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コタンBBS

違星北斗研究会
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 生活  [返信] [引用]
もう、何年もいじっていない「キーワード別歌集」。

「生活」っていうキーワードがなかったことに気付きました。

生活
【衣】
『北斗帖』
背広服生れて始めて着て見たり/カラーとやらは窮屈に覚ゆ
ネクタイを結ぶと覗くその顔を/鏡はやはりアイヌと云へり
洋服の姿になるも悲しけれ/あの世の母に見せられもせで
めっきりと寒くなってもシャツはない/薄着の俺は又も風邪ひく
【食】
「北斗帖」
握り飯腰にぶらさげ出る朝の/コタンの空に鳴く鳶の声
久々で熊がとれたが其の肉を/何年ぶりで食うたうまさよ
砂糖湯を呑んで不図思ふ東京の/美好野のあの汁粉と栗餅
甘党の私は今はたまに食ふ/お菓子につけて思ふ東京
支那蕎麦の立食をした東京の/去年の今頃楽しかったね

カムチャツカの話しながら林檎一つを/二つに割りて仲よく食うた
働いて空腹に食ふ飯の味/ほんとにうまい三平汁吸ふ

骨折れる仕事も慣れて一升飯/けろりと食べる俺にたまげた
一升飯食へる男になったよと/漁場の便り友に知らせる

「日記」
キトビロを食へば肺病直ると云う/アイヌの薬草 今試食する   
見舞客来れば気になるキトビロの/此の悪臭よ消えて無くなれ   
これだけの米ある内に此の病気/癒さなければ食ふに困るが
熊の肉俺の血となれ肉になれ/赤いフイベに塩つけて食ふ   
熊の肉は本当にうまいよ内地人/土産話に食はせたいなあ   
「小樽新聞 昭和三年六月五日」
熊とった痛快談に夜はふける熊の肉食って昔をしのぶ
「医文学」大正十五年九月一日
今朝などは涼しどころか寒いなり自炊の味噌汁あつくして吸ふ






【住】
「北斗帖」
楽んで家に帰れば淋しさが/漲って居る貧乏な為だ
秋の夜の雨もる音に目をさまし/寝床片寄せ樽を置きけり

「日記」
あばら家に風吹き入りてごみほこり/立つ其の中に病みて寝るなり   

【寝】
「はまなすの花」
土方した肩のいたみをさすりつゝまた寝なほした今朝の雨ふり


 
管理人  ++.. 2008/08/22(金) 07:46 [360]

 
まだ、全然網羅していないですけど、こういう感じかな。
時間があるときまたページを作ろう。

【寝】ってしましたけど、けっこう寝ることに関する歌が多い。
あと、「雨」に関する歌も。

管理人  ++.. 2008/08/22(金) 07:48 [361] [引用]





 軍隊生活  [返信] [引用]
違星北斗の軍隊生活は、大正12年7月から8月の1ヶ月しかありません。

通常は、当時の兵役は2年間だったようで、それが1ヶ月やそこらで除隊になるというのは、病気や怪我のほかは、まずあり得ないと思います。

コタンの年譜にも大正十二年に「病気」とあるので、病気で除隊というのがもっとも考えられるものかと思います。

 
管理人  ++.. 2007/06/03(日) 00:20 [324]

 

 鍜治照三の「あけゆく後方羊蹄」の年譜では「病気除隊」となってますね。
 鍜治氏は余市の郷土史家で、北斗と7カ年に渡って親交を温めたという人ですから、もしかしたらそうなのかもしれないですね。

管理人  ++.. 2008/08/21(木) 00:17 [359] [引用]





 「新日本紀行・サラブレッド高原」  [返信] [引用]

NHKの「新日本紀行・サラブレッド高原」のビデオを入手。昭和44年9月の放送。

以前、この番組を書籍化した本に北斗の記述を見つけたので、テレビ番組の中でも放送されたのではないかと期待していたのですが……。

 http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_7204.html

 残念。
 ありませんでした。

 年表の方にも「紹介されたか?」と書いているので、消さなければなりませんね。

 北斗の事は、書籍化に際して追加されたものかもしれません。
 残念。

 
管理人  ++.. 2008/08/20(水) 11:11 [358]








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