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コタンBBS

違星北斗研究会
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 希望園   [返信] [引用]
投稿日: 9月24日(土)04時24分57秒

三、二風谷に希望園を作る 林檎三百本


 北斗は二風谷にリンゴを植えようとしたのです。
 平取(いわゆる平取本町)ではなく。
 自働道話10月号の

来年から平取村にリンゴの苗木を少し植附けます

 の「平取村」は「村」とついていることから、役場のある「平取」ではなく、「平取村」全体を指した言葉であり、より厳密に言えば「平取村二風谷」であると思います。

 あらやさんが言われるように、バチラー八重子や吉田ハナがリンゴ園を手伝ったとかいう話はありません。なぜなら、平取教会を守らねばならない八重子やハナは、平取から動けないからです。
 もちろん、北斗が二風谷でリンゴ園をやろうというのも頓挫するのですけれど。
 『希望園』というネーミングから、北斗はバチラー幼稚園と同様に希望社のバックアップを期待していたのかもしれません。ですが、後藤静香はこの後、バチラーへの資金援助を打ち切ります。
 バチラーと後藤静香の間に立つ北斗には、立つ瀬ないことだったでしょう。
 微妙な関係。バチラー幼稚園にいられなくなった理由はそういうところにもあるかもしれません。

 
管理人 [URL]  ++.. 2005/10/01(土) 02:28 [8]

 
>  北斗は二風谷にリンゴを植えようとしたのです。
>  平取(いわゆる平取本町)ではなく。
>  自働道話10月号の
>
> 来年から平取村にリンゴの苗木を少し植附けます
>
>  の「平取村」は「村」とついていることから、役場のある「平取」ではなく、「平取村」全体を指した言葉であり、より厳密に言えば「平取村二風谷」であると思います。
>
>  あらやさんが言われるように、バチラー八重子や吉田ハナがリンゴ園を手伝ったとかいう話はありません。なぜなら、平取教会を守らねばならない八重子やハナは、平取から動けないからです。
>  もちろん、北斗が二風谷でリンゴ園をやろうというのも頓挫するのですけれど。

 このリンゴ園のことについては、「平取入村時代の違星君の思い出」に記述がありましたね。八重子が土地を買い、実現しそうだったのだけど、買った機械が使い物にならなかった、ということでした。
またフォローしときます。

管理人  ++.. 2006/08/22(火) 00:55 [261] [引用]





 昭和萬葉集  [返信] [引用]
北斗とバチラー八重子の短歌が講談社「昭和萬葉集」(S55)という本に掲載されているらしい。

http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/44191999.html

 
管理人  ++.. 2010/11/15(月) 23:44 [522]





 にしんそば  [返信] [引用]
仕事で大阪へ。

関西では「にしんそば」というのがメジャーで、立ち食いそばの店には必ずあります。

忙しい中ですが、関西で立ち食いそば屋に行く時は、必ずといっていいほど、にしんそばを頼みます。

なぜなら、にしんも立ち食いそばも、北斗を思い起こさせるキーワードですので。


 支那蕎麦の立食をした東京の去年の今頃楽しかったね


 暦無くとも鰊来るのを春としたコタンの昔慕わしきかな


 仕事に追われて北斗のことを忘れていても、にしんそばを食べている時だけは、北斗のことを考えています。
 

 
管理人  ++.. 2010/10/22(金) 00:59 [517]

 
それとは関係ないけれども。

最近、漫画家小林某やその周辺で、有名なアイヌの息子さんのお名前やお姿をお見かけするようになりました。

これは、すごく個人的な感覚なんですが、
ひょっとしたら、

その方の立ち位置というのが、どうも私には、東京時代の違星北斗の立ち位置に、どこか微妙に似ているような気もします。もちろん、違うところは全然違うのですが。

これから、その方の考え方が、どうなっていかれるのか、どうされるのかわかりませんし、その方が北斗のことをどうお考えなのかも知りません。
 
ですが、ひとつだけ言えるのは、

小林某にシンパシーを感じ(?)て行動を共にするのはご自由かと思うのですが、

・・・
あなたと小林某は、同じ方向を見てはいない。目的や目標を同じうしていないように見える。

・・・
あなたが大きなリスクをかけて訴えておられることには、実際彼らは、たいして興味がない。
彼らは自分たちの主張したい(と本当に思っているのかは知らないが)考えの傍証として、あなたの存在や言説を利用しているにすぎない。

・・・
あなたは、自分でも気づかないうちに彼らに都合のいい、生きた「標本」にされてやいないか?

     ・・・
やっぱり、あなたはどこか、北斗に似ている。

管理人  ++.. 2010/10/22(金) 01:22 [518] [引用]

 
立場の弱いものを己の正義や正当性担保のために利用するというのは日本の思想界隈の伝統的な所作なので、利用されていることを承知の上で逆に利用して使い捨てられればいいんでしょうけどね。えてしてミイラ取りはミイラになるものですが…。

アイヌ民族という概念が生じた時点で線引き発生することは避けられませんので、越えられぬ壁を受容できるかどうか。いや、いまはアイヌであるということが自己肯定して生きてゆくネタになり得るので北斗の生きた時代とは比べられないような気もします。アイヌであることを強く意識するのは我々シャモとの関係性に起因するものなので他人事ではないのでしょうが、踏み付けて歩くしかないような気がしています。失礼。

tkht  ++.. 2010/10/22(金) 05:50 [519] [引用]

 
確かに比較するのは難しいと思うんですが、なんだか、直感的にピンときて書いてしまいました。

「同族」への失望を表明して、
北斗はアイヌをアイヌの名のもとに再起しようとし、
その方はアイヌ系日本人はいても、アイヌなどはすでにないという。

そこは大いに違うんですが、中央のシャモがおのれの思想の根拠として利用する、本人も本意か不本意か、あるいは自覚的であるのかないのかわからないけど、それに同調してシャモに都合のいいことを発言し、彼らの都合よく「編集」されて流布されてしまう。
 本人の本当に言いたいことはカットされ、聞き手の誘導的で恣意的な質問には都合よく答えてしまい、相手の文脈でセンセーショナルに利用される。
 根本で向いている方向は違うのに、見るものにはそれが伝わらず、偏見の助長にさえつながってしまう。
その構図がちょっと似てるのかなと。

 NHKのアイヌ関係の番組なんかでも、そういう恣意的な情報操作が気になってしまうことがありますが、今回流れているチャンネル桜かなんかのビデオはそんなもんじゃない。
 聞き手が酷い。こすい。卑劣で、あざとい。

管理人  ++.. 2010/10/23(土) 12:10 [520] [引用]

 
右や左のヘゲモニーの取り合いに巻き込まれているとしても、そしてそれが結果的に誤解や偏見を助長することになったとしても、それもまた生き様だと思いますし、その方が思うところがあって覚悟して選択した道なら、たとえこすっからさや卑劣さに歪められた姿が映し出されることになったとしても、それはもうご自身で引き受けるしかないのではないかと思うのですが、すこし冷酷なものの見方かもしれません。すみません。

偶然余市という街に住んでいるのですが、尊厳供給し合うような関係を築くことをしてこなかったという前提があって、道産子と言われる人々はある種の後ろめたさみたいなものを持っていたりなんかりするかもしれません。たとえば、補助金流用したという報道があっても重箱の角をつつくような気にはならないというのもそういう背景があるからなんじゃないかと、個人的にはそういう感覚を持っています。

tkht  ++.. 2010/10/24(日) 06:33 [521] [引用]





 時田則夫  [返信] [引用]
「違星北斗」定例検索より。

2004年 6月発行「辛夷」59号に
時田則雄による「違星北斗の歌」という論文があるようです。

ウィキペディアによると

時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、歌人。北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校、帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。歌誌『辛夷』主宰。野原水嶺に師事。 十勝にて農業を経営しながら文芸活動を行っている農民歌人。

ということです。

さがしてみよう。

 
管理人  ++.. 2010/10/12(火) 01:13 [516]





 ウタリ・クスの先覚者 中里徳太郎氏を偲びて  [返信] [引用]
おひさしぶりです。

ブログの方に沖縄教育(大正14年6月)に掲載された北斗の「ウタリ・クスの先覚者 中里徳太郎氏を偲びて」をUPしました。

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-baf5.html

詳しい考察は後日。

本当はテキストをHTML化したいのだけれども……。
これまでの発見を反映して、HPの全面改修もしたいんだけど……。

それに、しばらく放置している間にドメイン「iboshihokuto.com」の有効期限も切れてしまった!

すみません。近いうちにいろいろやりたいと思います。

 
管理人  ++.. 2010/08/15(日) 04:02 [504]

 
このテキストを掲載するのを躊躇していたもう一つの理由が、その内容。漫画家の某氏とその取り巻き右翼たちが喜びそうな北斗の発言がある。彼らが静かになるまで、掲載をするべきではないとかんがえたのだ。
北斗の発言の背後を読む事こそが今我々に求められている。
小林某のように、同化政策を正当化したいがために、同化政策下での、改まった席での北斗の発言を文字通り読んで「うわーい、ポックンの考えにピッタリ合うアイヌの発言の記録をみつけたでシュー。」 と、大喜びしているのでは本当におめでたい。
そうでなくて、彼がどうしてそのような発言をした
のか、その時代の空気や風潮、北斗のそれまでの発言とその後の発言をよく知った上でしか、その発言の真意は理解出来ないのだと思う。

管理人  ++.. 2010/08/29(日) 17:56 [508] [引用]

 
慣れないiPhoneで投稿すると、文章がうまく書けない。参ったな。
管理人  ++.. 2010/09/14(火) 23:27 [512] [引用]

 
よく発見されましたね。さすが。
違星ドメイン、なくなってしまったのは残念ですね。復活を希望します。

それから確かに北斗の言動を都合よく利用しようとする人々については私も憂慮しています。
今こそ北斗のコトバをしっかり噛み締めて読むべきだと思います。

poronup  ++.. 2010/09/15(水) 21:57 [513] [引用]

 
poronupさん

ごぶさたしています。

ドメインは単に不注意で失効してしまったので、今度また手続きしておきます。

結局、彼らのアイヌへの興味は一時的なものだったんでしょうか。そうであってくれればありがたいんですが。




管理人  ++.. 2010/09/16(木) 01:12 [515] [引用]





 聖公会と後藤静香  [返信] [引用]
現在、後藤静香記念館は榛名高原にあります。ここは、希望社解体後、後藤静香が晩年を過ごしたところのようです。
詳しくはこちらを。

http://www.vesta.dti.ne.jp/~m-forest/kinenkan.html

で、このサイトをいろいろ見ていると、この榛名高原には、「聖公教会」もある。聖公会の教会です。

 はて。
 後藤静香ゆかりの地に聖公会。
 「聖公会」といえばジョン・バチラー。

 バチラーと後藤静香の微妙な協力関係。

 そのただ中に放り込まれたのが違星北斗。

 そういえば後藤静香は「もとクリスチャン」。

 後藤静香(せいこう)と聖公(せいこう)会。
 これはやり過ぎか。

 なんか、引っかかるぞ。
 引っかかるなあ。

 行ってくるかなあ。
 榛名高原の後藤静香記念館。

 でも、長野新幹線だよなあ。

 上野から安中榛名まで1時間。
 そこからたぶん車でだいぶある。

 要予約だしなあ。

 でも、後藤静香の著作がいっぱいあるらしいしなあ。

 行こうかな。
 行けるかな。

 
管理人  ++.. 2010/09/16(木) 01:07 [514]





 北斗の号  [返信] [引用]
「北斗」の号の初出はいつだったっけかな。
以前調べたような気がするが、忘れているので、もう一度調べてみよう。

 
管理人  ++.. 2010/09/09(木) 01:30 [510]

 
最初に掲載された大正13年の句誌「にひはり」2月号だと思うんだけど、実物がいますぐに確認できないけどたぶん「北斗」名義だったと思う。

この頃、余市の俳句会に入って、俳句を読み始めたと思われるので、まあ、大正12年から13年の頭ぐらいまでのことでしょうね。

管理人  ++.. 2010/09/09(木) 01:45 [511] [引用]





 ちょっこし更新  [返信] [引用]
 本当に久しぶりに、ブログやBBSでなく、ホームページを更新。

 更新したのはトップページ、年表、コタン文庫等。

 これまで更新が捗らなかったのは、じつはPCの調子がよくなく、立ち上がらない、うごかない、すぐ固まるという状況だったというのあるのですが(言い訳でもありますが)、いよいよ夏になって、PCが最大級にダメになったので、PCを新調することになり、ついでにHPの更新の環境も整いました。
 よーし。これからはガンガンやるぞ。

 まあ、肝心の管理人自身が、いろんなことを忘れちゃっていますが。

 ◎ツイッターを始めました(@kiyamashina)。本職のことなど、違星北斗に関係ないことばかりつぶやいています。

 
管理人  ++.. 2010/09/08(水) 02:47 [509]





 ハルの没年  [返信] [引用]
北斗の母ハルの没年ですが、これまでの資料では北斗が小学校の5年の時と推測していたのですが、「ウタリクスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて」によると2年の時になっている。
あれれ?

 
管理人  ++.. 2010/08/29(日) 17:17 [507]





 生誕110年  [返信] [引用]
なんだかぼやぼやしてる間に違星北斗生誕110年が迫っています。2011年の年末から2012年の正月あたりに生誕祭でもしますかね。

 
管理人  ++.. 2010/08/27(金) 20:21 [505]








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