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コタンBBS

違星北斗研究会
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 ヨイチの指導者  [返信] [引用]
文政年間あたり〜

上ヨイチ 

惣乙名 イコンノミ 
脇乙名 カシタ井
→ イタキサン

下ヨイチ 

惣乙名 サケシュス
脇乙名 イナオリ
→ 子トハケ

天保年間あたり〜

上ヨイチ 
惣乙名 ヲシトンコツ
脇乙名 イタキサン

下ヨイチ 
惣乙名 サケシュス
脇乙名 イコンリキ
→ 子トハケ

 
管理人  ++.. 2019/05/29(水) 00:36 [676]





 ヌサマカ翁  [返信] [引用]
フゴッペに「ヌサマカ翁」という古老の名があるが、「水郷余市の奇勝 神巌蝋燭岩」(山岸礼三)に

「忍路に、先祖から居つたと云ふアイヌの一族、その古老格の人物に無江圓助(アイヌ名「ヌサマカ」八十有余歳で昭和七年に故人となった)なる者がゐた」

とある。出漁の時は、蝋燭岩を方角を見たり、天候を予見する時の目安にした、といった話。

 
管理人  ++.. 2019/05/04(土) 00:31 [675]





 ヨイチ場所 ヲムシャ申渡書  [返信] [引用]
安政ニ乙卯年六月書上写
 ヨイチ御場所諸用書上
 ヲムシャ申渡書

一、公儀を重じ御制札の表并前に被仰渡候通御法度の趣堅相守申事。
一、御用状継送状并御役人様方御通行の節諸合之無遅滞相勤候趣神妙之候猶此上申合相勤可申事。
一、異国船又は怪敷船并難破船等見更候はば早速運上屋に相届申事。
一、火之元大切に入念取扱可申事。
一、御軽物は勿論、諸産物壱品成共船方共、交易致者有之おゐては厳重有り可申付事。
一、上下ヨイチに至迄常漁業致出情食料類貯置差支無之様可心懸事。
 附 煎海鼠鮑の儀、近来格別の上命に付候ば厳重に申聞候通出増ニ相成候様相心持右番人稼方は勿論船手追鰊取之者に至迄聊成共交易ケ敷儀不致様、乙名小使共より可申付事。
一、親子兄弟夫婦を始諸親類睦敷可致儀、勿論故而蝦夷人共仲能いたし且男女年頃ニ及候はば乙名小使共世話致縁組取結候て相届可申事。
 但 病気蝦夷人并老若のもの為養生喰物等之儀ハ日々運上屋迄申出厚取扱致候様一同へ申聞置尚病気のもの薬用等精々可申付候
一、蝦夷人他場所へ参候儀聞て不相成候若無拠筋にて罷越候節ハ早速運上屋へ願出支配人通詞之差図請可申事。
一、数多蝦夷人の内壱人若悪工等改者有之大勢寄集騒敷事有之候はば数百人之難儀に相成候間左様之儀無之様相心得申事。
一、喧嘩口論不申及言葉を工聊にてもつぐの急がましく儀堅無用若於相省は厳重に可致事。
一、乙名小使産取に到迄御盃并御産被下置候儀は重き事に候常申附を不省様ウタレ共之内悪意を好混雑間敷儀有之節は厳重に取扱猶運上屋えも注進等可致事。
一、運上屋支配人通詞番人に至迄親敷可致候其上分之儀取扱候はば早速可申候事。
右之候ヲムシャ定例之如上下ヨイチ御場所役蝦夷人産取に至迄申渡候間不洩様ウタレ共可申聞候もの成。
 右之通奉書上候                以上 
 卯六月         ヨイチ請負人
                  竹屋 長左衛門
町御役所

 
管理人  ++.. 2019/05/03(金) 02:00 [673]

 
オムシャとは和人とアイヌの交易の時に行われる儀礼であった。

もともとは「対等」の交易であったはずであるが、和人の場所請負人がアイヌを支配下におくようになり、

やがて上記のような「申渡書」によって、アイヌをがんじがらめに縛るようになった。



管理人  ++.. 2019/05/03(金) 02:56 [674] [引用]





 メモ  [返信] [引用]
「よいち」S29 10-11 第5巻 26号
「北斗歌碑にご賛同を希う」

よいち
 「藻入情話 トシカの恋」
 アイヌの伝説(?)

 ロミオとジュリエットのように、余市川の左岸・右岸の恋人がシリパで死ぬ話

改造 T14年 「悲しみのオキクルミ」

 
管理人  ++.. 2019/03/21(木) 13:27 [672]





 徳太郎の両親  [返信] [引用]
中里徳太郎の父親・母親の名前は「林家文書」でも欠落しており、わからなかったが、荒井源次郎遺稿に
「明治10年(1877年)9月、父イタク・エアシカイ、母スネコロの長男として生まれる」とある。
佐藤氏調べの「系図」では伯太郎とあり、金田一の「あいぬの話」では徳蔵とされているがどちらかは不明。

 
管理人  ++.. 2019/03/01(金) 13:28 [669]

 
脇乙名 イタキサン 57歳(1803年ごろ生)
長男 ?
次男 ?
三男 コエタ 改 鯉太郎 1845年ごろ生まれ
四男 ホンコエタ 改 猪之松(助?) 1852年ごろ生まれ→東京留学をして、市川姓へ。
妹 ヲヘレケ 改 とみ 1855年ごろ生まれ。

この?の子(イタキサン孫)として
イタク・エアシカイ(伯太郎?徳蔵)?
甚作(→違星家)1862年生まれ
宗市
甚三


このうち、長男か次男が「イタク・エアシカイ」だろうか。

名前は「能弁」の意味かな。


管理人  ++.. 2019/03/01(金) 13:42 [670] [引用]

 
イタキサン(1803年ごろ生)

↓→(長男)名前不明(1820年〜30年代ごろ生?)
↓→(次男)名前不明(1820年〜30年代ごろ生?)
↓ ※長男か次男のどちらかの息子
↓  ↓
↓  ↓→→(継子)イタク・エアシカイ(1850年代ごろ?)
↓  ↓   (伯太郎(佐藤利雄説)/徳蔵(金田一京助説)
↓  ↓     ↓
↓  ↓     ↓→→(イタク・エアシカイ長男)
↓  ↓         徳太郎(1877年生)
↓  ↓           ↓
↓  ↓              →篤治
↓  ↓      
↓  ↓→→(次男?)
↓  ↓   甚作(セネツクル)1862年生
↓  ↓
↓  ↓→→弟
↓  ↓→→弟
↓   →→妹
↓  
↓→(イタキサン三男)
↓    鯉太郎(コエタ)1845年ごろ生

↓→(イタキサン四男)
↓    猪之助(ホンコエタ)1852年ごろ生
↓   東京「留学」、市村姓を名乗る

 →(イタキサン娘) 
      とみ(ヲヘレケ)1855年ごろ生


管理人  ++.. 2019/03/07(木) 13:16 [671] [引用]





 イコンリキ  [返信] [引用]
8ページめ、余市上場所では初鰊や初鮭が上がるとら和人とアイヌの合同の祭りをし、違星北斗の曾祖父イコンリキらがイナホ(イナウ)を作りカムイノミをしていたという資料。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/38286/1/3_17-26.pdf

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:44 [667]

 
イコンリキは違星北斗の祖父・万次郎の父。
北斗の曽祖父。
脇乙人なので、幕末の「林家文書」に結構名前がでてくる。
カムイノミしたり、和人へのツグナイで連帯責任で刀の鍔を供出したり。
名の通ったアイヌだったのだろう。
養家イソヲク家(後の違星家)に婿入りした万次郎はイコンリキの名残りを家紋と家名に残した。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:45 [668] [引用]





 無題  [返信] [引用]
メモ・余市町でおこったこんな話「その168 松浦武四郎が見たヨイチ」https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2018/sono168.html
・「ウタングース」ウタグス、違星漁場。
・「ノジユシマス」星が落ちて岩になった
・武四郎は「ヨイチはイウヲチなり。イウとは温泉、ヲチはある」として、ヨイチは寅卯(東北東)の風をいう」と主張。

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:38 [664]

 
クリックで拡大表示 ( .png / 59.7KB )

上記サイトより。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:39 [665] [引用]

 
メモ・余市町でおこったこんな話
余市の伝説
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2008/sono50.html
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2008/sono51.html
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2008/sono52.html
ローソク岩
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2014/sono117.html
フゴッペ
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2013/sono113.html
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2010/sono76.html
天内山
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2006/sono30.html
山岸先生
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2016/sono141.html

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:41 [666] [引用]





 無題  [返信] [引用]
違星北斗は和人にぶちのめされた《民族》を勇敢に立ち上がらせ、立派な《民族》に再びつくりあげるために戦っていたのだ。
「アイヌ民族なんて存在しない」と嘯く小林よしのり一味に悪用されるような存在ではない。
かの時代の日本に生まれてよかったと言うのは民族復活の光栄な義務と責任を負うが故だ!

「わたしたちの子供の時代、またその次の時代が来たとき、ぶちのめされた民族が、こんなに勇敢に立ち上がったことを自慢に語ってきかせたい。この立派な民族をつくりあげたのは俺たちであると言ってきかせたいではないか。この義務と責任を負せられた大正のアイヌは人々の光栄としてうらやむことだと思う」(北斗ノートより)

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:21 [662]

 
北斗の皇国/文明讃美に見える表現には、たいてい対比として「アイヌの現状」がある。「誰がこの苦しみを与えたのだろうか」ということが根底にある。

その上で、「シャモに蹂躙されるままのアイヌも(このままでは)いかん、アイヌは日本の社会の中で、和人と伍して劣らぬ存在にならねばならない」と言っているのだ。
北斗は、和人、アイヌ、朝鮮民族、それぞれの民族がそれぞれの個性を発揮し、共存できる「多民族」の社会を目指していた。

「アイヌ民族は存在しない」という連中が、「北斗も同化を目指していた」と言うことが間違っていることは明らかである。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:26 [663] [引用]





 無題  [返信] [引用]
『ゴールデンカムイ』のアシリパさんは小樽のコタン出身の設定なんだけど、「小樽アイヌ」の文化の記録があまり残ってないので、他の地方の文化を参考にしているそう。だったら、折角だからドンドン近隣の余市の文化参考にしてほしい!
そして余市に来て5歳の違星北斗を出して!

北斗も祖先はオタルナイ出身で、鯱神の怒りを買って余市に漂流してきたと伝えられている。だから、小樽付近のアシリパとは親戚かもしれない。(妄想)

(2018年12月5日 twitter)

 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:37 [644]

 
違星北斗の祖先はもと「ザンザラケップ即ちオタルナイと言われた銭函付近」にいたそうだけど、このザンザラケップとはどういう意味なのかな。サン(棚)と関係あるのかな?
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:47 [650] [引用]

 
違星北斗の祖先はもと「ザンザラケップ即ちオタルナイと言われた銭函付近」にいたそうだけど、このザンザラケップとはどういう意味なのかな。サン(棚)と関係あるのかな?

地形的には海の近くなので、崖を背にして海に向かって開かれた地形に関係あるのかな、とか推測していました。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:48 [651] [引用]

 
違星北斗はイナウのことを「イナホ」「イナヲ」と表記する。
余市アイヌの方言だと思ったら、近隣の小樽にも使用例があった。

小樽市稲穂の地名由来は、稲の穂ではなく、アイヌの祭具イナホ(イナウ)から来ていると。
小樽アイヌの言葉はやはり余市と似てるのかも。

http://dragonjinja.ec-net.jp/yurai.html


管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:16 [660] [引用]

 
余市の「林家文書」などでもイナヲなどの表記がある。
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:17 [661] [引用]





 知里幸恵の写真  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 62.3KB )

知里幸恵さんの写真というと、画像検索すると有名な写真が何枚か出てきますけど、この少女時代の画像はネット上には上がってないのかな。
 
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:53 [652]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 45.3KB )

時系列だと、こんな感じかな。
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 20:59 [653] [引用]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 8.6KB )

この時代は写真取る時、少女はお花を持たされていたのかな。


管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:00 [654] [引用]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 37.5KB )

2番めの写真と同じ場所かな。
管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:01 [655] [引用]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 15.9KB )

よく知られた写真。
ちょっと固い表情。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:03 [656] [引用]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 14.7KB )

おばの金成マツさんとの写真。
珍しく笑っている。

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:06 [657] [引用]

 
知里幸恵は写真によってだいぶ印象が異なるけれど、これも、アシリパさんの百面相を思い出してしまう。


自分は、アシリパさんのイメージの中に、知里幸恵と『アイヌ神謡集』の投影があると思っていて、大自然の中を駆け回るアイヌの少女、あれは時代的に現実にはありえない理想であり、悩み苦しみ悲しんだ知里幸恵の見た夢のようなものかもしれないのかなと。


管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:11 [658] [引用]

 
ここに描かれている世界は、そのまま作中のアシリパのイメージにつながる。でも、それは失われたものだと幸恵は言う。
『アイヌ神謡集』序文
https://t.co/xZYdnWYEdk

管理人  ++.. 2019/02/10(日) 21:13 [659] [引用]








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