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道立図書館にて、資料調べ。
(1)「汎北海道」創刊号(昭和29年12月1日発行、汎北海道社、東京)に北斗の記事あり
「アイヌ民族の二つの星 文博知里氏と歌人北斗」
無記名記事。
(2)「山音」48号(昭和44年10月10日発行、山音文学会、虻田郡豊浦町)
「違星北斗の歌と生涯」 早川勝美。
北斗の評伝です。 さすが早川勝美さんです。 この方は余市でご遺族に詳細に調査していますので、何点か未見の情報がありました。
・ガッチャキ行商の時、 《箕笠をかぶり、大きな行李を背負い、秋の雷電峠を歩いていた北斗の姿は、忘れようとしても忘れる事の出来ない思い出となった」と語るのは北斗を知る一老人の述懐であり彼の記憶の中にいまなお生きている北斗の姿である。》 という証言。
・《酒のめばアイヌもシャモも同じだテ 愛奴のメノコ嗤っています この短歌一首は、昭和三十九年八月二十六日、北斗の最後まで良く面倒をみた彼の遠縁にあたる海津トキ氏(余市町大川町番外地在住、八十七歳)所蔵のもので、ワラ半紙に、毛筆で書いたものであった。作歌月日は、昭和三年七月とあるだけで、日時は明瞭ではない。》
海津氏は「梅津」氏の間違いです。 この歌自体はコタンに収録されていますが、こういう 半紙が現存していた、ということですね。
・北斗をモデルにした創作として、 《「墓穴」大沼貞雄(昭27・7「瓶風」10号)》 というのがあるらしい。
・北斗の生年月日について
《「コタン「違星北斗遺稿集」所載の年譜をみると「明治三十四年生れ」とあるだけで月日は明らかにされていない。「コタン」の年譜は北斗自ら記してあったものであるが、遠縁に当る毎津トキ氏は記憶によると「十二月の暮れも明けた頃」であったとしている。現在余市町役場に保存の「除籍原簿」によると「出生、明治三十五年一月一日」とある》
とあります。 トキさんの「十二月の暮れも明けた頃」というのはよくわかりませんが、まあ暮れは暮れということなんでしょうね。あと、「「コタン」の年譜が北斗自ら記してあったものである」というのは、なかなか魅力的な記述です。本当なら、昭和5年版のコタンの「年譜」もまた、北斗の「遺稿」であるということです。そういうことなら、もっと尊重する必要ありますね。
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