Title: 【出産報告】3回の化学的流産と稽留流産を経ての出産
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やっと我が子に会うことができました。
はじめて妊娠と呼べるものをしたのは、2004年の12月でした。その他にも3回化学的流産をしています。その妊娠は、不妊治療お休み中のことでした。陽性反応が出たもののうっすらといった感じ。最初から不安なスタートでした。胎嚢が確認できたのは6週に入るくらい。7週3日でやっと心拍も確認できました。でも、胎嚢が胎芽に比べて小さいから流産するかも、といわれました。やっときてくれた小さな命を信じたくても不安で不安で、毎日泣いていました。9週に入り胎嚢は普通の大きさになり、やっと少し安心していました。でも次の検診で心拍が確認できなくなっていました・・・。今でもあの場面を忘れることはできません。
手術後また不妊治療をスタートしました。 念のために、子宮卵管造影や簡単な不育の検査もしました。基礎体温はストレスや流産の影響でグチャグチャ。子宮内膜も6ミリと薄くなってしまっていて、卵管はもともとの左閉塞に加えて右が狭窄。 男性不妊もあったので、体外受精を勧められました。でもダンナさんは1度自然妊娠したのだから、しばらく自然に任せたい、と。私はすぐにでも天使ちゃんに戻ってきて欲しくて、それでずいぶんケンカもしました。悲しみの温度差や天使ちゃんへの思いの違いから、離婚も真剣に考えました。 でもそれを救ってくれたのは、やっぱりここでした。いかに自分のことしか考えていなかったのか、気付かせてもらいました。 それからは力が抜けて、天使ちゃんをゆっくりと待とうという気分になれました。 なんとそんな気分になれた次の周期に妊娠することができました。 高温期13日目にくっきりと陽性反応が出た妊娠検査薬を、未だに捨てることができないでいるくらいうれしかったです。(ジップロックに入れているけれど、汚いなんて言わないでくださいね。お守りのような気持ちでした。) 妊娠の経過は順調とはいえませんでした。15週から切迫流産になり、その後は切迫早産で結局37週までウテメリンを飲み続けました。途中28週で陣痛が来てしまい、入院したこともありました。不安で不安でどうしようもなく、超音波ドップラーを購入して、胎動がないときは心音を確認したりしていました。
2006年4月8日。 39週3日で、無事に3290g・48cmの男の子を出産することができました。結局お腹の子の心拍が止まってしまうのでは、という不安から予定日まで待つことができず、計画分娩にしました。 ラミナリアを入れた時点で陣痛が来ましたが、微弱陣痛。誘発剤を入れても変わらず、赤ちゃんの頭も下がって来れなくなり分娩停止状態になったため、吸引分娩になりました。出血もひどくフラフラになってしまいましたが、やっと会うことができたうれしさで涙が止まりませんでした。立会い出産をしたダンナさんも一緒に泣いていて、「天使ちゃんの事、この人も悲しかったんだなぁ。」と心から実感することができました。
この子が天使ちゃんの生まれ変わりかどうかはわからない、と思っています。天使ちゃんの生まれ変わりだったらいいなぁ。言葉が喋れるようになったら聞いてみたいと思っています。
*追記* また妊娠できたからといって、悲しみがなくなるわけではありませんでした。むしろ余計に悲しかった気がします。妊娠継続や出産への不安も加わって、妊娠中の精神状態ははっきり言ってかなり不安定なものでした。それを救ってくれたのは、やっぱりここだと思います。ありがとうございました。
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