「アイヌ史新聞年表『小樽新聞』(大正期II・昭和期I)編」という本を入手。 これは、國學院短期大学コミュニティカレッジセンターが刊行しているもので、明治時代からの小樽新聞の中で、アイヌに関する記述を集めた目録の3冊目にあたる本です。 「大正期II・昭和期I編」は、大正11年から昭和5年を収録しています。 ちょうど、北斗が活躍した頃のものになるので、北斗に関する記載はないかと探してみたら、大変な発見がありました。
1929年(昭和4)年1月30日に、余市の歌人・山上草人の短歌が掲載されています。
夕陽さす小窓の下に病む北斗ほゝえみもせずじつと見つめる やせきつた腕よ伸びたひげ面よアイヌになつて死んでくか北斗
この胸にコロポツクルが躍つてる其奴が肺をけとばすのだ畜生!
忘恩で目さきの欲ばかりアイヌなんか滅びてしまへと言つてはせきこむ
北斗の闘病末期の姿を映した短歌です。 また、北斗の死後の2月17日には、札幌の上元芳男による短歌が掲載されています。
風寒い余市の海の浪音に連れて行かれた違星北斗よ
アイヌだけがもつあの意気と弱さとを胸に抱いて違星は死んだ
3月2日にも、山上草人の北斗に関する短歌が掲載されています。
遺稿集あんでやらうと来て座せば畳にみる染むだ北斗の体臭
クレグールくさい日記にのぞかれる彼の想ひはみな歪んでる
「このシヤモめ」と憤つた後の淋しさを記す日記は読むに耐へない
金田一京助さんの恩恵に咽ぶ日もあり、いぢらしい男よ
さらに、3月8日にも余市の山上草人による短歌があります。
「神なんかいないいない」と頑張った去年の彼の日記がイエスの言葉で閉ぢられてゐる
凡平の曾ての歌を口ずさみ言ひ寄つた去年の彼を忘れぬ
シヤモの嬶貰つた奴を罵倒したその日の日記に「淋しい」とある
ウタリーの叫びをあげた彼の歌碑どこへ建てやうどの歌彫らう
さらに、幾春別の木芽伸一による「違星北斗君の死をいたむ」と題された短歌
亡んでくアイヌのひとりの彼もまたさびしく病んで死んでいつたか
泣きくれる北斗の妻子のおもはれてさびしくきいてる今宵の吹雪よ
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