今、年譜をバージョンアップしているところなのですが、その作業中に、ある疑念が。
年譜に「曜日」の記載をしていて思い出したというか、気づいた点があるのですが……。
北斗の日記の「昭和3年4月25日」を引いてみます。
-------------------------------------- 四月廿五日 月曜日
何だか咳が出る。鼻汁も出る。夜の事で解らなかったが、明るみへ出て見ると血だ。咯血だ。あわててはいけないとは思ったが、大暴風雨で休むところもない。ゆっくり歩いて山岸病院に行く。先生が右の方が少し悪いなと云ったきり奥へ入られた。静に歩いて帰る。
---------------------------------------- この、昭和3年4月25日は、昭和3年の日記の中で、唯一、実際の曜日が一致しません。実際は月曜ではなく、水曜日なんです。 これは前から気づいていたのですが、そのままにしていました。
で、4月25日が月曜なのは、昭和2年なんです。 じゃあ、これももしかして、と思ったんですね。 前に、昭和2年の日記がほとんど大正15年の曜日と一致していて、昭和2年として書かれているのが、実は大正15年だったということがありましたので。
北斗は昭和2年の4月にもニシン漁のために、余市におり、そして昭和三年と同様、昭和二年も4月下旬に倒れています。(昭和二年は夏までに回復する)。
では……昭和3年4月25日の日記も、じつは昭和2年の4月25日なのではないか、と思ったんです。
まあ、証拠が揃っていないので、なんともいえませんが。
この謎を解くキーワードは、やはり「大暴風雨」でしょうね。 昭和2年と3年の4月25日の後志地方の天気を調べれば、どちらが正しいかがわかるはずです。
ネット上では、ちょっと難しいので、これも現地でしらべなければなりませんね。
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