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コタンBBS

違星北斗研究会
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 メルマガに原稿  [返信] [引用]
「[本]のメルマガ」というメールマガジンに違星北斗の短文を書きました。出版・書店関係のメールマガジンです。

毎月5日,15日、25日発行のうち、25日版に3回連載されます。

通しのタイトルは「アイヌの歌人・違星北斗の青春と死を巡って」(だったかな?)です。

12/25 第1回「成宗の一夜」
1/25 第2回「コタン巡歴」(仮)
2/25 第3回「違星北斗の死と青春をめぐって」(仮)

なんだか青くて恥ずかしいタイトルですが、私の中では「青春」「死」がそれぞれ北斗を読み説く重要なキーワードかと思いますので。

下手な文章で恐縮なのですが……。

興味がある方は、下のアドレスをご参照ください。登録すればメールで送られてきます。(ホームページにも最新号が掲載されています)。

[本]のメルマガ
http://back.honmaga.net/

 
管理人  ++.. 2008/12/21(日) 00:49 [443]





 北斗80年忌  [返信] [引用]
北斗の80年忌についての詳細。25日(命日前日)と26日(80年忌当日)の両日に行いますので、都合のよい方にご参加ください。

(1)25日(日曜)コース

日時 2009年1月25日(日)
   午後1時 
場所 JR余市駅集合

※当日参加可能。
※雨天決行。荒天の場合は中止の可能性あり。
※基本的には徒歩、路線バスを使用。
※最低決行人数1名。
 
 コース 

 余市駅

 ↓ 徒歩

 美園墓地

 ↓ 徒歩

 北斗句碑(余市水産博物館)

 ↓ 徒歩

 北斗生家跡(旧コタン)

 以下、希望者あれば

 ↓ 路線バス
   (北斗の卒業した大川小学校を通過)

 フゴッペ洞窟(休館中で入れません)。
 ただ、北斗が論文に書いたのはこの「洞窟」ではなく、その脇の崖壁にあった古代文字で、現在は磨滅して見ええません。
 
 こんな感じでしょうか。
 フゴッペや水産博物館などが軒並み冬期休館なのはつらいですね。

 他にも余市にはニッカの工場とか宇宙記念館とか、いろいろ面白いところはあります。

 
管理人  ++.. 2008/12/18(木) 10:03 [440]

 
(2)26日(月曜)コース

日時 2009年1月26日(月)
   午前8時 
場所 JR余市駅集合

※当日参加可能。
※雨天決行。荒天の場合は中止の可能性あり。
※基本的には徒歩。
 
 コース 

 8:00 余市駅

 ↓ 徒歩

 9:00 美園墓地
  (北斗の死亡時刻は朝9:00とされています)

  ↓ 徒歩

 北斗句碑(余市水産博物館前)

 ↓ 徒歩

 北斗生家跡(旧コタン)
 
※水産博物館・フゴッペ洞窟は冬期休館中。
 句碑は屋外にあるので見られるそうです。

管理人  ++.. 2008/12/18(木) 10:18 [441] [引用]

 
 両日とも、事情により予定コース変更はあると思っていただければ幸いです。
 
 メインの墓参は無宗教での献花、もしくは各自任意の形式で行うのがよいかと思います。
 特にセレモニー的なことは考えておりません。各自手を合せるぐらいでよいかと思います。

 北斗自身はアイヌ文化との接点がほとんど失われた世代でした。違星家は曹洞宗の檀家で、北斗自身は日蓮系の国柱会に出入りしていましたが、これについては一時的なものであった可能性もあります。
 また、北斗は「神を頼まない」「自分の信念を本尊にして突き進む」てなことを言っていました。

 そういう意味でも、各自がそれぞれの信念信条で、北斗を思う時間になればよいかと思います。

 

管理人  ++.. 2008/12/18(木) 10:48 [442] [引用]





 ヤフー百科事典  [返信] [引用]
Yahooが百科事典サービスを開始。
違星北斗の項目もあり。
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違星北斗(いぼしほくと) (1902―29)

歌人。本名滝次郎。北海道後志(しりべし)支庁余市(よいち)町の生まれ。祖父万次郎は、1872年(明治5)、東京に開かれた開拓使仮学校に選ばれて生徒として派遣されたアイヌの一人。北斗は小学校卒業後、造材人夫をしながら歌を詠み、さらに自らもアイヌ研究を志し、上京して金田一(きんだいち)京助に会ったこともある。1927年(昭和2)には、日高支庁平取(びらとり)町の聖公会の幼稚園でバチェラー・八重子の仕事に協力する一方、売薬行商をしながらアイヌに対する差別を告発する歌をつくる。遺稿集『コタン』(1930)には、北斗のアイヌとしての怨念(おんねん)がにじんでいる。

アイヌとして生きて死にたい願もてアイヌ絵を描く淋(さび)しい心

[執筆者:藤本英夫]

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http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%81%95%E6%98%9F%E5%8C%97%E6%96%97/

日本大百科全書(小学館)を底本としており、執筆者は故・藤本英夫先生。

情報としては、目新しいところはありません。


 
管理人  ++.. 2008/12/14(日) 22:39 [437]

 
「怨念」か。

 北斗は怨念とかルサンチマンとかからは遠い気がするけれども、北斗の病中書簡を持っておられた藤本先生が書かれているので、一回りしてやはり「怨念」なのかもしれない。



管理人  ++.. 2008/12/14(日) 22:42 [438] [引用]

 
 逆に言うと、私は活字になっている北斗の遺稿集のテキストの中には「怨念」は感じられない。上山草人の読んだ日記原本にあった「歪んだ」考えは、遺稿集の編者によってカットされている。

 藤本先生は、病中書簡にある北斗の「怨み節」をご存じなので、こういう読み方をし、こういう書き方になったのではないでしょうか。推測ですが。

管理人  ++.. 2008/12/16(火) 18:40 [439] [引用]








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