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コタンBBS

違星北斗研究会
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 無題  [返信] [引用]
北斗と親交があったらしい詩人・秋田雨雀のことをもっと調べないといけないと思っていて、青森の記念館にも行きたい。

とはいえ、群馬の後藤静香記念館にも行けてないのだ…。

http://kuroishi.or.jp/sightseeing/akita

 
管理人  ++.. 2018/11/11(日) 19:22 [628]

 
上野の国際子ども図書館の「『赤い鳥』創刊100年―誌面を彩った作品と作家たち」展
http://www.kodomo.go.jp/event/exhibition/tenji2018-03.html
を見てから、秋田雨雀のことを考えている。
筆まめな人で、多くの文化人の登場する詳細な日記を残している。北斗とは面識があり、北斗ことも書いてあるかも知れないと、雨雀の日記を購入する。

管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:04 [632] [引用]





 無題  [返信] [引用]
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秋田雨雀日記 大正14年12月13日「夕方アイヌ人の選里(千里)君がきたので、夜まで話した。やはり大和民族にたいする怒りを持っているようだ」
この「選里」は「違星」の読み間違いではないかと。(編者は「千里」としていて、知里真志保に比定しようとしているのかも知れないが、真志保はまだ室蘭中学の学生)

 
管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:01 [629]

 
秋田雨雀日記には北斗の知人もたくさん登場する。金田一京助、柳田国男、そして、街頭マンドリン詩人永井叔。
秋田雨雀は「アイヌの滅亡」「悲しみのオキクルミ」という戯曲を書いている。(北斗に出会う前の大正13年)


管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:02 [630] [引用]

 
秋田雨雀日記、秋田雨雀記念館に行けば、手書きのもの見れるのかな。
それにしても、手書きの原稿(特に本人が校正できない遺稿)を編集者や印刷工が活字にするときに間違いが生じることがいかに多いことか。


管理人  ++.. 2018/11/22(木) 00:03 [631] [引用]





 サイト引っ越し  [返信] [引用]
「違星北斗.com」コタンで使用していました「Yahoo geocities」が3月末で廃止になりますので、ニフティに引っ越します。(この掲示板は引っ越しには関係ありません)。

 お気に入り、ブックマークの修正をお願いいたします。

 http://iboshihokuto.o.oo7.jp/

 
管理人  ++.. 2018/11/07(水) 13:31 [627]





 余市町ホームページ  [返信] [引用]
余市町のホームページに
「余市町でおこったこんな話「その169 違星北斗(いぼしほくと)」」
が掲載されています。

北斗が大川遺跡で掘り出したという銅鏡が掲載されています。

https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2018/sono169.html

 
管理人  ++.. 2018/09/10(月) 20:09 [626]





 『違星北斗の生涯』  [返信] [引用]
『違星北斗の生涯』という本を、ある出版社で出そうという話になったのですが、もちろん儲かる本ではないので、本業で食い扶持を稼ぎながら、時間を作ってまとめていかねばならないので、ちょっと大変そうです。

 怠け者なので、ブログか、シミルボンのような書評サイトかどこかに、少しずつ書いていくような形で、どうにかして書き続けて行けるような形に持っていかねばと思います。
 本当は、〆切と「せっついてくれる人」がいれば、書かざるを得ないので、書かせてくれる同人誌か何かがあればいいのですが。悩み中です。

 
管理人  ++.. 2018/05/24(木) 12:10 [625]





 無題  [返信] [引用]
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今、大川周明がなぜかブームですが、そういえば北斗も大川周明の講演を聞いてノートにメモを残していたなと思い、読み直してみました。

大正14年11月3日「大邦日本の理想 文学士 大川周明氏」の講演を聞いた北斗は、
大川周明の意見に、いろいろと思うところがあったようで、

「日本の理想は?
食ふことから出発せなくてはならないなんて、哀れな理想ではないか。
対外政策が日本の理想か。
なぜもっと良い理想がないのか。
国家以上の大理想がないか。
食ふことの問題? 
生きることの問題? 
人の人たる問題を援(?)いて食ふため国の立つための問題が理想であったら全く小さな問題である」

これは、大川が「食べるため国家を立てるための理想を語ったのに対して、「人の人たる問題をないがしろにして、何が理想だ、国家以上の大理想はないのか」みたいに読んだんですが、「人の人たる問題を援いて」だとすると、「たすける」「援用する」みたいな意味になってきて、ちょっとわからない。前半で小さな理想だとディスっているので、否定的なんだというのはわかるんですが。

 
管理人  ++.. 2018/02/16(金) 12:03 [621]

 
「人の人たる問題をおいて」かなと思ったのですが…それなら意味は通るんだけれど。

北斗の文章は文法的な間違いもあったりするので、真意を掴むのがなかなか難しい。

管理人  ++.. 2018/02/16(金) 12:05 [622] [引用]

 
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これが、大川周明講義の内容の北斗のメモ。

「朝鮮台湾を含んでこれを大邦日本……
植民政策は同化主義は失敗と攻撃せられた(フランス)…
日本はそれを如何(台湾を植民地とみるは不可
西洋の例にのりとる可からず……ヲウストリアが治めた政治……日本は同化政策ととる可し
民族を同じうする……ローマの同化政策は成功
した。 フランスは独逸の或る一角地を同化させて
しまった 百年後には祖先よりフランス人たるを誇りとした
大邦日本の理想 日本海を中心にして海■に発展すること」

 といった、大川の日本中心・征服者としての心得を北斗はどう聞いたのか。

管理人  ++.. 2018/02/16(金) 12:17 [623] [引用]

 
やはり、国家の都合、産業や資源などの「食うため」の理想を掲げて、人を人を思わない「国家の理想」「大邦日本の理想」という考え方に対して、

「哀れな理想ではないか」
「国家以上の大理想がないのか」

という言葉が北斗のアンサーなのかなと思います。

管理人  ++.. 2018/02/16(金) 12:22 [624] [引用]





 徳富蘆花  [返信] [引用]
違星北斗が「蘆花許せん!」と言ったらしいのですが、理由がよくわからなかった。

もしかしたらだけど、蘆花の旅行記に「熊の足跡」というものがあり、その中の釧路での記述の中に、

「昨日石狩嶽に雪を見た。汽車の内も中々寒い。上川原野を南方へ下つて行く。水田が黄ばむで居る。田や畑の其處此處に燒け殘りの黒い木の株が立つて居るのを見ると、開け行く北海道にまだ死に切れぬアイヌの悲哀が身にしみる樣だ。」

といったものがある。
これなんか、北斗が見たら怒りそうではある。

 
管理人  ++.. 2018/01/26(金) 01:42 [620]





 北海道新聞に「違星北斗!」  [返信] [引用]
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今日の道新の「ミンタラ」《先人たちの物語 シンリッオルッペ》で違星北斗が取り上げられています。

すごい!
内容については、まず、問題ないです。
特に良いと思ったのが「同人誌コタン」の表紙がちゃんと正しいものになっていること。(遺稿集に掲載されているエカシの立ち姿の載ったページは、実は目次ページで、収録時に表紙が散逸していたのでしょう。数年前に古書店で同人誌コタンが出た時に、本当の表紙がわかったのです)。 

添付画像では読めないと思いますので、下記リンクを参照。
FB「新聞記事スクラップ」
https://www.facebook.com/sisam2017sinbun/photos/a.137540280136904.1073741826.137538480137084/198243270733271/?type=3&theater

ただ、北斗のイラストはもうすこし男前がよかったな。

 
管理人  ++.. 2017/11/26(日) 01:05 [619]





 秋田雨雀  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 92.3KB )

違星北斗と面識があった秋田雨雀。

島村抱月の弟子で、戯曲家・小説家・詩人。
社会主義者で、エスペランティスト。

北斗と出会った大正14年、43歳だった。

秋田雨雀は、その大正14年に雑誌「改造」に
「悲しみのオキクルミ」という戯曲を書いている。

北斗と出会ったその年に、「悲しみのオキクルミ」とは、
無関係とは思えない。

大正14年の「改造」を調査してみよう。

 
管理人  ++.. 2017/11/26(日) 00:44 [617]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 89.9KB )

この記述。
管理人  ++.. 2017/11/26(日) 00:54 [618] [引用]





 コタン吟  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 93.6KB )

 だいぶ前に、余市のK先生よりコピーを頂いた、北斗自筆の「コタン吟」。


 「コタン吟」というタイトルは、
同人誌「コタン」創刊号(S2/8月)
 http://www.geocities.jp/bzy14554/kotangin-dojin.html
「新短歌時代」創刊号(S2/12月)
 http://www.geocities.jp/bzy14554/shintankajidai.html
「志づく」(S3年2月)
 http://www.geocities.jp/bzy14554/shiduku.html

「ウタリの友」(昭和8年1月)
http://www.geocities.jp/bzy14554/utarinotomo.html

など、いろいろなところで使われているが、このラインナップは、そのどれとも違う。
 
 おそらく「コタン吟」というのは、北斗が好んで使っていたタイトルなのだろう。

 のちに、病床で「北斗帖」という自筆の歌集を編み、
 草風館版コタンでも「私の短歌」を編集者によって「北斗帖」と名づけられてしまった
(つまり、北斗による命名としては病床の「北斗帖」のみで、草風館版「北斗帖」は北斗自身の編集でも命名でもなく、中身も自薦歌集「北斗帖」とはイコールではないと思われる)が、

 元気な時は「コタン吟」を好んで使っている。

 「コタン吟」のタイトルにも、もっと注目すべきだろうと思う。

 
管理人  ++.. 2017/08/29(火) 22:00 [616]








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