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コタンBBS

違星北斗研究会
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 山中峯太郎  [返信] [引用]
戦争直前に書かれた違星北斗モデルの小説『民族』(山中峯太郎)の中で、主人公「ヰボシ」は、社会のアイヌに対する風当たりに絶望して命を断つ。
山中は戦後、ヰボシを殺したことを悔いて、『民族』を改作した『コタンの娘』を書いた。
作家が亡友を作中で絶望死させた時代は「今」とどう違うのだろう。
『コタンの娘』ではヰボシは希望を失わず、死ぬ事も無く、次世代のアイヌを若葉に例え、未来に希望を持って終わる。
今こそ、山中峯太郎の「失敗作」『民族』を読むことで、当時と今について、わかることもあるのではないか、とも思う。
問題は『民族』は発禁回収くらってるから、入手が困難な事だ。
でも、山中峯太郎の作品は2017年の1月1日に著作権が切れたので、そのうち青空文庫にアップされるかも。



 
管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:28 [610]





 増上寺の雪  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 76.9KB )

違星北斗が上京した大正14年の冬、東京を記録的な大雪が襲った。

その大雪を描いたのが、川瀬巴水の「芝 増上寺」だ。

芝増上寺といえば、北斗の祖父万次郎が、明治の初めに「留学」したところ。
北斗は、上京してすぐに祖父の思い出の地を訪ね、
雪の増上寺を描く画家に出会ったのかも。

 
管理人  ++.. 2017/08/27(日) 22:54 [607]

 
でも、この絵は、大雪というほどでもないか。
管理人  ++.. 2017/08/27(日) 22:54 [608] [引用]

 
大雪の記録は1月30日。
北斗が上京してたかは微妙だなあ。

でも、北斗が増上寺に行ったことは間違いない。
(雑記帳に増上寺関係者の名がある)。

川瀬巴水の描いた増上寺も大正十四年に描かれたものだから、北斗が見た増上寺はこの増上寺なのだろう。

雪があったかどうかは別として。

管理人  ++.. 2017/08/27(日) 22:56 [609] [引用]





 与謝野晶子と北斗  [返信] [引用]
違星北斗と与謝野鉄幹・晶子夫妻の間に関係があるという資料はみつかっていない。

でも、北斗と晶子は、あっていた確率は決して低くないと思う。

なぜか。

違星北斗は、西川光次郎と妻の西川文子と親しくしていたからだ。
北斗は西川光次郎の斡旋で上京した。
上京してすぐに、北斗は文子と会い、西川夫妻から可愛がられている。

この西川文子の兄の妻が、晶子の妹の「里子」。

つまり、西川文子にとっては、晶子も義姉ということになり、その夫の鉄幹は義兄である。

北斗は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の義妹である西川文子と親しかったのだ。

------------------------------------
与謝野鉄幹
  |
 晶子 → (妹)里子
         | 
         ○(文子の兄) → 文子
                   |
                   西川光次郎
------------------------------------

これって、ちょっとすごくないですかね!?
もしかしたら、何か文書が残っていないかな。

http://office34.exblog.jp/11522848/

 
管理人  ++.. 2017/07/28(金) 01:04 [606]





 無題  [返信] [引用]
本日、浜益でカムイノミがあり、私も参加してきました。
先祖へのお祈りのところで、
私にもご指名があり、北斗に対して、伝えたいことがあれば、ということでした。

とっさのことで、
「ご迷惑をおかけしますが、今後共よろしくおねがいいたします。」
と紋切型の言葉しか伝えられませんでしたが、甘党の北斗に甘いものを捧げました。

後から考えると、いろいろ伝えたいことがあるのですが……。

このカムイノミで北斗に話しかけるという体験をして驚いたことがあります。

私は和人ですし、カムイノミもやり方がよくわからなかったですので、正直、北斗に言葉が伝わったかどうかは分かりません。

それに、なんていうかリアリストを気取っている皮肉屋の部分も私にはあるのですが…

ただ、「こうやって、北斗に思いを伝えることができるんだよ」という考え、概念を示された時に、

「ああ、そうか、北斗に言葉を伝えるという概念、できるという考え方があるんだ…
一方通行だけど、北斗とつながるという概念があるんだ…」

と、いったことが、スッと胸の中に入ってきたのでした。

とても…なんというか、
まったく自分の中にない考えだったので、
ハッとしたというか、
目から鱗が落ちたというか、
新しい概念を与えられたというか…
感動して、驚いたのです。

いや、僕の中では、違星北斗という人は、80年以上前に生きて死んだ人で、
遠くにあって永遠にたどり着けない、まさに星のような人だと思っていたのですが、

そういう《概念》を知ったことで、なんかちょっと楽になったなあ、とも思うのです。

そして、北斗が聞いていると思うと、とても緊張して、うまく言葉を伝えることができなかったのでした。

不思議な感覚でした。

 
管理人  ++.. 2017/07/17(月) 23:27 [605]





 違星北斗の悪用  [返信] [引用]
ツイッター上で、違星北斗の言葉が「悪用」し、アイヌへのヘイトに使われることがあります。

曰く「アイヌは存在しない」「アイヌは喜んで和人に同化した」「その証拠は違星北斗が書き残している」云々…。

あまりにひどいので、そのヘイターに「違星北斗の言葉」で反論するということがありました。

その「まとめ」です。
https://togetter.com/li/1105025

 
管理人  ++.. 2017/05/08(月) 09:15 [604]





 「現代短歌新聞」に紹介されました  [返信] [引用]
5月5日発売の「現代短歌新聞」5月号に違星北斗の紹介記事を書きました。

 
管理人  ++.. 2017/05/08(月) 09:06 [602]

 

https://twitter.com/kiyamashina/status/861008320462594049

管理人  ++.. 2017/05/08(月) 09:10 [603] [引用]





 違星北斗の本棚  [返信] [引用]
「シミルボン」というサイトに、違星北斗のことを書きました。(だいぶ前ですが…)。

【連載】違星北斗の本棚

第1回「『ズートピア』と違星北斗の思想〜ああ我らの理想はまだ遠きか」
https://shimirubon.jp/columns/1674973

第2回 「一命を賭して書かれ、一民族を救う力を持つ本たち」
https://shimirubon.jp/columns/3897

第3回「日本民俗学の黎明期を目撃したアイヌの一青年」
https://shimirubon.jp/columns/1675707

第4回「100万人のカリスマ、後藤静香の『権威』〜《修養》の時代〜」
https://shimirubon.jp/columns/1676484

第5回「二人の恩師のはざまで 〜ジョン・バチラーと後藤静香」
https://shimirubon.jp/columns/1677318

第6回「分断の世界に抗う言葉の力〜違星北斗の理想から遠く離れて」
https://shimirubon.jp/columns/1679105


 
管理人  ++.. 2017/04/02(日) 13:53 [601]





 こんなの見つけた  [返信] [引用]
違星 北斗 ( いぼし ほくと 1901- 1929 ) STV ラジオ ほっかいどう 百年物語 2016-101-6

http://www.dailymotion.com/video/x4xppla#user_search=1

まあ、まずまずですね。

 
管理人  ++.. 2016/12/10(土) 02:43 [599]

 
よく、このサイトを読み込んでくださっている感じで、このサイトをまとめてくださった感じです。放送に僕の言葉や見解もそのまま紛れ込んでいるし。
管理人  ++.. 2016/12/10(土) 02:49 [600] [引用]





 無題  [返信] [引用]
東京アイヌ学会について。

アイヌ民族文化研究センターだより NO.40
(2014年3月)に
 《「北方文化展」と「東京アイヌ学会」に関する資料》というものがあります。久保寺逸彦資料を紹介下記事です。

http://ainu-center.hm.pref.hokkaido.lg.jp/HacrcHpImage/05/pdf/05_003_no40.pdf

その中に、「東京アイヌ学会」設立の記事があるのですが、年代は昭和11年となっています。

北斗も「東京アイヌ学会」に参加しているのですが、その「第二回 東京アイヌ学会」は大正14年3月ですから、昭和11年に設立されたものは、その後身なのか、もしくは、一旦立ち消えになったものを復活させたものか。

北斗が参加したのは勉強会といった雰囲気だったのですが、昭和11年設立のものは、百貨店の白木屋でアイヌ文化の展示なども行ったそうです。

会長が金田一京助、役員に久保寺や知里真志保の名前があります。

 
管理人  ++.. 2016/11/19(土) 02:41 [598]





 「違星北斗のノートについて」  [返信] [引用]
「違星北斗のノートについて」寄稿しました「沙流川歴史館年報」第17号が届きました。
北海道立文学館の所蔵の北斗の現存する唯一の直筆ノート
「違星北斗大正14年ノート」のレポートです。
お許しをいただいたので、
こちらからもPDFで読めるようにしています。
http://www.geocities.jp/bzy14554/hokutonotenitsuite.pdf
※文章の間違いや言葉足らずなところがありますので、若干、修正しています。

 
管理人  ++.. 2016/05/07(土) 00:35 [597]








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