違星北斗の軍隊生活は、大正12年7月から8月の1ヶ月しかありません。
通常は、当時の兵役は2年間だったようで、それが1ヶ月やそこらで除隊になるというのは、病気や怪我のほかは、まずあり得ないと思います。
コタンの年譜にも大正十二年に「病気」とあるので、病気で除隊というのがもっとも考えられるものかと思います。
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管理人 ++.. 2007/06/03(日) 00:20 [324] |
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鍜治照三の「あけゆく後方羊蹄」の年譜では「病気除隊」となってますね。 鍜治氏は余市の郷土史家で、北斗と7カ年に渡って親交を温めたという人ですから、もしかしたらそうなのかもしれないですね。
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管理人 ++.. 2008/08/21(木) 00:17 [359]
[引用]
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