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   3度の死産後 やっと出 ....   
   【出産報告】24週での ....   
   絨毛癌のあとの妊娠   
   2度死産 流産後の出 ....   
   【出産報告】 37週9ト ....   
   【出産報告】流産 ....   
   【出産報告】30週臍 ....   
   【出産報告】 19週 ....   
   【出産報告】 30週 ....   
   【出産報告】 23週死 ....   

Name: Blue
Date: 2023/09/25(月) 08:19
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Title: 3度の死産後 やっと出産    
初めまして。私は長男を出産後 次男 三男 長女と三回連続で死産をしてしまいました。
次男 三男は25週 28週 原因不明 長女はへその緒が首に巻き付き さらにはかたむすびになってしまっていて予定日1ヶ月前に死産になりました。
何がいけなかったのか どうして私の赤ちゃんばかりこんなことになったのか 周りのママ達はみんな元気な赤ちゃんが産めるのに私にはなんで産声を聞かせてくれないのか 神様なんかいないんだと 本当に辛い日々を過ごしていました。しかし長男は元気に育っていてこの子を大事にしていこう 本当に奇跡のこだと思い 赤ちゃんはあきらめていました。
しかし 43歳になったとき 生理が2ヶ月こず つわりのような症状がありまさかね でもと主人にも言い出せずに妊娠検査薬を使うのもためらっていました。
しかし日々つわりのような症状が増えていき 産婦人科を受診しました。
検査前先生にも生理が止まってしまうことはよくありますからと言われ そうなんだと少しがっかりしましたが 検査の結果妊娠3ヶ月とわかりました。
結果を聞いて正直素直には喜べませんでした。やはり三回の死産のことが頭にずっとあって その日の夜に主人に話をしたときに 今回はどうする? おろす?と言われ その時には即答で産んであげたい おろすなんて考えられないと。 主人も私の覚悟を確かめたかったみたいで もちろん産む方向に決まりました。
そこからは主人も息子もとても気遣ってくれ 本当に大事に大事に過ごし 34週で前期破水をしてしまい かかりつけの病院では手術ができないということで大学病院に緊急搬送され帝王切開にてやっと産声を聞かせてもらうことができました。まだ入院中で一緒に過ごすことができていませんが 元気に一生懸命頑張ってくれています。もう2度と赤ちゃんを抱くことはできないと思っていたので 私が出産後初めて赤ちゃんに面会できたときは涙が止まりませんでした。
同じような経験をされた方がいるかはわかりませんが
今回のことで奇跡はあるのかもしれないと思える体験をすることができました。43歳で自然妊娠 経過はとても順調だったので 破水してしまったときには一気に不安になりましたが 何とか無事に出産でき今は赤ちゃんが退院できる日を心待ちにしています。
だからこんな私が言うのもなんですが あきらめなければ叶うこともあると希望をもってください。
3人もお空に返してしまいましたが こんな私のもとにも来てくれたので 長くなってしまいましたが こんなこともあるんだなって思ってもらえたらと思い書かせていただきました。ありがとうげざいました。





Name: 息子のママ
Date: 2022/08/30(火) 18:03
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Title: 【出産報告】24週での常位胎盤早期剝離で出産後の正産期での出産    
 
数年前、不妊治療を経て念願の第一子を妊娠したものの、クリニックを卒業後、産科を初めて受診する前日に突然の腹痛と出血。
そこから数カ月、自宅安静と入院安静を続けていましたが、
出血が断続的に続き、24週に常位胎盤早期剝離を起こし、緊急帝王切開にて第一子の男の子を出産しました。

700g弱で生まれた息子、なかなか体重が増えず、その理由は開腹しなければ分からない、という状況になりました。
生まれて1カ月も経たずに、そして800g前後という両手で包めるくらいの小さな小さな体で手術を受けた息子は、腸が捻転していたことが判明、捻転していた部分を切除しつなげる処置を受けました。
その後、最初は綿棒で母乳をなめるだけだったのが、人工呼吸器を外し自力呼吸をして大きな声で泣いたり、哺乳瓶で母乳を飲めたりするにまで成長しましたが、
腸が短すぎて栄養をうまく吸収できず、肝臓の調子が悪くなり、その後、4カ月の命を終えました。

腸の捻転の理由は先生もわからないとのことではありましたが、
私自身は、強い張り止め(種類によっては胎児に影響がある)を飲み続けていたことも一因だと考えています。

あの時、私が仕事に熱中しすぎて無理をしていなければ…
あの時、セミナーに外出中にお腹が痛くなった時、セミナーをキャンセルするなりしておけば…
妊娠が判明したときに、すぐに妊娠中の過ごし方などについて勉強しておけば…
もっと、自分自身のことではなく、お腹の命に意識を向けていれば…
出血せずに済んだかもしれないのに…

息子とのお別れは、筆舌しがたいほどの悲しく苦しく胸が痛いもので、
妊娠初期にも普段通り(少し無理をしがち)過ごしていた自分を何度も責めましたし、
「自分も一度死んだのだな」と思うほどのものでした。

でも、妊娠中にぽこぽこお腹を蹴ってくれたいたときの幸福感や、
たとえ数カ月であっても、NICUで元気に過ごしてくれたこと、
私を含め家族を笑顔にしてくれことに、
もっと喜びと感謝の気持ちを強くもとう、と心を入れ替え、
そしてこちらのページで妊娠・出産報告をされる皆さんの経験談に勇気づけられ、
「私も必ずここで出産報告をする!」と心に誓い、再び不妊治療を開始したのでした。

そして2年後に妊娠。
前回が24週という超早産、しかも常位胎盤早期剝離での緊急帝王切開だったので、
今回も早産、早期剥離や子宮破裂、場合によっては自分の命と引き換えになるかも…と覚悟していたのですが、
慎重に過ごしたおかげか、思いのほか妊娠生活は順調で、仕事も在宅勤務を活用しながら出産の1カ月前まで続けることができました。

その後正産期にて出産しました。間もなく生後9か月になります。
おかげさまで、わんぱく娘に育っています。

元気な娘に出会えたのは、
2年前、息子が、短い間でも私の元に来てくれたからだと、
母親になることを喜びと、そして我が子を失うことの悲痛さを、自分の命をもって教えてくれたからだと、息子に出会えたことに心から感謝しています。
ちなみに納骨はせず、今もリビングで、妹や私たちのことを見守ってくれています。(そう信じています。)


3年前の悲しみに暮れていた時、こちらのサイトで、
同じような経験をされていた方のお話を読んで、涙が枯れそうになるくらいまで泣いて、
孤独感が少し和らぎ、そして次への希望・前に進む勇気をいただきました。

運営関係者の皆様、そして経験談を残してくださった皆様に、心から感謝いたします。
今度は自分が、どこかの誰かの希望として、少しでもお役に立てればと思い投稿させていただきました。

これを読んでいる方に、いつかまた笑顔が訪れますように。。。





Name: eliha
Date: 2020/06/21(日) 22:04
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Title: 絨毛癌のあとの妊娠    
流産のほうの体験記にも書かせていただいたのですが、31歳で流産→絨毛癌になりました。
それから1年ごとに検査をしていましたが、34歳で再び妊娠しました。
再発が脳内に浮かび、検査薬を使うと陽性が。生理並みの出血もあり、覚悟して病院に行きました。
念のためエコーで子宮内を見ていただいたところ、小さな丸が見えました。
先生からの「おめでとう」に素直に喜べなかったことを覚えています。

それから出血は止まることがなく、いずれ
流産するだろうとたいして注意することもなく、普段通りに仕事をしていました。
流産すると思っていたのに、その子は今では私のとなりで眠っています。
産声をあげるその瞬間まで、この子もきっと流れてしまうだろうと思っていました。
陣痛がきているときさえ、もしかしたらと考えていました。
俗に言うマタニティライフは、いつくるとも知れない心拍停止を受け止められるよう、覚悟の日々でした。
大きな声で泣いた息子は元気一杯で、それでも無事に生まれたことが信じられず、10才になった娘が泣きながら「お母さん、弟だよ」と言ったその時に、ようやく安堵しました。

癌の経過観察は終わりを告げ、10年ぶりの育児に四苦八苦しております。
繰り返した流産、胞状奇胎、そして絨毛癌。もうだめだ、もういやだと心が折れてしまった私のところに、忘れた頃にやって来てくれた子供です。嬉しさは娘と同じくひとしおではありますが、初期とはいえ失った子達のことは忘れられず、息子は息子、しかし流産してしまった子供たちもやはり私の子であることを痛感しています。
近場にある乳神神社に無事に出産を終えたことと、先にいってしまった子供たちへのお参りをする予定です。





Name: くるくる
Date: 2020/06/04(木) 22:15
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Title: 2度死産 流産後の出産    
2010年5月に結婚し自然妊娠で第1子を授かりました。その後順調でしたが出産予定日の近くで臍帯過捻転により39週と5日で死産しました。
2011年6月の事です。
陣痛があり病院に行ったら突然亡くなっていることを告げられ23時間の陣痛に耐えての出産でした。
赤ちゃんは私にそっくりな男の子でした。
その後1年経っても子どもを授からず私が早く子どもをほしい気持ちを病院の先生に訴えました。私自身かなり精神的に参ってしまっていたんです。
すると体外受精をすすめられチャレンジする事にしました。
2012年1度目の体外受精で妊娠するも初期の流産でした。
2013年3度目の体外受精で妊娠しましたが妊娠4ヶ月で赤ちゃんが無脳症であることが判明しました。
そして妊娠4ヶ月で人工堕胎し2013年5月死産しました。
500グラムほどの小さな赤ちゃんでした。
その後2013年の秋に4度目の体外受精で妊娠。
毎日不安でしたがやっと2014年6月無事に37週で男の子を出産する事ができました。
実は無事に出産したのですが病院に行ったら心拍がかなり落ちていて緊急帝王切開をしたのです。
どうやら臍の緒が首に何重にも巻き付いていて足にも巻き付いていたそうです。もし家にいて気がつかなかったらもしかしたら危なかったと言われました。
その後翌年に自然妊娠で授かり2015年9月に37週で男の子が無事に産まれました。帝王切開で計画出産でした。
現在男の子2人の子育て真っ最中です。
私が辛いとき何度もこちらのサイトで励まされたかわかりません。
とにかく辛い経験の後の妊娠って言葉に出来ないほどの恐怖なのですよね。
はっきり言って経験した人にしか分からないです。
今も亡くなった子どもの事は一生忘れません。産まれた日が来ると毎年思い出します。

今辛い思いをされている方がいるとしたらどうぞ時間をかけて心を癒やしてほしいと願っています。






Name: しゅんくんママ
Date: 2019/12/15(日) 02:39
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Title: 【出産報告】 37週9トミソリー横隔膜ヘルニア誕生死後の 出産報告    
生理不順のため、妊娠に気づいてあげるのが遅かった。なのでとても心配だった。
お腹が張ったり強い痛みがあったりしていた。「お腹が張ると赤ちゃんが成長出来ないから、安静に過ごしてください。」と言われるだけで赤ちゃんは特に問題ないと言われていた。
胎動も上の子の時よりもあまり感じられなかった。小さいからだと言われた。
34週の時に、旦那が一緒に診察に来てくれた。「特に問題ない。安静に過ごしてください。」といつものように診察が終わろうとした。
旦那が「このまま小さく産まれたらどんなリスクがありますか?」と質問してくれたら、赤ちゃんが元気か診てくれた。
赤ちゃんはあまり動かなかった。
「特に問題ないと思うけど、念のために市民病院に紹介状書くので行ってください。」と言われた。
市民病院に受診したら、赤ちゃんが横隔膜ヘルニアであることがわかった。
横隔膜ヘルニアで肺が潰れてしまっているので、このまま産まれて来ても呼吸が出来ないので手術をしなくてはいけない。
市民病院では横隔膜ヘルニアの手術が出来ないので、別の病院を紹介してくださった。
でも、横隔膜ヘルニアが重症であること、赤ちゃんがとても小さいため手術に耐えられないので、そこの病院でも手術が出来ない。と言われてしまった。

市民病院でまた別の病院を紹介して下さると言ってくださったけど、赤ちゃんが元気か診察してくださった時に、赤ちゃんの成長が止まっていてとても苦しそうで、命が1週間もつかわからないので、この状態では別の病院を紹介することは出来ないと言われてしまった。
死産を覚悟した。小さくてなかなか感じられない胎動に必死で耳を傾けた。

1週間後の診察覚悟を決めて病院に行った。
でも、赤ちゃんは思っていたよりは大丈夫だった。
その日の夜、少しお腹が頻繁に痛い!?もしかして陣痛!?陣痛だった。
私は出産したらお別れしないといけないと思うと、このまままだお腹にいて欲しい。お別れしたくない。陣痛の痛みに耐えられなかった。なげやりに「イヤ、イヤ。痛い、痛い」と叫んでいた。
それでも息子が頑張ってくれたら。1週間もつかと言われてしまっていたのに、自分で産まれまいと思ってくれて、無事に産まれて来てくれた。産声を聞くことは出来なかったけど、確かに私の胸の上で動いてくれた。悲しみより、頑張って生きて産まれて来てくれた息子がとても誇りに思えた。
染色体の検査をしたら、9トミソリーによる横隔膜ヘルニアだった。
今度は絶対に無事に赤ちゃんを産んであげたい。もう一度赤ちゃんを生きて抱き締めたいと思った。

でもやっぱり不安も大きかった。
妊娠に気づいた時は不安よりも嬉しさがかった。
出来るだけマイナスな事を考えないようにしてた。
予定日になっても産まれる予兆がなくて不安になった。促進剤を使うと言う話が出ていたけど、
40週3日に無事に産まれて来てくれました。

予定日過ぎても産まれなくて不安になったけど、改めて自分で産まれまいと思って産まれて来てくれた息子が私達に会いたいと思って産まれて来てくれたんだって思えた。息子の頑張りを感じる事が出来た。いっぱい奇跡をありがとう。

流産や死産や誕生死など経験された方々は悲しみや不安を抱えていらっしゃると思います。息子が頑張ってくれたお陰で私は前向きに過ごすことが出来ましたが、悲しい気持ちになった時にポコズママの会を知り、同じような悲しみを抱えている方がいること知って、自分だけではないんだ。と励まされました。
特に天使ママの妊娠出産報告は希望を持つことが出来ました。
私の報告が誰かの希望になりますように。





Name: りあまゆゆ
Date: 2019/10/12(土) 01:48
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Title: 【出産報告】流産,38週子宮内胎児死亡後の出産    
第一子出産後、第二子を9週で流産、第三子を原因不明の子宮内胎児死亡で38週で亡くしました。

亡くなった子を普通分娩で出産する前夜、悲しさと不安でいっぱいで、ポコズママのサイトに辿り着きました。
涙を流しながら必死に体験記を読み、自分だけじゃない、同じような悲しい体験をされた方がいる、そしてその後無事に出産された方もいる、そう知ることが出来ただけで少し救われたような気がしました。

その後、夫婦で話し合い、もう一度妊娠出産をと望み、不育症の治療と切迫早産の試練を乗り越え、第四子を無事に出産することが出来ました。
お医者様と相談し、38週前にに誘発分娩で出産しました。

次の妊娠出産は、亡くなった子への申し訳ない気持ちや、無事に出産出来るかという恐怖等、経験者にしかわからないことが沢山あるかと思います。
ですが、どうか希望を捨てず、もう一度前を向いてほしいなと思っています。

今も涙を流している人が、どうか救われますように。





Name: さくらくんママ
Date: 2019/02/17(日) 15:02
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】30週臍帯ヘルニア死産後の出産    
晩婚で、不妊症あり。2年間の不妊治療。
1つ目の不妊治療クリニックでは、仕事を続けながら1年頑張りましたが授からず、退職してクリニックを転院して、待望の第1子を授かりました。
妊娠25週に少量出血を繰り返して、切迫早産のため安静入院となりました。
赤ちゃんはやや小さめ、羊水やや多めも、明らかな異常はないとのことで入院生活を送っていたら、妊娠30週0日エコーで臍帯ヘルニアが判明し、翌朝の回診で胎児心拍がなく、子宮内胎児死亡が確認されて死産となりました。
本当に、一時はなくなった子のもとへ行きたくなり、どう生きたらよいか、かなり精神不安定になりました。

人間どんなに辛くても前を向くしかないのだと、そのために人間の目は前にあると夫に言われ、夫に支えられて、なんとか前向きになりました。
最後、残り一つの胚移植で再度授かることができました。
妊娠中は孤独と不安で、周囲のひとに順調か、胎動あるかと聞かれるたびに、気持ちが辛くなりました。
夫にも理解できない不安と、日々一人で耐え忍ぶしかないと思いました。
検診で順調だといわれても、信じることはできませんでした。
今回も30週から切迫早産で入院となり、張り止めを36週で辞めてもお産にならず、退院後は、今回も子宮内胎児死亡になったらと恐怖がありました。
38週で分娩誘発してもらい、鉗子分娩でお産になりました。
オギャーと聞いたとき、ゆめのようで、今でもまだ夢のように、幸せで感謝しています。

ただ、やはり妊娠中は絶えず恐怖と不安で、どなたかの投稿にありましたように、暗く細く長いトンネルを歩いてるようでした。
胎動が一時少なく思うと、死産したときの静かなお産をまた経験するのかなと、死産のときのことが走馬灯のように思いだされ、運命だから仕方ないと思いつつ、
神様は再度同じ経験を非情だなと思ったり繰り返していました。
ポコズママの皆さんは再度妊娠されたとき、分娩までは本当に過酷な不安と一人で向き合わないといけないかと思いますが、全部は理解されなくとも、夫や家族に愚痴りながら、辛い気持ちを吐き出しながら耐え忍んで日々をやり過ごして下さい。
耐え忍んだ先にはきっと、お空にいったお子さんの妹か弟に会える日がくると思います。
私もこの掲示板に励まされ、いつか報告できる日が来ることを夢みていました。
きっとお空に帰った我が子が見守ってくれると思います。
この恐怖は同じ経験をした人にしか理解できないと思いますが。





Name: ゆりりんこ
Date: 2019/02/06(水) 18:36
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 19週人工死産後の出産    
5年前の1月某日、胎児異常にて男の子を人工死産しました。
その時にこちらの掲示板を見かけ、気持ちを吐き出したくて、書き込みをさせていただきました。
しばらくは辛くてこの掲示板を避けていましたが、5年の時が経ち、久しぶりに訪問させていただきました。

死産した次の年に長女を出産し、その3年後の今年の3月、次女を出産することができました。
2人とも元気に育っております。
2人とも妊娠中は毎日不安の日々でした。
そして、出産の時、天国にいる息子のことを考えながら、2人を産みました。
お兄ちゃん、可愛い妹達をどうか見守っていてね。

悲しい思いをされたママ達の希望となりますように。





Name: haruto
Date: 2018/08/19(日) 13:03
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 30週子宮内胎児死亡後の出産    
3年前に子宮内胎児死亡で長男を空に還しました。
その時、既に41歳で、もう妊娠は諦めていました。
子供以外に楽しみを見つけようと色々と始めていた矢先、自然妊娠が判明しました。

妊娠中は何度も不安になって、エンジェルサウンズで何度も心拍を確認しました。
出産時は44歳という高齢だったのですが、お蔭さまで自然分娩で次男を無事出産することができました。
今は高齢育児奮闘中です。

長男の事を思うと今でも悲しいです。
でも、長男は本当に色々なことを私に教えてくれました。
子供は偉大だなと今でも思います。
長男を亡くした当時、ここで色々な事を吐き出させていただき、救われました。
ここをご覧になっている方の少しでも救いになればと思い、投稿させていただきます。
全ての天使ママさんがどうか幸せになれますように。





Name: ともこ
Date: 2018/08/11(土) 23:04
  返信  引用  編集 
Title: 【出産報告】 23週死産後の出産    
2年前、23週で息子を死産しました。
原因不明でしたが、念のために受けた不育症検査で血液凝固が見つかり、次の妊娠はヘパリン、バイアスピリンを服用しながらの妊娠でした。

妊娠中、常に不安で何度も胎動を確認し、病院にもいきました。
無事に産まれた我が子を大事に育てていきたいと思います。
死産した時、この掲示板の書き込みを読み、少しずつ前向きに頑張ろうと思いました。






 
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