 2015/11/09(月) 18:12 [593] [引用]





 オマンルパロ  [返信] [引用]
知里真志保の「あの世の入り口いわゆる地獄穴について」の中の余市の伝承について、「余市町郷土史」を更科源三が「北海道の昔話アイヌ編」引用してて、話の運びが違星北斗のものとほとんど同じなんどよね。余市町郷土史は北斗のを参考にしたのかもしれない。
 
管理人  ++.. 2015/09/01(火) 02:10 [590]

 
あと、余市なのに、遠く離れた日高と同じ「オマンルパロ」なのかな、とも。

日高に縁深かった北斗が、日高の呼び方を持ってきたってことないよね?


管理人  ++.. 2015/09/01(火) 02:15 [591] [引用]





 北大講演資料ダウンロードページ  [返信] [引用]

去る6月12日の北大・アイヌ・先住民研究センターでの講演の資料PDFを下記のページにアップロードしました。

・小冊子「違星北斗遺稿集」(S29、違星北斗の会)

 →とてもコンパクトにまとまっています。最初に北斗を知る入門編として、「コタン」をドンと渡すより、こちらの方がよいかもしれません。


・「違星北斗昔話集」 北斗の別の文才が見えてきます。絵本にしたい。
・「違星北斗年譜」 最新版。随時更新しているので参考用に。
・「アイヌ神謡集序文」原文とコタンでの引用文の比較です。
・「レジュメ」 というよりメモです。お恥ずかしい。

「ダウンロード」をクリックして、PDFが開いたら、「別名で保存」で任意の場所に保存してください。

 ご興味のある方は、よろしくおねがいします。

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0f98.html

 
管理人  ++.. 2015/07/13(月) 17:34 [589]








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