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ちょっと本文を引用してみます。
拝啓 東京に居りました一年と六ヶ月 その間先生におそはることの多かったことを忘れがたい事と感謝してゐます。自分は何かなにやら もう 煩から悶への苦しみでしたが 先生にこの自分を さらけだして 自分の求めるものを得やうとしたのでした。今考いてみても 本当に先生の御勉強をどんなにか さまだけた事か 又は おいそがしい所を、自分勝手からどんなにか先生のご迷惑をおかけしたことでせう。 私しは 又とない機会なのでしたからどんなにか 愉快に どんなにか おたよりしたことでありました。
北斗は金田一京助のもとに足しげくかよい、また頻繁に手紙を出していたことがわかります。
さて あの日はもう五分で、あの汽車に遅る所でありました程、時間も かっきり 上野に参りました。 額田君と二人で飛ぶ様に三等に飛び込みました。
北斗が、上野からの汽車に乗り遅れそうになったというのは、「自動道話」に掲載された北斗の手紙にもありますね。 額田君と二人で客車に飛び込んだというのは、どういうことかわかりませんが、額田が北斗と一緒に来たということかもしれませんね。「自動道話」には額田は見送りとして名前が出ているので、北斗の荷物を持って入り、そのままホームで見送ったのでしょうか。
(略)高見沢様の奥様と、奥様をみつけたら高見沢様もそこに居られました。うれしくて/\涙が、ヲヤヲヤ僕の道楽なんでしから 手紙にまで泣いたことを報告します。
高見沢夫妻が見送りに来てくれたことに感動して、泣きます。 北斗は本当に感動屋で、小さな出来事にも感動して涙を流します。北斗自身は、その性分を「道楽」と呼んでいるんですね。 感動屋で、涙を流すことが「道楽」という横顔が見えてきました。なかなか、興味深いというか……親しみ深く、愛おしく感じます。
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