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コタンBBS

違星北斗研究会
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 徳富蘆花  [返信] [引用]
違星北斗が「蘆花許せん!」と言ったらしいのですが、理由がよくわからなかった。

もしかしたらだけど、蘆花の旅行記に「熊の足跡」というものがあり、その中の釧路での記述の中に、

「昨日石狩嶽に雪を見た。汽車の内も中々寒い。上川原野を南方へ下つて行く。水田が黄ばむで居る。田や畑の其處此處に燒け殘りの黒い木の株が立つて居るのを見ると、開け行く北海道にまだ死に切れぬアイヌの悲哀が身にしみる樣だ。」

といったものがある。
これなんか、北斗が見たら怒りそうではある。

 
管理人  ++.. 2018/01/26(金) 01:42 [620]





 北海道新聞に「違星北斗!」  [返信] [引用]
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今日の道新の「ミンタラ」《先人たちの物語 シンリッオルッペ》で違星北斗が取り上げられています。

すごい!
内容については、まず、問題ないです。
特に良いと思ったのが「同人誌コタン」の表紙がちゃんと正しいものになっていること。(遺稿集に掲載されているエカシの立ち姿の載ったページは、実は目次ページで、収録時に表紙が散逸していたのでしょう。数年前に古書店で同人誌コタンが出た時に、本当の表紙がわかったのです)。 

添付画像では読めないと思いますので、下記リンクを参照。
FB「新聞記事スクラップ」
https://www.facebook.com/sisam2017sinbun/photos/a.137540280136904.1073741826.137538480137084/198243270733271/?type=3&theater

ただ、北斗のイラストはもうすこし男前がよかったな。

 
管理人  ++.. 2017/11/26(日) 01:05 [619]





 秋田雨雀  [返信] [引用]
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違星北斗と面識があった秋田雨雀。

島村抱月の弟子で、戯曲家・小説家・詩人。
社会主義者で、エスペランティスト。

北斗と出会った大正14年、43歳だった。

秋田雨雀は、その大正14年に雑誌「改造」に
「悲しみのオキクルミ」という戯曲を書いている。

北斗と出会ったその年に、「悲しみのオキクルミ」とは、
無関係とは思えない。

大正14年の「改造」を調査してみよう。

 
管理人  ++.. 2017/11/26(日) 00:44 [617]

 
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この記述。
管理人  ++.. 2017/11/26(日) 00:54 [618] [引用]





 コタン吟  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 93.6KB )

 だいぶ前に、余市のK先生よりコピーを頂いた、北斗自筆の「コタン吟」。


 「コタン吟」というタイトルは、
同人誌「コタン」創刊号(S2/8月)
 http://www.geocities.jp/bzy14554/kotangin-dojin.html
「新短歌時代」創刊号(S2/12月)
 http://www.geocities.jp/bzy14554/shintankajidai.html
「志づく」(S3年2月)
 http://www.geocities.jp/bzy14554/shiduku.html

「ウタリの友」(昭和8年1月)
http://www.geocities.jp/bzy14554/utarinotomo.html

など、いろいろなところで使われているが、このラインナップは、そのどれとも違う。
 
 おそらく「コタン吟」というのは、北斗が好んで使っていたタイトルなのだろう。

 のちに、病床で「北斗帖」という自筆の歌集を編み、
 草風館版コタンでも「私の短歌」を編集者によって「北斗帖」と名づけられてしまった
(つまり、北斗による命名としては病床の「北斗帖」のみで、草風館版「北斗帖」は北斗自身の編集でも命名でもなく、中身も自薦歌集「北斗帖」とはイコールではないと思われる)が、

 元気な時は「コタン吟」を好んで使っている。

 「コタン吟」のタイトルにも、もっと注目すべきだろうと思う。

 
管理人  ++.. 2017/08/29(火) 22:00 [616]





 無題  [返信] [引用]
違星北斗を漫画化するなら「坊ちゃんの時代」で金田一と啄木を描いた谷口ジロー先生をおいて他にないと思っていましたが、お亡くなりになられましたね。ほら、下戸で甘党の北斗が師を訪ねて東京中を歩き、饅頭とか、汁粉とか、かき氷とか、あと支那蕎麦などを頬張る姿も見たいじゃあないですか。「北斗のグルメ」。ちなみにこれらは全て北斗が東京で食べたもの。もちろん阿佐ヶ谷編には中原、中也が酔客として暴れこんでくるし、鶯谷では賢治がなむなむ言ってるし、巣鴨では稲垣足穂にお星様と間違えられて殴られる。
 
管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:33 [614]

 
「北斗のグルメ」。ちなみにこれらは全て北斗が東京で食べたもの。もちろん阿佐ヶ谷編には中原、中也が酔客として暴れこんでくるし、鶯谷では賢治がなむなむ言ってるし、巣鴨では稲垣足穂にお星様と間違えられて殴られる。
管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:34 [615] [引用]





 伊勢丹  [返信] [引用]
ちなみに違星北斗が足繁く通っていた新宿の「希望社」の自社ビルは、昭和七年希望社解散後、「伊勢丹」が入ったのだそうです。なんだか急に身近に思えるじゃあありませんか。
 
管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:29 [611]

 
「違星北斗.com」の昔ながらのHTMLベースのサイト更新が煩わしくなってきたので、更新がし易いWordPress環境に全面移行しようかと準備をしていたのだが、ただ移行するだけじゃなくて、書き直したくなってしまう。ちょっと一朝一夕にというわけには行かないな。気長にやるしかないか。
管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:30 [612] [引用]

 
違星北斗の周りに時代の空気のようにあった希望社や修養団、国柱会などの団体の思想。その修養・向上の考えは確かに北斗を教導した。だが90年後のこの国を覆っている排外的な空気もまた、そういった戦前の教化団体の思想を受け継ぐ日本会議のような団体が、現代に蘇らせた空気なのは皮肉なことだな。



管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:31 [613] [引用]





 山中峯太郎  [返信] [引用]
戦争直前に書かれた違星北斗モデルの小説『民族』(山中峯太郎)の中で、主人公「ヰボシ」は、社会のアイヌに対する風当たりに絶望して命を断つ。
山中は戦後、ヰボシを殺したことを悔いて、『民族』を改作した『コタンの娘』を書いた。
作家が亡友を作中で絶望死させた時代は「今」とどう違うのだろう。
『コタンの娘』ではヰボシは希望を失わず、死ぬ事も無く、次世代のアイヌを若葉に例え、未来に希望を持って終わる。
今こそ、山中峯太郎の「失敗作」『民族』を読むことで、当時と今について、わかることもあるのではないか、とも思う。
問題は『民族』は発禁回収くらってるから、入手が困難な事だ。
でも、山中峯太郎の作品は2017年の1月1日に著作権が切れたので、そのうち青空文庫にアップされるかも。



 
管理人  ++.. 2017/08/28(月) 00:28 [610]





 増上寺の雪  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 76.9KB )

違星北斗が上京した大正14年の冬、東京を記録的な大雪が襲った。

その大雪を描いたのが、川瀬巴水の「芝 増上寺」だ。

芝増上寺といえば、北斗の祖父万次郎が、明治の初めに「留学」したところ。
北斗は、上京してすぐに祖父の思い出の地を訪ね、
雪の増上寺を描く画家に出会ったのかも。

 
管理人  ++.. 2017/08/27(日) 22:54 [607]

 
でも、この絵は、大雪というほどでもないか。
管理人  ++.. 2017/08/27(日) 22:54 [608] [引用]

 
大雪の記録は1月30日。
北斗が上京してたかは微妙だなあ。

でも、北斗が増上寺に行ったことは間違いない。
(雑記帳に増上寺関係者の名がある)。

川瀬巴水の描いた増上寺も大正十四年に描かれたものだから、北斗が見た増上寺はこの増上寺なのだろう。

雪があったかどうかは別として。

管理人  ++.. 2017/08/27(日) 22:56 [609] [引用]





 与謝野晶子と北斗  [返信] [引用]
違星北斗と与謝野鉄幹・晶子夫妻の間に関係があるという資料はみつかっていない。

でも、北斗と晶子は、あっていた確率は決して低くないと思う。

なぜか。

違星北斗は、西川光次郎と妻の西川文子と親しくしていたからだ。
北斗は西川光次郎の斡旋で上京した。
上京してすぐに、北斗は文子と会い、西川夫妻から可愛がられている。

この西川文子の兄の妻が、晶子の妹の「里子」。

つまり、西川文子にとっては、晶子も義姉ということになり、その夫の鉄幹は義兄である。

北斗は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の義妹である西川文子と親しかったのだ。

------------------------------------
与謝野鉄幹
  |
 晶子 → (妹)里子
         | 
         ○(文子の兄) → 文子
                   |
                   西川光次郎
------------------------------------

これって、ちょっとすごくないですかね!?
もしかしたら、何か文書が残っていないかな。

http://office34.exblog.jp/11522848/

 
管理人  ++.. 2017/07/28(金) 01:04 [606]





 無題  [返信] [引用]
本日、浜益でカムイノミがあり、私も参加してきました。
先祖へのお祈りのところで、
私にもご指名があり、北斗に対して、伝えたいことがあれば、ということでした。

とっさのことで、
「ご迷惑をおかけしますが、今後共よろしくおねがいいたします。」
と紋切型の言葉しか伝えられませんでしたが、甘党の北斗に甘いものを捧げました。

後から考えると、いろいろ伝えたいことがあるのですが……。

このカムイノミで北斗に話しかけるという体験をして驚いたことがあります。

私は和人ですし、カムイノミもやり方がよくわからなかったですので、正直、北斗に言葉が伝わったかどうかは分かりません。

それに、なんていうかリアリストを気取っている皮肉屋の部分も私にはあるのですが…

ただ、「こうやって、北斗に思いを伝えることができるんだよ」という考え、概念を示された時に、

「ああ、そうか、北斗に言葉を伝えるという概念、できるという考え方があるんだ…
一方通行だけど、北斗とつながるという概念があるんだ…」

と、いったことが、スッと胸の中に入ってきたのでした。

とても…なんというか、
まったく自分の中にない考えだったので、
ハッとしたというか、
目から鱗が落ちたというか、
新しい概念を与えられたというか…
感動して、驚いたのです。

いや、僕の中では、違星北斗という人は、80年以上前に生きて死んだ人で、
遠くにあって永遠にたどり着けない、まさに星のような人だと思っていたのですが、

そういう《概念》を知ったことで、なんかちょっと楽になったなあ、とも思うのです。

そして、北斗が聞いていると思うと、とても緊張して、うまく言葉を伝えることができなかったのでした。

不思議な感覚でした。

 
管理人  ++.. 2017/07/17(月) 23:27 [605]








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