| TOP | ホーム | 携帯用 |

コタンBBS

違星北斗研究会
名前  
Mail   URL
タイトル   簡単タグ入力
添付  
フォームに保存  プレビュー     削除キー(半角英数字) 



 ウタリ・クスの先覚者 中里徳太郎氏を偲びて  [返信] [引用]
おひさしぶりです。

ブログの方に沖縄教育(大正14年6月)に掲載された北斗の「ウタリ・クスの先覚者 中里徳太郎氏を偲びて」をUPしました。

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-baf5.html

詳しい考察は後日。

本当はテキストをHTML化したいのだけれども……。
これまでの発見を反映して、HPの全面改修もしたいんだけど……。

それに、しばらく放置している間にドメイン「iboshihokuto.com」の有効期限も切れてしまった!

すみません。近いうちにいろいろやりたいと思います。

 
管理人  ++.. 2010/08/15(日) 04:02 [504]

 
このテキストを掲載するのを躊躇していたもう一つの理由が、その内容。漫画家の某氏とその取り巻き右翼たちが喜びそうな北斗の発言がある。彼らが静かになるまで、掲載をするべきではないとかんがえたのだ。
北斗の発言の背後を読む事こそが今我々に求められている。
小林某のように、同化政策を正当化したいがために、同化政策下での、改まった席での北斗の発言を文字通り読んで「うわーい、ポックンの考えにピッタリ合うアイヌの発言の記録をみつけたでシュー。」 と、大喜びしているのでは本当におめでたい。
そうでなくて、彼がどうしてそのような発言をした
のか、その時代の空気や風潮、北斗のそれまでの発言とその後の発言をよく知った上でしか、その発言の真意は理解出来ないのだと思う。

管理人  ++.. 2010/08/29(日) 17:56 [508] [引用]

 
慣れないiPhoneで投稿すると、文章がうまく書けない。参ったな。
管理人  ++.. 2010/09/14(火) 23:27 [512] [引用]

 
よく発見されましたね。さすが。
違星ドメイン、なくなってしまったのは残念ですね。復活を希望します。

それから確かに北斗の言動を都合よく利用しようとする人々については私も憂慮しています。
今こそ北斗のコトバをしっかり噛み締めて読むべきだと思います。

poronup  ++.. 2010/09/15(水) 21:57 [513] [引用]

 
poronupさん

ごぶさたしています。

ドメインは単に不注意で失効してしまったので、今度また手続きしておきます。

結局、彼らのアイヌへの興味は一時的なものだったんでしょうか。そうであってくれればありがたいんですが。




管理人  ++.. 2010/09/16(木) 01:12 [515] [引用]





 聖公会と後藤静香  [返信] [引用]
現在、後藤静香記念館は榛名高原にあります。ここは、希望社解体後、後藤静香が晩年を過ごしたところのようです。
詳しくはこちらを。

http://www.vesta.dti.ne.jp/~m-forest/kinenkan.html

で、このサイトをいろいろ見ていると、この榛名高原には、「聖公教会」もある。聖公会の教会です。

 はて。
 後藤静香ゆかりの地に聖公会。
 「聖公会」といえばジョン・バチラー。

 バチラーと後藤静香の微妙な協力関係。

 そのただ中に放り込まれたのが違星北斗。

 そういえば後藤静香は「もとクリスチャン」。

 後藤静香(せいこう)と聖公(せいこう)会。
 これはやり過ぎか。

 なんか、引っかかるぞ。
 引っかかるなあ。

 行ってくるかなあ。
 榛名高原の後藤静香記念館。

 でも、長野新幹線だよなあ。

 上野から安中榛名まで1時間。
 そこからたぶん車でだいぶある。

 要予約だしなあ。

 でも、後藤静香の著作がいっぱいあるらしいしなあ。

 行こうかな。
 行けるかな。

 
管理人  ++.. 2010/09/16(木) 01:07 [514]





 北斗の号  [返信] [引用]
「北斗」の号の初出はいつだったっけかな。
以前調べたような気がするが、忘れているので、もう一度調べてみよう。

 
管理人  ++.. 2010/09/09(木) 01:30 [510]

 
最初に掲載された大正13年の句誌「にひはり」2月号だと思うんだけど、実物がいますぐに確認できないけどたぶん「北斗」名義だったと思う。

この頃、余市の俳句会に入って、俳句を読み始めたと思われるので、まあ、大正12年から13年の頭ぐらいまでのことでしょうね。

管理人  ++.. 2010/09/09(木) 01:45 [511] [引用]





 ちょっこし更新  [返信] [引用]
 本当に久しぶりに、ブログやBBSでなく、ホームページを更新。

 更新したのはトップページ、年表、コタン文庫等。

 これまで更新が捗らなかったのは、じつはPCの調子がよくなく、立ち上がらない、うごかない、すぐ固まるという状況だったというのあるのですが(言い訳でもありますが)、いよいよ夏になって、PCが最大級にダメになったので、PCを新調することになり、ついでにHPの更新の環境も整いました。
 よーし。これからはガンガンやるぞ。

 まあ、肝心の管理人自身が、いろんなことを忘れちゃっていますが。

 ◎ツイッターを始めました(@kiyamashina)。本職のことなど、違星北斗に関係ないことばかりつぶやいています。

 
管理人  ++.. 2010/09/08(水) 02:47 [509]





 ハルの没年  [返信] [引用]
北斗の母ハルの没年ですが、これまでの資料では北斗が小学校の5年の時と推測していたのですが、「ウタリクスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて」によると2年の時になっている。
あれれ?

 
管理人  ++.. 2010/08/29(日) 17:17 [507]





 生誕110年  [返信] [引用]
なんだかぼやぼやしてる間に違星北斗生誕110年が迫っています。2011年の年末から2012年の正月あたりに生誕祭でもしますかね。

 
管理人  ++.. 2010/08/27(金) 20:21 [505]





 「値段史年表」より  [返信] [引用]
 北斗が東京にいた頃の物の値段を調べてみました。
 (北斗がいたのは大正14〜15年)。

 北斗が務めていた東京府市場協会の月給が40余円。
 これがどれくらいなのか。

 ・銀行員初任給 50〜70円(大正15)
 ・巡査初任給 45円(大正9/昭和10)
 ・小学校教員初任給 40〜50円(大正9)、45〜55(昭和6)
 ・公務員初任給(高等官)75円(大正15)

 ……ということで、北斗の貰っていた40円は、確かに悪くない金額ですね。

 では、衣食住の「住」はどれくらいかかったのでしょうか。

 ・下宿 文京区本郷、3食付1室 20〜25円(大正15)
 ・家賃 板橋区仲宿(一戸建) 10円(大正13)
 
 北斗が、家賃や下宿代を払っていたかどうかは不明ですが、勤務地である新宿は当時は郊外だったので、これより安いでしょうね。

  

 

 
管理人  ++.. 2010/07/03(土) 02:06 [500]

 
「食」にいきましょう。

 支那蕎麦の立食をした東京の 去年の今頃楽しかったね


 ・北斗が食べた「支那そば」は10銭(昭和5年)。

砂糖湯を呑んで不図思ふ東京の 美好野のあの汁粉と栗餅
甘党の私は今はたまに食ふ お菓子につけて思ふ東京


 ・しるこは 12銭(大正10)〜15銭(昭和5)
 栗餅はないので、その他のお菓子を。
 ・まんじゅう 2銭(大正12)
 ・大福1個 2銭(大正11/昭和9)
 ・たいやき 1銭5厘(大正14)
 ・もなか 1銭(大正8/昭和5)
 ・キャラメル 20粒 10銭(大正9-昭和14)
 
  北斗が食べたかも知れないもの。

 ・そば(もり・かけ) 8〜10銭(大正9)〜10銭(昭和9)
 ・とんかつ 20銭(大正14/昭和4)
 ・カレーライス 10-12銭(昭和2)
 ・コロッケ 2銭(昭和5)
 ・あんぱん 2銭5厘(大正12)

 北海道に戻ってからは、よく自炊をしていた北斗ですが、東京ではどうだったでしょうか。

 ・白米10キロ 3円20銭(大正15)
 ・味噌1キロ 24銭(大正13)
 ・豆腐 5銭(大正11年/昭和5年)
 ・食パン 16銭(大正13)〜17銭(昭和2)

 飲み物。

 ・カルピス1瓶 1円80銭(大正13)
 ・ラムネ 8銭(大正13) 
 ・サイダー 23銭(大正13)
 ・コーヒー 10銭(大正10-12/昭和1-5)

 北斗は飲まなかったアルコール。
 ・ビールジョッキ一杯 23銭(T15)


 




管理人  ++.. 2010/07/03(土) 02:37 [501] [引用]

 
北斗の上京に関連する値段。

 ・上野・青森間 7円23銭(大正9)、7円26銭(昭和5)

 北斗は北海道から阿佐ヶ谷までお弁当も買わずに、牛乳1杯飲んだきりでやってきました。(約2日間)

 ・牛乳180cc 8銭(昭和1)

 北斗が買えなかった駅弁。

 ・幕の内弁当 20銭(大正8)、30銭(昭和5)
 ・駅売りのお茶 7銭(大正9)、5銭(昭和5)

管理人  ++.. 2010/07/03(土) 02:47 [502] [引用]

 

 東京では映画も見たでしょう。

 ・映画入場料 30銭(大正10)、40銭(昭和5)
 
 文具
 ・鉛筆 1本 5厘(大正10)、1銭(昭和5)
 ・万年筆 3円50銭〜5円(大正15)
 ・インキ 30銭(大正15)

 郵便
 ・手紙 3銭
 ・はがき 1銭5厘

 本 
 ・岩波文庫 20銭(昭和2)
 ・広辞林 4円80銭(大正14)
 ・英和辞典 2円50銭(大正15)
 ・雑誌 週刊朝日 12銭(大正13)
 

管理人  ++.. 2010/07/03(土) 02:59 [503] [引用]





 スタンプ!  [返信] [引用]
違星北斗のスタンプ!

欲しい!

http://blogs.yahoo.co.jp/bojan_international/43435027.html

 
管理人  ++.. 2010/06/12(土) 01:05 [499]





 考現学入門  [返信] [引用]
クリックで拡大表示 ( .jpg / 40.0KB )


 古書店で今和次郎の「考現学入門」を買って読んでいたら、「郊外風俗雑景」という記事があり、大正14年11月の阿佐ヶ谷駅周辺の調査結果がありました。
 ちょうど、北斗がこのあたりをうろうろしていた頃の調査ですね。

 その中に、阿佐ヶ谷駅前の商店街の地図があります。
 
 以前、西川光次郎の「自働道話社」の場所について、
 
 「自働道話」に乗っていた自働道話社(西川光次郎宅)へのアクセス方法には「阿佐ヶ谷の駅を出て、右へ3町、湯屋の前を右に曲がり、二町ばかりいきし所」とあるのですが、そうなると、駅から人は東向きに出て、南に約300m、西に約200m行くことになりますね。
 むしろ、成宗に近い。


 と書きましたが、やはり思った通りでした。
 東向きに出て、右(南)に歩き、湯屋の前を右(西)へ。

 この商店街は、北斗が西川のところに向かう時、何度も通り、時には買い物や食事もしたであろう商店街なんでしょう。

 偶然というか、なんというか。
 今和次郎という人が北斗と同じ時代に東京にいて、たまたま北斗がうろうろしていた時代の東京の郊外の「現代」を克明に遺してくれていることに、本当に、感謝します。

 和次郎が考現学を始めた頃と、北斗が東京に来たのが同じ頃で、調べているのも北斗のいたあたりだということに、運命的なものを感じます。

 もっといえば、日本民俗学の揺籃期に北斗は立ち会っているわけですね。柳田国男の元に、金田一やら今和次郎やら中山太郎やらがいて、そのほとんどは、やがて自分の考えを持って袂を分かってしまうわけですが、北斗はその分かれる前の学者たちの会合にひょっこり顔を出しているわけです。たった1年半しか東京にいなかった北斗だのに。

 北斗は、日本民俗学の黎明期を見た証人でもあったわけです。

 
管理人  ++.. 2010/05/07(金) 01:32 [496]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 107.2KB )

これは昭和6年の阿佐ヶ谷駅。

(すぎなみ学倶楽部 http://www.suginamigaku.org

管理人  ++.. 2010/05/07(金) 01:42 [497] [引用]

 
クリックで拡大表示 ( .jpg / 34.2KB )

ついでに、北斗のいた頃の新宿。
管理人  ++.. 2010/05/07(金) 01:53 [498] [引用]





 ごぶさたです  [返信] [引用]
.jpg / 3.1KB

転勤、お引越しとのこと、お疲れ様でございました。
わたしは病状も安定しつつあり、やっとまた北斗に向かう意欲が出てきました。
さて、今月の講談社文芸文庫で川村湊先生編で「現代アイヌ文学作品選」が刊行されました。知里幸恵、真志保はもちろん、バチェラー八重子、森竹竹市、もちろん北斗、そして萱野先生まで、かなり網羅した書籍になっています。
まだわたしは入手していませんが絶対買います!!

ちなみに高円寺ですと駅にある都丸書房がなかなかお気に入りでした。人文社会系が強いです。

 
しおどあやこ(ヴァンペルト)  ++.. 2010/03/13(土) 20:04 [489]

 
補足です。
mixiコミュにも同じ情報を流してますので、そちらもあわせてごらんいただければ幸いです。

しおど  ++.. 2010/03/13(土) 20:07 [490] [引用]

 
しおど様

 お久しぶりです。
 早速購入いたしました。

 北斗は「私の短歌」「俳句」のみの収録でした。
 解説も、あまり北斗のことには踏み込んでいませんが、このような形で大正以降のアイヌの文学の流れが、一冊でわかる本が、手に入りやすい形で出版されるのはありがたいですね。

 ここから、北斗や他の方に興味を持ってくれる人が出てくれると嬉しいです。

 残念なのは、文中にあるアイヌ語への解説があまり充実していないことでしょうか。
 
 あと、北斗の生誕地「余市市」って書いてあるんですが、「余市」って市になったのでしょうか……?
 

管理人  ++.. 2010/03/15(月) 13:11 [491] [引用]

 
>  北斗は「私の短歌」「俳句」のみの収録でした。

購入しましたがまだちゃんと読んでいません。短歌がないのはチョット残念かな…。

>  解説も、あまり北斗のことには踏み込んでいませんが、このような形で大正以降のアイヌの文学の流れが、一冊でわかる本が、手に入りやすい形で出版されるのはありがたいですね。

ありそうでなかった一冊ですからね。>アイヌ文学アンソロ

>  残念なのは、文中にあるアイヌ語への解説があまり充実していないことでしょうか。

そこに関しては、一般のちょいマニアック読書好きを想定して文芸文庫は作られていると思うので、岩波とかで補足してほしいってことじゃないかと思います。

>  あと、北斗の生誕地「余市市」って書いてあるんですが、「余市」って市になったのでしょうか……?

なってないです!なってないですよ!!
誤植です!余市は「町」です。http://www.town.yoichi.hokkaido.jp/


しおど  ++.. 2010/03/21(日) 15:41 [492] [引用]

 
明治33年/1900年
7月1日、郡内11町村を合併して余市町となる。戸数125戸、人口7,482人。

沿革でもこうなってますよ。ずっと町です。
http://www.town.yoichi.hokkaido.jp/anoutline/history/yoichinoayumi/nenpyou.htm

しおど  ++.. 2010/03/21(日) 15:44 [493] [引用]

 

あ、「短歌」は入っています。

草風館版でいうところの「北斗帖」が「私の短歌」ということで、北斗の文章とともに入っています。

余市市については、ケアレスミスですね。

「アイヌの姿」が入っていないのはどうなんでしょうかね。
 やはり、小林よしのりとその取り巻きみたいな人たちが恣意的にミスリーディングし易いから省いたのかもしれません。


管理人  ++.. 2010/03/22(月) 14:23 [494] [引用]

 
> 「アイヌの姿」が入っていないのはどうなんでしょうかね。
>  やはり、小林よしのりとその取り巻きみたいな人たちが恣意的にミスリーディングし易いから省いたのかもしれません。

それもあるかもしれませんね。
あとは川村先生は文学畑なので、純粋に文学作品の質という面を重視で作品を選ばれているのかもしれません。
民俗学者や歴史家が編纂したら、また変わっていたかもしれませんけれど。


しおど  ++.. 2010/03/22(月) 19:33 [495] [引用]








     + Powered By 21style +