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北斗の記事は一件だけでした。
毎日新聞 1954年9月10日
”悲劇の民”の歌を絶唱 縁りの地に近く「北斗」の碑
【その二】違星北斗(本名滝次郎)は明治三十四年北海道後志国余市町に生れた。小学校時代、皆からアイヌ、アイヌとはずかしめられるのを怒り日本人に強い反抗心を抱いていた。 大正十四年知人を頼って上京、ここで金田一博士らの知遇を受けて感激、滅びゆくアイヌ民族の生活を世に紹介し、その生活の向上をはかることが使命だと考えるようになった。大正十五年、北海道に帰った北斗は道路工夫や売薬行商をしながらアイヌ青年の集りである「茶話笑楽会」を作り、ガリ版刷りの機関誌を発行して教化に努めたが、昭和四年一月、結核のため二十九才で死んだ。翌昭和五年担任教師だった余市小学校訓導古田謙二氏が集めた遺稿集”コタン(村)”が出版された。
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