Title: 【出産報告】子宮外妊娠1回・稽留流産2回後の出産
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結婚9年目・不妊治療歴5年で、ようやく地上の娘を抱く事が出来ました。
平成16年6月24日に12週で、稽留流産の手術で、お空に天使を見送って以来、不妊治療を暫く休みました。 平成12年から不妊治療を始め、顕微授精を行ってから妊娠するも、14年、15年、16年と、毎年立て続けに子宮外妊娠や2度の流産で、夫婦共に心も体も疲れ果てて、休養が必要でした。
温泉や食べ歩きなど、充電期間を経て、数カ月後に治療再開。 お約束のように、黄体機能不全ぎみの私は、4周期程リセット。 妊娠しても、流産する辛さも味わっているものの、またもや生理が来る度に、小さな喪失を繰り返す日々。 3人目の天使を送ってからの、勤務先の上司にも、「来月治療する事になったら、1日〜2日、急にお休みするかも知れませんが、宜しくお願いします」と、何度言った事でしょう。 それを言うのももう習慣となっていた、3人目の天使を送ってからの1年後の平成15年7月16日。 やっと胚移植をする事が出来ました。
そして、胚移植から13日後の7月29日。 クリニックで妊娠が分かりました。 流産を3度もしている私達には、不安も大きい。手放しに喜べない気持ちも有りましたが、それでも元々夫婦共に子供が出来にくい原因が有り、やはり嬉しい気持ちにもウソがなく、喜び、家に帰る前に、勤務中の夫へ、4度目の妊娠報告メールを送った覚えが有ります。
それからも前回の妊娠で、12週で流産している事も有り、5ヶ月に入るまで不妊クリニックへも通いました。 産院へも通い始めていたので、肉体的にはしんどいはずなのに、毎日でもエコーを見たい気持ちの方が強く、苦になりませんでした。 つわりはこの頃、大分楽になりました。 そして、この4回目の妊娠で、初めて母子手帳というものを貰いました。
17週でようやく、不妊クリニックの方は卒業となりました。 殆ど延べで毎週エコーを診て貰っていたのが、暫く月1になり、ネットや本で早い人のレベルで、「もう胎動が有りました」という週数を過ぎても、胎動という胎動をその時期になっても、なかなか感じる事が出来ず、不安で不安で仕方がなかったのを覚えています。
胎動を夜や、静かにしていると感じるようになった頃、今度は8ヶ月検診で、尿糖に悩まされる事に。 牛乳などの乳製品を無脂肪に変え、うどんやラーメンなどのスープは、飲まないように、診察前は食事を取らないようにもしました。
そのお陰で、尿糖は下りなくなったものの、今度は手足に浮腫が出るようになり、21.5〜22センチの靴を履いていた足が、23.5センチのスニーカーを購入し、それを産後まで履いていました。蛋白は、初期からずっとプラス1でした。
予定日の翌日、4月4日の夜から前駆陣痛が3日続きました。 5・6日と何度も里帰り先から、産院を往復しました。 7日朝。9時を過ぎても陣痛が治まらなかったので、今度こそと、パートを休んで貰った母と2人、タクシーで産院へ。 そのまま入院になりました。 その後34時間後、その間陣痛促進剤を5回服用し、手を握る夫、ドアの向こう側の両親に見守られる中、4月8日、19時3分、ようやく2570g、48.5センチの娘を無事に産む事が出来ました。 3日3晩、寝ていないはずなのに、不思議と疲労感はなかったです。 娘を抱いた瞬間、「有難う」と言いました。
現在、生後6ヶ月を迎えた娘は、2ヶ月前の4ヶ月検診で、右足に先天性の股関節脱臼が分かり、リーメンビューゲルという装具を付けての治療中ですが、それでもやっとこの地上の娘を授かり、この胸に抱く事が出来た、幸せな気持ちは、半年前と変わりは有りません。
これから妊娠される方、出産を迎えられる方、娘の事を書いた事で、不安にさせてしまったら申し訳ございません。 また、長文をお読み頂き有難うございました。
妹と、そして皆様と出会わせてくれた、3人の天使、皆様の天使ちゃん達に、感謝です。 皆様のさらなるお幸せをお祈り致します。
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