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コタンBBS

違星北斗研究会
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 ラストアイヌの中の北斗  [返信] [引用]
「ラストアイヌ」という森竹竹市の評伝の中に当然、違星北斗のことも出てくる。
その中で当サイトの情報を使用しているのだけれど、ちょっと北斗に関しては、読み込みが足りないというか、理解が足りない気がする。
…やはり、原典にあたろうよ、とは思うわけです。

そうしないと、周辺の経緯や背後の状況などがわからない。このサイトに載せているのは北斗に関する(表に出せる)記述だけであって、それを出すためには、その数倍もの資料を読み込んでたりするわけで…。
その背後には文脈というものがあるし、それはやはり図書館なり古本なりで原典や周辺の情報を把握してから書こうよ、と思うわけです。

その一行を書くために、数年、十数年かかってたりすることもあるし、休日と飛行機代やら新幹線代を使って北海道やら岡山やら、全国の図書館に行って調べたりしているのだから。

もちろん、この本があかんということではありません。
いい本だと思います。

 
管理人  ++.. 2021/03/30(火) 03:40 [679]





 アイヌ新聞4号  [返信] [引用]
アイヌ新聞4号 高橋真(1946年4月21日)

アイヌ偉人烈伝(その三)

熱血の違星瀧次郎氏
余市アイヌが久遠に誇り得る偉人「違星滝次郎氏」の名は全道アイヌの心に深く刻まれねばならぬ。「アイヌは見世物にされる、そして悪い和人のために欺され亡びてゐる。一体これでよいのか?」熱血児滝次郎の心は何時もこの心で一ぱいであった。或時は日高、胆振のあちこちに、或る時釧路のコタンに、また或る時は十勝のウタリーに「アイヌよめざめろ!!」と力の限り叫んだ。けれども同族からさめ様ともしなかった。そして「フヽン余市アイヌが何を云ふ」といふ冷い嘲笑のみが多かった。多感な滝次郎は上京してアイヌを正しく都会人に認識させるために、熱弁を揮った事もあった。アイヌ研究家、ユーカラの権威金田一京助博士にも種々と論難したのも滝次郎で此の同族愛の燃ゆる情熱は多くの人々から愛された。そして高給で市場協会の職員に採用された。然し平凡な和人生活になり切るよりもコタンに帰って、ウタリーの為に世の荒浪と斗う事とし●然帰郷、手づから「コタン」と云ふ雑誌を刷って同族の啓発に努めたりした。だが生活は何時も苦しかった。一枚のハガキを買ふことも出来ぬ時もあった。加ふるに労働のため体は弱く遂に病床に伏さねばならなかった。「くそ、しぬものか…」だが、昭和5年2月享年30歳で「世の中は何が何だかわからねど死ぬ事だけは確かなり」と詠じて此の世を去った。熱血児、歌人違星氏は「北斗」と称した。

 
管理人  ++.. 2020/09/11(金) 15:40 [678]





 更新  [返信] [引用]
久しぶりに更新しました。

久しぶりに「違星北斗.COM」をメンテナンス。

大昔adobeのGoliveというソフトで作ったのですが、すでにその環境も失われて久しく、HTMLを思い出しながら。

変更個所は 

・トップページ(最新情報)に  

http://iboshihokuto.o.oo7.jp


「違星北斗ノートについて」

http://iboshihokuto.o.oo7.jp/hokutonotenitsuite.pdf

「北大資料」のページ

http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0f98.html

へのリンクを追加。
 

・違星北斗写真館(北斗少年の写真) 

 北斗の少年時代の写真を追加

・違星北斗書画集

  図表編集が面倒なので、ブログの方に追補ページを追加しました。

・その他、ブラウザの仕様変更で、縦書きが崩れてしまうようになっていたので、すべて横書きに戻しました。

 違星北斗.comは、2001年ごろから作り初めていましたから、もうすぐ20年ですね。
 もはや、トップページももはや骨董品です。

 
管理人  ++.. 2020/09/08(火) 15:48 [677]








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